花葬カソウ――弐








どんなときでも、陽は昇る。

あまり愉快ではなかった出来ごとのあった翌朝、バージルはいつものように、日の出とともに起床した。 眠気を引きずるようなそぶりも見せず、もちろん睡魔の誘惑などに屈することもなく、てきぱきと着替えを 済ませて部屋を出る。寝台に、夜が明けたことに気付きもせずに規則的な寝息をたてる、双子の弟を残して。
薄暗い廊下は早朝らしくきんと冷えている。一歩踏み出すごとに風が起こり、針のように頬に冷気が ささるけれど、バージルの表情は変わらない。弟いわくの鉄面皮である。

バージルの朝は、洗濯から始まる。とはいえ、男の二人暮しだ。山ほど洗濯ものが蓄まるということは、 まずもってない。なのでたいてい、一度か二度洗濯機を回せば事足りる。
なぜこんなにも早くに起床するのかと問われれば、くせ、としか答えようがないだろう。
バージルの朝は早い。睡眠をさほど必要としないバージルは、夜も遅くまで起きていることが多い。

その代わり、というのも妙な話だが、弟は寝汚い。夜はバージルよりも早くに寝付き(ものの五分も かからない)、朝は正午を回ってようやく起きる、というのが常套だ。むろん、仕事のある晩は比例して 就寝も遅くなるが、そのぶん、とでも言うように、いつまでもぐずぐずと眠ったまま起きようとしない。
良くも悪くも、自分たち双子は正反対である。それで均衡を保っているのだと、バージルは漠然と 理解している。世界でただ二人の同種は、とことん、似て非なるいきものなのだ。

洗濯機がごとごと己の役目をこなしている間に、バージルはそこを離れ居間として使っている部屋へ足を運ぶ。 台所と続きになった、横長の部屋だ。
静かに鎮座するソファーには見向きもせず、まっすぐ台所に向かい、やかんをコンロにかける。換気扇を つけておいてから、またきびすを返して次に向かったのは、玄関口を兼ねた事務所である。外界と繋がる 扉を開けたすぐ足元に、新聞が無造作に落ちている。いつもこうだが、バージルはこれについて文句を 垂れたことはない。
新聞を軽く手で払い、扉を後ろ手に閉めた。施錠はしない。まっとうな客と縁の薄い店であるが、例えば 押し込み強盗などがあったとしても問題なく排除できる自信はあるし、そもそも貧困街のど真ん中で盗みを 働くような輩はいはすまい。現に、店には一度も泥棒の類が入ったことはなかった。

新聞を居間に放り込んでから、洗濯機の機嫌を窺う。唐突に動かなくなった洗濯機を買い替え、今のものを 洗面所に運び入れたのは半年前のこと。ほぼ毎日稼働させているが、問題なく、汚れもよく落ちる。 一度も弟にさわらせていないことが、やはりいいのだろうとバージルは思っている。
火にかけておいた水は沸いただろうか。ぼんやりと考え、コーヒーでも淹れようとそちらに躰を向けたとき、 がしゃん、と荒々しい音が響いた。
弟か。一瞬だがそう思い、すぐに違うと気が付いた。音源は二階ではなかった。自分の耳を信じるならば、 騒音のした場所はさっきまで自分がいた、事務所兼玄関である。



静寂が満ちている。

部屋の四隅に隙間なく満たされたそれは、今しがたのけたたましい騒音をきれいに包んでしまったようだ。 しかし何ごともなかったことにするには、音源となったものは目立ちすぎる。
それは一人の男だった。今はもはや、人間をやめてしまっている。息遣いは聞こえない。うつ伏せになった 背中はぴくりでもなく、心音はもはや途絶えているのだろう。
ひとつの、死骸。血を流して事務所の床にくずおれており、おそらくほんのわずか前まで息をしていたに 違いない。血はまだ固まっていなかった。
男の足元には、体当たりでもしたのか、半ば外れかかった扉が風に吹かれて揺れており、それを蝶番が 釘ひとつでもって必死につなぎ止めようとしている。健気な姿であるが、修理をするさい、一度は外して しまわねばならないから、そこで踏張っても骨折り損であるだけだ。

