童歌ワラベウタ――――柔歌ヤワキウタ











どうしてだろう。

どうして、こんなに。

こんなにも、安心出来るんだろう。










暗い森の、やはり暗い洞穴で、ダンテはゆるゆるとした目覚めに瞼を震わせた。何か、今まで 触れたこともない暖かなものに包まれているのか、酷く心地好い。

もう少し、眠っていようか。

ダンテはその暖かなものに柔らかな頬を押しつけ、しがみつくようにしてもう一度眠りに落ちた。 暖かな眠りは、優しい。






目覚めた時、既に陽が傾き沈もうとしている時刻だった。しかし暗い洞穴には時間というものを 感じさせるものは何もなく、ダンテはぼやける瞳を手の甲で擦った。
次第にはっきりとし始める思考で、まず思うことはここがどこで、何故自分がここにいるのかと いうこと。しかしダンテは、ここが自身の家とは全く別の場所であることに、安堵のようなものを 感じた。

捨てられた。その哀しみは、しかし不思議と消えている。
それから、思い出す。祖母がいる筈の小屋で出合った、ひとではない、人のことを。

「……ぁ……」

跳ね起きようとしたダンテを、何かが止める。ダンテはほとんど身動きが取れないことに気付き、 一瞬戦慄する。が、

「まだ、動くな」

耳許に囁かれる低い声音に、心底安心する。

「……ばぁじる……」

ダンテの声は酷くか細かったが、それの耳にはしっかりと届いたらしい。
どうした、と髪を梳いてくれる手と指の感触に、ダンテはほっとして瞼を閉じた。

バージル。祖母を食らい、しかしそのことをダンテに詫びた不思議な人外の生き物。
独りぼっちになったダンテに、自分のところに来るかと言ってくれた。そしてダンテを、絶望的な 寂漠から救ってくれた。
実の親から捨てられたダンテにとって、唯一の拠り所となった生き物だ。

バージルがダンテのほっそりとした腰を擦り、不意に、大丈夫かと問うてきた。ダンテは目を 開け、首を傾げる。大丈夫とは、いったい何のことだろうかと。
ダンテがきょとんとしていると、バージルは僅かに笑みを浮かべた。

「いや、ならば良い」

バージルの指していたものが、昨晩の行為であることに、ダンテは全く思い至らない。それ 以上の追及をやめたバージルの言葉に、判らないながらも頷き返す。
昨晩の行為を、ダンテ自身はっきりと覚えていないのだ。だから、バージルが何を言っている かも判らない。
まだ十を少し越えたばかりのダンテは、純粋にすぎるあまり交合に対する知識も免疫も持ち 合わせてはいないのだから。
それに昨晩の行為は、ただの交合と言うには酷く儀式めいたものであった。

ダンテはその身の総てをバージルに差し出すことで、絶対に裏切られることのない安息を手に 入れたのだ。
そう意識してのことではないが、そちらの安堵が勝り、交合そのもの認識が曖昧になって しまっているのである。もちろんダンテは自覚しておらず、ただバージルの紅い瞳のはまった 美しいカオを見つめるばかりだ。

バージルが小さく溜息を吐き、ダンテを抱いたまま躰を起こした。

「何か喰うものを取って来る。お前はここにいろ」

当然のようにバージルの口から出た言葉に、ダンテは目を見開いた。

「やだ! やだよぅ、バージルと一緒に行く……ッ」

置いて行かれることは、ダンテにとって捨てられると同義だ。実際にバージルにはそんな つもりはなく、ただダンテの身を案じてのことなのだが、幼いダンテはそれが理解出来ない。
バージルの言動一つ一つが、ダンテの総てを左右するのだ。

「置いてかないで……」

しがみつき、すんすん鼻を啜るダンテにバージルは何を感じたことだろう。白い仮面を着けた ような無表情で、バージルはダンテを腕に乗せる恰好で立ち上がった。不意の浮遊感に、ダンテが 思わず顔を上げる。
バージルの紅い眼が、目の前にあった。

