熱病・中
ちょっと、スカーフを噛んだ。閉じられない口の端から唾液が伝う。すでにスカーフは濡れ、
結び目はじっとりと重くなっている。不快だが、それを訴えることは出来ない。ただ眉を顰める
だけ。
事務所に入ると、バージルはダンテを黒檀の机のそばに転ばせた。いや、バージルはダンテの
背をちょっと押すようにしただけで、転んだのはダンテが自分の体重を支えられなかったからだ。
先刻よりも躰が重く、もはや立ち上がることも出来なくなっていた。すっかりダンテの脚が
萎えていることに、バージルは気付いたのか、どうか。立て、とも何とも言わず、さっさと
事務所から居住スペースへと移動しようとする。それを、ダンテは止めた。スカーフを猿轡に
されている為声は出せないが、腕は伸ばせる。目一杯伸びてバージルの脚を掴んだダンテだったが、
その手を払うようにバージルが脚を振った。
触るな、と冷たい声が頭上から降る。しまった、と思える程、ダンテの思考は働いてはおらず。
「んむぅ、ううっ……」
呻くばかりのダンテの手を、バージルは顔色一つ変えず踏み付けた。容赦なく体重をかけられ、
ダンテは痛みに顔を歪めてもう一方の手でバージルの足首を掴もうとした。が、
「触るなと言ったのが、聞こえなかったか」
冷酷な声音に、ダンテはようやっとぎくりとする。バージルの怒りは恐ろしい。判っていて、
ダンテはバージルの逆鱗に触れてしまったのだ。
思考がろくに働いていなかった、などと、そんな言い訳はバージルには通用しない。バージルが
白を黒だと言えば、ダンテもまた白を黒と言わねばならない。
「う、ぅうっ……」
ぐったりと動かないダンテの腰を、バージルは無造作に蹴った。ごろんと尻を床につける
恰好になる。不安げに兄を見上げたダンテを、バージルはどこまでも冷たく見下している。
ダンテは動けない。物理的に脚が石のように重いということもあるが、それ以前に、バージルの
双眸がダンテを縛って一切の動きを奪う。
「ぁ……ぅ……」
名を呼ぶことも許されず、ダンテはただバージルを見上げることしか出来ない。ふと、バージルが
脚を動かした。ダンテのだらりとした脚の間に靴を割り入れ、股の辺りに靴底をあてる。ひくり、と
そこが疼くように脈打つのが判った。
「あぅっ……」
明らかな快楽の色を含んだ声に、バージルがくっと目を細める。
「淫乱が」
心底からの侮蔑の声。ダンテの下肢はバージルに踏まれても萎えることを知らず、それ以前に、
すでに固さを持っていたのだ。触られても、何もないというのに。バージルがダンテを蔑むのは、
だからだろう。
ダンテの躰を男に馴染むよう作ったのはバージルだが、バージルはダンテの誰にでも脚を開く
ところが厭わしくてならないのだ。独占慾故では、ない。本当に、嫌悪しているのである。
妙なところで清廉な兄は、ダンテにもそうあれと強要する。そうあって当然だと、ダンテを
毎晩のように気を失うまで犯しておいて、言うのだ。
ぐ、と下肢を踏む脚に力を込められ、ダンテは呻いた。
「ぐぅ、っ……!」
「これでも、達けるのだろう、お前は」
揶揄に、ダンテはかっとなる。が、バージルはダンテの反論を許さなかった。ぐり、とダンテの
ものを踏む脚を捻ったのだ。
「ひぐぅ……っ!」
涙を滲ませるダンテを、見下ろす瞳はどこまでも冷めていて。ふん、とバージルが面白くも
なさそうに鼻を鳴らした。自分のものを踏み付ける脚が不意に浮いて、ダンテは思わず「え?」と
いう顔をしてしまった。
「不満か」
一切の笑みを絶やした言葉に、ダンテの背にひやりとしたものが流れる。が、ダンテが恐れた
ことは意外にも起こらなかった。バージルはダンテを造作もなく肩に担ぎ上げ、重さを感じさせず
事務所から居住スペースへと足を向けた。その時になってダンテは、脚だけでなく腕――――
指先まで――――もが動かなくなっていることに気が付いた。おかしな話だ。頭は酒が抜けて
来たのか、先刻よりもはっきりしている。それなのに、躰だけがぴくりでもないのだ。まるで
脳だけが目覚め、躰は眠ったままであるかのように。
バージルに運ばれるままになるしかないダンテに判ることは、こんなことになってもなお、
下肢の昂ぶりが冷めていないことだけだ。しかもそれがバージルの肩に擦れてしまっており、
いたたまれぬどころではない。またバージルの怒りを増長させてしまうことが、ダンテはこわい。
バージルはダンテにとって、双子の兄だ。兄弟と言ってもほぼ同時に生まれた彼らには、
本来上下などない筈である。が、バージルは幾つも歳の離れたきょうだいのようにダンテに接し、
そして己に従順であることをダンテに強いる。
生まれた時から、バージルは“兄”という生き物だった。
