花葬――伍
青年が、ひとり。まだ幼さの残る、女性に好まれるであろうとても端整な顔立ちをしている。
雑踏に紛れながらも、どこか周囲から浮いて見えて、ふと目を止めて立ち止まった。青年もまた、
街灯の足元にぽつねんととどまっている。
誰かと待ち合わせでもしているのか。時折周囲を気にするように首を巡らせる彼から、なぜだか目を
離せなかった。
車の行き交う大通りの傍ら、街灯に背を預ける格好で斜に構えるように立ち尽くす、不思議な雰囲気を
もつ青年。じっと、見つめた。もし気付かれれば、間違いなく不審に思われるであろう。しかし、
もしかすれば期待をしていたのかもしれない。自覚はなかったが。彼が自分に気付き、こちらを
見てくれることをどこかで期待していた。なぜかは、わからないけれども。
数分、そうして彼を見つめていたように思うが、もしかすれば数十秒ほどしかたっていなかったかもしれない。
何気ないふうにあたりを見やった彼が、不意にこちらに視線を定めた。ぎくり、と。何もやましいところは
ないというのに、心臓を鷲掴みされたかのように不自然に肩が揺れる。
一瞬、であったのだろう。彼と視線が絡んだのは、ほとんど刹那的なものでしかなかったはずだ。
しかし己にとっては、永久的と感じるほどに強烈な印象として脳裏に焼き付いた。
闇に満たされた館内は当然のごとく静寂に包まれている。こそりとも物音はせず、ただ双子の足音だけが
静寂を破りつつ移動していくのみだ。
屋敷は広い。バージルは二手に別れることを弟に提示した。ダンテから、否やの答えはない。
それも当然のことで、バージルほどではないにしろ、この弟もまた面倒や手間のかかることを嫌う。
バージルは二階を、ダンテはこのまま一階を調べることにし、無言で別れた。階段を上るバージルの背に
ダンテの視線が投げられていたが、振り向くことはしない。ほどなく、視線は外れ、歩き出したダンテの
靴音が耳に届いた。
二階は北に廊下を通し、南側に部屋を寄せる形で設計されているらしい。どの扉もぴたりと閉ざされており、
やはり物音はしない。バージルはまず、西へ足を進めた。何の変哲もない、絨毯に覆われた廊下をまっすぐ
突き当たりまで歩き、最も奥の扉を無造作に開ける。
足音が聞こえる。
ふたつ。ひとつは一階、もうひとつは二階へ上がった。何かを探すように、部屋をひとつひとつ、
虱潰しに調べていることがわかる。
捜し物は何であるか。
闇の中で、影はひそりともの悲しげに微笑んだ。
この部屋で最後だ。バージルはやはり躊躇いなく扉を開け、闇の中に何ものも潜んでいないことを確認して、
思わずため息をもらした。何かがいるという気配は屋敷全体から漂っており、感覚の鋭いバージルですら
場所を特定できずにいる。そこかしこに何ものかがいておかしくないというのに、二階のどの部屋にも
それらしきものは見当たらなかった。無駄を厭うバージルにとって、この徒労はため息一つごときで
補いのつくものではない。
苛立ちもあらわに扉を荒々しく閉め、ため息を落としつつ階段へ向かう。階下もこの調子であるのか、
弟が暴れている様子はない。ただ静寂のみが屋敷内に満たされている。あるいはこの静寂こそが、
屋敷中から感じられる奇妙な存在の正体なのかもしれなかった。
ともかく、今は弟と合流しよう。
床を踏み締め、先ほど上ってきたばかりの階段を下り――違和感を覚え、階段の中ほどで足を止めた。
闇はバージルの頭の先から爪先まですっぽりと包み込み、普通の人間であれば一歩踏み出すことも
躊躇するほど濃い。だが悪魔の血を継ぐバージルは、暗闇でも視力を失うことはない。その、
