狂界
閉じた意識を取り戻すのが、時折どうしようもなく、こわい。
目が覚めた時に一人きりでベッドに寝ていることなど、いつものことだ。が、今日はいったい
どうしたことか。
「…………」
ダンテはぼんやりと隣にいるものを見上げた。ダンテと同じ銀髪を後ろに撫で付け、
ベッドヘッドに背を預けて本を読む白皙を、ダンテは自分と同じ顔立ちだとは思えない。
元より、似ていると思ったことなど一度もないが。
もぞ、と僅かに身動ぐと、バージルが本に目を落としたまま、起きたか、と問うでもなく
言った。おそらくダンテが目を覚ました時から気付いていたのだろう。しかし早く起きろとも
言わず、今もただ目覚めたことを確認しただけだ。
珍しい。
「…………」
ダンテは起き抜けの瞳をぱちりとさせた。それが気配で判ったのか、もしかすれば視界の端に
でも映ったのか、バージルがふと、どうかしたかと問うて来た。それはこっちの科白だと、
出かかった言葉は何故か声になる前に喉の辺りで消えてしまう。
「……なぁ、」
「何だ」
相変わらず、バージルの目は本に釘付けになったまま。それは少し恨めしいけれど、バージルの
意識はこちらを向いているとダンテは判っているから、不貞腐れたりはしない。そんな、子供の
ようなこと。
「バージル、」
名前を呼び、バージルの脚を枕にするように頭を乗せる。本の角が髪にすれるが、気には
留めない。
「バージル」
目を閉じれば、バージルがくしゃりと髪を掻いてくれる。大好きな手の感触に、ダンテは
しかし、ぞくりとした。それが、バージルがダンテの首に触れたからだとは気付かない。
自身の首にはっきりと残る指の跡にも、ダンテは目視出来ない為に気付かないでいる。
「……っ……」
うなじを辿る指にいつも以上に過敏に躰が震えてしまう。駄目だと思いながら、ダンテは
自身を律することが出来ない。
バージルが、不意にダンテの首根っこを掴んだ。まさしく不意打ちのその行動に、ダンテは
思わず声を上げてしまう。
「っひぁ……!?」
明らかに快楽を含んだ悲鳴だ。ダンテは咄嗟に手で口を覆ったが、遅い。出てしまったものは
もはや取り返しがつかない。バージルはダンテの反応に何を思ったか、ダンテの首を掴んだまま、
しかしそれ以上には何をするでもなく。
「ダンテ、」
バージルの声が紡ぐ自分の名は、好きだ。しかし今はそれを噛み締めている場合ではない。
「な、に」
頸動脈の上にあてられたバージルの指に、何故かひどく卑猥なことをされている気分になって
しまって、ダンテはバージルの脚に額を擦り付けた。何なのだ、これは。くう、と喉の奥で
唸るのと、バージルが本を閉じるのとはほぼ同時だった。
「これが、気になるか?」
バージルの言葉は大抵において意図が読めない。ダンテは口を押さえて顔を伏せたまま、
動かなかった。バージルの言う“これ”とは、何のことなのか。答えないダンテに焦れたか、
バージルがくっと指に力を込めた。途端、ダンテはびくりと肩を跳ねさせる。
「っ! ……」
声は堪えたが、それだけだ。小刻みな震えを抑えることが出来ない。そんなダンテに、
バージルがまた言葉を降らせた。
「これは、一種の餌だ。初めは不快でも、繰り返し与え続ければ癖が付き、こうして触れるだけで
味を思い出すようになる」
淡々とした、バージルの声。しかしダンテには、やはり意味が判らなかった。
「顔を上げろ」
嫌だと首を左右にすると、バージルが無造作にダンテの髪を掴み無理矢理頭を起こさせた。
ダンテは顔を歪め、こちらを見下ろしてくる冷徹な瞳を睨んだ。
「っ……」
