幽鬼ユウキ








「少し出掛けて来る」

「どこに?」

「大通り沿いの骨董屋だ」

「ふぅん……また何か買うのか?」

「良いものがあればな」

「……あ、そ……」



バージルが出掛ける度、こんな会話を繰り返す。最近、特にそうだ。どこに行くのか、何を 買うのか、一通り訊く。
そうしなければ不安なのだ。

バージルが、もし、と。

有り得ぬことだと判っている。いるが、どうしても駄目なのだ。
バージルはダンテがどこに出掛けようと、何を訊くこともない。それは当然のことだ。 ダンテが常に抱える不安を、バージルが持つことは絶対にない。

それが、当然なのだ。

だから、

「ちょっと出て来る。帰りは遅いと思うから、先寝ててくれ」

そう告げると、バージルが短く応じる。

「あぁ、」

たったそれだけの声を耳に納め、ダンテは家を後にした。もう少しバージルの声を 聞いていたかったが、そんなことは口にはしない。どうせ、下らん、だとか、それくらいの ことしか言ってはくれないのだから。

俺がどこに行くか知ったら、バージルは何をか思うのだろうか。少しでも、気分を悪くして くれるだろうか。

そんなことを考え、ダンテは馬鹿馬鹿しくなって自嘲した。





普段なら特殊な事象でもない限り、近付くことのない高級マンションの一室。呼び鈴を 二度続け様に押し、応答を待つ。と言っても、ものの一分もたたぬうちに、鍵が開けられる 小さな音がする。
しかし、自らドアを開けることはない。

がちゃりと内側から開けられたドア。ノブを掴んだまま、壮年の男が穏やかな笑みを湛えて 彼を迎えた。

「さ、お入り」

息子に対するような、その笑みと声音。一年前も、男はこうだった。何も変わらない。
ただ変わったのは、マンションの部屋だけ。その内装も、ほとんど同じと来ているのだが、 彼はそこまで覚えてはいなかった。

あの時、彼はある意味で抜け殻だった。ただ生きて、金を稼ぎ――――金が底を尽きれば、 時に男娼のような真似をして。

その時に出合ったのが、この男だ。

「夕食は何かリクエストはあるかな?」

問われ、彼は肩を竦めた。

「……ピザ。チーズたっぷりでな」

「いつもと同じ、か。君は本当にピザが好きだな」

「そういうあんたは、相変わらず嫌いなんだな」

さらりと言ってやると、男はしかし、くすりと笑う。嘲ってのものではない。やはり息子か 何かに対するような、微笑ましいものを湛えた慈愛の笑みだ。
彼はわざと男に背を向けた。何となく、顔を合わせていたくなかった。

そんな彼の内心を知ってか知らずか、男は背後から彼を抱き竦めた。
耳元に囁く声は低い。

「おいで、」

するりと腕を解き、手を取られる。促されるまま、彼は黙って男に従った。いや、従うと いうのは語弊がある。あえて言うなら、どうでも良いだけだ。
連れて行かれたのは、バスルームだった。辿り着く前に気付いていたことだが、男が足を 止めるまで、彼は何も言わずにいた。

「……飯作るんじゃなかったのかよ」

風呂となれば、男はごく当たり前のように共に入る。彼を一人で入らせることは、 まずない。

「きっとピザを食べたいと言うと思ってね、先に生地を仕込んであるんだよ」

後は焼けばすぐに食べられる。如才のない返答だ。

「……あ、そ」

愛想も素っ気もない彼の白に近い銀髪に、男が鼻面を埋めた。

「お腹が減っているのかい?」

すう、と匂いを嗅がれるが、彼は男の好きにさせている。いつものことだ。

「べつに、どっちが先でも構わねぇよ」

そう言うだろうと予測していたらしく、男が満足げに笑んだのが彼には判った。二回り程 年嵩の男だが、こういった感情表現は随分と判りやすい。――――あの男とは違って。

「……なぁ、」

誘うように呼ばわれば、いかにも年長者然と男が彼の頬を撫でた。判っている。渋い、 かすれた声音で囁かれ、彼は少しだけ昂揚を覚えた。



今、あいつは何をしているんだろう。

きっと自室かどこかで、本を読み耽っているに違いない。
何を考えているか判らない奴だけれど、何をしているかは判る。読書以外に、趣味らしい 趣味を持たない男だ。

自分がいなければ、あの家は酷く静かだろう。よく、煩いと言われる。けれど、あの男は 知っているだろうか。
たった独りで暮らしていた頃の、痛い程の静寂を。帰って来るもののない、孤独を飼った あの静けさを。


きっと、あいつは知らない。
あの押し潰されそうな、静謐の夜を。



「何か別のことを考えているね?」

背後から、穏やかな声が確信を持って問うて来る。彼は振り向きもせず、“あいつ”の 口調を真似て冷たく言った。

「何を考えようが、俺の自由だ」

わざとらしい硬質の声音に、男はちょっと驚いたのか。彼の頭に触れていた手が、一瞬 止まる。
彼はくすりと笑った。

「冗談だよ。何にも考えてなんかない」

「……本当に?」

「疑うのかよ、俺を?」

髪から垂れた泡を含んだ水が、こめかみを伝って顎先からぽたりと落ちる。男はまた、 彼の髪を優しく撫でるように洗い始める。時折頭皮を擦る男の指先が、耳の後ろを 軽く掻いた。

