蒼檻アオイオリ――――U








よせ、拒絶の言葉は出るけれど、男を押し退ける腕は伸ばせなかった。

嫌な筈がない。確信に満ち、余裕に溢れた声は低く、しかし自分よりも若いということが 違和感のように付きまとう。

今まで、自身よりも年若い男と寝たことは、数える程しかなかった。若い頃からそうで、今は 以前よりもその傾向が強い。
若さ故の甘さと青さに、辟易してしまうのだ。そしてそういう坊やは特に、一度寝ただけで 恋人になった気になり、戒めたがる。それが、嫌悪を覚える程に煩わしい。

ダンテは年若い“兄”のものを強引に飲みこまされながら、きつく目を瞑った。いや、厳密に 言うならば、そのセックスは決して“兄”の一方的な支配ではなかった。心のどこかで、ダンテも また兄を求めていたのだ。
だから、拒めなかった。押し退けることなど出来よう筈もなく、“兄”を受け入れた。本当に 拒絶していれば、射精など出来るわけがないのだから。

しかし、この不安は何なのだろう。

ダンテは戸惑い、けれどその困惑は長年培って来た厚顔が隠した。もう少し――――“兄”と 同じ程の歳だったなら、気付かれていただろうが。

兄はいつの時も聡かった。ダンテは何につけても兄を越すことは出来ず、どこまでも弟で しかなかった。

今は、どうなのだろう。

“兄”の表情は、記憶にある余裕のそれと同じ。手も、そうだ。兄はいつも意図的に、ダンテを 追い詰める愛撫を好んでした。
己が兄であるということを刻み込むように、ダンテを追い詰め、縋るまで赦そうとしなかった。 しかしダンテが縋れば縋ったで、それが行き過ぎれば兄は逆に不快そうに眉を顰めるのだ。

あぁ、こいつは昔からそうだった。

まだダンテが性に目覚めぬうちに、兄はダンテにセックスを教えた。一番始めのセックスが どんなものだったかなど忘れてしまったが、とにかく恐ろしかったことはよく覚えている。
与えられる愛撫がどうだったかなど、判らない。純粋な恐怖だけが植え付けられた。

それは、セックスに対する恐怖ではない。
熱をコントロール出来ない自身の躰と。――――そして、兄に。

「や、め……ろ……」

熱が溢れる。ダンテは久しく感じる恐れに似た感覚に、それを与える“兄”――――バージルを 睨んだ。
バージルは意地悪く笑い、ダンテの脚を抱え上げて一層深く彼を犯す。

「んっ……」

あられもない喘ぎは、上げない。ある程度の快楽には、歳を重ねるごとに馴れていった。今は、 どんなに手慣れた男に抱かれようと、ほとんど声など出さない。
しかしそれは、“兄”にとっては面白くないに違いない。

何を堪える必要がある?

バージルが耳を甘噛みする。ぴくりとダンテの眉が上がるが、それだけだ。

「歳、考え、ろ、よ」

揺すられながらの答えは、途切れ途切れで。昔なら、感じすぎて声にならなかったな、と 自嘲するように思う。これも、蹂躙しているのがバージルだからこそ息が上がっているのだと、 ダンテには判っていた。が、バージルにはその差異など判らないのだろう。

恥も外聞もなく啼き、縋り、甘えるのが、バージルの中の“弟”なのだ。

ダンテの方が年上という、この状況を、バージルは正しく理解していないのではないか。 もしくは、理解出来ないのかもしれない。
バージルにとって、ダンテは“弟”だ。いかに時間軸の違いから、ダンテがバージルよりも 年上になっていようとも、ダンテを弟以外の何ものにも規定出来ないのだろう。

だから、苛立つ。

「声を聞かせろ。もっとだ」

あぁ、とダンテは思った。

この“兄”は、なんと幼いことだろうか。“弟”の理想が壊されることを、こんなにも必死に なって止めようとしている。……いや、理想の兄を、か。

拒む言葉は、最早紡げなかった。ダンテは腕を伸ばし、寂しい支配者を抱き締める。

「バージル……」

出来るなら、バージルの望む“弟”に戻ってやりたい。けれど、積み重ねた年月がそれを困難に する。

もう、過ぎてしまった時は戻せない。

バージルが、時間軸の違う空間を彷徨ってまで自分を捜さなければならなかったことが、 証拠ではないか。恐らく、過去には戻れないのだ。
どんなに後悔していても。

零れてしまった水は、元には戻らない。

戻せない。

「ダンテ、」

冷たい声音が、ダンテの精神を僅かに幼いそれへと引き戻そうとする。突き放された時の、 ダンテの必死になって縋る姿がバージルの記憶に色濃いのだろう。
どこまでも、兄であろうとするバージルらしい。