バージルの膂力はダンテのそれを上回る。のけ反ったダンテの喉に、バージルは正面から指を
絡めた。
「息がつらいか? だが、それだけではあるまい」
そう、喉を圧迫され、息苦しいと言うのにダンテは確かな快楽を得ている自身を自覚せざるを
得ない。ひく、と引きつった息がダンテの喉から漏れ、バージルが冷えた双眸をくっと細めた。
「これは、加減をしなければ命をも奪える急所だ。そこに俺が触れる意味が、判るか?」
「…………?」
「だから、お前がこうもこれに弱いのだと、気付いているか?」
気付いてはいまい。くつりと笑う声。ダンテはきょとんとしてバージルを見つめる。
「お前は俺のものだ。息の一つすらも、総て」
首に絡んだ指が緩まる。ダンテが身を乗り出すようにバージルに近寄ると、バージルはダンテの
首筋に残る痣に口付けた。
「ぁ……」
「お前の息を奪うのは、俺だけだ。他の誰にも触れさせるな」
息の触れ合う程間近に合わされたバージルの蒼い双眸に、ダンテはほとんど無意識に頷いて
いた。幼い頃から、ダンテはバージルに逆らうということをしたことがない。今でもそれは
根源で変化してはおらず、ダンテはバージルの支配を無意識に受け入れている。
寝起きとは違うぼんやりとけぶったダンテの瞳に、バージルが何をか満足したように笑みを
浮かべた。それで良い、とでも言うように。
相変わらず、どこの王様気取りだろう。
ダンテはそんなことを思い、ふと、バージルの言葉を反芻した。
“餌”、“癖”、“味”、――――
ほとんど意味は判らなかったが、判ったことが一つ。
「あいつに首絞められてトびそうになったのは、アンタの所為か!」
昨晩、になるのだろうか。暗い路地で絡んで来た男に首を絞められて、ダンテは息苦しさとは
違う何かに躰を震わせた。力が抜けたようになり、男の腕を振り払うことも出来なかった。
何故かも判らず戸惑うばかりだったが、今その種明かしをされたというわけだ。
「……触れさせたのか、やはり」
低い声に、ダンテはしかしバージルの怒りを読み取ることが出来なかった。
「アンタの所為であんな……っ。思い出しただけで気色悪ぃ!」
むき出しの膚に鳥肌を立たせ、ダンテはがばりと頭を抱えた。
「ダンテ、」
「何だよっ」
「鎖に繋がれたいか」
「はぁ!?」
思わず顔を上げると、バージルの尋常ではなく冷たい瞳と目が合った。拙い。ダンテは
本能的に命の危機を悟ったが、同時に逃げられぬことも悟り固まってしまう。
バージルの長い指がダンテの顎を掴んだ。
「あの程度の仕置では足りなかったようだな……?」
ひ、とダンテは喉の奥で悲鳴をもらした。
「安心しろ、首輪はある。鎖もな」
にやり、と。目の笑っていないバージルにダンテは声にならない悲鳴を上げた。殺すよりも
恐ろしいことを、バージルは平然とやってのける男だ。それを誰よりもよく知っているダンテは、
蒼褪めるを通り越して顔色が白くなる。いっそ死の宣告をされる方がましだと思うことなど、
おそらくそう度々あることではない。
「ば、バージル、やめ……」
舌すら上手く回らないダンテに、バージルは微笑んで見せた。
「たっぷり、可愛がってやろう。なぁ、ダンテ?」
やはり、目は笑ってはいなかった。
目を覚ましてしまうことが、ひどく恐ろしいと思う時がある。それが一種のトラウマであるとは
自覚してはおらず、ただ、じっと恐怖を抱いて瞼を開ける。
目を開けたそこに望むひとはいないのだけれど、それはいつものことで。だから、もし。
リビングにも、どこにも半身の気配がない時は。
自ら首を絞めて、
あの冷たい瞳を想い、
そうして、きっと、
気が、狂う。
兄ぃ…横暴だなぁ…