花葬――壱
失せもの探し。
自分の口から出た言葉を、彼は不思議なほど理解できていなかった。目の前には、途方に暮れたような表情で
肩をすくめる、馴染みの仲介屋。飽きるほど見慣れた顔だが、まじまじと見つめてしまった。
「なんだ、そりゃ」
ようやっと口をついたせりふは、我ながら詰まらないもので。情報屋を自称する仲介屋は、自分も同じ気持ちだと
ばかりにため息をついて見せた。
場所はいつもの酒場。たちのよくない盛り場のような様相の、まともな神経の持ち主ならば近づくことも
ためらうだろう、うらぶれた酒場には、看板以上にうらぶれた輩が夜毎集う。店を切り盛りする親爺は元が
元であるらしく、同じにおいを嗅ぎつけてか、客はめっぽうたちの悪い者が大半だ。
主人がそうであるからか、はたまた客足が決まってしまっているからか、店には仲介屋と呼ばれる胡散臭い
生業の者がよく出入りをする。彼らは“依頼主”とたちの悪い輩どもの間に立ち、仕事を割り振り、利潤を得る。
仕事の中にはうろんなものが多く、暴力と縁のないものは珍しい。だからこそ、仲介屋はこんな店に出入りをして、
警察に追われていそうな乱暴者相手に商売をするのだ。
そういった仕事を当てにして糧を得るものを荒事師と呼ばわる。金のためならば赤子の命すら奪いかねない、
獰猛な輩だ。
そんな狂犬のような人種が集う酒場に、彼は今夜も足を運んだ。が、彼は荒事師ではない。便利屋、と
自称している。何が違うのかといえば、そこは彼の心一つと言わざるをえない。少なくとも彼は、いっときの
金に目が眩んで殺人を犯すような暴徒ではない。
彼が便利屋をしているのは、あくまで表向きの話である。こういった店に顔を出していると、不可思議、としか
表現のできぬ仕事に行き当たることが多いからだ。
しかしこんな、奇妙極まりない仕事をつかむとは思ってもみなかった。
「わけがわからねぇな」
ぶつぶつ言いながら、彼は一枚の紙を顔の高さに持ち上げ、穴が空くほど凝視した。しわのいった紙には、
とある写真が刷られている。が、それだけなのだ。写真の説明やいきさつなど、こちらが知りたいことは
何一つ情報として書かれていないのである。
気になることはそればかりではない。
「なんでまた、俺なんだ?」
右隣のスツールに腰掛けた仲介屋は、さてなぁ、と潔く剃髪した頭を掻いている。以前のようなだらしのない
髪型より、よほど好ましいと彼は思う。
仲介屋はこの紙を彼に渡すと同時に、名指しだと語っていた。依頼主はと問えば、名は言えるが連絡は取れないと
いう。そういう約束ごとが取り決められているらしいが、実際に名指しを受けた彼は困るばかりだ。そもそも
名前のほうにしても、偽名という可能性もあるのだ。
「俺のところにこいつが巡って来たのも人づてなんだ」
こちらも扱いには困っている、と仲介屋は語る。
「おまえの名を知らないやつはこの界隈にはいやしねぇだろうから、たんにそれだけで選ばれたんじゃねぇかとは
思うんだがな」
「迷惑な話だ。いけ好かねぇぜ」
「へそ曲げてくれるなよ、たかが失せもの探しに一万ドルなんて、そうそうある話じゃねぇ」
だからだ、と彼は仲介屋をじとりと睨んだ。
「こんなもんに、なんで一万も出す? たったこれだけの情報で探させるからか? ……うさん臭ぇ」
「だから、へそ曲げるなって。うさん臭ぇ仕事に飛び付くのはおまえの専売だろうが」
確かに、そうだ。どんな少額の報酬であっても、そういう仕事は進んで請ける。彼の目当てにするものに行き当たる
確率が高いからなのだが、詳しいことはこの仲介屋にも話していない。
信じる信じないはべつとして、話す必要もないと彼は思っている。知らずとも良いことは、この世には
たくさん転がっているものだ。
「それで、請けるか?」
うろんな、仕事だ。期限すらないというのだから、いっそうきな臭い。