特殊といえる双眸が何かを見た。何をかはわからない。ただ何かしらの違和感としてバージルの
脳に伝わったのである。
神経を尖らせ、しかし意識は四方へ分散させる。眼は開いているが、一点を見ることはしない。少しの
変化も見落とさぬよう、バージルは息を鎮めた。
気がついたらしいとわかったが、かといって何が動くわけでもない。遅い、のだ。時すでに遅し。
彼らはある意味で間に合ったが、別の意味では遅きに失した。
階段で動きを止めたのは、先ほど二階へ上がっていった足音の持ち主である。もう一方の足音は、
まだ一階を調べているらしい。目を瞑り、少しずつ近づいてくるその足音に耳を澄ませた。
もう間もなくだ。
間もなく、
蒼白い光が奔り、闇が一瞬拓けた。またもとの暗闇が落ちるより早く、バージルは刀を鞘に収めている。
ぴし、とどこかで硝子か陶器にひびがいったような音がした。ほぼ同時に、屋敷のそこかしこから
感じられた奇妙な気配がかき消えた。
「……随分と面倒な真似をしてくれる」
ぼそりとこぼし、仕切りなおして階段を一気に下りる。妙な気配が消え、己の感覚を取り戻すとともに、
屋敷のどこに何がいるのか、もはやはっきりと感じ取ることができる。ダンテはこの変化に気づいたはずだ。
あちらのほうが、この屋敷の主人であろう気配に近い。
バージルは父の形見である片刃の剣を左手に携え、獲物を追い詰める狩人のように足を進めた。
一階、最奥。南北に真っ直ぐ伸びた廊下を北の突き当たりまで進む。天井は高く、二階部分はこちらまでは
伸びていないらしい。まったく贅沢な造りである。
長い廊下を挟んで両側に部屋があるらしく、扉をいくつか通りすぎた。が、どの扉にも目もくれず、
バージルは廊下の端まで澱みなく進み、正面の壁を見上げた。刀を握る左手に、自然、力がこもる。
蒼白い光が刹那、閃く。闇に黒く染め抜かれていた壁が蒼く照らされ、次いで、がらがらと音を立てて
脆く崩れた。屋外に続くはずの穴は、しかしバージルの予想に違わず暗い通路を露見させている。
ダンテはここを通っていないのだろうか。バージルは瓦礫を見下ろしながら、しかし足は止めなかった。
奈落へ続くかのような螺旋階段を降りた先には、細く長い通路が伸び、空気はひんやりと冷たい。
変化のない石造りの通路は、どこまでも果てなく伸びているような錯覚をバージルに与えた。靴底の
石を咬む冷ややかな音は、どこか見知らぬ誰かの足音にも聞こえて、いっそう奇妙である。
無論、そんな些細なことで怯むバージルではない。確固たる意志の宿った淀みのない足運びには、
一切の迷いも、一片の惑いも感じられない。
錆びた蝶番に支えられた、苔むした扉があらわれたのは間もなくのことであった。
扉の上部に小さな窪みがあり、燭台がひとつ置かれている。短くなった蝋燭には、か細い炎が揺れているが、
誰が灯したものか、いつから灯っているのか、窺い知れるものは何もない。
暗闇を唯一照らす灯に見守られる格好で、バージルはやはり錆を纏ったノブを回した。
重く、軋んだ音が、して。
遅かったな。と彼は開口一番そう呟いた。バージルは眼前のものを見据えながら、おまえは早かったのか、と
問うてみた。いや、と想像通りの答えがあり、次いで、どうすれば間に合っただろうかと問いかけてきた。
バージルは首を左右に振った。
「俺に答えを求めるな。今目の前にあるこれが現実だ。これ以外に、答えはない」
そうだな、という呟きは、ほとんど吐息のようだった。納得したのか、それとも自分を責めているのか、
バージルにはわからない。
立ち尽くす双子を迎えたのは、椅子にきちんと腰かけたふたつの骸であった。一方は、男。もう一方は女だ。
