蒼檻アオイオリ――――X








気が付けば眠っていた。そんなことは、珍しくもないことだ。

あまりスプリングの良くないベッドの上で、ダンテはふっと目を覚ました。部屋は暗い。 まだ夜が明けていないらしく、窓の外には闇が満ちている。
暗闇には、慣れた。眠ること自体が少なくなった今、暗い部屋でひとり過ごすことに抵抗はない。 以前ならば、大丈夫、平気だと自身に言い聞かせてやらねばならなかった。

いつからか、総ての感覚が変わっていた。それがいつのことだったか、ダンテ自身も覚えては いない。ただ、ひとりに慣れなくてはならなかった。
孤独を孤独と感じてはならなかった。

ことりと物音がして、ダンテはちらと目をそちらにやった。闇に溶ける筈の瞳が、いつの間にか 紅く輝いている。
自身の内に在る悪魔の力を、ダンテは自在に操ることが出来る。人の眼では捉えられぬものも、 悪魔の眼なら簡単に成せるのだ。
便利と言えば、そうだ。しかし年を食う程に、己がひとから離れていくことを突き付けられて いるように思うのである。事実、ひとでは不可能なことがこの躰では成し得てしまうのだから。

ダンテは小さく自嘲した。

今更、ひとには戻れない。かと言って、悪魔になれるものでもない。

かちり。軽い音がして、ドアが開いた。入って来る誰かの姿を目視する前に、ダンテは自らの 瞳をひとのそれに戻した。誰か、など見るまでもないと気付いたからだ。
その男だけは、気配で判る。昔からそうだったと、今頃思い出した。

ダンテが目覚めていることに、男は気付いているのだろう。しかし何の言葉もなくベッドに 近寄り、腰掛けた。ぎしりと軋む不快な音は、そっくり無視だ。
男の気配は、スプリングの音程に重くはない。それはダンテにとって不思議なことだった。

男がダンテの前に姿を現わして、数日。これまで一度として、こんなにも穏やかな気配を まとっていたことがあっただろうか。ダンテ自身、こうして殺気を持たずに男を見上げることは 初めてかもしれないのだ。

何年も前に殺した双子の片割れと、この男は似ても似つかぬ別人――――そう自身に言い 聞かせたが、心を乱されていることは確かだ。

その声が聞きたくて、その指に触れて欲しくて、じりじりとした夜を何度過ごしただろう。
冷えた心を少しでも誤魔化そうとして、馬鹿なことを数え切れぬ程繰り返した。そうして、 ようやく。ようやっと忘れられたと思った時、この男が現われたのだ。

この数年の自分が、総て否定される。

男の声に、指に、躰に、ダンテは自身が粉々に砕けてしまう気がしてならなかった。いや、 既に崩壊しようとしていることに、気付かないふりをしているだけだ。

ベッドに腰掛けたまま動こうとしなかった男が、やおら手を挙げ、ダンテの頬に触れた。 その指先は酷く優しくて、ダンテは暗闇の中で奥歯を噛み締める。

(……やめろ)

頬をなぞる指先は、止まらない。

(やめてくれ)

懇願は、男の耳には届かない。

(どうしてこんなことをする)

答の判っている問いに、答えはない。

(――――お前は私のものだ)

その言葉を聞きたくて(聞きたくなくて)、甘やかに触れて欲しくて(触れられてたくなくて)、 自分という総てを、壊した。それなのに。どうして。

(何故、今なんだ)

罰だとしか思えない。本当の意味での半身を殺した、あまりに重い罪の贖いをしろと言われて いるようで。――――そうとしか思えなくて。
それなのに。

(消えてくれ)

その言葉が、言えない。

頬をなぞっていた手が髪をすくい、味わうように指の腹で撫でる。優しいばかりの感触に 神経を澄ましてしまう自身に、とことん嫌気がさす。

(これが夢なら、……)

