燈火トモシビ









あの日、――――





風が強かった。

窓のない部屋にいても、風の音(というよりも、風に煽られた樹々のさざめく音だ)がよく 聞こえてくる。
ダンテは寝返りをうち、うつ伏せになって頬杖をついた。腹が減っているようだが、 よく判らないという奇妙な感覚がある。しばらく糧を得ていないのだから、空腹であることは 間違いのないところなのだが、いったいどうしたことか。
飢餓を越えた状態、なのだろうか。それならば本能のみになって、見境なく人間を襲っても おかしくはないだろうに。

ため息を吐いた。

ここ三日程、ダンテは食らう側から食らわれる側になってしまっている。ダンテの血を啜る者が 現われて、もう三日だ。以来、食らわれ続けている。
何故とは問うた。何者なのかとも、問うた。しかしダンテは何も理解出来なかった。判った ことは、ダンテを食らうものがほとんど人間と変わらない生き物だということだけだ。何かの 理由があって、あえてダンテを食らっているとうことになるが、その理由は当然明かされて いない。
判らないことだらけだ。

ため息が、またこぼれる。

「物憂げだな」

低い声音が天蓋から垂れ下がった帳の向こうから聞こえ、ダンテはちょっと目を瞑ってから躰を 起こした。声の主が帳を持ち上げるより早く、自ら帳の外へ出る。屈強な体躯の男が一人、 暗闇の中でこちらを見つめていた。
ダンテはすぐそばの小卓に目をやった。小卓の上の燭台に火が灯ると、呼応するかのように 室内の燭台総てに火が入る。明るくなってもなお、男は闇を身に纏っているような印象がある。 まぁ、着ているものが総て黒だから、というだけのことかもしれないが。

「奴を招き入れたのは貴様か」

黒を纏った男が出し抜けに言った。奴、というのは三日前に唐突に現われたあの男のことに 違いない。屋敷内にダンテと自分以外の気配があることに、早々に気付いたようだ。

ダンテは肩を竦めて小卓の脇の椅子に腰を下ろした。正直、立っているのも怠い。今の今まで 寝て過ごしていたから、気付かなかった。

「だれが招くかよ。押し入られただけだ」

男は鼻を鳴らし、ダンテの向かい側の椅子に腰掛けた。小卓に肘をつき、手を組む。

「だが、貴様は奴を此処に置いている。これを招いておらぬとは言えまい」

ダンテは椅子の背凭れに体重を預け、上目遣いに男を見やった。

「……何が言いてぇんだ?」

「奴が何者か、知っていて此処に置いているのか、とな」

「あんたは知ってんのか?」

男が、くっと喉を震わせて笑った。嘲笑っているのだと、ダンテは思って眉をしかめた。

「何がおかしい」

男は笑みを消し、紅い目を真直ぐダンテに据えた。いつも見ているというのに、きちんと視線を 合わせたのは初めてのような気がするのは何故なのだろう。

「……貴様のその性格……性質とでも言うべきか……どうにも、救いがないな。 いや、違う……」

口の中で囁くように、男が何ごとか呟いた。人間の何倍という聴力を持つダンテですらほとんど 聞き取ることが出来ず、思わず身を乗り出した。

「何だよ」

男はつと目を細め、組んでいた手を外してダンテへと右腕を伸ばした。頬に触れた指先を、 ダンテは拒まない。男はダンテの顎に手を添え、くいと上向かせた。

「世から隔離された貴様がこうも疎くなることは、初めから明らかだった。奴から遠ざけることが 目的だったのか……?」

自問するような口調だ。ダンテには何のことだかさっぱり判らない。どういうことかと 問いただそうとするより先に、男がにやりと笑みを作った。

「間が空いたからな。腹が減っているのではないか?」

喰え、と首を傾げるようにされて、ダンテは顔を背けた。が、すぐまた顎を掴まれて、 無理矢理正面を向かされる。男は何故か笑みを潜め、妙に真剣な瞳をしている。

「奴に喰わせるのは、もう止せ」

「なっ……」

ダンテは目を見開いた。知っているのか、この男――――だが、何故。ここ数日、男は一度も 屋敷にいなかった。知り得るわけがない、筈なのに。
男がまた、鼻を鳴らした。

「俺が知らぬとでも思っていたか?」

見透かされているようで、ダンテは息苦しさを感じて視線を小卓の上に落とした。此方を見ろ、 とは男は言わなかった。少し、ほっとする。

「この部屋だ」

男が何を言っているのかが判らない。

「貴様の血の匂いがする」

窓がないのだから、匂いが溜まるのは道理だ。ダンテは鼻をひくつかせたが、無駄だと男が 言うのでちょっとむっとする。

「俺の鼻は貴様とは造りが違う。それを差し引いても、この部屋にずっといたのでは匂いに 鼻が慣れていて当然だ」

淡々と言われて、ダンテは眉根を寄せた。この男といると、どうも自分がひどく小さな子どもに なったような感覚に陥ることがある。事実、男から見れば生まれて三十年にもならぬ自分などは、 まだまだ子どもにしか見えぬだろうことは確かなのだが。

