翡翠
よく晴れた日の夜、夕食を摂りながらバージルがふと言った。
「明日、夏祭があるそうだ」
いたく簡素な、要点のみの言いようはバージルの癖だろう。ダンテはぴたりとフォークを止め、
不審げに兄を見た。
「ナツ……マ……?」
耳慣れない発音だが、それが日本語であることは判る。英語などと違い、やけに抑揚が
ないからだ。
首を傾げるダンテに、バージルはハムとチーズを散りばめたサラダを摘みながら、淡々と
説く。
「夏祭、だ。日本の夏の風物詩だな。日本人街で催されるらしい」
「で、ナツマツリって何やるんだ?」
「祭はcarnivalとほぼ同義だ」
バージルが言った瞬間、ダンテの目がきらりと輝いた。
「祭?」
「あぁ。……行きたいか?」
「当然! 俺がそういうの好きだって知ってんだろ?」
フォークなど放り出し、テーブルに身を乗り出すダンテに、バージルがふっと笑んだ。
「では、行こうか」
ダンテとは違い、馬鹿騒ぎを好まないバージルにしては、やけに簡単に承諾したものだ。
しかし、喜び勇むダンテはその不自然さに気付くことが出来なかった。
「やった! なぁ、日本の祭ってどんなことするんだ? 教えろよ、バージルっ」
せがむ姿は見目に相応しい子供そのもの。むしろもう二つ三つ歳を割り引いても良い
だろう。
「判った。話してやるから、とにかく喰え」
残すな、と言われ、ダンテはともすれば浮き立つ気持ちを持て余しながら、そわそわと
フォークを皿に伸ばした。完全に食事よりも祭に気を取られていることが判る、尋常では
ない瞳の輝きに、ダンテ自身は気付いてはいない。
「日本の祭は……」
兄が何を思っているかなど知る由もなく、ダンテは単調な声音にじっと耳を傾けた。
翌日、暮れ。
ダンテは少しばかり後悔の念に駆られていた。今日は昨夜バージルが言っていた、
ナツマツリの当日である。昨夜の今で既に「飛び付くんじゃなかった」と過去の自分を
なじる理由は、ひとえに自分の前にいる兄の為だ。
「なぁ、バージル……」
げんなりとして、ダンテはバージルを呼ばわった。応じるバージルは、どことなく
楽しげだ。
「何だ」
口調に変化は見られないが。
バージルの機嫌が悪い時は、ダンテでなくとも気配で判る。が、機嫌の良い時は確実に
ダンテにしか判らないのである。そのくらい、バージルの感情の起伏には偏りがあった。
そして今は、絶対に楽しんでいる。何にか? それは……
「本当にこんな恰好しなきゃ駄目なのか?」
答えは簡単かつ明瞭。
「あぁ、」
判っていた答えだが、こうもあっさりされてしまうと、不貞腐れずにはいられない。
先刻、バージルは仕度をするぞ、と言ってダンテの身に着けていた――――着せられて
いた――――着物を何故か脱がせた。バージルが代わりにと用意したものも、ダンテから
すれば同じにしか見えない着物だった。
「何か意味あんのか?」
問うたダンテに、バージルは言う。これは部屋着だ、と。だからきちんとしたものに
着替えるのだとも言い、ダンテの頭を混乱させた。
着物にも普段着と正装があるのか。全く違いなんて判らない。
面倒臭い、と思わず愚痴ったダンテを目で叱り、バージルは馴れた手付きで着物を着付けて
いった。
白地に色とりどりの花の刺繍が施された、一見地味だが夜に映える浴衣である。帯は紺。
帯締は黄。飾りだと言って帯に大輪の花を差して完成……というわけではなかった。
このバージル曰く“仕上げ”とやらが、大問題なのである。
バージルの長い指が、ダンテの顎を持ち上げる。小さな容器から指先に取った紅を、薄く
開いたダンテの唇に塗っていく。この紅という代物も、バージルが買った日本のものらしい。
そこいらで市販している口紅とは、またものが違うと言うのだが、ダンテには口に塗って
しまえば同じだとしか思えない。
尤も、それを何故自分が付けられねばならないのか、甚だ疑問である。
「……なぁ、あーいる……」
口を開いたままでは、バージルと発音出来ず間抜けな単語になってしまう。自覚はあるが、
下手に動くとバージルが煩いのだから仕様がない。
バージルは真剣そのものの表情でダンテの唇を朱に染めている。
「……何だ」
「これ、ふつーは女が付けるんじゃねぇの?」
舌っ足らずに訴えるが、勿論バージルが手を止めたりはしない。反応があるだけまだまし、と
思わねばならないのだ。
「浴衣をきちんと着ただけで終わりとはいかん。……これを銜えろ」
唇に二つ折りにした紙を挟まれ、ダンテははむ、と素直にそれを銜えた。
「よし、開けろ」
ぱ、と口を開け、剥がされた紙には見事に紅が写った。また、バージルの指がダンテの顎を
持ち上げる。
「ふむ、こんなものだろう」
濃過ぎず、薄過ぎず。ぽってりとした唇の地の色が隠れてしまわない程度の、絶妙な
出来栄えである。どこからどう誰が見ても、銀髪の美少女の完成だ。
完璧な美少女に仕上がったとは全く自覚のないダンテだが、少女に仕立てられたことは
判る。むぅ、と唇を尖らせ、バージルを睨んだ。
「このナリで行けってのかよ」
