宵虹――――銀虹
テーブルの上には色とりどりの鮮やかな料理が幾皿も並び、ワインの赤が添えられている。
照明は六本の蝋燭を灯す燭台。銀のナイフとフォーク、スプーンがきらきらと揺らめく炎を
反射させる。
バージルにとっては見慣れた、見飽きたと言っても過言ではない光景だが、向かいに鎮座する
青年は口をぽかんと開けてそれらを眺めている。最近でこそ民の暮らしは随分豊かになったが、
こんなにも大量の料理を振る舞うことはないだろう。料理人を雇い入れる数が違うのだから。
「冷めぬうちに食べろ」
苦笑混じりに言えば、青年は弾かれたように肩を揺らし、こくんと頷いてぎこちない仕草で
フォークを手に取った。おずおずと皿の料理にフォークを伸ばす、その何でもない仕種を、
バージルはじっと見つめた。
波の打ち付ける洞から、バージルはぐったりとして意識のないそれを外套に包んで城に運んだ。
父母にはまだ知られぬように、幼い頃に使っていた抜け道を通って城に入り、暗闇に乗じて誰に
気付かれることなく部屋まで辿り着いた。
つけたままだった蝋燭の灯は既に消え、しかし月に照らされて闇はさほど濃いものではない。
天蓋付の寝台にそれをふわりと下ろし、外套を外す。そうすると、蒼白い肢体を覆うものは何も
なくなる。一糸纏わぬ姿で、これはあの洞に倒れていたのだ。
透き通るように白い膚を、バージルは指先で辿った。頬、顎、首、鎖骨、胸、腹、臍、
――――脚には、剥がれ損なったかのように、月明りを弾いて虹色に煌めく何かがぽつぽつと
くっついている。触れてみれば、堅い感触が指に残った。鱗、と呼ぶのだろう小さなものは、
確かにそれの脚の皮膚から生えている。それが人ではないことを、教えている。
指先だけでは物足りず、バージルは片手でそれの脚を持ち上げ、掌全体で大腿から足の指先まで
味わうように撫でた。まるで愛撫だが、あながち見当外れの表現ではない。バージルの碧い目には、
暗い慾望が燻るように浮かんでいる。
撫でさする、そのゆるりとした、しかし意図を持った愛撫に、それが初めてぴくりと反応した。
声とは言えぬ吐息を、繰り返し漏らす。バージルはじっと、それの脚の間のものに視線を注いだ。
僅かだが、鎌首を擡げ始めている。
怖々、といったふうに震えながら立ち上がろうとしている陰茎を、ただ、見る。悪趣味と
罵られても仕様がないが、バージルは視線を外すことが出来なかった。
脚を撫でているだけで――――確かに意図して内股をなぞったりもしたが――――感じて
陰茎が反応する。直接触れずとも、これだけで達してしまうのかもしれない。
見てみたい。この美しい肢体が精を吐き出すさまを。
かり、と誤って大腿の鱗を爪で掻いてしまう。本物の魚のように取れてしまっては拙い、と
はっとするバージルの耳に、先刻よりも熱のこもった吐息が聞こえた。ぴくんとそれの躰が
跳ねた気がして、もう一度、鱗を掻いてみる。
「……ん、っふ……」
びくっ、と。躰を震わせたそれの声は、明らかに喘ぎだ。
これが弱いのか。好色なものではなく純粋に感心して、しかしバージルはもう一度鱗に触ろうとは
しなかった。おそらく鱗を弄るだけで達する程、弱いのだろうと予想は出来る。しかしそれは、
次だ。今は脚そのものを堪能したい。
細いが張りのある大腿を揉むように愛撫し、すべらかな膝をなぞり、ゆるく弧を描く
脹脛を撫でる。足の甲から指先に指を添わせ、衝動的に舌を這わせた。海水に長く浸っていた
のだろう。少し潮の味がする。しかし、柔らかい。
「ふ……っぅん……」
ぞくりと白い膚が粟立つのが判る。足の甲に舌を這わせたまま視線を上げると、喉を
のけ反らせて喘ぐそれの、綺麗な顎の鋭角が目に鮮やかだった。
腕を伸ばし、震える陰茎をかすめるように、折り曲げさせた脚の付け根をくすぐる。と、
掠れた吐息を漏らしてそれが精を弾けさせた。ひとと何の代わり映えもせぬ、濁った白がそれの
膚に飛び散り、濡らす。とろりとした白濁が下肢だけでなく腹や胸まで汚す光景に、バージルは
無意識に喉を上下させた。
「……っん、ん……?」
達した衝撃で目が覚めたのか、それが腕を目許にやり、瞼を擦った。バージルは慌てることなく、
躰を起こしてそれの顔を覗き込む。
長い睫毛に縁取られた瞳は、暗い藍。明るい陽に透かせばきっと美しい空色をしているのだと、
バージルは直感的に悟った。
ぼんやりとしたそれの瞳が、ようやくバージルを映す。途端、ぎくりと見開かれた。
「ッ……!?」
跳ね起きようとしたそれの肩を、バージルはそっと押さえた。本当に、そっとだ。しかし