「……それで、何でてめぇの言うことを聞かなきゃならねぇんだ」

「判らぬのか?」

「なにが」

「続ければ、貴様の身が保たぬ。今も、身に力が入らぬのだろう?」

言い当てられて、ダンテは奥歯を噛み締めた。しかし身が保たぬという言葉の意味を、ダンテは 察しかねている。

「あいつに喰われ続けたら、俺はどうなる? ……死ぬの、か?」

「……死にたい、か?」

逆に訊き返されて、ダンテは言葉を詰まらせた。それが答えだと思ったのだろうか。男がダンテの 顎から手を離し、ダンテの胸倉を無造作に掴んで腕を自分のほうへ引きつけた。引きずり上げ られるように尻が椅子を離れ、躰ごと小卓に乗り上げる。

「ッ……?」

息が触れる程近くにダンテを引き寄せて、男は言う。

「死にたいのならば、今此処で俺が殺してやろう。一瞬だ。僅かな苦痛も感じること無く、 死なせてやる」

男の目は、本気だ。いつものように、皮肉っぽくダンテを揶揄しているふうでは全くない。 本気で、ダンテを殺す気なのだ。やってみろ、と笑うことすらダンテは出来なかった。

目を逸すことも出来ず、ダンテは我知らず唾を飲み込んだ。死ぬ。生きるも死ぬもどうでも良いと 思っていたが、いざ死を目の前にすると、嫌な汗が背中を伝っていく。

死にたいのか。男の言葉が脳裏で反芻する。

死とは、何だ。無くなることか。判らない。死ねばどうなってしまうのか、考えたことが ないわけではない筈なのに。

「おれ、は……」

声が何故掠れているのか、ダンテには判らない。男の目が、不意に細められた。

「答えが出たようだな」

答え? 問い返そうとしたが、出来なかった。半開きになった唇を、男のそれで塞がれたのだ。 すぐに舌が侵入して来て、ダンテはしかし抗わずに受け入れた。歯の内側をぬるりと撫ぜられ、 舌を搦めとられると背筋が痺れたように震える。味わったことのない感覚に、ダンテは半ば 酔った。だからか、どうか。
蒼く煌めく何かが、こちら目掛けて一直線に走ってくることに、ダンテは気付かなかった。 正確にはその蒼い何かは、男のこめかみを射抜こうとしていたのだけれども、ダンテには判る 筈もなかった。








意識が黒一色の闇から浮上し、水面へ顔を出すように覚醒する。目を開ければそこも、一滴の 光もない暗闇に沈んでいるのだが、人間ではないダンテには明かりがなくとも目は見える。 寝台から出ることすら少ないものだから、証明器具が活躍することはあまりないと言って 良かった。
気怠い躰を起こすと、夢を見続けていた所為か頭が痛む。夢、というよりも、古い記憶を 思い出していただけと言ってしまえばそれまでだ。

ただの夢なら、良かったのだけれど。

ダンテは額に手をあてた。手が冷たいのか、それとも熱があるのか、額が熱い。前者だろうと 見当をつけて、ダンテは天蓋付きの寝台からのろのろと這い出した。いつまでも眠っていると、 余計に頭痛が酷くなりそうだ。

日中は陽光を完全に遮断した暗い部屋でしか、過ごすことが出来ない。だから陽の出ている間は 寝室に籠り、ただ眠っている。部屋を出られるのは陽が沈んだ後、夜のことだ。人間とは全く 正反対の時間を、ダンテは物心付く頃から続けている。
陽光をまともに浴びれば、即ち死に繋がる。試してみたことはないし、そうやって死んだ同族を 見たわけでもないが、本能的に識っているのだ。だから夜に活動する生活にも、疑問はない。 人間が日中に活動するのと大差はないと、ダンテは思っている。

