紅鎖コウサ








ちゃり、とアミュレットの鎖が捩れて軽い音が鳴る。耳に慣れたその音に、いつか兄は 不快げに眉をしかめた。
それがどうしてなのか、知るわけはない。










手足に絡む、蜘蛛の糸は紅い鉄線。










指一本動かすことすら出来ず、彼はかろうじて自由になる瞼を僅かに持ち上げた。全身が、 痛い。いや、これは痛みではない。
重み、と言うのだろうか。

何かが全身を包み込むように覆っている。それが、酷く重いのだ。

圧迫された喉は既に潰れ、ひゅう、ひゅう、と耳障りな喘鳴だけが繰り返し漏れる。
厭な音だ。それを自分が出しているのだと思うと、一層嫌悪が増す。こんな音をさせていては、 また、あの潔癖な兄を不快にさせてしまうではないか。

かた、と自分のものではない音がして、心臓が跳ねた。力を失った躰は全く動くということを 知らぬが、まだこの心臓は死んではいないらしい。

いっそ、と思考を曇らせた時、額に何かが触れた。兄の手だ。自分と変わらぬ形である筈の それが、何故だか大きく感じる。似ている。それは朧気な、父の掌の感触。

「少しは考えたか」

判らぬことを、兄が問うて来た。そういえば、意識がなくなる時に何をか言われたような気も するが、思い出せない。第一喉が潰れているのだから、思い出せたとしても何を答えることが 出来るだろう。
虚ろに見上げていると、兄がはっきりと舌打ちした。また怒らせたか。ぼんやりと思う。

「最早何を考えることも出来ぬか」

冷めた声に、ぞくりとする。拙い。怒った兄に犯されることは恐怖ではないが、彼にとっての 最大の恐怖は、兄に捨てられることだ。
今はまだある、兄の自分への執心が消えてしまうこと。

あの男との行為は、兄の執心を露見するだけの要因となった。苛立ち、怒り、総てをぶつける ように、酷く犯された。それは素直に、嬉しいと感じることで。けれども、自分は拒絶した。



嫉妬して欲しい。

飽きられたくない。

酷くして欲しい。

捨てられたくない。

側にいて欲しい。

俺以外のものを、見ないで。



「……ゃ……」

がさがさに嗄れた声が、漏れた。兄が訝るように眉根を寄せる。しかしそれは一瞬の ことで。
低い舌打ちが聞こえたかと思うが早いか、首を絞められた。みしり、と頸動脈に指が 食い込むのが判り、目の前が暗くなる。
苦しげな声さえ出ず、兄の腕を掴むことも出来ず、ただ意識が遠のくのをどこか他人事の ように感じた。が、落ちる、と意識を手放しかけた瞬間、指が緩んだ。

一瞬の蘇生。

首を掴んでいない手が大腿をすくう。自分の目から見ても痩せた脚がぐいと持ち上げられ、 兄の視線がそこに注がれているのが朦朧とした頭でも判ってしまう。
兄とのセックスなど馴れているし、今更恥ずかしがることなどない。こんなふうに、一方的に 犯されていても、そうだ。しかしこの体勢で、そこを弄るわけでもなく見られているという ことが、彼の羞恥をことさら煽った。
最早感覚のなくなった後孔が、ひくりと痙攣する。

「あれだけ犯してやったというのに、まだ足りぬか」

笑みのない声音は、彼の根底の恐怖を引きずり出す。違う、と潰れた声で叫んだ。呻きに しかならなかったそれを、どうやって聞き取ったのか。

「何が違う? 貴様は男と見ると我慢の利かぬ淫魔だろう」

酷薄な、残酷な言葉。兄は一体何を思ってそんな言葉を吐くのか、彼には判らない。 判りたいと思うが、それ以上に怖かった。
知ってしまうのが、恐ろしい。

「……ぁ、じ……」

名を呼べない。声が出ないことなどどうでも良いと思ったが、違った。こんなにも辛い。

兄は彼の声など聞こえなかったかのように、彼の脚を折り曲げ、どこに持っていたのか、 麻紐で腿の辺りを縛った。彼には一切自力で動く体力など残されていないというのに、何故脚を 戒める必要があるのか。答えはおそらく、だらりと脚が伸びぬように。
もう一方の脚も同じように紐で縛られ、仕上げとばかりに躰を反転し、腕を後ろ手に 纏められる。
猿轡を噛まされるかと思ったが、それはなかった。どうせ声など出ないのだ。猿轡の必要性は ないと判断されたらしい。

そんなことよりも、動く体力のない彼には、戒められるよりもまずこの体勢が苦痛だった。
座った状態で俯せに顔をシーツに押し付ける恰好は、ただでさえ頼りない呼吸が一層苦しく なる。顔を横向け、酸素を吸おうと口を開けるが、柔らかいスプリングとシーツに遮られて しまうのだ。
息が多少出来ぬ程度で死ぬことなどないが、それは体力がある状態での話だ。瞬きすら億劫な 今の状況では、常人よりも簡単に死ぬだろう。

