紫苑ヴァイオレット











躰のどこかが悲鳴を上げる、その痛みでダンテは目を覚ました。
先刻から、覚醒こそしていなかったものの、とろとろとしたまどろみの中にいた。何か、 むずむずとかゆいようなこそばゆいような、それでいて嫌ではない感覚がずっとダンテを 包んでいて、心地が好かった。ベッドに手足を伸ばして寝転んでいるのとは、また違う恰好を していると何となく察することは出来たけれど、自分がどこで眠っているかまでは判らない。 ただ、気持ち良いとだけダンテは認識していた。
それが、突然の痛みによって無理矢理覚醒をさせられたのだ。驚かないわけがなく、また 怯えずにもおれなかった。いったい、何が。

「ぁっ……」

ぞわりと何かが背中を這う。寝起きでは感じたことのない、しかし全く見知らぬわけではない その何かに、ダンテは戸惑いを覚えて目の前のものにしがみついた。それはダンテよりも 大きくて、逞しい――――バージルの肩だ。
息を飲んだ拍子に吸い込んだ匂いでそれと気付いたダンテは、きょろきょろとバージルの顔を 探した。すぐに、こわいくらいに澄んだ双眸とかち合った。やはり、バージルだ。名を呼ぼうと して、しかしダンテの喉からはバージルの名とは全く違う、意味を成さぬ喘ぎが紡ぎ出された。

「っ……ぁん……!」

背筋を駈け登る、ぞくぞくとした何か。それを、ダンテは確かに知っている。ゆうべ、眠る 直前までダンテを苛んでいた感覚だ。かと言って、不快と表現するようなものではない。 ダンテはその感覚が嫌いではないし、どちらかと言えば好んですらいるだろう。バージルの 与えるそれは、とても気持ちが良いからだ。苛む、という表現を用いたのは、バージルが、 ダンテの意識がばらばらになろうとしていてなお、ダンテを解放してくれなかったからだった。
ひっきりなしに嬌声を上げ、内臓がどうにかなるのではと思う程に突き上げ続けられたダンテは、射精と同時に意識を失うことで解放された。それもあっての、深い眠りだったのだ。(もっとも眠っている本人にそれは判らぬことであるが。) 目覚めて、またバージルにせっくすを挑まれていると気付いたダンテは、バージルの分厚い肩を ぽすんと叩いた。

「ばぁじる……ばかっ……」

もっと文句を言ってやりたいけれども、腹の内側が苦しくてうまく言葉が紡ぎ出せない。 ぽすぽす、バージルの肩を叩く。だがその手も、バージルが少し腰を揺すればそれだけで、 バージルに縋りつくそれに変わってしまう。耳朶を、バージルの低い声がくすぐった。

「馬鹿、とは良い度胸だな、ダンテ?」

バージルの声は、好きだ。純粋にそう思う。けれどこうした行為の最中に紡がれるバージルの 声音は、いつも意地悪で、ときに残酷なのだ。そのことをよく知っているダンテは、びくりと 肩を震わせた。何をされるのか、予想もつかないだけにこわくてならない。

「ぁ……」

喘ぎのような小さな吐息をもらしたダンテの、細い腰をバージルの大きな手が掴む。椅子か何か (たぶんソファーだ)に腰掛けたバージルの、膝に座る恰好で貫かれているのだと、ここに 至ってダンテは気付いた。
バージルによって、ダンテの腰が重力に逆らい浮き上がる。ずりゅ、と。ぬるりとしたものが 体内から抜け出る感覚に、ダンテは無意識に腰を揺らめかせた。ぞくぞく、する。こそばゆいの とは違うけれど、よく似通った感じだ。

「ぁ、あ……」

意識せぬまま声をもらした途端、浮いた腰を引き下ろされた。一気に、先端のみを残して抜け 出していたものが、ダンテの中に再びの侵入を遂げる。ずん、と。ひどい衝撃にダンテは首を のけ反らせて悲鳴を上げた。

「ひ、ぃあっ……ッ!」

息が詰まる。躰がばらばらに壊れそうな程の、衝撃。あ、ぁ、と呼吸もままならぬダンテを 余所に、バージルは容赦なく同じ動作を繰り返した。まったく、酷い。しかしダンテにバージルを 罵る余裕などある筈もなく、紅い唇から紡がれるものは、ただただ甘い嬌声のみだ。