それは、ただそれだけのことで起き上がれずにベッドに臥せってしまう。
酷く、脆弱な――――
バージルはそれの肩をさするように撫でた。
「落ち着け」
怯えているらしいことを見て取り、バージルは極力穏やかに言った。もっとも、落ち着けという
自分に強姦まがいのことをされていたと知れば、どうあっても落ち着いてなどおれぬだろうが。
困惑に揺れる瞳が、バージルをじっと見上げてくる。肩に触れたままの手は、振り払われる
ことなくそのままだ。先刻、意図せず押さえ付けてしまったことが、恐怖として植え付けられたの
だろうか。
(それならば、それで)
構わない、とバージルは開き直った。
これはひとかどうかも判らぬいきものだ。おそらくバージルが何をかしなくとも、少なからず
人に対して恐れに近いものが初めからあるのだろう。覚醒と同時に飛び起きようとしたのは、
その為に違いない。が、バージルにはこれを逃がしてやるつもりは欠片もない。
自分に恐怖を感じたなら、むしろ都合が良い。
けれども、それの瞳にはっきりとした恐怖はない。見定めようとしてか、ただじっと見上げて
くるばかりだ。
「……お前、名は?」
私はバージルだ、と。付け加えて問うが、返答はない。名がない、ということは有り得る
だろうか。
「名を、問うている。名がないのなら、そう答えろ」
声が聴きたいのだと、バージルは自覚した。六年前に船のこちらで聴いたあの歌声は、今も
忘れず耳の奥にしまわれている。
声が、聞きたい。
それが、ぱくりと口を開いた。しかし声は出ず、代わりにと言おうか、気管を通る空気の
音がするだけだ。
それは目を見開き、そして哀しそうに顔を歪めた。
声が出ないのだと、バージルは聞くまでもなく察した。音は、出せる。が、言葉は紡げない。
ぱくり、ぱくりと口を開閉させるそれを見下ろし、不思議なことだが、バージルはそれの
言いたいことが手に取るように判った。
言葉が紡げぬことを、これが酷く嘆いていることも。
言葉を喪ったのは、少なくともこれが洞で倒れ、ここで目覚めるまでに起きたことなのだろう。
それの瞳から溢れた涙は酷く哀しげで、しかし美しい。
「声が出ぬなら、字はどうだ」
美しく哀しいいきものに、問う。少し考え、ふるりと首を左右にしたそれに、バージルは
微笑を浮かべて見せた。
「快復するまで、ここにいろ。ここならば凍えることも、飢えることもない」
名も、あった方が良い。
え、と驚いた顔をするそれの首筋に、バージルは軽く噛み付いた。そっと歯をたてると、
それは不必要なまでにびくりと躰を強張らせる。
既にこんなどころではないことをしたというのに。
バージルはくつりと笑い、顔を起こした。それの首筋には、淡い花びら。
「お前の名は……そうだな、“ダンテ”にしよう」
惚けたように、しかし根底に不安げな色を潜めて見上げてくる瞳に、良い名だろう、と
笑ってやる。
「私の、死んだ双子の片割れの名だ」
物心付く頃には、既にいなかった片割れの名を、何故このいきものに付けようと思ったのか。
その理由は、これが記憶の中に朧気に刻まれた片割れと、どこか似ていると思ったからだ。
それはつまるところ、自分にも似ているということになるが、不思議とそうは感じない。
バージルは自身の容姿がこれ程際立って美しいとは、微塵も自覚していない。
「ダンテ、――――」
名を呼べば、奇妙な程にその言葉が口によく馴染むことに気が付いた。ダンテ。もう一つ、
呼ぶ。鎮まりかけていた熱が、またぞろ集まり始める。
自分ではどうにも抑えられそうにないと悟り、バージルは小さく笑った。
こんなことは、生まれて初めてだ。
「…………?」
気配を察したか、それがまた怯えたように顔を強張らせた。バージルはそれの銀糸を指に
絡める。
「そんな顔をするな。酷くしてやりたくなる……」
衝撃と呼ぶのか、名も知らぬ感覚はしかし不快なものではなく。
バージルは震えるそれの、白い肢体を蹂躙した。
恐怖で縛りつけておけるなら、それは願ってもないこと。
それを手に入れた、翌日。
バージルはダンテと名付けたいきものを、臆面もなく父母に引き合わせた。
夜が明けるまで無理を強いたダンテは、白さが一層際立ち、蒼白い程だった。足腰がしっかりと
立たぬダンテを支えてやり――――本当は抱きかかえようかとも思ったのだが――――、
父母の前に立たせた。その時の、父母の顔は見ものだった。
絶句、というものはこういうことを言うのだろう。バージルは他人事のように感心し、
唖然としている父母に言った。