死にたくない、わけではない。しかし。

短い呼気を繰り返す彼の腰を、兄が荒々しく掴む。気構えも何もあったものではなく、兄の ものが彼を貫いた。普通ならば痛い筈の、何の準備もない挿入。しかし彼は僅かに呻いただけで、 すんなりと兄を根元まで飲み込んでしまった。
きっとまだ、兄の精液が残っているのだろう。

もう何度、兄の白濁を飲んだか判らない。――――どちらの口か、それすら判らない程に。

溺れ死にそうだ、と朦朧とした頭でおかしく思った。
兄に犯し尽くされて死ぬなど、なんと幸せなことだろうか。悪魔に五体を引き裂かれて死ぬ ぐらいなら、どんなことをされても良いから兄に殺されたい。
兄が律動を繰り返す度に、彼の腰はゆらゆらと揺れた。無論、無意識に。

「……ぁ、あ……」

嗄れた喘ぎは喘鳴に混じり、酷く耳障りだ。判っていても、開きっ放しの口は閉じてくれ ない。唾液が零れ、シーツに染みて頬を濡らした。

苦しい。――――つらい。

このセックスは、本当に兄の意思なのだろうか。

苦しい。――――こわい。

決して妥協というものをしない兄は、優柔な自分に腹を立て、“仕方なく”セックスをして いるのではないか。散々に犯すのは、自分が快楽に弱いから。罰としてのセックスの つもりで。

こわい。――――でも、

「ぁ……い、や……」

悦い、と快楽に耽ってしまいそうになる自分を、兄はきっと赦さない。度々侮蔑を込めて 淫乱と罵る兄は、きっと。

「……やだ……」

「男なら誰でも良いのだろう、貴様は」

思わず口をついた拒絶に、兄が怒りをあらわにする。またやってしまった。はっとした瞬間、 兄の手が彼の首を後ろから絞めた。

「か、は……っ」

「苦しいか?」

何でもないことのように、兄が囁く。苦しい。そんなことは判りきっている。けれど、彼が 最も苦しいのは息が出来ぬことではない。

兄はもう、自分など要らぬのではないか。

そう思わせるものを、兄はしばしば見せる。ただでさえ、魔界を望んだ兄を無理からこちらに 引きずり戻したのは、自分なのだ。
恨まれこそすれ、どうして必要になどされるだろう。

ぐ、と兄の指に力がこもる。同時に後孔を激しく突き上げられ、卑猥な粘質の水音が響く。 しかしかれの耳にはもう、羞恥を煽るばかりの音は聞こえてはいなかった。
酷い耳鳴りが彼を襲う。酸素が行き届かず、目の前は黒い暗幕が下りようとしていた。
けれど兄は、彼を完全に落とすことはしない。セックスの最中は、いつもそうだ。 落ちる寸前で、指を緩める。それだけで息が戻らぬ時は、いかにも面倒臭そうに唇が合わされ、 息を吹き込まれる。そしてまた、息が止まりそうな程揺さぶられるのだ。

セックスの手は違っても、首を絞められる時の状況は大抵決まっている。
よほど気が昂っているか、それとも、

「もう一度、死ぬか……?」

彼の血と、死に、異常な程執着している時だ。

兄に殺されることは、良い。言うなれば本望だ。たとえ、一度はこの手で兄を殺そうとした としても。
あの時は、ただ必死だった。それを言い訳にするつもりはないが、必死だったのだ。

「ぁ……う、ぅ……」

決して声にすることはない、言葉をどうにかして伝えたくて。
喪いたくなくて。

――――苦しくて。

意識が遠のきかけた時、彼は自身の内から兄のものが引き抜かれる感覚に震え、無意識に 締め付けた。
低い、忌まわしげな舌打ちが彼を突き放した。
首から兄の手が離れ、背中を押さえ付けられる。

「離せ、淫乱が」

本気だ、そう直感した。兄は本当に、自分が要らなくなったのだ、と。
堪らなくなって、動かぬ躰を無理矢理捩ろうとした。

「……ぁ……」

警告するように赤く染まろうとする狭い視界に、兄ではないが、しかし見知った姿がぼんやりと 映る。彼は無意識に、縛られた腕をそちらへ伸ばしていた。

逃げたかった。兄からではない。



兄に捨てられる、この現実から。









涙に濡れてぐしゃぐしゃになった顔を、暖かな胸に押し付ける。
頭を、背を撫でる掌の優しさに、また涙が零れた。

この優しさを、確かに自分は知っている。幼い頃にもこうして頭を撫でてくれた。なのに、 何故か顔を思い出せない。
あれは、誰だったのだろう。

一つ、名を呼ばれて、彼は吸い込まれるように眠りに落ちた。








夢は、見なかった。



















前?
次?
戻。


精神的に、ダンテも相当おかしいです。そうゆうの好きで申し訳ない;