遠雷エンライ――――暗幕アンマク、参









暗い。
地下にいるのだから当たり前のことと言えばそうなのだが、それにしても暗すぎると彼は 思った。
わざわざ依頼主が置いたものか、廊下にはいくつか、蝋燭がある。火はゆらりと揺れながら彼の 長身を照らす。その明かりは彼を奥へ奥へと誘うようで、あたかも地獄へ続いているような錯覚に 囚われそうになる。そんなことを思うほどに、一種異様な雰囲気がそこにはあった。
依頼主がどんな人物であるか、彼は知らないし興味のないことだ。だがこんな演出をして見せる のだから、随分と趣味の良い人物であることは判る。仲介屋を間に立てているとはいえ、 依頼内容は自ら直接伝えるというこだわりについても、依頼主のひととなりが表われているように 思う。
まぁ、何にしろ彼にはかかわりのないことだ。彼はただの便利屋だ。殺人依頼は別として、 依頼を請けてそれを実行するだけである。

依頼主がどんな人間性を持っていようとも、大した問題にはならない。ただし以前のように、 男色趣味のある依頼主ではないことを祈る。ただでさえ、彼はその手の男に魅入られやすいの だから。ほとほと、迷惑な話である。

蝋燭の炎に導かれ、彼が辿り着いたのは階段から最も遠くに位置する部屋であった。かろうじて ドアが残っており、雑に扱えばすぐにも蝶番が弾け飛ぶであろうと予測できる。そのドアは人差し 指の長さ分ほど開いていて、室内からは蝋燭のぼんやりとした明かりが漏れている。誰かの気配も、 ある。当然のことながら。
彼の足音は聞こえているだろうに、室内にいるはずの依頼主は彼に声を掛けてくる素振りを 見せない。ドアは開いているのだから、気付いていないわけはないだろうに。

(面倒臭ぇ)

愚痴をこぼしながら、彼は仕方なく自らドアノブを掴み手前に引いた。








暗い。
地下にいるのだから当たり前のことであるが、気紛れな燭台たちの数も地上と比べひどく 少ないようにネロには思われた。ぽつりぽつりとお情け程度に灯るそれらは、上で見るものよりも 火勢が小さいように見える。

書庫へ入るための扉は、廊下を半ばまで行った先に突如として現われた。観音開きになる造りで あるらしいが、幅はさほどないわりに天井まで届くような長さを持たせる必要がどこにあった のか、ネロには甚だ不思議でならない。

「……誰の趣味なんだか」

城は、現在の王が建立したものではない。部分的な改修はしているかもしれないが、基礎は歴代の どの王も手をつけていないと誰かに聞いた。王の権力を象徴する、巨大な城。この城がなければ 王は王足りえぬのか。それともただの見栄であるのか。矜持はあるが物欲に欠けるネロには判らぬ 話だ。
ともかく、この書庫も扉の様相も、現在の城主は預り知らぬことであろう。もしかすれば、かつて 王の趣味ではないのかもしれないが、それこそネロにはどうであろうと構わぬ事象だ。

扉は、意外にも軽く押し開けることができた。ごてごてとした見た目もあって、ひどく重厚な 印象を抱いていただけに拍子抜けしてしまう。
書庫の中は、廊下よりもさらに暗かった。燭台がいくつかあるようだが、少なくとも書棚に並ぶ 本たちの背表紙を判読することは難しい。誰でも歓迎、と母はこの場所をそう表現したが、 歓迎されているようには思えずネロは眉を顰めた。鍵が不要だということだけで用いた表現なの だろうけれども。
せめて手燭を持って来れば良かった。母も母だ。書庫内がこうも暗いということを、なぜ教えて くれなかったのか。唇を尖らせかかって、やめた。こうしてすぐに彼を頼ろうとするのは悪い癖だ。 何ごとも自分一人で成せるようにならねば。それにはまず、先を見通すことを身につけねばなる まい。

例えば、書庫の照明。

念のために手燭を持参する程度のことはできたはずだ。
彼がいつまでもネロを子ども扱いするのも仕様がない。ネロはまだ、独り立ちのできぬ子どもだ。 それを認めたくなくて、彼と同等であろうとしていつも背伸びをしているけれども、ネロはやはり まだまだ未熟である。嫌になるくらいに。
内心で深いため息を吐いていると、

「わ、私の城へようこそ」

耳許で不意に囁かれ、ネロは不覚にもぎょっとして肩を跳ね上げた。

「ッ……」

飛び退くように背後を振り返ると、薄笑いを浮かべた男がそこにいて。

「おっと、驚かせてしまったかな。こ、これは失敬」

どもる癖でもあるのか、わざとのようにも感じられる口調に何か苛立ちを覚えながら、ネロは 男をじとりと睨んだ。ネロよりも一回りはあるだろう巨躯を、小さく見せようとしてか背中を 丸めている男。髪は長いらしく首の後ろでまとめてあり、邪魔ではないのか、だらりと伸びた 前髪が顔の右半分を半ば隠している。左目に嵌めた小さな小さな片眼鏡が、どこかの燭台の光を 反射してきらりと光った。

(これが、書庫の主……?)

