凌駕リョウガ











不覚を取った、という言い訳は通じない。何故かなど理解したくもないが、ともかくも。

“そこ”が自分の弱い箇所になってしまっていることに、ダンテはまだ、気付いてはいない。










それは誰そ彼刻。街が夕闇に包まれ、夜のとばりを下ろそうかという時刻のこと。

ダンテは襟ぐりをフェイクファーが縁取るコートを翻し、意気揚々と急ぐでもなく帰路を歩いて いた。まだ宵には早い時刻ではあるが、ダンテの首筋はほんのりと赤く、酒をあおったことが判る。 もっとも行き交う人々にそれは目視出来ない。あちらから歩いてくるひとの顔の見えぬ時間帯が、 今なのだ。
うっすらと水銀灯が灯り始めるものの、まだ薄暗い通りを、人々は歩き去っていく。
ダンテは通りを避けるように、ふいと路地に入った。こちらは自宅への近道だ。大通りを裏手へ 回ればそこはスラムで、外灯など一つ二つあれば上等である。

人気もなく暗い路地を、しかしダンテは慣れた足取りで突っ切った。もう一つ角を曲がれば、 大通りの喧騒は僅かにしか届かない。同じ街とは思えぬ差が、スラムを象徴していると言える。

今日はダンテには仕事がなく、その代わり双子の兄の方が昼から仕事で家を開けていた。 夜までかかると言っていたが、あの兄のことだ。予定よりも早く終わらせるに違いない。 ダンテはその間に、時間潰しと称して街を徘徊していたのである。
鬼のいぬ間に、ではなく、鬼がいない時間を独りきりで過ごすのが嫌だからだ。外にいれば、 気が紛れる。だから兄の不在の日にはいつも外に出て、そうしていつもより酒を多めに飲む。

情けないと自分でも思う。しかし、どうしようもないのだと自分に言い訳をする。

堪えられない。兄が不在だった一年の間に、独りでいることには慣れた筈だった。しかしだから こそ、兄の帰還した今、ダンテは独りになることを極端に嫌っているのだ。
どうあっても、独りになる時間は生まれてしまうのだけれども。

ダンテは不意に足を止めた。誰か、あまり歓迎出来ぬ類の気配がする。が、闇の生き物ではない。 人だ。

「そんなとこに隠れてねぇで、出て来いよ。俺を待っててくれたんだろ?」

揶揄するように呼び掛ければ、ぼうと灯った外灯の向こうから男が一人姿を現わした。どこかで 会ったことがあるだろうか。ダンテの記憶にはない顔だ。こちらは知らずともあちらは知っている パターンは少なくない。今回もそのようである。

「相変わらず口の減らねぇ野郎だな、ダンテ」

吐き捨てるような語調に、ダンテは肩を竦めた。

「悪ぃな。コレは生まれつきだ」

一つも悪びれたふうもなく、ダンテが嘯く。この手の安い挑発は慣れっこになっている為、 歯牙にもかけてやるつもりはない。真面目に相手をするだけ、疲れるばかりだ。
ダンテのやる気のない態度に苛立ったか、男がやはり安っぽい動作で銃を引き抜いた。あぁ、 それで俺のアタマをぶち抜こうって? ダンテは面白くもなさそうに溜息を吐き、首を左右に した。

「あんたに恨まれる筋合いはあんまりねぇんだがなぁ……」

やれやれ、とあからさまに詰まらなさそうにするダンテの足許を、男の放った弾丸が穿った。 アスファルトに穴が一つ。しかしダンテは顔色も変えない。脅しの為に弾丸一発を無駄撃ちする ような輩に、ダンテが身の危険を感じる筈がない。
が、やめておけ、と言って引き下がる男ではないだろう。

「ま……ちょっとは付き合ってやるか」

その言葉を激しく後悔するのは、ほんの数分後のこと。





調子が悪い。――――いや、そんなことはない。

調子が出ない。――――そう、それだ。





明るいうちから飲んだ酒が悪かったのか、脚がどうにも自分の思うように動かない。とは言え、 馬鹿の一つ覚えのように連射される弾丸を避けることは、ダンテにとってあまりに容易いこと だった。
この男は荒事師なのだろうか。それにしては銃の扱いが雑すぎる。荒事師の中には、銃と虚勢を 引っ提げただけの人間もおり、この男もそういった手合いかもしれない。だから、ダンテが気に 入らないのだ。

(飽きて来ちまったな……)