「その口調、誰を真似たのかな?」

確信を持った、静かな問い掛け。
彼は泡の付いた髪を一房摘み、べつに、と嘯いた。男が“あいつ”の存在に気付いている ことを、彼ははっきりと悟っている。だからどうということもなく、放ってあるだけだ。
所詮、この男は一時の暇潰し――――憂さ晴らしに過ぎないのだから。

「誰だって良いだろ? んなことよかさぁ、俺、腹減って来たんだけど」

「悪いけれど、もうしばらく辛抱して欲しいな。出来るかい?」

一面泡だらけの湯船に浸かる彼の、しっとりと濡れた首筋に男が唇で触れた。

「はいはい……」

呆れるような笑うような中途半端な表情で、ダンテがひょいと肩を竦めた。

「ほんと、変わらねぇな、あんたは」

彼の髪を洗いたがることも、泡だらけの湯船に浸かってセックスをしたがることも。 何もかもが変わらない。
愛撫の仕方も同じなのだから、嫌でも思い起こされる。一年前、自分が何をしていたかを。

思い出したくないわけではない。この男のことを覚えていなかったのも、ほとんど無意識の ことだった。そうして忘れた男の名は、あといくつあるのだろうか。

下らない。

彼は男に与えられる愛撫と湯の熱とに思考を奪われ、意識的に何も考えぬように意思を 閉ざした。
少し温くなった湯が、男の悪戯めいた動きによって彼の内に入り込む。湯自体は温いという のに、内に入ったそれの熱さといったらない。

「あっ、ちぃ……」

もうすっかり泡の消えた、ぐっしょりと濡れた髪額やうなじに纏わりつく。気持ちが悪い。 そう忌々しく感じていると、男が彼のうなじを掻き上げ、あらわになったそこに口付けた。

「一度洗い流そうか?」

余裕のある声音はいつものこと。
彼は内壁を掻く指をいつも以上に意識しつつ、そうだな、と曖昧に返した。









ぼんやりと目を開ける。視界に映ったものは、見慣れた天井。そして馴れた部屋。

すでに夜は明け、室内は眩しい程に明るい。

いつ帰路についたのだったか。ダンテは全く覚えていないことに気付き、しかし慌ては しない。
どんなに己を失っていようと、どんなことがあろうとも、ダンテは必ず家に帰り着く。 だから、記憶がないことなど大した問題ではない。

ごそりとシーツを頭からかぶり、ダンテはぎゅうっと目を瞑った。そして、勢いよく 跳ね起きる。

「くぁあ……あー……」

大きく伸びをすると、自然と欠伸が漏れた。

いつもならこのまま着替えずにリビングに降り、クーラーを付けてもう一眠りするところだが、 今日はやめておく。何となく、バージルと話がしたい気分なのだ。
昨日はろくに話していないからか、それとも昨晩の反動かは判らないが。

無駄にゆっくり階段を降り、リビングのドアを開けた。――――違和感は、すでにそこに 在った。
中からそよりと漏れた冷気に、ダンテはちょっと驚いてしまう。

「バージルがクーラー付けてるなんて、珍しいこともあるもんだな」

思わず口に出して呟いた。極度の暑がりのダンテと違い、バージルはどんなに蒸し暑い 場所にいようといつも涼しげな顔をしている。クーラーなどは、ダンテが付けることもあまり 良い顔をしないのだ。

それが、何故今日に限って。

首を捻りながらリビングに入り、キッチンにいるだろうバージルに声を掛けた。

「バージル、……」

冷気が足を撫でる。
それ以上の凍て付いた寒気を覚え、ダンテは咄嗟に口を噤んだ。

コーヒーが注がれているのだろうカップを手に、バージルがゆったりとこちらに来る。 何もおかしな点はない、いつものバージルだ。しかし、ダンテは竦んだように動けなかった。

「昨晩は随分遅かったようだな、ダンテ」

何の変哲もない言葉。しかし続けて紡がれた言葉に、ダンテははっとした。

「どこに行っていたか、話せ」

どくん、とダンテの心臓が跳ねる。

「……どこに行ってようが、俺の勝手だろ?」

鼻で嗤い、ダンテはバージルが手に待っているカップをさっと奪い、一口啜る。やはり苦い。 が、味などほとんど判らないというのが本当のところだった。

視線の先には、バージルのいつもと変わらぬ鉄のおもて。




もし、もし俺が昨晩どこにいて、何をしていたか知ったなら、アンタはほんの僅かでも 妬いてくれるのだろうか。
少しは、少しくらいは期待しても良いのだろうか。

違うなら、駄目ならば、妙なことはしないで欲しい。

どこに行くのかとは訊かないアンタが、どこにいたのかと訊いてくれた。俺はそれだけで、 嬉しいと感じてしまう。期待してしまう。

自惚れてしまう、から。


アンタは俺の唯一だけど、
俺はアンタの何なのか、
知りたくなってしまうじゃないか……。








あぁ、やはり、独りでいた時の方が楽だった。



















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初めて(多分)バジダン以外のダンテ受を書きました。ので、屋根裏行き。