さて。バージルは腕組みをし、死んだものをじっと見下ろした。どうしたものか。
警察に届けを出すのは簡単だが、いろいろと面倒ごとに付き合わされるのは勘弁願いたい。かといって 放置することはできないし、自分で始末するのも面倒だ。
人一人、ただ運ぶだけでも骨が折れる。バージルはそんな手間と体力をこの見知らぬ男に費やすほど、 親切でもなければ正直でもない。
男は頭から出血しているように見えたが、どうも違うらしいと、よく観察してみて気が付いた。これは、と 眉根を寄せているところへ、寝惚け眼の弟がやってきた。先刻の物音でさすがに目が覚めたらしい。 が、バージルがいるので飛び起きはしなかった。だからこんな、妙な時差があったのに違いない。
床に倒れた男の姿と血のにおいに、大きな双眸をぱちぱちとさせている。ようよう、しっかり覚醒したようだ。

「なに、これ」

「屍体だが」

「いや、そりゃわかって……死んでんのか?」

わかっていないではないか、とはバージルは突っ込まない。そんな揚げ足を取ることは好まない、という わけではなく、たんにそういった、ある種の言葉遊びをする概念そのものがバージルには欠如しているからだ。
居住空間とこちらをつなぐ扉を開けたところで立ち尽くしていた彼が、根の生えた足を引きずるように一歩、 また一歩とじりじり倒れたものへ近づいてくる。屍体を目の前にして怯えているのではないと、バージルには わかっていた。お互い、屍体ごときに冷やすような肝は持ち合わせていない。彼の足取りが異様に遅いのは、 見知らぬ男が流した血のためか、それとも壊れた扉のためか、そこまではバージルにもわからないけれども。

少なくとも、彼はバージルよりもひとの死に敏感だということは、とてもはっきりしている。

「誰だよ、こいつ……」

訝しげな声に、さあなと返したバージルは、うつ伏せになった男の肩を足先で無造作に蹴った。現場保存など、 もはや念頭にない。貧困街で起こった事件などに、警察が本腰を入れて取り組むとは考えられなかった。
まだ硬直していない躰が、ぐにゃり、と何の抵抗もなく仰向けになる。胸や腹に怪我などはない。が、

「ッ……これァ、また」

うめくように彼がつぶやいた。感心するような響きを持たせたのは、彼の低くはないらしい矜持であろう。
バージルは、無言でそれを見つめた。ぽっかりと空いた男の血塗れの眼窩が、こちらの視線をただじっと 受け止めている。両目ともきれいに刳り貫かれており、男がどんな瞳の色をしていたのか、窺い知れるものは 何もない。一つ、確実に言えることは、この不幸な男が何者かによって殺されたのだということだ。
目立つ外傷は他にない。どのような手段を取ったかはわからないが、殺害されてから一時間もたって いないだろう。殺人者はこの男を殺してすぐ、屍体をここへ放り込んだのか。それともこの男が、 まだ息がある状態ここまで逃げてきて、息絶えたか。
憶測のしようはいくらでもあるが、せんのないことだ。男は死んでいる。事実はそれだけで完結している。

「……どうする、これ」

ささやくように彼が言った。息を詰め、屍体から目を逸らすことなく。

「とりあえずは、警察だろうな。身元もわからんのだ、どうしようもない」

面倒だ、とバージルは素直に思ったままを口にした。眉間に皺を寄せながら、彼も「そうだな」と つぶやいた。
ぽかりと空いた二つの空洞が、彼らの間に落ちた沈黙を見つめていた。





結果をいえば、警察には連絡しなかった。すれば必ずバージルか彼のどちらか、または両方が疑われる。 警察署に出向くことは面倒であるし、あまり付き合いを持ちたくない組織である。かといって亡骸を 放置するわけにもいかず、結局、弟の顔馴染みの情報屋を呼び出すことにしたのであった。
その情報屋――エンツォは、屍体を見るなり「げっ」とうめいて絶句した。屍体から引き剥がすように視線を バージルに向け、それからじりじり首を巡らせて弟を見た。
その目は、おまえら何ということを、とでも言いたげな色が濃い。つまり自分たちを疑っているわけだ。