栓ないことを考えて、ダンテは無理矢理意識を閉じた。










弾丸は何発あったか。これを総て撃ちこめば、この男は果たして死んでくれるだろうか。
心臓を突いただけでは死なないということは、既に実証済みなのだ。











「心ここに在らず、だね」

どうかしたかい、と。ロルフに顔を覗き込まれ、ダンテは軽く目を瞠った。考えごとをしていた 覚えなど、全くなかったからだ。

「……金の分の仕事はする」

だから放っておけ。

そう言外にこめた言葉を、ロルフは正しく理解したかどうか。ふっと笑い、ダンテの顎に指を 添えた。

「私が言いたいのは、仕事に差し支えがあるかないかではないよ。あなたは確かにここにいると いうのに、あなたの心が別の場所にあることが気になるだけさ」

笑うロルフの表情からは、真意というものが読めない。ダンテはちょっと肩を竦めた。

「私の側にいる間は、あなたは私のものだ。違うかな?」

雇ったものを主と呼ぶなら、確かにそうだ。しかしダンテが答えないでいると、ロルフに顎を くいと持ち上げられた。長身のダンテよりも、ロルフの方が少し背が高い。
普通に立っているだけでは合うことのない視線が、絡む。
何をするのかなど、ダンテは訊かない。
ロルフの、壮年に差し掛かった端正な顔立ちが間近に寄せられる。

「私のそばにいる時は、私のことだけを見ていれば良い。――――とは、言わないがね」

くすっと悪戯っぽく笑った唇が、ダンテの口端に触れる。すんなり唇を吸うということを しないたちなのか。そういえば、先日も同じことをされたとダンテはぼんやり思い出す。

「あなたのその美しい瞳は、どうになれば私を映してくれるのだろうね……」

囁く声は、ただの呟き。
ダンテはじっとロルフを見つめたまま、しかし確かにロルフを映してはいなかった。 もうずっと、この眼は何ものも映していないのだと、他人事のように思う。

何も映したくないのだとは、認めたくない。

「……するなら、早くしろ」

投げやりに言う。ロルフはダンテを自身の護衛をさせる為に雇ったが、本心はダンテを抱くと いうところにある。
真っ直ぐに見つめられ、欲しいと言われて、ダンテは拒まなかった。
拒む理由が、なかった。

ダンテの耳元で、ロルフが溜息を吐いた。





ロルフは随分と優しい男だ。普段の喋り口調にしろ、態度にしろ、そしてセックスの時も。
丁寧に施される愛撫に、ダンテは焦れに似たものを感じてはすぐに押し殺す。自ら口淫をして やる程度のことは躊躇いもなくするが、しかし自ら男を求めることはしない。
ロルフはダンテの内心を読んでか否か、あくまで性急なセックスはしようとしない。

「無理を言って抱いているのに、これ以上の無理は理不尽だろう?」

ダンテを貫き、ゆるゆると揺すりながらロルフは言う。互いに楽しめねばセックスをする意味が ない、と。

これまでにいろいろな男と寝たが、ロルフのような優しい男は初めてだった。
だから少し、悪いと、思う。

ロルフはおそらく、セックスに愛を求める人間だ。いや、愛をもって相手を抱く男と 言うべきか。
ダンテは違う。セックスなど誰としても同じだと思っている。愛があるかないかなど、ひと欠片も 関係はないのだ。あるのはただ一つ、あの男かそれ以外かということのみ。

だから、困るのだ。

「……、んッ……」

密やかな声がダンテの唇からこぼれた。あの男以外の誰と抱き合おうが、吐息の一つすら出した ことがないというのに。
相も変わらずゆっくりとダンテの官能を引き出していたロルフが、おやと言いたげな顔をした。 珍しい、とは口にせず、ロルフはその性格を表わすかのように温厚な笑みをはく。

「つらかったら、言いなさい」

汗の滲んだ額を撫でる節くれ立った指と、少し掠れた声に。ダンテは咄嗟に顔を背けた。
ロルフが気配のみで笑う。まるでぐずった子供に苦笑するかのような、“優しい”気配。

「もう少しだけ、あなたを味わわさせてくれ」

それまでよりも、ほんの少しだけ強くなった挿出は、それでも酷く優しくて。

顔を腕で覆い、ダンテは理性は保っていながらも、わけの判らぬまま絶頂を迎えた。何故だか 込み上げた涙の理由は、知るべくもない。



















前?
次?
戻。


どこにオチを持って行こうかと、空中で漂ってる状態…。