「っ、は、ぁんっ、ぁ、あ」

一定の律動でもって突き上げられ、ぎゅっと閉じたダンテの双眸からは涙がほろほろと こぼれ落ちる。つらいのかと問われれば、ダンテは判らないと答えるだろう。悲しいのとも違う。 何かを思う余裕すらダンテにはなく、しかし脳裏の片隅には、おなかにいる赤ん坊のことが確かに ある。それだけは、忘れてはならないことだからだ。
繰り返される強い衝撃に耐えるダンテの目尻に、不意に何かが触れた。湿ったそれに疑問を 覚えて、うっすらと瞼を上げる。と、思わぬ程間近にバージルの秀麗なおもてがあった。 両手が塞がっているバージルは、自身の舌でダンテの目尻を拭ったものらしい。

「苦しいか?」

薄く笑みを浮かべたバージルが、問うてくる。そういうバージルは、何ともたのしそうだ。 ダンテは頬に落とされるキスの心地好さに目を細め、頭をゆるく左右にした。おなかは、 確かに苦しい。けれどそれは、バージルのものが中にいるからだ。立て続けに突き上げられて、 苦しくないわけがなかったが、けれどもそれを、嫌とはダンテは思わない。

「、い……じょぶ……」

はぁ、と息を吐きながら言う。バージルは汗で前髪の張り付いたダンテの額に、そうかと呟き キスを施した。ダンテを酔わせる手管に長けたバージルは、このときもしっかりダンテを とろとろに蕩けさせる。いくつも、キスを降らせて。

「ん……ふ……」

とろりとした吐息をもらしたダンテの腰を、バージルがまた上下させる。背骨が軋むような 衝撃に、しかしダンテは嫌ともやめてとも言わなかった。バージルのくれるキスは、それだけの 効果をダンテにもたらすのだ。しかし、度が過ぎればダンテも黙ったままではおれない。それは おなかの子の為で、ひいてはバージルの為でもある。
けれども、今は。

「嫌、か、ダンテ?」

そんな答えは返っては来ないだろうと確信している筈の、声に。ダンテはバージルの首に腕を 絡め、もっと、とねだることでこたえた。





怠いような、重いような。腰から下が何とも言いようのない感覚を訴えているが、ダンテには それが何から来るものなのか判らずにいる。首を左に傾げ、右に捻り。それを繰り返していると、 どうかしたのかと問う声がキッチンからかけられた。朝食を兼ねた昼食の準備に取り掛かって いる、バージルだ。
ダンテはソファーからそちらを見やり、ううん、と首を左右にした。

「なんでもない」

事実、バージルに話すようなことではない。バージルは「そうか」と言って、調理台のほうへ 躰を戻した。そうすると、ダンテのいるリビングからはバージルの背中しか見えなくなる。
しばらく、ダンテはバージルの背中を見つめた。広い背中はダンテに父の記憶を呼び覚ます。 バージルはダンテの父によく似ているようなのだ。だから、ということなのかどうかは ダンテ自身にも判らないが、バージルに抱き締めてもらうとひどく安心する。バージルの 逞しい腕にぎゅっとしてもらうことは、ダンテのお気に入りなのだ。もちろん、キスも。 それから、

(せっくす、も)

好きだと、思う。ただし、バージルの怒りを買ってしまった際に強いられるせっくすは、 どうしても好きにはなれないと言うか、こわくてならないのだけれども。
けれども。

(ぼくがわるい、から)

だから、仕方のないことなのだと。あんまりこわくて泣いてしまうダンテだけれども、バージルは そんなことでは赦してはくれないから。堪えるしか、ない。

ダンテはソファーの上に脚を乗せ、膝を両腕で抱き締めるようにした。小さく丸まって、膝小僧に 顔を埋める。これという理由などないのだが、気持ちが後ろ向きになっている気がする。何も 考えることなどない筈だというのに、最近いつも、何かをぐるぐると考えては今のように後ろ 向きになっている。
ちらと、目だけをバージルの背中に向けた。何を作ってくれるのだろう。今考えることと いったら、それだけで充分な筈なのに。

バージルに聞こえないようにため息を一つこぼした。おなかの赤ちゃんは元気に育っている だろうかと、ぼんやりと思う。バージルが大丈夫だと言ったから、きっとそうなのだろうと 思うけれど、もわもわとしたこの気持ちが何なのか、ダンテには判らない。もう一つ、ため息を こぼす。そのとき、耳慣れない物音が耳に届いて、ダンテは目をきょろきょろさせた。 バージルの背中は、そのままだ。バージルには聞こえなかったのだろうか。