エンツォには、事前の説明を一切していなかった。可能なかぎり早く来い、来なければ貴様からの仕事は 今後すべて拒絶する。とだけ伝え、電話を切った。口上は無論、バージルによるものである。
息急き切って、というわけではなく、三十分後に現れたエンツォは、いきなり自分を呼び付けた双子に一言も 二言も文句を言いたかったに違いない。それが、扉は壊れているし、床には屍体が転がっているしで、 まったくもって出鼻をくじかれてしまったのだろう。エンツォの頭の中を覗くことができたなら、 きりきりと忙しなく動いているはずである。

「くだらぬ考えは棄てろ」

肩をすくめたバージルと、そうだそうだとばかりに肯首する弟。間に挟まれ、エンツォの視線は二人を 何度となく往復した。何度目かにこちらを見やったあと、ようやく冷静になったらしく、大袈裟に 深呼吸などして見せた。

「……そうだな、考えてみりゃ、そうだ……」

悟ったような物言いをして、仕切りなおすかのように「それで、」と切り出した。

「見たとこ、この界隈のもんじゃなさそうだが、なんでまたここでくたばっちまったんだかね、この後仁は?」

よりによって、とでも言いたげなエンツォに、バージルはあえて言及はせず、さてなと返した。なぜ、ここで。 それはこちらが訊きたいことだ。
面識も、名前も知らぬ男。どこをつついても、謎が増えるばかりだ。
エンツォが剃髪した頭をがりがりと掻いた。そんな仕種をよくしているように思うが、癖なのだろう。

「おまえらのほうも、こいつの面は知らねぇわけか。……面倒なこった」

「迷惑でもある」

冷ややかなバージルの声音に、エンツォが片目を眇めた。冷徹なバージルを咎めているわけではなく、 バージルの口から続いて紡がれるであろう言葉を待っているらしい。が、口を開いたのはバージルでは なかった。

「エンツォ、あんたなら、こいつの身元ぐらい調べられんだろ」

エンツォは苦り切った顔で弟を見やり、

「やっぱり、面倒ごとか。おまえの頼みはいつもそうだな、ダンテ?」

「そうだったか? 過去をいつまでも引きずってるようじゃ、女の子にもてねぇぜ?」

「大きなお世話だ。まったく、おまえときたら……」

やんちゃな息子に手を焼く父親のようなことを云いかかったエンツォが、つい、といったふうに視線を床に 転がったものに走らせて、不意に口を噤んだ。唇は開いたまま、目は驚愕に彩られ、頭の先から血の気が さっと引いていく。
双子は、同時に屍体を見やった。そしてやはり同時に、それを見つけた。
文字である。赤錆色に変化し始めた血で、蛇がのたうつように書かれた短い単語。屍体の頭の右側に、 ひっそりと、しかしおおいに存在感を示している。
弟が息を飲んだのが、気配でわかった。今の今までそこには文字などありはせなかったのだから、驚くのは 当然のことだ。エンツォが驚いているのは、その一点。しかしバージルたちには別の驚きがあった。

――さがしてくれ

聞いたことのある言葉だ。あのときも、不可解な現象とともにこの言葉を耳にした。何かをさがせと 催促している、誰か。浴室に現れたあの人物が、今この文字を書いたのか――すべてが不可解だ。

「エンツォ、」

バージルの声に、弾かれるようにエンツォが顔を上げた。顔色はまだ蒼い。

「ダンテに押しつけたという失せもの探しの件、詳しく話せ」

バージルは目にしていない、オルゴールの写真。すべてはそこから始まっている。







ほっそりとした下弦の月が、申し訳ていどに光の粒を地上に降らせる、深夜。バージルは自室で いつものように分厚い本を開いていた。
平常ではないことが起こった、その夜であるが、バージルの心は常と変わらない。疑問もあるし、 謎は謎を呼ぶばかり。何一つ解決へつながるものは見つけられていないが、かといって心を乱す バージルではなかった。
ぱら、とページを繰る渇いた音が室内に響く。ゆるく寝台に腰掛けた格好で、明かりは脇の小さな机に 据えた、やはり小さなランプが一つ。しかし文字を追うには充分な明るさである。シーツに伸びた バージルの影は、先ほどから微動だにしない。