ダンテは嘲るではなく、内心で笑った。嘲らねばならないのは、自分自身だ。バージルを そういう人間にしたのは、自分なのだから。
自惚れかもしれないが、ダンテはそうだと確信している。
そうでなければ、双子の立場にあって、こうも兄と弟の差が現れる筈がない。

バージルの突き上げが激しさ増し、不意を突かれたダンテは僅かに息を詰まらせた。息が 整うのを待たず、バージルに腰を掴まれ揺さぶられる。束の間、正しいのだろう支配を受け 止める。

ダンテは抱き込んだバージルの頭を離し、背中に爪を立てた。手入れなどしていない、 ぎざぎざの爪が肉に食い込むのが判る。しかしバージルは痛いなどとは言わない。判っている から、ダンテは容赦なく爪を食い込ませた。
バージルは機嫌を悪くするどころか、逆に笑みさえ浮かべる。

「つらいか?」

ダンテは言葉に詰まった。笑みを湛えて問うバージルこそが、つらそうに見えてしまった から。

「……あぁ、」

つらい、とダンテは溜息を吐くように言い、眉根を寄せる。バージルは「そうか」と呟き、 何を思ってかダンテの喉を片手で絞めた。

「もどかしいものだな」

月日とは。バージルが言う。

「しかし、お前はダンテだ」

何が言いたいのか。ダンテは酸素の欠乏し始めた頭で、ぼんやりとバージルを思った。
バージルは焦れている。焦って、しかしどうすれば良いのか判らなくて。唯一の解決策かの ように、ダンテを組み敷く。貫き、揺さぶる。しかしダンテはバージルの知るダンテではない。 それが、バージルの焦りを助長する。

ダンテ。

呼ばわる声は、王の鎖。民を戒め、奴隷を縛る。

当然のように兄の鎖を享受していた頃を思い出しながら、ダンテは闇に引きずられるまま、 意識を手放した。











バージルが姿を現わして、二日。

その二日間、ダンテはひたすらバージルの支配に堪えた。いや、堪えたという言葉は相応しくは ない。拒むことなく、受け入れた。
幸い、と言うべきか、その間仕事が入ることはなく、間の悪い馴染みの仲介屋が事務所に 押しかけて来ることもなかった。
夜も昼も、ダンテにはそう大事なことではない。眠るのは、気を失って意識を飛ばした時のみ。 食事はない。水も与えられず、ただ交わった。
あれをセックスと呼ぶのは、あまりに稚拙だとダンテは思う。

獣の交合。まさに、それだ。





三日目の、朝。

ふと躰が軽いことに気が付き、ダンテはのそりと上体を起こした。動きが緩慢なのは、躰が 怠いからではなくいつもこうだからだ。
投げ出された脚には、生々しい縛り跡。傷跡もいくつもあったが、ほとんど治っている。 治り切らない傷の上から更に傷付けられたものが、行為の名残として残るばかりだ。

ダンテは溜息を吐き、立ち上がって服を探した。自分の周辺には、何もない。煩雑に散らかって いた部屋は、かつての兄の部屋のように殺風景だ。ものを買い込むことすら煩わしくなったのは、 いつからだろう。
悪魔の生首が貼り付けにされていた事務所も、今は黒檀の机と椅子、電話機、それから悪魔狩りの 為の武具のみだ。

溜息が、もう一つ漏れる。

黒の革パンツに脚を通し、バージルがどこに行ったのかようやく気になった。誰かに関心を 抱くことなど、久しく忘れていた。

濃い茶の開襟シャツを肩に羽織り、ダンテはゆるゆると部屋を出、階下へ向かった。既視感の ようなものを覚え、ダンテはすぐにその正体に思い当たる。

昼頃に起き、おざなりに着替えてリビングへ行く。リビングと続きになったキッチンには、 朝早い兄の姿。兄の手には、ダンテの為に淹れた薄めのエスプレッソ。アメリカンを淹れて くれないのは、兄の妥協の枠外にあるから。

それは昔の、言わば仕合わせだった頃の記憶。

この二日間で、バージルによって無理矢理引きずり出された、封じられていた記憶の一部だ。
バージルの意図など、判っている。ダンテを、“自分のダンテ”にしようとしているのだ。

(つらい、か……)

今のバージルを見ているのは、確かにつらい。しかし一番つらいのは、バージルを決して 拒めない自分の意思の弱さだ。

(俺にとってバージルは……)

言い訳は、出来る。昔は、ある種の信仰のようにバージルだけを見ていた。バージルは、 その頃のダンテを取り戻したいのだろう。

リビングのドアは閉ざされている。ノブに手をかけるのを、少し惑った。と、事務所の電話が けたたましく受信音を響かせる。
依頼か、間違いか。どちらでも良い。

ダンテはリビングのドアから離れる理由を見付け、事務所へ足を向けた。



















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