愛傷アイショウ――――後









アルタハ教会は街で最も広い敷地を有し、その建物も巨大かつ荘厳なものだ。その歴史は 古代にまで逆上ることが出来るが、この教会が今の姿になったのは、百年程前のことである。 元は小さな、邑の教会堂でしかなかったという。
今ではそれぞれの方角に尖塔が建ち、教会堂そのものもまたよく名の知られた建築家の 設計により、緻密な装飾に包まれた壮大な教会へと変貌を遂げている。
信仰心、というものが権力者や財を豊富に持つものに広がった、典型的な変化であろう。
神への信心を形にして表すには、教会堂の建設は財さえあれば出来る、言わば手頃な奉仕だ。 尤も、バージルには判らぬ類いの“奉仕”だが。

バージルは信仰心を持たない数少ない無神論者だ。といって、神を信仰するものと対立して いるわけではない。自分は信じていないが、信じているものは自由にすれば良い、と思っている だけのことで、言ってみれば関心そのものがないのである。
己は己、他人は他人、人の信仰に口出しするような無駄なことを、バージルはしない。が、 口出しをされることはしばしばある。それが何とも煩わしく、バージルを不快にさせるのだ。



「待ち兼ねたよ、」

秀麗とは言えぬ顔立ちに笑みを乗せ、アーカムがバージルを迎えた。
剃髪した頭に司祭帽を乗せ、杖をつきながら近寄って来るアーカムに、バージルは挨拶らしい 挨拶もない。

「この間は悪かったな」

約束を反故にしたことを言えば、アーカムは薄く笑って「良いさ」とあっさり言った。

「ようやく恋人でも出来たのかと思ったが……」

揶揄うようなアーカムの目が、バージルの腕にすっぽりと抱かれた少年に向けられる。

「その少年は?」

あたかも今気付いたとばかりに、アーカムが訊く。バージルは肩を竦め、「拾い子だ」と 隠さず答えた。
アーカムとは父の頃からの付き合いだ。先日の夜会のように、嘘を並べたてる必要はない。

自分のことを話していると知り、少年が僅かに怯えてバージルの服に縋った。それを 安堵させてやることの方が、バージルにとっては大事だ。

「近いうちに、養子として縁組するつもりだ」

少年の背を撫でてやりながら、バージルは自分の言葉に少なからず違和感を覚えた。しかし 顔には出さず、アーカムに気付かれることもない。

「養子、か。妻を娶るより先に子を取るとは、気の早い」

咎めるのではなく、むしろ愉しげなアーカムを、バージルはじとりと睨んだ。

「妻子持ちの司祭に言われたくはない」

司祭は妻帯してはならないという不文律がある。しかしアーカムには、端から見れば妻と子に しか見えぬものを持っているのだ。どんな関係なのか、実のところバージルは知っているの だが。

「くく……そう、君と同じだ」

子を抱えた身よりのない女を、アーカムは引き取って家を与え、養っている。下衆な輩は 囲っていると言うが、アーカムはそんな連中を相手にすることはない。バージルも同様だ。

大抵の人間なら簡単にやり込められるバージルだが、アーカムを相手にするとそうも いかない。小さく嘆息して、少年を抱え直した。

「それで、用件は」

無駄な時間を省こうと、無理矢理話題を本題に移した。アーカムは油断ならぬ男だが、 不必要な愛想のいらぬ相手であることに違いなく、それで言えばやりやすい男だ。
アーカムはバージルを教会の奥にある小さな部屋に導き、とりあえず、と水を出した。 葡萄酒はあるが、礼拝でしか使わぬらしい。

「なに、大したことではないよ」

勿体つけるアーカムに片眉を上げ、バージルはグラスを少年の手に持たせた。しかし少年は 水を覗き込むだけで、飲もうとはしない。それを、アーカムが観察するように視界に留めながら、 言う。

「ランズフォード卿のご息女のことは知っているね?」

ぴく、とバージルのこめかみが微かに引きつる。出来ればもう、関わり合いになりたくない 名だ。

バージルの内心を知ってか知らずか、アーカムが続ける。

「先日、ランズフォード卿から直々にお召しがあってね、行ってみれば娘の話だ。 欠伸が出たよ」

「それで、縁を取り持てと言われたか?」

バージルがアーカムと懇意にしていることは、わざわざ調べるまでもない周知の事実だ。 縁組の間を取るよう、アーカムに依頼することは充分有り得る。

「その時は、の話だがね。判っているとは思うが、ランズフォード家との付き合いは慎重に すべきだ。あれは溺愛する娘の悲しむ姿に心を痛めるどころか、怒りを爆発させかねない 男だからな」