不貞腐れ、憤るさまも可愛らしいばかりだとは気付く筈もない。
バージルはつと目を細めた。
「よく似合うぞ、ダンテ」
そうせずにはおれぬ、とばかりに額にキスをされる。ちなみに、いつもはおろしっぱなしの
前髪は、一纏めにして頭の上で留められている。その髪留めは綺麗な黒で、朱と金の小さな
花飾りが付いたものだ。
すべらかな額をあらわにすると、ちょっといつもとは違う雰囲気が出る。
バージルのなすがままになっていたダンテだが、さすがにこの恰好で外を出歩くのは
恥ずかしいものがある。いかにバージルがともに行くと言っても、それとこれとは別問題だ。
ぐずぐずと駄々をこねるダンテに、バージルは肩を竦めて見せた。
「祭に行けなくても良いのか?」
まさにダンテの陥ったジレンマの中核を突かれ、ダンテは「うぅ、」と唸った。
気持ちを言えば、行きたい。
日本に興味はないが、祭には興味津津だ。しかもバージルの話によれば、菓子や遊戯などの
夜店も出るのだという。
はっきり言って、行きたい。けれど、
「こんな恰好……」
祭といえばこれだ、と真剣に語るバージルに気圧され、つい抗うことを忘れていたが。
バージルはダンテの呟きに、不愉快そうに眉を吊り上げた。
「不満か、ダンテ? 俺が折角飾ってやったものを……」
「不満っていうか、これじゃ完全にオンナノコじゃねぇか」
「それの何が気に入らん? 可愛くて良いだろう」
「……アンタ、自分が言ってることにもうちょっと責任持った方が良いぞ」
「何故だ」
しれっとした、わざとではないバージルの答えに、ダンテはぶちりとキレた。
「俺は男だ! こんなカッコさせられて、良いもくそもあるか畜生ッ!」
まくし立てると、バージルは眉を顰めた。
「汚い言葉遣いをどうにかしろ。折角の可愛いなりが台無しだ」
判っていたことだが、バージルにツッコミという役割は務まらない。本人が完全な
ボケだからであり、下手にこちらから仕掛ければ手酷くボケ返しを食らうのだ。
良く言えば天然。悪く言えばボケ殺し。
怒りをさらりといなされたダンテは、がくりとうなだれてしまった。
(宇宙人……コイツ絶対宇宙人だ……!)
自分の実兄を宇宙人に仕立てあげ、ダンテは頭へと手をやった。丁度髪留めがくっついている
辺りが、妙に痒い。が、指が届く前に手首をバージルに掴まれ、ぐいと引っ張られた。
「触るな。崩れるだろう」
わざわざ言わせるな、と言いたげなバージルを、ダンテは上目遣いで睨み付ける。
「そんなこと言っても、痒いんだから仕方ねぇだろ!?」
さっと反対の手で掻こうとするが、またしてもバージルに阻止されてしまう。
「はな……」
言いさした言葉を奪うように、バージルがダンテの両手首を片手で一纏めにし、
耳元に囁いた。
「また、縛られたいか?」
艶っぽい、しかし完全な脅迫。ダンテはびくりと躰を強張らせた。
「! そ、れは……」
やだ、と消え入りそうな程小さく言うと、バージルはダンテの手首を掴んだまま、
ふっと笑んだ。
「それで良い」
褒美だ、という甘い囁きに続き、耳朶を甘噛みされる。舌を耳に差し込まれ、今し方とは
違う意味でびくりとしてしまう。
ダンテは頬を紅潮させた。
「っや……バージルっ……」
抗おうにも、腕は固定されてびくともせず、脚には悔しいかな力が入らない。後頭部を
やんわりと押さえられて、ダンテは逃げ場もなくバージルにされるがままになるしか
なかった。
「ッ、にが……褒美……だ……っ」
耳を舌で弄られているだけだというのに、何故だか酷く気持ちが良いと感じてしまう。
それが恥ずかしく、かつ情けなくて、ダンテはバージルを罵った。
「ば、かバージ……やめろ……って……!」
バージルが、そんな必死なダンテの反応を、心底楽しんでいることは言うまでもない。
バージルは自分が着付けた浴衣を乱すつもりはないが、つい、という誘惑に駆られている
ことを、ダンテは知らない。
知ればどんな反応をするか、などとバージルが内心で面白がっていることも。
「ダンテ、」
女ならばそれだけで腰が砕けてしまいそうな、低い声。
ダンテは腰に来る痺れのようなものをどうにか耐え、やっと耳から顔を離したバージルを
じろりと睨めつけた。
「……何」
ダンテはなるだけ堅い声音を作った。耳への悪戯に近い愛撫に感じてしまい、あまつさえ
脚が危ういなどということは知られたくない。尤も、バージルにはすっかりばれてしまっている
のだが。
「行くだろう、祭へ?」
まるでベッドへ誘うような、淫靡な響きに聞こえてしまい、ダンテは思わず怯んだ。
「……ぅ……」
息の触れる距離にある、緑がかった碧眼。
「行くな?」
全くの無意識に、ダンテは肯首してしまった。
バージルが別人のような微笑を浮かべ、良い子だ、とダンテの頬にキスを落とした。
その無駄に甘ったるい光景を、恨みがましく見つめる目が四つあることに、ダンテはまだ
気付いてはいない……。
いつもの方に頂いた、夏祭りネタをお送りします。無駄に続いてしまった…。
私の文章力のなさが露見しています。うう、誰か私に文才を…!(切実)