「私の部屋に住まわせます。飯の世話は、私から料理長に話をつけておきますので」
それだけを事務的に告げ、ダンテを連れて踵を返したバージルを、父が止めた。それは当然の
ことだ。いきなりバージルとあまりに似た青年と引き合わされ、挙句同じ部屋に住まわせると来た。
どういうことかと、聞きたいことは山程もあるに違いない。
バージルは億劫そうに父を見、何です、とぞんざいに応じた。
「一体何のつもりだ、バージル。それは誰で、どこの者だ」
父が真っ先に問うてきたのは、ダンテの出自についてだった。国は全体を通して豊かにはなった
が、それでも身分というものはなくなりましない。豊かだからこそ、身分の低いものを使用人として
雇い入れるのだ。そういった身分の者は、暮らしは貧しくこそないものの、何代先までもその身分
から抜け出せることはない。
卑しいものは、一生卑しいまま。言葉は悪いが、それがこの国の不変の制度なのだ。
国の頂点たる父もまた、身分を除いた考え方というものを持たない。それが、バージルは
初めて嫌なものとして感じた。
「いずこかの皇子、とでも言えば、納得なさるのか」
行くぞ、と。始終俯きっぱなしだったダンテを促し、部屋を辞した。待て、と父の声がしたが、
ドアを閉めることで遮った。もう何も言われたくはない。何を言われたところで、これを手放す
つもりなどないのだ。
ふと、掴んだ細い腕がバージルの腕に寄り掛かってきた。内心で舌打ちする。父への憤慨の
所為で、ダンテの躰のことを失念するなど。
「済まない。少しの辛抱だ」
言って、ダンテを横抱きに抱え上げた。軽い。昨夜も思ったことだが、自分とほぼ同じ身の丈で
ありながら、ダンテは驚く程目方がない。それ程までに痩せているようには見えぬのだが。
ふわりと頬を撫でるダンテの銀糸に鼻先を寄せ、バージルは口許を引き締めて足早に自室に
急いだ。
先刻、何も言わず絶句していた母の表情が、今更のようにふと気になった。
かしゃん、とスプーンがスープ皿の上に落ちる。跳ねたスープの飛沫が、真珠色の
テーブルクロスに染みを作った。
スプーンを取り落とした青年は、バージルと目を合わせたまま固まってしまっている。
青年が夕食時に粗相をするのは、これで三度目。つまり、彼をこの部屋に住まわせて
丸四日になろうとしている。
見開かれた瞳には、明らかな恐怖。
バージルはくすりと笑った。
「食事中の作法は教えた筈だな?」
青年は蒼褪め、口をわななかせる。元より声は出せぬのだ。固まっている頭は、頷くことも
出来ない。
バージルはついと腕を伸ばし、スープに浸ったスプーンをすくい上げた。濡れたスプーンを、
拭かずに蝋燭の火にかざす。
「判っているな、ダンテ?」
訊くまでもない。判っているからこそ、青年は恐怖に全身を引きつらせているのだ。しかし、
その姿にバージルがこの上なく慾情するなどとは、判っていないだろうが。
「口を開けろ」
震えながら、おずおずと開けられた口。ちろと覗く、赤い舌。
火で炙った銀のスプーンを、バージルは震える青年の舌に押し付けた。しゅ、と小さな音がする。
青年がびくんと全身を竦ませた。火傷にはならぬ程度のものだが、敏感すぎる青年には舌を
切られたに等しい痛みに感じるのだ。
「しっかり舐めろ。お前の所為で汚れてしまったのだからな」
「っ……! ぅう……ッ」
痛みを与えた時のみ漏れる、微かな呻き。それを聞きたいのだと言えば、これはどんな顔を
するだろう。
あぁ、こんな程度では、まだ足りない。
しかし少しずつ馴らしていこうと決めたのだ。そうでなければ、これが壊れてしまいかねない。
それでは折角手に入れた意味がなくなってしまう。
「次はその、手だ」
冷酷に告げ、スプーンを再び蝋燭にかざす。青年は瞳に涙を溜め、しかし逃げることも出来ずに
かたかたと震えるしかない。
まだ本当に逃げたことはないが、その時は当然これだけで済ますつもりはない。
「手を出せ。甲が良い」
焼けたスプーンで、なぞる。それはある意味で、残酷なまでに優しい愛撫。
「ッ! ……くぅ、ん……!」
びくり、びくりと。跳ねる指先は、白く細い。
バージルはスプーンをテーブルクロスに置き、強張った指をすくうように持ち上げた。爪に
口付け、それから赤くなった手の甲に唇を添わせる。
「良い子だ。よく我慢したな」
微笑み、見つめる先の青年は、どこか陶然として。吐く息の熱っぽさが、間近におらずとも判る
程に。そして、青年の唇が声なく象る一つの言葉。
バージルはうっそりと笑み、薄い朱に染まったそこに歯をあてた。
部分的に、頂戴したネタを使わせて頂きました。