蜃気楼
近頃、あの双子の兄弟を見ていない。
エンツォは酒場で気怠げに酒をあおりつつ、何となく溜息を吐いた。
双子――――エンツォがまず知り合ったのは、派手を好む弟の方だ。
名はダンテ。やんちゃ盛りの坊や、というのがエンツォのダンテに対する印象で、それは
これまで裏切られたことがない。
便利屋となってまだ日は浅いが、腕は確かだ。ただ仕事をその時の気分で選り好みしすぎる
きらいがあり、また汚れと呼ばれるようなことは一切しない。そのある意味奔放で、裏社会に
生きるものとしては馴染みのない正義を売りにするダンテを、良く思わない同業者は多い。
当然のことだ。この世界にいながら、手を汚さずに生きようなど他の連中から見れば甘ちゃん
以外の何ものでもない。しかし、ダンテを指名しての依頼は絶えることがなく、それが余計に
荒事師らには気に食わないのだ。
当のダンテは、そんな周囲の羨望の混じった怨みがましい視線など、歯牙にもかけていないの
だが。
鉄砲玉、という単語の似合うダンテに、双子の兄がいることを知ったのは、半年程前のこと。
エンツォが見繕ってやった店に、同居人が出来たと言ってダンテに引き合わされたのがその兄
だった。と言っても、わざわざ面通しの為の時間を作ったわけではなく、仕事を取りに酒場へ
来ていた双子を、エンツォが見つけただけの話だ。
これからは二人で便利屋をやっていく。
そう言ったダンテは、それまでエンツォが見たことのないカオをしていた。
嬉しそう、とでも言うのだろうか。
ちょっと照れ臭そうに笑うダンテの表情を、エンツォは忘れられない。その隣で、バージルと
いう名の兄が冷めた瞳をこちらに向けていたことも。
見事、と言いたくなる程に、性格やら何やら、総てが正反対の双子の兄弟だった。
顔立ちこそ似てはいるが、作る表情はまるで違う。派手を好むダンテとは違い、バージルは
質素で地味を好むらしい。扱う武器も、バージルは見慣れぬ細身の剣だ。
正反対の彼らは、ことあるごとに喧嘩をしていた。そうなると誰にも手が付けられなくなり、
殺し合い同然に斬り合うのだ。しかし、次の日にはけろりとして、二人で寄り添うように酒場に
顔を出す。妙な双子だと、皆が首を傾げた。
エンツォはその中で、おそらく唯一、彼らの深い繋がりを察していた。普通の、ただの兄と
弟というだけの関係ではないと、ほぼ初見で気付いてしまったのだ。
兄は弟に。弟は兄に。互いに依存している、と。
しかしそれを口に出して言ったことはない。彼らのどちらもが、あえて隠しているようにも
見えたからだ。
秘めている、つもりなのだろうとエンツォは思った。
難儀な双子だ。呆れる反面、危ういと感じた。
一つ箍が外れてしまったなら、もう修復出来なくなるような。そんな危うげな予感がして
ならなかった。
空になったグラスをカウンターの向こう側にいる親爺に渡し、エンツォは肩を竦めて店を後に
した。
双子を見なくなって、もうふた月。彼らを指名する依頼は今だになくならないが、本人らが
いなくてはどうすることも出来ない。
古ぼけた携帯電話を取り出し、ダンテの事務所の番号を呼び出した。虚しいばかりのコール音。
もうずっと、電話は繋がらないままだ。
事務所に直接訪ねてみても、玄関の鍵は開いたまま、しかし誰の気配もなく。寂しげに佇む
ダンテの大剣には、うっすらと白い埃が積もっていた。
家に帰ってすらいないのだと、嫌でも気付く。
とうとう二人でどこぞに高飛びしたか。エンツォは埃っぽい事務所の机に腰掛け、薄く笑った
ものだ。けれどそうではないことは、放ったらかしにされた大剣が物語っていた。
繰り返される、単調なコール音。エンツォは溜息を吐き、携帯電話の電源ボタンを押した。
暗い路地から抜け出し、夜でも明るい通りをぶらぶらと歩く。酔っているのかいないのか、
自分でもよく判らなかった。
風が冷たい。安物のジャケットの襟をぐいと寄せ、そろそろマフラーでも出すか、と一人ごちる。
もうすぐ、冬だ。
ふと、何気なく道向こうへ視線をやる。車の行き交う道路の向こう側、こちら側と同じ数の
街灯が並ぶ歩道に、覚えのある姿。
「…………!」
エンツォは咄嗟に、排気ガスの溜まった道路に走り出ていた。クラクションと急ブレーキの音、
そして口汚なく罵る声。しかしそれらはエンツォの耳には届かない。
車にはねられても文句は言えぬ無理な横断をして、エンツォは必死に“それ”に追い縋った。
「……ってよ、おいっ!」
ようよう呼び止めたのは、いやに物腰の柔らかな壮年の男とその連れ。いや、エンツォの目的は
連れの青年だけだ。
「こんなとこで何やってんだ、ダンテ!?」
壮年の男が振り返り、訝しげに眉を顰める。その仕種すら、エンツォにはまるで真似出来ないと
断言出来る優美さがあった。
「知り合いかい?」
男の問いは、エンツォではなく連れの青年に向けたもの。しかし青年の反応はあまりに鈍い。
「…………」
カッと頭に血が上り、エンツォは青年――――ダンテに掴み掛かろうとした。しかし壮年の男は
さり気ない動作で、ダンテを庇うように引き寄せてしまい、エンツォの腕は空を掴む。
「あぁ、思い出した。君は確か、この子が世話になった情報屋だね」
まるでダンテの父親のように言い、男は微笑を浮かべた。その笑みに、エンツォは悪寒に似た
ものを感じてぞくりとする。
「あ、あぁ……」
盗み見る、ダンテの表情はどこか虚ろで、エンツォは内心で毒づいた。
「ダンテ、」
呼び掛けるが、ダンテの瞳はエンツォを映さない。こちらを見ているのに、蒼い瞳には何も
映されていないのだ。
(あぁ……)
神など信じてはいないけれど、祈りたい気分に陥ってしまう。
「済まないが、もう失礼させて貰うよ」
男はどこまでも柔らかに、ダンテの腰に腕を回してエンツォに背を向ける。クソッ。エンツォは
忌々しげに舌打ちしたが、彼らをもう一度呼び止めることは出来なかった。
どうしちまったんだ、ダンテ。
何だってそんな男と一瞬なんだ。
疑問はきっと、ダンテから答えは貰えぬのだろう。あの、死んだ瞳をした空っぽの
抜け殻には。
エンツォは風の吹き荒ぶ通りに立ち尽くし、ただ、神に祈るしかなかった。
お前の兄貴は、どこに行っちまったんだ……?
外れたたがを、彼らは修復する術を持たない。
そんなことは、とうに気付いていた筈だったのに。
双子の兄弟は、ふっつりと姿を消した。
お疲れ様でした。これにて浮気編終了です。
ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。
最後の最後にエンツォ。これが1番の謎のような気がします。