気配を全く感じなかったことから、ただの学者とは言いがたい。白衣をきっちり着込み、何を 書き取るためかメモらしきものを大事そうに抱えた姿は確かに学者という風情だ。ネロは学者と いう種を見たことがないので、何を基準にすれば良いのかも判らないが。ともかくも。

「か、歓迎するよ。こ、ここはいつも私独りでね。ききき、君が来てくれて嬉しい」

素直にこちらも喜べぬのは、男の薄笑いとすぐにこちらに近寄って来ようとする気持ちの悪さ からだろう。それに、どうも値踏みをされているような気がして気分が悪い。

「手燭を一つ貸してくれ。あとは自分で勝手にやる」

近寄るなと、暗に示したつもりなのだが、男はそのあたり、相当鈍い神経を持ち合わせている ようだ。

「ささ、探し物なら、ぜひ手伝わせてほしい。何を読みたいのか言ってくれれば、す、すぐに君の 手許に……」

「勝手にやるって言ってるだろ。暇なのか知らないけど、ありがた迷惑だ」

こういう手合いにはきっぱりと判りやすく言うべきなのだ。ネロは冷たく言い放ち、手燭を 探そうと男に背を向けた。母の、書庫の主には関わるなという言葉を脳裏で反芻する。
男はしかし、それで諦めるほど物分かりの良い人物ではないらしい。まろぶようにネロに追い すがり、待ちたまえともごもご言っている。ネロが無視を決め込もうとしているのが判るのか、 前に回り込んで無理矢理足を止めさせた。何なのだ、この男は。辟易するネロを、男はいっそう 背を丸めて下から覗き込んでくる。

「お、王はご健勝かね?」

ネロの眉間に深々と皺が刻まれた。

「……何でそれを俺に訊く」

よそを当たれと吐き捨てれば、男はちちちと舌を鳴らした。どこまでもこちらの気分を害する 男だ。

「わ、私はもう長いことここに閉じこもっているのだよ。つまり外のことはほとんど知らないと いうわけだ。き、君が王の子息だということは、しし、知っているけれどね」

それでは彼のことも、男は知っているのであろう。ネロに深い興味を示しているが、本当の関心は 王か、もしかすれば彼に向いているのかもしれない。

「王のことなんか俺は知らない。興味もない。何を訊きたいのか知らないけど、見当外れだ」

「ほ、ほんの些細なことだ。私の研究に、ほんの少しだけ協力すると思ってくれれば良い」

「研究?」

いかにも学者らしい理由だが、根底にあるものは好奇に違いない。男の双眸は妖しいほどに輝いて いる。人間の姿こそしているが、この男の本性は魔界の生き物に違いないのだ。信用など、 当たり前だができるはずがない。

「そう、研究だ。王はなぜ、危険と知っていながら“半身”を得たのか。そそ、それもあちら側の 人間を。君は気にならないのかね? お、己の存在にかかわることだ」

にやにやとした笑みが気色悪い。ネロは嫌悪を覚えながら、しかし男の言葉に図星をさされた ような気がしてならなかった。ネロが書庫に来た理由は、彼が生まれた世界のことを知るため。 ただそれだけと自身の中で完結させていたけれども。
彼が王の手を取った理由。王が彼を見出だした経緯。それらが気にならぬかと言えば、そうでは ない。二人の馴れ初め。その詳細など知りたくはないと、そっぽを向いているだけのことだ。

「君にならば、私の研究の一端を披露しても良い。ほ、他の連中にはとてもではないが聞かせ られないがね」

君は特別だ、と。男は片眼鏡の奥でにやりと笑う。心底からの親切心で言っているのでは、 間違ってもないだろう。嘘や虚偽が蔓延するこの世界において、信用できるものなど自身の他には ない。ネロは幸いにも母という信頼のおける存在があるが、かと言って誰のことも信用するような 馬鹿ではない。

ネロの内心を読んだのか、男がちちちと舌を鳴らした。

「し、信用するもしないも君の自由だ。私はただ私の研究を進める……その切れ端を、君が 垣間見るというだけのこと」

信用も信頼も要らぬのだと男は言う。垣間見たものを信じるかどうか、その判断はネロの意志に 一任される。

ネロの答えを確信しているのか、嫌な薄笑いを消す素振りのない男を、ネロはぎろりと睨んだ。









「あんたが依頼主か?」

四隅に蝋燭が一本ずつ、ゆらりと揺れる薄暗い部屋にいたのは、彼と同じほどの長身の男だった。 ぼんやりとした光に照らされた体躯は、どちらかといえば細身と言えるだろうか。顔立ちは はっきりとはしないが、悪くないように見える。まぁ、そんなことはどうでもいいが。

