幽宮 / 2
星の見えぬ夜空を、煌々としたネオンの明かりが照らし出す。その毒々しい光の狭間を、聞くに
耐えぬ断末魔の叫びが響き渡った。明らかに異常を告げる絶叫にも、ネオンの下を行く人々は
立ち止まることもなければ顔をそちらへやることもない。
この繁栄と荒廃とが同時に進行していく街には、誰ぞの断末魔になど耳を傾けようという人間は
いない。皆、己の生活を保持するだけで精一杯なのだ。
一つの命が尽きようという絶叫に、眉を顰めたのはただ二人。一方は不快さ故に。もう一方は
前者の横顔へ向けて。一見して同じ反応のようであったが、それぞれの持つ意味は全く違って
いる。
「相変わらず、容赦がねぇな」
感心するような、しかし根底に憐れみを湛えた声音。それを聞き慣れている彼は、到るところが
剥げたアスファルトにどさりとくずおれたものを一瞥し、ふんと鼻で笑った。
「容赦、ね」
そんなものは必要ないと、彼は思っているしそれが間違いだなどとは疑ってもいない。彼が
今まさに手にかけたもの。それは人に似た人ならざる存在だった。命が尽きる瞬間にびくびくと
震えるところなどは、あまりにも人に似すぎていて気味が悪いくらいだ。
「壊してやったほうが良いんだよ、こんなもん」
そもそも存在すべきではないと、ダンテは思っている。それらは人間の手前勝手な利己によって
生み出されたものであり、裏を返せば被害者であると言っても良い。しかしだからと言って
人間を襲っても良いということには当然ならず、故に、容赦をせず壊してやることこそ慈悲と
いうべきなのだ。
寄り添うように背後に立った男が、不意に彼の頭にぽんと手を乗せた。なんだと訝ることも、
よせと言って嫌がることもしない彼の髪を、ごつごつとした大きな掌がくしゃりと掻く。それは
ひどくあたたかく、心地が好い。しっとりと、何かが胸から手足へと広がっていくような感覚に、
ダンテは浸りそうになる自身を奮い起こした。駄目だと、己で己を戒める。浸ってはだめだ。
頭を振ることで男の掌から逃れると、困ったように苦笑している男に言った。
「ガキ扱いは要らねぇ。判ってんだろ、なぁ、グルー?」
頭を撫でられていたときとは全く違う、艶を含んだ表情と、僅かに潤んだ双眸を上目遣いにさせて
男を見つめる。これらの表情などを、彼は意図して作り出している。そんなことはしなくて良いの
だと、男は言うが構うものかと彼は反撥し、意地になって続けていた。そんなわざとらしい誘い
方でもしなければ、堪えられないのだ。男もそれに気付いたのか、今ではもう何も言わぬように
なった。その程度には、彼らの“関係”は短くはない。
男の手が、するりと彼のうなじに這う。ぞくっとするのは気色が悪いからではなく、その反対で
あることを彼は自覚し、認めてもいる。
目を細めた彼に、男は低く囁いた。
「来な」
命じるように、ではなく。親が子に言うように、奇妙な程の柔らかさがその声音にはある。
この男はいつも、そうだ。そして彼は、男のそんな声音と態度が嫌いではない。
だから、か、どうか。
彼が背中を預ける相手は、この男より他にはいない。もっとも、彼が共闘しても良いと思う
相手もまた、この男以外には有り得ないのだが。
彼が狩った人形の数は、今夜で丁度十体となる。そのうち七体を、彼はグルーとともに狩った。
グルーは彼よりも一回りはゆうに年かさの、男臭い顔立ちと逞しく頑健な体躯を持ち合わせた男だ。
出合ったのは一年程前と、まだその程度の付き合いでしかないが、しかし彼は他の誰よりもグルーに
信頼を置いているし、それは周囲の目から見ても明らかだった。
小さな窓が一つあるばかりの部屋は、かと言って電灯に充分な明るさがあるわけではない。
安い宿はどこもこんなもので、シャワーに到っては湯が出る宿のほうが少ないときている。
ちなみに彼らが一晩を過ごすこの宿の風呂は、きちんと湯が出るようだ。肌寒さを覚える深夜の
こと、湯を使えるというのは実に有り難い。
「ふぅ……」
思わず彼の唇からもれたため息に、低く笑う声が続く。けっして嘲ったり揶揄したりという笑い
ではない。グルーはどんなときでも、彼を侮るような真似はしないのだ。それは、そう、出合った
当初からそうだった。たんに性格の問題なのかもしれないが。
「気持ちが良いのは判るが、ちゃんと立ってろよ?」
苦笑混じりの言葉に、彼はちょっと頬を赤くして、背後から腹に回された男の腕に爪を立てた。
「判ってる……」
唇を尖らせれば、また男に揶揄われることが目に見えているので(それも嫌いではないのだ