まだ弾丸は尽きないのか。男は狂ったようにトリガーを引き続ける。単調すぎる攻撃に、 ダンテは欠伸を噛み殺した。
外灯の明かりが詰まらなさそうに男を照らす。暗闇になることを恐れてか、水銀灯を撃とうとは しない。それも、馬鹿だとダンテは呆れる。

(殺る気あんのかよ……)

薄汚れたビルの壁を蹴り、アスファルトにとんと降りたダンテは、不意に脚がふらつくのを 感じて舌打ちした。やはりそろそろ打ち止めにした方が良さそうだ。腰のホルスターから愛用の 銃を引き抜こうとして、しかし思いがけぬことに目を瞠った。ダンテの気の逸れた瞬間に、男が 間合いを詰めて胸倉に掴み掛かって来たのだ。
フェイクファーの飾る襟を掴み、ダンテを壁に押しつける。人一人の力程度、尋常の膂力では ないダンテならば軽く振り払える。が、出来なかった。ダンテを壁に追い詰めることに成功した 男が、抵抗の色が浅いことに乗じてダンテの首を片手で絞めるようにしたのだ。

喉に触れる掌と、頸動脈を押さえる指の感触。

ダンテはぞくりと背を這うものを感じずにはおれなかった。それが嫌悪ではなく、ある種快楽で あることは自覚せぬままに。

「っ……ぁ……」

ぎり、と締め上げられる程、ぞくぞくと嫌な類の感覚がダンテを襲う。苦しいのかすら判らず 眇めた視界には、男に重なるように兄の傲岸そのものの笑み。

「どうした、逃げ回るのはもう終わりか?」

嘲る男の声すら、兄のそれと重なってしまう。自分はどうしてしまったのか。自問するが、 解答を得るだけの思考力はダンテには残されていなかった。
がちり、と眉間に銃口が充てられる。しかしトリガーを押さえる指を、男はすぐに引こうとは しなかった。

「……確かに、下手な女よかキレイなカオしてやがる」

こっちもイイのか? 下卑た声と言葉だ。逃がさぬようにだろう、ダンテの首を絞める指は そのままに、男は銃をホルスターにしまい込んでダンテの躰をまさぐり始めた。コートを掻い 潜って尻を掴む指は不快しか生み出さないというのに、ダンテは全身が硬直したように 動けなかった。

「ぁ……はぁ……っ」

意図せず漏れた吐息を、男は尻で快楽を覚えたものと勘違いしたらしい。だがダンテを嘲るの ではなく、ごくりと喉を上下させたところを見ると、この男も完全なストレートでは ないらしい。
ダンテは忌々しく思いながら、それでも逃げられぬ自身を呪った。

(く、そ……なんで……)

身じろげば、男の指が首に食い込み。そしてまた、逃げられなくなる。

「可愛いもんだな」

にやにやとした、男のやに下がった声音。尻を揉む手が前に回り、革パンツのジッパーを下げて 中心に触れた。下着越しに感じる男の手は熱い。いつもダンテを抱いて散々に啼かせる兄とは、 まるで正反対だ。
首に絡む指もまた、兄の指とは違いひどく熱い。

(気持ち、わりぃ……)

ダンテは吐き気を覚えた。そうしてようやく、わけの判らない呪縛から解き放たれる。

「ぐぁっ……!?」

男が腹を抱えてアスファルトに転がった。ダンテが膝で蹴り上げたのだ。もちろん、加減を して。
ダンテは乱れた髪を掻き上げ、深い溜息を吐いた。

「調子に乗ってんじゃねぇよ」

言い捨て、男には目も呉れず路地を立ち去る。加減をしたとは言え、しばらくは飯を受け付け ないだろう。それも自業自得だ。

ダンテは吐き気を飲み込むように唾を嚥下し、男の指の後の残った首筋に触れた。自分で指を 押しあててみても、先刻のように背筋が震えることはない。

「チッ……何なんだよ……」

後味の悪いものを感じながら、ダンテは事務所と自宅を兼ねた玄関ドアを蹴破りたい衝動を どうにか堪えた。まだ兄の帰宅していないことに、子供ではあるまいに心細くなってしまって、 唇を噛む。

どうかしてる。

そんなことは、判りきっているのだけれども。

ダンテはろくに掃除もしたことのない事務所の床にへたりこみ、くたりと横たわった。



















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落としネタ、で、以前に頂いていたネタを使わせて頂きました。