「わざわざ足を運ばせてすまないな」

少しも悪びれたふうもなく、男は言った。低い声だ。男の声を良いとも悪いとも評価する趣味は ない彼であるが、悪くはない声だと思う。もちろん自分の次に。

「こんなとこで内緒話とは、良い趣味してるぜ」

他者に聞かれたくないからこそ、彼をここに呼び出したのに違いない。少なくとも彼はそう 思っているし、男の反応から見ても見当外れではないようだ。

「それはどうも」

にこりともせず、男は冗談ともつかぬ口調で言った。

「無関係の人間に聞かせても意味がないのでな」

「……そりゃ、そうだ」

だからと言って、こんな廃ビルに呼び出す必要があったのか。疑問には思ったが口には出さない。 この場所を選んだ理由こそ、彼にとってはどうでもいいことだ。彼が興味があるのは男がこれから 話す依頼内容のみである。

「何でも良いから、早く話せよ」

もう少し下手に出られないのかと、馴染みの仲介屋に苦言を吐かれた彼の口調は、無論その程度で 改められるはずもなく。ある者からは生意気だと言われ、ある変態からはそこが可愛いのだと 言われたこの言葉遣いを、男は果たしてどちらにも取らなかったようだ。

「私からの依頼は……」

もったいぶった口調に苛立つ間は、彼にはなかった。がきん、と金属の打ち合わさる鈍い音が、 静寂を孕んだ地下室にじわりと響く。目の前で散った火花を気にする余裕すら彼にはなかった。 まったく予想外の展開に、目を見開いている。

男は「ほう、」と感心したふうに声をもらした。

「受け止めたか。聞いていたとおり、なかなかの腕の持ち主らしい」

彼の愛剣に噛み付いているのは、ひどく細身の片刃の剣だ。その柄を握るのは、無論のこと 依頼主である。
ぎりっと、刃が欠けるような音。噛み合わされた剣が離れ、二人は互いに数歩後ろへ跳んだ。 剣の届かぬ間合いを作るが、かと言って安堵は得られない。男とは初め、今よりも二歩ほども 離れていたのだ。

「……何のつもりだ」

剣を構えつつ睨む、その先にある男の顔。彼は目を瞠った。いつの間にか、男の顔は包帯らしき ものでぐるぐる巻きにされているではないか。
彼の驚き顔に、男はくっと喉の奥で笑った。が、表情は包帯に隠されていて判らない。

「依頼は単純だ。貴様の命を貰い受けたい。ただそれだけのこと」

単調な口振りで、男は彼の死を要求した。無論、はいそうですかと応じるわけにはいかない。 命のやり取りを自ら望む傾向の強い彼であるが、死ねと言われて死ねるような自殺願望は 持ち合わせていない。自分の命を大事にしているわけではないのだけれども、それはそれだ。

「あんたとは初めて合うと思うんだが……」

彼に一方的な恨みを持つ人間は少なくないが、見知らぬ相手から命を狙われたことはない。 ……記憶から飛んでいるだけかもしれないけれども。しかしこんな、包帯で頭をすべて覆うという ような、異様としか言えぬ風貌の人間に一度でも合っていれば、記憶していないわけがない。 初めは、顔立ちがあらわになっていたという奇妙な現象は目の当たりにしはしたが。
男は彼の動揺を愉しんでいるかのように、ついと目を細めた。部屋は薄暗く、包帯があろうと なかろうと細かな表情の変化は視認されにくいというのに、彼はなぜだか疑問もなく。

「何者だ、あんた」

聞かずにはおれぬ彼に、男は口端を軽く歪めた。どうも、笑っているらしい。

「貴様の目に映るものが私だ。それ以上でも以下でもない」

わけの判らぬことをもっともらしく語り、男は右手を左の腰あたりにやった。左手には、鞘に 納まった剣がある。抜き身で構えて見せぬところからして、どうも扱う剣術が根底から違う らしい。どう対峙したものか、考えようとしてやめた。そんなものは躰が勝手に判断する。 彼はそうして今まで生きてきたのだ。

「……ま、あんたが何者でも関係ねぇ。殺し合うならそれも上等だ」

命のやり取りは嫌いではない。男は命を寄越せと言うが、ならば男自身の命も賭けてもらわねば つり合いが取れないではないか。
彼がただ殺されるとは、男も思っていなかったのだろう。

「後悔することになるぞ」

自信に満ち溢れた口調と表情。彼は鼻を鳴らして笑った。

「はっ。そっちこそ、後悔するぜ?」

語尾を舌に乗せると同時に、彼はコンクリートの床を蹴った。男の剣は、まだ鞘の中だ。反応が 遅れているのか、それとも。





両刃と片刃が火花を散らしてぶつかりあう。力と力はほぼ互角。初めてかもしれぬ強い相手との 対峙に、彼の頬にはいつしか笑みが浮かんでいた。

互いに名も知らぬまま殺し合う。それが、男との初見であった。



















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また続きました。名前は出ませんでしたが、書庫の主は某ハエです。