寝室のドアを開けたとき、ダンテははっとした。まだ、陽がある。両側を部屋に挟まれた廊下は 薄暗く、突き当たりの窓から差し込む陽の光は弱い。とはいえ、陽光はダンテのような種族の 者には毒も同じだ。日蔭にいても、膚が焼ける。

「…………」

ちりちりと、音がしているような気がする。ダンテは服に覆われていない手を顔の前にかざして みた。手の甲の皮膚が、不自然に荒れている。陽に焼かれているのだと、すぐに判った。
が、ダンテは寝室に戻ろうとはしなかった。逆に、窓へ近付くように廊下を歩いていく。手が、 頬がいっそう熱くなっていく。膚が焼けて、爛れていく。その痛みが、心地好いと思うのだから 何とも不思議なことだ。

(死にたいか)

もうすっかり忘れていた言葉を、今更になって思い出したからだろうか。陽光に、自らを 焼かせようとしているのは。

(――――死にたいか)

死にたくないと思った。あのとき確かに、ダンテは死にたくないと強く思ったのだ。だから男は ダンテを殺さず、生かすことにしたのだろう。恩に着せた言いようをして、いつも皮肉げに、 ダンテに“餌”を与え続けた。

「……死にたくない、か……」

呟く唇すらがさがさに荒れて、うまく言葉が紡げない。ダンテは足を止めなかった。死にたいと 思っているのか、死にたくないと思っているのか、ダンテには判らなくなっていた。はっきり 言えることは、総てがどうでも良いと思っているということだけ。

窓枠の形に、影が長細く切り取られている。靴を履いていないダンテの白い素足が、光へ差し 出されようとした瞬間、

「……ッ……!」

後ろへ、思い切り躰を引っ張られた。襟首を後ろから掴まれているらしく、首が絞まる。何か 固いものに背中がぶつかった。ダンテが茫然としていると、聞き慣れた声が耳に届いた。

「馬鹿な真似を……」

ため息混じりの言葉を、しかしダンテは何か言っている程度にしか理解することが 出来なかった。

「……あんた、か」

どうして止めたのかとは、ダンテは言わなかった。逞しい腕が、二度と馬鹿なことはさせぬと ダンテを戒めるように腹と胸とに回され、きつく抱き竦められる。
殺してやろう。――――そう言ったときの男の瞳を思い出す。同時に、恐ろしいと思ってしまった 自身は今からすれば馬鹿だったと思う。

「……あんたは、」

ぼそりと、呟く。

「どうしてここにいるんだ?」

俺を監視する為? 俺を揶揄って遊ぶ為? それともただ、餌をやる為?

男からの返答はない。ダンテは一人、呟き続けた。

「俺はどうして、ここにいるんだろう……ここに来た意味はあったんだろうか……」

陽が傾くにつれ、陽は力を失い弱々しくなっていく。夜が、闇が、今日もまたやって来る。

ダンテにとっての世界は、夜だ。昼を生きることはダンテには出来ない。宵闇だけが、この 不自由な躰を生かす。
ただ一度。たった一度だけ、ダンテは自らの身を陽にさらしたことがある。と言っても、 森の中でのことだ。鬱蒼とした樹々が、陽光をほとんど遮っていた。それでも、ダンテに とっては命懸けでしたことだった。

あれ以来、ダンテは陽のある場所に出たことはない。今を除いては。
あの日、何があって昼に屋敷の外へ出たのか、ダンテの記憶は靄がかかったようにはっきりと しない。憶えていることは、その日以降、あの男が屋敷から姿を消したということ。それから、 ダンテを抱き竦める男の、目が――――片方、なくなっていたこと。

「ベオウルフ……」

めったなことでは呼ぶことのなくなった名を、ダンテは繰り返し呼ばわった。応えはない。 後ろから回された腕の強さがやけに心地好く、そして懐かしく感じられたのだけれども、 それが何故なのか、ダンテにはやはり判らなかった。

無性に、喉が渇く。それを察したのか、男の腕が俄かに緩められ、腕の中で器用にダンテの躰を くるりと反転させた。すぐさま、後頭部を掴まれて顔を男の肩口に押し付けられる。男がどんな 表情を浮かべているのか、知らぬままダンテは男の首筋にキスするように、鋭く尖った牙を 突き立てた。
濃い血の甘味が口内に広がっていく。ダンテは無意識に男の背に腕を回し、子どものように 縋りついていた。



















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出張るベオ。ダンテの過去は暗ければ良い。

[08/1/30]