彼は一つ、頭を振った。しかしそれは、依頼を断るという意味をこめたものではなかった。
事務所を兼ねた自宅に帰り着いたのは、もう日付も変わった夜半のこと。
屋内は暗い。外は月明かりがまぶしいほどであったが、室内を照らすほどのそれではない。そういえば、
今夜は表のネオンがついていなかった。また接触が悪くなっているのだろう。仲介屋に言って、安く修理してくれる
業者を探させよう。
ぶつぶつとやりながらコートを脱ぎ、黒檀のデスクに放った。シャワーでも浴びるか、と独り言をこぼしたとき、
背後でかたりとドアが開いた。
警戒もせず振り向いた彼の視界には、見知った人影が一つ。
「なんだ、早かったな」
「時間をかける価値もない」
愛想というものを母親の肚に残さず置いてきたに違いない、鉄か氷を思わせる冷たい声音が応え、ブーツが
板敷きを咬む音が響く。
「おまえも、今か」
「まぁな。……シャワー、どうする?」
問うてみると、おまえは、と返された。この男がこちらの動向を窺うなど、とても珍しいことである。
彼はちょっと戸惑って、眼をぱちぱちとまたたかせた。
「あー、その……浴びてこようかと思ったとこに、あんたが帰ってきたわけで……」
そうか、と男は納得したのかどうなのか、よくわからない単調な声音で言った。慣れている彼は、とくに
突っ込んで問い返すこともしないのだが。
音もなく、男はコートを脱いだ。彼以上に人間離れしたところのある男は、彼よりもはるかに器用である。
来い、と男が命じる。いや、言った。命令口調は常日頃からのもので、意図してそんな口振りにしているのでは
ないことを、長い付き合いである彼はよく知っている。むやみに逆らってはいけないということも、よく。
ドア一枚隔てたこちらは、居住空間になっている。なるだけ物騒な場所がいい、という彼の注文に、最高の形で
応え、この建物をあてがったのは馴染みの仲介屋であった。物好きな、という呆れの混じった苦言は右から左に
受け流した。店の名を決めたのはそれからしばらくあとのことで、この男――双子の兄と同居するに至って
すぐであった。
廊下は寒々として、ブーツを履いた足先をとっかかりに、冷気が全身に這い上ってくるようだ。しかし何より
寒気を覚えるのは、ただ無言で彼の先を歩く兄の背中である。
リビングのドアは無視された。階段にも、見向きもしない。となれば、目的は自ずと絞られる。さして広い家では
ないので、兄の足は間もなく止まった。やはり浴室だ。
つと、こちらを振り向いた兄の眼は芯から冷めている。冷徹かつ冷酷な兄のこと、こんなふうに氷のような眼で
睨まれることは今が初めというわけではない。が、彼は蛇に睨まれた蛙よろしく竦んでしまった。鋼の肝を
持つと囁かれる彼が、うんともすんとも言えずにいるのである。もしこの場に他者がいたとしれば、
気絶なり失禁なりしてしまっているに違いない。
兄の手がおもむろに伸びた。それはゆったりとした動作に見えたけれど、一瞬のことであったらしい。
避けることも、防ぐこともできず、兄に腕を掴まれていた。彼は顔を歪めた。ぎりりと食い込む爪が痛い。
わざとやっているのだと、漠然と思った。
腕を引かれたあとは、浴室の壁に背中を叩きつけるように突き飛ばされた。うっと呻く彼を、兄はやはり冷えた
双眸で見つめている。何が何やら、彼にはわからなかった。追い打ちをかけるように、頭上から冷水が
降り注いだものだから、彼は悲鳴をあげてしまった。
「〜〜ッにすんだよっ!」
噛み付くように怒鳴った彼に、兄はあくまで冷徹な態度を崩すことなく、いわく。
「男のにおいをさせて帰ってくるとは、いい度胸だ」
「は?」
耳を疑う彼にかまわず、兄はなおも理解しがたい言葉を重ねてくる。
「俺が気付かぬとでも思ったか? ……何を隠している」
彼は眼を白黒させた。この男はいったいぜんたい何を言っているのだ。