けれども)、彼は膝に力を入れ背中をグルーから離した。水滴の伝う隙間があるかどうかという、
本当に僅かな距離しか生まれてはいないが。
人形狩りをグルーとともにこなすようになってから、彼は度々グルーと膚を重ねている。
きっかけは何であったか、はっきりとは覚えていない。グルーの体温は嫌いではないし、
行為の最中の仕種や言葉もけして不快には思わないので、深く考えたことはなかった。
男である自分が抱かれる側になるということ自体、彼にはさほど抵抗も感じないのである。
気持ちが良いのだから構わないと、彼は思っている。とは言え、他の男に抱かれたいとは
思わないし、グルーを自ら誘うことも、人形を狩った後に限られているのだが。
少し俯き加減に床に目を落とした彼の、うなじに男の武骨な指が触れた。そ、とうなじに張り
付いた髪を掻き分けられる。ぞくりとするが、不快なそれではなく。もらした吐息が微かに
上ずったことに、背後の男は気付いただろうか。
「白いな」
ただの感想として延べられた言葉に、彼はちょっと笑ってしまった。何故ならば、
「それ、何回目だよ。よく飽きねぇな」
ベッドにいる間も、ことあるごとにグルーは彼の膚の白さを、まるで感心するかのように
指摘するのだから、こちらのほうが飽きてしまうというもの。男自身はといえば、地膚は白く
こそあるが彼のように透き通る程の白さではない。いかにも健康そうな膚だ。彼の場合はいっそ、
蒼褪めたような色をしている。女性ならば羨むであろうくすみのない膚を、グルーは純粋に気に
入っているらしい。そんなものは女にしてやれば良いと彼は思うのだが、グルーの意見は違う
ようだった。
「好きなもんってのは、飽きの来ねぇもんさ」
すらりと言われ、そうかもしれないと彼は思った。彼にもまた、この上なく好きなものがある。
それは確かに飽きの来ないもので、そして譲ることの出来ぬものだ。
「それは判ったけど、何も俺じゃなくても良いじゃねぇか。どっかにいい女でも
いるんだろ? そっちにしとけよ」
グルーが女を囲っているというのは、酒場に集う人間の中ではなかなか有名な噂話だ。本人は
いつも否定しているが、囲っていないという証もない為、皆その噂話を本当のことだと思って
いる。彼もその例外ではなかった。
おどけて言えば、腹に回された腕が何故か強くなり抱き寄せられた。濡れた背中と腹とがぴたりと
隙間なく接触する。
「誰に吹き込まれた知らねぇが、そんなもん信じるんじゃねぇ」
耳にため息とともに吹き込まれ、彼は我知らず首を竦ませた。
「っ、あんたは嘘だって言うけど、そっちのほうが誰も信じちゃいねぇよ」
再び、ため息。ひとの肩口に顔を埋めておいて、何度もため息を吐くのはやめてほしいものだ。
「おまえまで、俺じゃなく奴らのほうを信じるのか?」
恨みがましい声に、彼は笑って嘘を吐く。
「まさか。あんたを信じるよ」
首を捻り、キスをねだると男はすぐにそれに応えてくれる。たまに底意地の悪いこともする
グルーだが、基本的には彼に優しい。他者に優しくされることには一種の嫌悪を抱いている彼で
あるが、グルーからのそれにはむず痒さこそ感じるものの、嫌なものと感じたことは一度もない。
そういう意味でも、男は確かに彼にとって稀有の存在であった。特殊な、といっても良いかも
しれない。だからこそ、彼は警戒せねばならぬのだ。
気を許してはならない。一人で生きていくからには、他者に寄り掛かるようなことはしては
ならないのだ。
それがただの思い込みでしかないということに、気付くには彼はまだ若すぎた。
触れ合うだけのキスに、何か足らぬものを覚えて自ら舌を差し出した。搦めとられ、互いの唾液を
交換する。やがて男のごつごつした手が彼の下肢に伸び、微かに反応を示したそこに触れた。
ゆるく掌を上下されただけで、彼の中心は力強く天を衝く。自身の浅ましさに眉を顰めた彼の
思考も、深くなるばかりのキスと下肢への刺激で間もなく溶けていく。
「ぁ……はぁ……は、ん……」
立ったまま男を受け入れながら、出しっ放しのシャワーの湯が、ひどく熱いと贅沢にも思ったのを
最後に意識を手放した。
どこかも知らず、いつかも判らず。
真白いシーツに包まれ誰かの腕に抱かれて眠る夢を。
彼はずっと、見続けている。
その腕の持ち主の顔は見えない。明かりがないので見ることが叶わない。
ただ、グルーではないということだけは確かだった。
続けちまいました。まぁ、自己満足の類です。
[08/08/12]