既にアーカムの元には苦情が来たのか、表情に変化は乏しいが何となく察せられる。

「……迷惑をかけたな」

心にもない言葉に、アーカムが苦笑する。

「そう思うなら、籍如き、入れてやればよかろうに」

「司祭の言葉か、それが」

「妻帯を許されぬ私には、妻を娶るということがどういうものか、想像もつかないからね。 言いたいように言わせて貰うさ」

相手は君だ。とくつくつと笑うアーカムに、バージルは肩を竦めた。

「どちらにせよ、私は妻を取るつもりはない。第一、何故私に拘る必要がある?」

ランズフォード家は皇族に繋がる家系であり、爵位は侯に叙せられている。その家に 生まれた娘を嫁がせるならば、同等以上の爵位を有する家を選ぶのが当然であろう。いかに、 娘がバージルを気に入っているとしても。

「言っただろう、あの男は娘を溺愛している、と。愛する娘に泣き付かれて、折れた結果、 私のところへ来たというわけだ」

存外、したたかな娘のようだ。アーカムは本心を読ませぬ表情で言った。

「しかし溺愛、という部分は、君も同調出来るのではないかな?」

「……何のことだ」

「とぼけることはない。咎めようと思ってのことではないのだから。――――その、養子に するという少年のことだ」

アーカムは目を細め、少年にどこか意味ありげな視線を向けた。先刻から黙りこくったままの 少年は、ちらとアーカムを見、すぐにバージルの胸に顔を押し付けた。そしてまた、ちらりと アーカムを盗み見る。どうも、アーカムの瞳の色が気になっているらしい。滅多にはない、 左右色違いの双眸が物珍しいのだろう。

バージルは帽子を深く被った少年とアーカムとを順に見やり、ゆるく首を左右にした。

「一緒にするな」

溺愛、という部分は否定すまいが、ランズフォード卿と一緒にされたくはない。自分の 我儘で親を振り回し、他人に迷惑をかけて平然としているような娘を溺愛する、馬鹿な男と など。

「しかし、私から見れば同じことさ。まぁ、君の方が度を越しているようだがね」

それ、とアーカムが少年を指差した。

「いつ、どこで拾ったんだね?」

少年を“それ”と物のように言うアーカムに、バージルは怒りを覚えた。

「貴様に言う義理はない。話はそれだけか、アーカム」

ならば帰るぞ。返事も聞かず、バージルは踵を返した。が、その背をアーカムがゆるりと 止める。

「まぁ待ちたまえ。……面白いものを見せてあげよう」

「いらん」

すげなく断るが、アーカムはバージルの傍らに寄り、薄く笑んだ。

「それが何か、知りたいのではないかな?」

腕の中で、少年の痩身がぴくりと跳ねた。それを見て、アーカムは満足げに微笑する。

「さぁ、こちらだ」

強引ではないというのに、有無を言わせぬ響きがある。バージルは内心で舌打ちして、先に 部屋を出たアーカムの後を追ってドアをくぐった。





回廊は聖堂の表と裏とでは、その様相が随分異なる。
ミサの日には人で溢れる表の回廊は広く、日中でなくとも明るいよう、燭台がいくつも 並んでいる。逆に、裏側にあたる回廊は狭い。採光窓も少ない為、こちらは日中であっても暗く、 燭台もほとんど置かれていない。

人の世、そのものさ。

いつかアーカムが言った言葉を、ふと思い出した。皮肉か、率直な印象か。やはり真意は 定かではない。

回廊を抜け、外に出た。アーカムはどこに行こうとしているのか、まだ止まる気配はない。 おい。声を掛けようとした時、

「……っ……!?」

少年が身を捩り、バージルの腕から飛び下りた。少年はバージルの足を止めさせようとしてか、 しっかりと膝にしがみついて離れない。

「だめ、こっち行っちゃやだ……!」

教会に着いて初めて紡いだ言葉は、激しい拒絶。それは少年を屋敷に置いて外出しようと した時よりも、遥かに強いものだ。

「どうかしたか?」

困惑するバージルの耳に、アーカムの声が届く。少年はぎくりと顔を強張らせ、 ぎゅっとバージルの脚に縋りついた。

「やだ……」

泣きそうな――――いや、実際泣いているのだろう――――声はか細く、バージルを一層 戸惑わせる。

「何があるんだ、この先に」

疑問は、少年ではなくアーカムに向けて放った。アーカムは少年を興味深そうに眺め、 さて、と嘯く。

「そこの木立ちを抜ければ、すぐだ。自分の目で見てくると良い」

「…………」

バージルは少年を見下ろし、その震える肩に手を置いた。

「大丈夫だ。私がいる、怖くない。だから、離しなさい」

宥めると、少年はがばりと顔を上げた。涙に濡れたおもてには、絶望に似た深い悲哀。
バージルはぎくっとした。悲しげな表情を見たことはあっても、それはバージルによるもの ではなかった。バージルは少年を宥め、優しく抱き締めてやれば良いだけだった。