男のにおい? だれの。隠している? 何を。
わけがわからない。
降り注ぐシャワーの刺すような冷たさすら、今の彼は忘れてしまっていた。
間抜けな声をもらし、惚けた顔ばかり見せる弟に苛立ったらしく、兄は鋭く舌打ちをした。びくりと肩を
揺らした彼の喉笛を、右手で鷲掴みにし、壁に磔にするように押さえつけた。
「ッぐ……!」
喉への圧迫と後頭部の痛みに、彼は反射的に呻いた。
「尻の、後ろに何を隠している?」
「っ……し、り?」
彼は携帯電話を持っていない。財布というものも持ち歩くくせがないので、衣類のポケットにはせいぜい小銭か、
なけなしの紙幣がくしゃくしゃになって丸まっているぐらいのもの。
と、ここではたと気が付いた。思わず、あ、と間の抜けた声をもらしてしまう。
兄の視線が、改めて痛い。
「……やはり、」
低い声に、彼は首が取れるのではないかというほど頭を左右に振った。
「違う違う! これだよ、すっかり忘れてた」
ジーンズの後ろポケットに、ぐいと押し込んであったもの。兄が手を離してくれないので、彼は思いのほか
苦労してそれを取り出した。
馴染みの仲介屋から預かった、一枚の紙である。
兄が不審そうに眉をひそめた。
「飯の種だよ」
あまりに要領を得ない依頼であったため、忘れていた。そんなようなことを、紙が水で濡れぬように
しながら話す。
兄はちらと、その紙に流し目を呉れた。そのとたん、ぼう、と紙に火がつき、塵となって燃え尽きてしまった。
「えっ」
火の気はなかった。まったくの自然発火により消え失せた紙の残骸を、彼は唖然として凝視する。紙を
掴んでいた指に、熱さは感じられなかった。燃えたのは紙のみで、彼は火傷すら負っていない。
なんで。つぶやきは驚きによりかすれている。どういうわけだ。兄のほうを見ようとして、しかし彼はさらに
驚かねばならなくなった。
ぼんやりと、燃え尽きた塵が光っている。
「なんだ、これ……」
兄は、無言のまま光を睨んでいる。
蝋燭よりも薄い光は、徐々に大きく育っていくようだった。風船が膨らむように、少しずつ、だが着実に。
じっと、息を詰めて見つめていたからだろう、それはやけに長く感じた。たっぷりと時間をかけて、塵が孕んだ
光は人の大きさほどに膨張した。
人。ただの光の塊ではなく、確かに人の輪郭が見て取れる。
「誰だ、こいつ……?」
人型の光は、まるで映写機のように人を映し出そうとしている。男で、なかなか整った顔立ちであると
認識できるまでには、やはりしばらく待たねばならなかったが。
実体のない、男。誰なのかはまったく知れない。うつろに濁った男の瞳孔が、不意に収縮し、そして彼と
眼が合った。何かしらの回路が繋がったかのように、男の薄い唇が動いた。が、何を言っているのか、
ぼそぼそと囁くそれを聞き取ることができない。
男から、眼を逸らすこともできず。おそらく兄も男を凝視しているだろう。男の言葉を理解しようと、彼は
じっと男の唇の動きを読もうと努めた。少なくとも、男の表情からは何をか察することはできそうもない。
死人のように白いおもてには、どんな感情も浮かんではいなかった。
さがしてほしい。かろうじて理解できたのは、たったそれだけ。
男はやはり無表情のまま唇を閉ざし、やおら、腕を持ち上げた。彼へ向けて。蝋のような血の通わぬ指が、
彼を指差すわけではなく、伸びる。世辞にも広いとはいえぬ浴室のことである。男の手は易々と彼に届き、
蒼ざめた頬に指先が触れようとした。が、
光が、唐突に弾けた。彼に伸びていた腕が、水が散るようにぱしんと霧散する。
何ごとか。眼を瞠った彼が見たものは、鋭く細い切っ先だった。長い刃の根は、兄の手が握っている。片刃の、
ゆるやかな反りが美しいその剣――刀というらしい――は、兄が父から受け継いだものだ。
「これに触れるな」