ダンテは、弟であるしかなかった。ダンテがいかに対等でありたいと思っても、バージルは
よしとしない。だから、ダンテもそれは半ば諦めている。こちらがポーズだけでも折れていれば、
バージルはダンテに愛想をつかせることはない。しかし時折、考えるのだ。
これで、良かったのだろうか。――――と。
動かぬダンテを、バージルは風呂場に運んだ。空っぽの浴槽にダンテを文字通り放り込み、
何を思ってか、父の形見である一振りの剣を手許に呼び寄せた。何をするのかと、不安げに
見上げるダンテなど無視して、バージルは細身の剣を鞘から抜いた。手首が閃き、刃が舞う。
ひやりと膚を撫でるものに、ぞくっとする。快感ではない。バージルの剣が、紙一重でダンテの
膚を撫でたのだ。同時に、纏っていた服とコートがただの布切れにされてしまう。
ものの数秒。裸に剥かれたダンテは茫然と、蛇口から湯気を巻いて落ちる滝を見つめていた。
バージルは、もう風呂場にはいない。湯が溜まるまで、ぼうっと待っているなどバージルがする
わけもなく、ダンテ一人が残されたのだ。
どぼどほと勢いよく注がれる湯は、暖かいし心地も好い。が、普通の状態ではない今の
ダンテには、素直に喜べるものではなかった。唯一歓迎出来たのは、バージルがスカーフを
取り去ってくれたことぐらいのものだ。それ以外は、そのまま。そう、指先すら一切動かないのも、
妙に躰の芯が昂ぶっているのも、変わらない。
唯一自由の利く目を、きょろりとドアの方へやった。開きっ放しで放置された蛇口からは
大量の湯。そろそろ湯船がいっぱいに満たされそうだ。このまま湯が溢れてしまっても、ダンテの
頭まで湯が来ることはないので、溺れる心配こそないのだが。
ふわり、と湯が溢れて浴槽の端に滝を作った。また一筋滝になり、間もなく縁の総てから湯が
溢れだした。ざぁざぁと床に湯の落ちる音が響く。
しばらくして、やっとバージルが浴室に戻って来た。湯気の満ちた浴室に足許が濡れるのも
気にせず踏み込むと、蛇口を締めつつ、おもむろに「暖まったか」などと問うて来た。舌すら
動かせないというのに、どうして返事が出来ようか。じっと視線だけを呉れると、バージルは
返事など期待していなかったのか、またも一人で「そうか」と呟いた。そしてダンテの頭を
鷲掴みにし、あろうことかダンテを湯に埋めたのだ。
「……ッ……!?」
あまりのことに驚き、一瞬で空気を総て吐き出してしまう。ごぽ、と泡になって漏れた
ダンテの息など目にも入らなかったのか、バージルはダンテの髪をわしわしと掻き始めた。
洗っている、つもりなのだろうか。困惑していると、髪を掴まれ後ろに引かれた。ざぶ、と顔が
上がり、ダンテは思い切り息を吸い込んだ。顔を濡らす水には、少なからず涙が混じっている。
「目を瞑れ」
ダンテが何の文句も抵抗も出来ぬのを良いことに、バージルは悠々とダンテの髪にシャンプーの
泡を馴染ませていく。やっていることは普段とあまり代わり映えないが、これはどう考えても
異常だ。どこがだ、とバージルなら逆に問いそうだが、とにかく異常だ。
(なんで)
人形のようになってしまったダンテ。下肢はひくひくと震え、しかしバージルはそちらには全く
見向きもしない。躰が動かないのだから自分で慰めることも出来ず、ダンテはただバージルの
成すがままになるしかない。これの、どこが異常でないと言えるのか。
ざぶん、と。また湯船に鼻から沈められた。シャンプーの泡を湯船の湯で流すつもりらしい。
どうにも、手荒すぎる。
シャンプーの混じった湯が目に染みて、ダンテはほとほとと涙をこぼした。涙の理由は目が
染みるからばかりではない。バージルの指が頭皮を掻き、髪を梳く感触に確かな快感を覚えて
しまったからだ。
躰は先刻からずっと刺激を求めて震えていた。しかしまさか、こんな異常な状況で感じて
しまうなんて。
(く、る、しい)
訴えは、バージルには届かない。バージルの指はダンテの耳の後ろを、生え際を、僅かな
産毛まで丁寧に掻いて泡を落としていく。ぞくぞく、する。ダンテは背筋を走る快楽に堪えようと
目を瞑った。苦しい。つらい。
気道にのこった最後の空気を吐き出したのと、バージルがダンテのうなじをついとなぞったの
とは、ほとんど同時だった。ごぽりと気泡が水面に弾けた時、ダンテは堪らずに射精した。
不本意で、なおかつ不快な吐精。ダンテは悔しさと情けなさに涙を滲ませた。
バージルがダンテの頭を洗い終える頃、長時間沈められていたダンテは、白く濁った湯の中で
意識を手放してしまっていた。それでもなお、人形のように固まった四肢は弛緩することを知らず。
ざぶりとバージルの腕に抱かれ湯から引き上げられても、躰を二つに折ったままぴくりとも
しなかった。
まだ続くらしいですよ…。
私の頭の中は常に異常事態発生中です。