自分は一体、この少年を傷付けるような何をしたのだ。

答えは一つ。

少年はばっとバージルから離れ、アーカムの示す木立ちへと駆け出した。思いの外、 足が速い。バージルは慌てて後を追った。

緑の青々とした木立ちは、何故か暗い影に包まれているように映る。
白い帽子をかぶった少年の小さな躰は、手を伸ばせばすぐにも届きそうだ。なのに、 届かない。
足は確実にバージルの方が速いだろうに、何故だか全く追い付くことが出来ない。 むしろその距離は、離れていく一方で。

木立ちの切れ目に差し掛かると、少年の姿は霧のように消えてしまっていた。今の今まで、 その背を見ていたというのに。
奇妙なことがある、というだけでは、当然だが済まされない。

「っ……どこだ……、どこに行った、ダンテ!?」

自分でもおかしいと思う程、バージルは取り乱した。バージルをこんなふうにさせるのは、 かの少年をおいて外にはいない。やけに自分に執心を抱いているらしいランズフォード家の 娘など、比べることも愚かしい。

ずっと側にいるのではなかったのか。

非難するように、思う。

離さないと言った、あの言葉を反故にさせるつもりか。

「ダンテ……っ!」

勝手に姿を消すなど、赦さない。血を吐くように名を呼んだ。

ざぁっと風が草むらを吹き抜ける。
葉の擦れる音に乗って、バージルは微かな声を聞いた気がした。それは知らない、しかし 確かに聞き覚えのある声で。

「……ダンテ?」

バージルは声を頼りに、足を踏み出した。

“それ”は、程なくバージルの目に止まった。
ほっそりとした青年が、バージルに背を向けて“それ”の傍らに立ち尽くしている。 銀の髪が風になびき、ちらちらと光を弾いて光っていた。

青年は膝を折ってしゃがみこみ、どこか物憂げに“それ”を指先で撫でると、ふとこちらを 振り返った。ようやく見せたその顔立ちに、バージルははっとする。
己とまるで瓜二つの顔が、そこにあった。

「……お前、は」

ようよう紡いだ声は、驚く程掠れており。
その言葉になったのかも定かではない声を待っていたかのように、青年は一瞬にして 掻き消えてしまった。まるで初めから何もいなかったかのように、青年が立っていたそこは、 茂った草が一つも折れていない。

バージルは茫然と、青年が寄り添っていたものを見つめた。“それ”は、おそらくは、

「……墓、か……?」

小さな石に、浅く彫った十字が見える。そこに置かれて十年は経っているだろう。 石の足許は苔で覆われている。
墓にしてはあまりに無造作で、あまりにも寂しいそれは、誰のもなのか。

覚束ぬ足取りでその小さな墓に近寄り、膝をついた。十字の他には名も刻まれておらぬ石を、 青年がしたように指でなぞる。

「……ダンテ……」

無意識に零れた、それはいったい誰の名だったか。
懐かしさすら感じる響きのあるその名を、もう一度呟き。

しかしバージルには、それが誰のものであったか、判らなかった。

ただ。

一粒流れ落ちた涙を、誰かの指が払った気がした。





それは優しい、柔らかな、指。



















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戻。



…こんな展開とかあり?急いで書いた結果、こんなものが出来上がりました。
話が急すぎて何のことか分からねー;
と、ともかく、長すぎる前置きはようやく消化。自分の中では。(最悪)
この後はシメを書くだけです。すっかりばっちり長い話になってしまいましたが、
やっと次かその次辺りで終われそうです。お疲れ様でした。(早い)

※冒頭の方で、宗教に対する批判的な表現をしましたが、
そんな気持ちは一切ないのでご了承ください。
私は一応無宗教で通してますが、宗教やその信者の方を批判することはありません。
あくまでこれは、二次創作のお話かつ100%フィクションですので…。