エンツォから聴いた“失せもの探し”の詳細は、弟が聴いたというものとほとんど代わり映えの しない内容であった。情報屋はべつの仲介屋から“失せもの探し”の件を引き継いだ。それはエンツォが 弟と顔馴染みであり、かの仲介屋は馴染みではないから、という至極当たり障りのない理由からだった。 依頼主は弟を名指ししたが、依頼主から直接その条件を聞いた人間は、彼の名以外のことは何も 知らなかったという。
依頼主から彼へ。依頼の話が行き着くまでに、およそ一ヶ月もかかっている。その間に、彼が持ち帰った (燃えてなくなってしまった)オルゴールの写真を刷った紙は何人もの仲介屋の手を介し、ようよう彼の 手に渡ったのである。
そうも手間をかけて、“失せもの探し”を彼にさせたいと思う、その内心はどういったものだったのか。 少なくとも、ただの“失せもの探し”ではないことは明らかになっている。きな臭いものは始終漂って いるが、それは彼が依頼を請けてからの事柄であるらしく、依頼主と彼とを結びつけた仲介屋たちの手に あったさいは、妙な出来ごとなどなかったようだ。

エンツォはそれらの仲介屋たちのうち、半分ほどは顔見知りであるらしい。その中でももっとも古い 知り合いである仲介屋から、今回の件を引き渡されたのだという。エンツォに調べさせた結果、 その仲介屋も、依頼についての詳細や依頼主のことはほとんど知らなかった。ただの“失せもの探し”。 深刻な問題などとは関係のない依頼。そう思われていた――実際、弟もたいした仕事だとは思って いなかった――依頼が、蓋を開けてみれば死人を出すような代物であるとは、誰も夢にも思わなかった。

ごそごそと、すぐ傍らでものが動く気配がした。弟だ。一人寝を好まない弟は、毎日のようにバージルの 寝台に潜り込み、同衾する。暗黙の了解というものを数多く有している自分たちにとって、この、一つの 寝具で共寝することも今さらであり、躰を繋げることも当たり前のことなのである。
世間の目や声は、この世界には届かない。きちんと蓋をし、空気ですらも入り込めぬよう世界を閉じたのは、 他ならぬバージルであった。
ううん、と弟がかすかにうなった。寝苦しいのだろうか。もぞもぞ、身をよじるように寝返りを打ち、 それからふと、目を覚ました。

「……ジル……まだ起きてんの……?」

かすれた声音に、むくりと情慾が首をもたげるが、彼にそれを悟らせるバージルではない。弟の額に 指の背を乗せ、そうだと答えた。冷えた指先が心地好いのか、彼はうっとりと目を閉じた。そのまままた、 眠るのかと思ったが、そうではなかった。瞼は閉ざされたまま、唇を開く。

「なぁ、……」

持ち出す話題は決まっている。

「あれ、誰なんだろうな……」

「どの、誰だ」

「……どっちも」

バージルは肩をすくめた。彼の求める解答は、バージルの中にも存在しない。

「さてな。……気になるか」

うん、と返った言葉は小さい。

バージルと彼は、根本的に考え方がまるきり違う。価値観が違うのだろう。いかに双子であっても、 同じ母に同じように育てられたとはいえ、自分たちはまったくの別人なのだ。そのことが、バージルを 苛立たせるのだけれど、今は隅へ追いやっておく。
彼の言う、気になる、という言葉は、おそらく額面どおりの意味だ。しかしバージルのほうは違う。
バージルが気になっているのは、“さがしてほしい”と言葉を残した何者が、なぜ弟の名を知って いたのかという、ただその一点のみである。あの何者かが依頼主本人だと推察するのは簡単で、 しかし安直でありすぎる。やり方も回りくどい。

「バージル、」

どうした、と問う代わりに彼の髪を撫でた。そうしてやると目を細める彼の、おそらくは無意識に しているのであろう仕種を、猫のようだとバージルは思う。

「手ぇ、貸してくれるか?」

何に、とも、何を、ともバージルは訊かなかった。

「仕様がないな」

恩着せがましくため息などついてみせると、彼はぷっと吹き出してくすくす笑い、

「Thanks, お兄ちゃん」

悪戯っぽく言って、バージルの腿に頭を乗せた。
ようよう、笑った。ほっとしている自身に苦笑いしながら、バージルは弟の髪を指にくるくると巻き付け、 つんと引っ張った。彼は痛いとも、やめろとも言わない。表情から不安の色こそ落ちていないが、 その頬には笑みが乗ったままだ。
間もなく寝息が聞こえてきて、バージルはまたひとつ、ほっとしたのだった。



















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