また、物音がした。何かが軋むような音にも聞こえたけれど、何かは判らない。バージルには やはり聞こえていないらしく、キッチンに向かったままこちらを振り返るふうもない。どうして だろう。訝るダンテの耳に、また物音が届く。この物音は何なのか、バージルに訊くべき だろうか。
そうしたほうが良いという声が、頭の中で響く。しかし、ダンテはきゅっと唇を引き結んで、 そうっとソファーから脚を下ろした。ソファーが軋まないよう気をつけて立ち上がり、そろそろと 足音を忍ばせてリビングを出る。物音のするほうへ、ダンテは耳を澄ませながら近付いて いった。
それは廊下の突き当たり、玄関と事務所(とバージルが言っていた)を兼ねた部屋から聞こえて くるらしい。
そろ、そろ。おっかなびっくり、足を進める。怖がりなところのあるダンテだけれども、溢れる 好奇心に引っ張られるように事務所のドアを開けた。誰かいるのかと(お客さん、とか)思った ダンテだったが、そうではなかった。事務所には誰の姿もなく、至って静かなものだ。

(あれ……?)

ぎち、と。例の物音がはっきりと聞こえた。いったい何だろうかと、ダンテは首を捻りつつ 事務所を見渡す。
黒っぽい机と、揃いの椅子。ビリヤード台。それから、ダンテの知らないものがいくつか 鎮座していて、壁には。ダンテの背丈程もありそうな、大きな剣が一振り。鈍い銀色に光を 弾くそれに、ダンテは魅入られたように近寄った。
諸刃造りの剣の、柄の飾りは髑髏のような形をしていて、ひどく恐ろしげな表情だ。しかし ダンテはそれを、こわいとは思わなかった。むしろ、それを見ているとほっとするような 気すらする。

(なんだろ、これ)

この気持ちも、この剣の正体も、ダンテには判らない。そうせずにはおれないとばかりに、 ダンテは鈍銀のそれに手を伸ばした。ぎち、と至近距離であの音がしたが、音源がどこであるか、 ダンテは探したりしなかった。その物音は目の前の剣が発しているのだ。ダンテはそれを、 不思議なこととは思わなかった。理由や根拠など、ない。
細い指が剣に触れる。諸刃の平坦な腹をなぞり、柄の飾りへ。髑髏のようなそれが、目を細めた ようにダンテには思えた。気を許しているのだと、やはり根拠はなくそう感じた。
掌全体で撫でてやると、髑髏の飾りが喉を震わせて笑った気がして、ダンテは何だか嬉しく なった。ぺたぺた、猫にするように撫でる。

ダンテはしばらく、その行動に夢中になった。夢中になるあまり、外から誰かの足音が近付いて くることにも気付かない。

はっとしたのは、外へ続くドアの向こう側から、知らない男の声がしたから。そして その表情が驚きに彩られているのは、知らない筈の男が、ダンテの名を呼ばわったからだ。

「おい、ダンテ、いるかぁ?」

(だれ?)

困惑しながら、ダンテは剣から離れドアへ向かう。声の主が誰かは判らないが、確かに自分を 呼んでいる。人違いをしているなら、そうと教えてあげなければ――――背中に、ぎちりと 髑髏の飾りが鳴く音が聞こえたけれど、ダンテは振り向かなかった。
ドアの外から、再度声がかかる。

「おーい、ダンテ〜?」

間延びした声に、ダンテの警戒心も緩む。ダンテはドアノブを握り、ドアに張り付くように身を 寄せて引いた。顔だけをちろりと出し、覗いたそこにはやはり見知らぬ男の顔。

「おじちゃん、だれ……?」

ダンテからすれば充分年配に見えるその男は、へ、と先程の声よりも間の抜けた声と顔をして ダンテを凝視した。まじまじと見つめられて、ダンテはドアのこちらでもぞりと身動ぐ。

「ぼくのこと、呼んだでしょう? どうして、ぼくの名前知ってるの?」

居心地の悪さを感じながら、男に問う。男はぽかんとして、

「おま、……ダンテって……えぇ?」

愕然としたような呟きの、意味が判らずダンテはことりと首を傾げた。やっぱり、人違いをして いるのに違いない。バージルを呼んだほうが良いだろうかと、ダンテが上目遣いにしていた瞳を 足許に落としたとき、突然背後から腕が伸びてダンテの腰に巻き付いた。強い力で引き寄せ られる。わっと声を上げたダンテの背が、軽い衝撃とともに何かにぶつかった。肩越しに 見やれば、そこには、

「バージル」

眉間に皺を寄せたバージルが、ドアのあちらに立ち尽くす男を見据えていた。
























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