蒼檻アオイオリ――――T








沈む、陽の紅に何を思う。










物騒な、言ってしまえば治安の悪いスラム街の片隅に、その事務所はある。何の店なのか、 昔はけばけばしいネオンが眩しかったそこも、今では知る人ぞ知る店になっている。ただ、この 界隈に棲むもので、その店を知らぬものはない。
界隈で――――否、この街で最も名の売れた便利屋だ。

便利屋、という生業は聞こえこそ良いが、言わば金さえ払えばどんなことでもする荒事師と さしたる変わりはない。あえて言い分けることで、便利屋は荒事師とは違うとささやかな主張を している程度のことだ。

事務所には、暗い電灯が灯っている。一日を通してあまり陽が当たらぬ為に、昼間からでも 電灯が必要なのだ。ネオンの名残らしい配線が、ぱちり、と小さく火花を飛ばした。



ダンテは肩口まで伸びた不揃いの髪を掻き上げ、けたたましく鳴り続けるレトロな黒電話を ぼんやりと眺めた。依頼の電話か、それともよくある間違い電話か。どちらにしろ、取る気は なかった。
面倒だ。それだけで、もしかすれば百では利かない依頼も蹴る。総てはその時の機嫌と 気分だ。

昔からそうだった。だからだろう。昔馴染みの仲介屋は、今ではダンテの気分が乗るような 仕事しか持って来なくなった。
良い傾向だ、とダンテは思うが、単に自分以外にもそこそこに腕の立つ便利屋が増えただけの ことだろう。それだけの年月が、経っていた。

ジリリ……

電話の呼出し音が、ようやく止まった。
ダンテはふっと息を吐き、黒檀の机に乗せた長い脚を下ろして立ち上がる。いつもは紅い コートに黒革の胸当て、茶の革パンツを纏っているのだが、仕事をする気のない日はコートと 胸当てなど着けず、開襟シャツをゆるく羽織るだけだ。

仕事を請ける気もないのに、何故事務所にいるのか。気に入りの椅子に腰掛け、同じく 気に入りの机に脚を乗せてぼんやりするのが、単純に好きだからだ。その辺りの子供じみた 単純さは、若い頃から変わらない。

壁に立て掛けた鈍色に光る大剣を、何の気なしに持ち上げる。慣れた重さが心地好く、 ダンテは猫のように目を細めた。

ダンテの本業は、悪魔狩りだ。便利屋とは表向きのこと、この剣や愛用の双銃は悪魔を屠る 為にある。そして数知れぬ悪魔を、ダンテはこれまでに狩ってきた。
その中には、“殺してしまった”悪魔も、いる。

記憶の奥底に封じ込めたものを引き出しかけて、ダンテは舌打ちした。思い出してはならない、 あの手応え。あの感触。忘れることの出来ないそれらを、ダンテは呪うように自身の中に 封じ込めるしかなかった。
忘れられるものならば、今すぐにでも棄ててやりたい、あの記憶。

ダンテは剣を元の場所に戻し、白に近い銀の髪を乱暴に掻きながら事務所を出た。出る、と 言っても外に行くのではない。事務所とドア一つで繋がった、自宅へと入っただけのことだ。

酒でも飲んで、寝るか。

喉の奥で呟き、キッチンに向かおうとした足を、止めた。何か、妙な気配が一瞬して、消えた。 若い時分ならば気の所為と片付けただろう、僅かなこと。しかしダンテは最早若くはない。 自分の感覚を無視することは、決してない。

眉を顰め、事務所に戻る。手には既に愛銃を一挺。ちらと視線を大剣にやれば、柄に髑髏を 模したそれは小さく刃鳴りをさせている。何か、いる。それは間違いのないことだ。
ダンテはしかし、外に駆け出ることはしない。椅子にどかりと腰を据え、待った。直感的に、 その何かはここへ来ると感じたからだ。

気の逸った歳はもう過ぎた。今は、待つことも普通に出来る。

こつ、

事務所の入口を踏む、靴音。しかし人ではないと、ダンテには判る。およそ人らしい気配が ない。気配を消すことの出来る人間はいるだろうが、そういうことではなく、人としての臭いと 言うべきものがないのだ。

ダンテは銃の手入れをするように、視線を手許に落とした。もちろん神経は張り詰めたまま、 玄関だけでなく事務所総てに注意を払う。が、訪れたものはダンテの予想を覆し、滅多に 驚くことのない彼を驚愕させた。

「――――暗いな」

横柄、と言うのだろう、声。
ダンテは弾かれたように顔を上げた。そこには、自分と同じ銀髪の、冷たい印象を与える 容貌の男が一人。

「幽霊でも視たような顔だな」

絶句するダンテを、男が揶揄う。氷のような凍て付いた声音は、変わらない。
ダンテは黒い銃身を起こし、男に銃口を向けた。

「何の遊びだ?」

声は二つ。合わせたように同時だった。
ダンテはまた、黙る。若い頃こそお喋りが板に付いていたが、今はむしろ無口だ。 その代わりとでも言うのか、男は昔に比べれば遥かに饒舌になっている。