「……仕様のない」

小さく、バージルが笑う。
ダンテは濡れた瞳をぱちぱちと瞬かせ、次いでふんわりと笑顔を咲かせた。











鬱蒼とした樹々の影に、背の高い鬼人とその腕に抱かれた小さなヒトの子。
森に棲む生き物は皆、異様と言える光景を遠目に眺めた。揶揄するものがないのは、彼らの 数少ない掟の一つに因る。

かの鬼人に挑み、無残に殺されたものは少なくない。一度は鬼人以外の総ての生き物が消え 失せかけた程だ。その時の恐怖の記憶は、今だ色濃く彼らの細胞に刻まれている。
しかし鬼人の連れている子供は、彼らにとってあまりに目に毒でありすぎる。

旨そうだな。

誰かがぽつりと言い出した。皆が口にすまいと堪えていた言葉を、愚かにも。

彼らは人間を主だって糧としている。しかし森に近付くものは、人里で罪を犯したものか、 さもなくば口減らしに捨てられたものしかない。糧としては、足りるものではなかった。
常に飢えと隣り合わせである彼らの目の前に、柔らかそうな子供がいる。
肉であれば何でも食らう悪食の彼らだが、子供と女は別格だった。どうせ食らうなら、肉は 柔らかい方が良い。血は甘い方が良い。
その条件を満たしてあまるものが、目と鼻の先にいる。しかし、だ。

あの鬼人がいて、いかに子供を食らうというのか。

無理だ。

誰かが言った。あいつがいる。あんなに大事そうに抱えているじゃないか。

でも。

諦められない、と懇願じみた声で誰かが言う。しかしどうあっても無理であることは、誰もが 判っているのだ。
ふと、誰かが言う。

どうして、喰わないんだろう。

あの鬼人が、旨そうな子供を何故食らわずに連れているのか、と。疑問の声に、皆が ざわめく。

確かにそうだ。

あいつも人を喰らうのに、どうして。

ざわめきの中で、疑問を投げ掛けたものがまたぽつりと言った。

手懐けて、肥らせてから喰うつもりなのかな。

皆が、一斉に鬼人と子供を見た。鬼人が人を食らうものであるにも関わらず、子供は 鬼人に抱かれて嬉しそうにしている。花でもあったのか、指差して笑っている。

あぁ、なるほど。

そういうことか。

皆が納得する。鬼人がどうやって子供を懐かせたのかは判らないが、あれならば子供は 鬼人の与える餌を警戒することなく食べるだろう。今のままでは、あの子供は少々痩せすぎと 言える。
暗い木の葉に身を隠し、彼らはくすくすと笑った。そして誰からともなく声があがる。鬼人の 食べ残した残骸に、あわよくばありつこう、と。











ダンテはバージルの腕に抱かれ、すっかりご機嫌だった。見たことのない草や花、木を指差し バージルに問えば、バージルは必ず答えてくれる。ただそれだけのことが嬉しくて、食べるものを 採りに来ているのだということをすっかり忘れている。

「バージル、あれは何?」

ダンテが指差したのは、樹々の葉。しかしその樹の名は、既にバージルが教えてくれたものだ。 ダンテが指しているものは、その葉の影。何かがかさかさと蠢いている。
バージルがつと、目を細めた。

「……あれのことは、見えても気に留めるな」

「どうして?」

それが、普通の人間の目には写らないということを知らないダンテは、無垢な仕種で首を 傾げる。バージルはダンテの手をそっと包み込むようにして下ろさせた。

「私がいれば、あれらは寄っては来れぬ。離れるな、ダンテ」

言われるまでもなく、ダンテが自らバージルの側を離れることは絶対にない。が、ダンテは バージルの首に抱き付き、うん、と頷いた。

「はなれない。だから、……はなさないでね……?」

ぎゅう、と。しがみつくダンテの背を、バージルが優しく撫でてくれる。

「……見ろ。あの花は喰えるぞ」

「えっ、どれ? どこ?」

慌てて顔を上げ、きょろきょろとするダンテに、バージルはひっそりと穏やかな笑みを 湛えた。


















前?
次?
戻。


懐く子ダンテ。笑う鬼人兄。そんなコンセプト…?