凛とした、よく通る声は、彼ではなく、正体の知れぬ男に向けられたものに違いない。静かな、しかし毅然とした
恫喝にも、男はやはり表情を動かすことをしない。ただ、唇が。ほんの少し隙間を生み、そして。
「ダンテ」
はっきりと、彼の名を口にした。
「え、」
当惑と同時に、男の幻影は砂がぱらぱらと落ちるように形をなくし、出現したときとは打って変わって、
数秒とかからず跡形もなく消え失せた。
見覚えのない顔。声。しかしあちらは彼を知っていた。名を呼んだ。いったい、誰なのだ。
茫然としたまま、兄へ眼をやった。兄の手にはすでに刀はなく、男が立っていた場所をきつい眼差しで
見つめている。
「バージル、」
ひどくかすれた声だ。内心舌打ちする彼に、兄は視線をやらぬまま言った。
「俺が、おまえの問いに答えられると思うか?」
「う……いや……」
「ならば、そういうことだ。代わりに俺が訊いてやろう。飯の種、とやらの内容はどういうものだ?」
「あ……失せもの探し、だ。さっき燃えた紙、あれが唯一の手がかりだったんだが……」
その紙から現れた幻影。何も関係がないとは、彼でなくとも思えないだろう。
「失せものとは、なんだ」
「オルゴールだとよ。古そうな、でもモノクロの写真しか手がかりがなかったから、どうかわからねぇ。
実際は新しいものかも……」
「ふん……」
鼻を鳴らし、こちらに視線を呉れた兄が、何を思ってか唇の端を持ち上げた。
「なに、」
「いや、寒くないのかと思ってな」
はた、と気付いた。彼はいまだに頭から冷水を浴びているのだ。今や足の先までずぶずぶに濡れている。
今夜は何かにつけて、よく忘れる日だ。いや、いろいろなことが起こる日、とでも言えばいいのか。
「寒いよ。って、いうかこれはアンタのせいだろ」
男のにおいがどうとか、難癖をつけて彼に冷水を浴びせたのは他でもない、この兄だ。
「そうだったな。では、こうしよう」
傲慢な態度と口調に一切の揺らぎはなく言い放つと、兄は彼の脇あたりに手を伸ばし、何かを操作した。
シャワーを止めるのかと思ったが、そうではないらしい。しばらくして、降り注ぐ雨はあたたかな
湯に変わった。
これでいいだろう。そんな眼をした兄と視線が絡んだ。
「いいけど、ずぶ寝れには変わりねぇから寒い」
「そうか」
短く言た兄の手が、今度は彼のシャツを掴んだ。両手で。何をするのかと見守る彼は、次の瞬間絶句せずには
いられなかった。
兄は彼のシャツを、たいした力もかけずに引き裂いたのだ。
「乾かすのも面倒だ」
しゃあしゃあとのたまい、彼の脚にぴたりと張りついたジーンズに手をかける。引き裂かれたシャツは、
彼の足元でぼろと化している。
「ちょッ……! 自分で脱ぐから破くのは待った……!」
「濡れた服を脱ぐのは骨が折れるぞ。待っていられるか」
傲慢な兄は高慢に言い捨てた。びり、と絶望的な音が耳をつく。やられた。コートだけでも先に脱いでおいて
正解だった。あれは去年、兄が買ってくれたものなのだ。襟ぐりを縁取る毛皮はにせものでも、彼にとっては大事な
コートである。
「なんなんだよ、もう……」
ぼやく言葉尻が、疑問の形体を取った。兄は彼の下着を剥ぎ、首を垂れた彼の花芯を掌で包むようにしたのだ。
なに、と当惑を隠せぬ口調で問いただす。兄はぬけぬけと、野暮なことを言うな、と返してきた。ついでに、
これは仕置だ、などとのたまってくれる。
「な、なんだよ、それ」
兄いわく野暮な言葉に、返る応えはなかった。
待ったはきかない。こうなってしまえば、彼に兄を止める手立てはない。諾々と受け入れるしかないのだ。
熱いシャワーに打たれながら、後ろから兄のもので貫かれ、揺さぶられ、食い尽くされ、彼の思考はどろどろに
溶けてなくなった。
書き始めたのが冬だったので、季節外れもいいところな内容に…
わりと続きます。オチは弱いと先に言っておきます。なんかすいません。