「私に銃を向けるか、ダンテ。何度目だろうな?」

楽しげな声は、自分のそれよりも若い。ダンテは銃を下ろすことなく、男を見据えた。 ひと睨みで殺されそうな視線を真っ向から受け止め、男は笑う。

「ようやく見付けた」

意味の判らない言葉に、ダンテは訝り目を眇めた。それは疑問によるものではなく、 この男が“自分を捜していた”ということに対して。

「……どういう、ことだ」

この男が自分よりも若いことは一目で判る。第一、ここにはいない筈の人間――――と言うには 少し語弊があるが――――なのだ。その男が、何故、時空を超える真似までして自分を捜そうと するのか。

男は王者然と鼻を鳴らし、曰く。

「お前しか残っていないのだから、捜して当然だろう」

何故判らないのか理解出来ぬ。そう言って片眉を上げて見せる男に、ダンテは戦慄した。 男に対しての恐怖ではない。押し込め、封じた筈の記憶が引きずり起こされる感触を生々しく 感じた。

駄目だ。それは。出してはならない。

ほとんど表情の変わらぬダンテのおもてから、さっと血が引いたことに男は気付いたのだろう。 にぃ、と笑い、しかし別のことを訊いた。

「私は、どこにいる?」

それは男自身を指した言葉ではなく。ダンテは一瞬息を飲み、死んだ、と短く言った。

「俺が殺した」

もう、何年も前のことだ。十年以上昔に出来なかったことを、した。あの男は、最後には魔帝の しもべとして死んでいった。ただの、双子の兄としては、殺してやれなかった。

ダンテが殺した、あの時とほぼ変わらぬ姿をした男が、笑う。

「それは好都合だ」

ダンテの銃を握る手に、汗が滲んだ。

「なに?」

「お前がそうしたように、私もお前を殺した。厳密に言えばお前ではないが、どちらでも 良いことだ」

こことは違う時間軸の“ダンテ”を、殺したのだと男は言う。酷く、愉しげに。

「俺を、殺した? アンタが?」

「意外か?」

嘲るように言われ、ダンテはしかし苛立ちはしない。或いは、という可能性を忘れていた。
この男が本当に自分を殺す気になれば、可能なのだということを。

いつか斬り裂かれた、掌が痛い。

「……それで、俺に何の用だ」

トリガーに沿わせた指が動くだろうか。ダンテは男を見据えながら、固まってしまった手に 不安を覚えた。近付こうとするなら、撃つ。しかし、この手でそれが出来るかどうか。

身体的な理由以前に、精神的な――――

「私を、二度も殺せるのか?」

挑発だと、判っている。いるが、ダンテはぎくりと躰を強張らせた。
手は動くか。腕は。

――――俺にこいつの頭を、ぶち抜けるのか。

出来ぬだろう、と男が一歩、こちらに近付いた。トリガーにあてた指は動かない。
ただの悪魔なら、もう蜂の巣にしている。しかしこれは、そんな安っぽい雑魚とは違う。

「もう一度問う。お前に私が殺せるか?」

思い出してしまう。あの、重々しくもあっさりとした、肉を断つ感触。命を刈り取る、 剣の重み。血のぬめり。
男は一歩、また一歩と澱みなくダンテに近付き。

黒檀の机を挟み、あちらと、こちらに。

見下ろす碧眼と、見上げる蒼眼。

支配者の目に射抜かれ、彼は我知らず震えた。――――震えてしまった。

銃を持つ手に、男の掌があてられる。人よりも低い体温が、ダンテの肌をざわりと撫でた。
脳の発する警告は、しかし彼を竦ませるものでしかなく。消えたと思っていた戒めを、 まざまざと蘇らせる引き金になる。

「……やめろ……」

掠れた声は、震え。
男はダンテの手を引き寄せ、銃を持ったままの指に唇で触れた。びくっと、その段になって ようやく手が動く。しかしトリガーを引くことは出来ず、銃を取り落としてしまう。
ごとり、と重い音を立てて銃が机の上に落ちた。

「お前に私は殺せまい。私がお前を殺さぬように」

単調な声音は低く、この男はこんな喋り口調だったな、と何故かしみじみと思った。男が 何をしようとしているか、判らない程鈍くも初心でもないというのに。
腕を引かれるまま、ダンテは椅子から立ち上がった。黒檀の机に、自然と膝が乗る。抗うことを 忘れたダンテの耳に、男が唇を寄せ囁いた。

「お前は私のものだ」

その一言で、ダンテは陥落した。愛だとか、そんな生易しいものではない。

手に、脚に、首に、幾重にも鎖を巻き付ける絶対の戒め。
ダンテを縛ることの出来るものは、ただ一人。

「……バージル……」

いつか殺した、双子の兄。



















次?
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やってしまった感甚だしい衝動の産物です。
若(2寄り)バージル×2ダンテで、しかもNOTネロ・アンジェロです。