どちらも、眼窩には何も嵌ってはいない。血の饐えた臭いが部屋に充満しており、室外に臭いが漏れて
いなかったことが不思議なほどだ。向かい合わせになった椅子の中央に据えられた円卓には、やはり
いつから灯っているかわからない燭台がひとつ。ゆらゆらと頼りなく、ふたつの遺骸を照らしている。
男のほうには見覚えがあった。あのとき浴室に現れた男の幻影――まさにそれである。
女の顔には覚えがないが、おそらくダンテを狙って現れた、あの影がそうなのだろうと推察される。
ダンテに向けられた殺意は生々しく、死んだもののそれだとは感じられなかった。あの後すぐに死んだのか、
どうか。真相はわからない。
死人に口なし――まさしくその言葉がふさわしい。
ふと、ダンテが何か見つけたらしい。男が座る椅子の傍ら、円卓の影に隠れるように、床に何かが落ちている。
四角い、何かだ。
「なんだ、これ...?」
拾い上げたダンテが首をかしげる。掌に収まってしまう程度に小さいそれを、ダンテは角度を変えながら
しげしげと眺めている。正方形の、箱、だろうか。材質はバージルの見る限り木のようだ。上辺にあたる
場所には鳥をかたどった飾りが鎮座している。何という鳥かはわからないが、少なくとも猛禽類では
ないことはわかる。
「貸してみろ」
おもむろに、バージルはダンテの手からそれを取り上げた。バージルの手に移った四角いものを、
ダンテは目で追うだけで避難がましいことは何も言わない。
バージルには、とある予感があった。おそらく当たっているだろうという予想を持ちつつ、木製のそれを
少しばかりいじる。鳥の造形が乗った板が音もなく開き、その瞬間、まったく場違いな軽やかな音楽が
流れ始めた。鉄を弾くような硬質の音だ。
「オルゴール、だったのか」
驚きを隠せないふうにダンテがつぶやいた。依頼の品であるオルゴールと、ダンテを狙った影が落として
いった壊れたオルゴール、そして今目の前にあって何かはわからぬ曲を奏でているオルゴール。
おそらく前者ふたつは同一のオルゴールであろうとバージルは推測する。あちらには鳥の飾りなど
ついていなかった。
オルゴールは軽やかでありながら、どこか悲しげに謳っている。鎮魂歌。
ふと脳裏をよぎった言葉が、この音色にふさわしいものであるとバージルは思った。ふたつの骸への、
手向けの歌か。
バージルはダンテにオルゴールを渡してやった。ダンテはじっとオルゴールを見つめ、おもむろにそれを
円卓に置いた。瞑目しているのか、ほんの十秒ほど、ダンテはその場を動こうとしなかった。
やがて、のろのろと顔を上げたダンテは、何かを吹っ切るように踵を返した。
「行こう」
そう言って扉をくぐる弟を、バージルは優然と追う。応じる声すら、バージルはかけなかった。
この場にもはや用はない。ダンテもまた、バージルと考えを同じくしているだろうと思われた。
もっとも、その思考に至る経緯は違ったであろうけれども。
ふたりが部屋を出ると、背後で扉がひとりでに閉まった。今の今まで聞こえていたオルゴールの音色が消え、
同時に何かがごとりと倒れるような音がしたが、バージルは振り返ることもしなかった。この部屋で
何があったのか。もはやバージルには関心のない事柄である。
先を行くダンテは、背後で起こった物音に気づいていないはずもないが、やはり立ち止まる気配も見せない。
バージルはただ、彼の背を見つめた。
翌日。件の屋敷が火事で全焼したことを、バージルは新聞の紙面で知った。小さな、他の記事に
埋れそうな、ほんの些細な記事だ。
屋敷の持ち主である夫妻はいずれも行方しれずであり、留守宅を狙った物盗りが屋敷に火をつけたのでは
ないか、と警察は推測しているらしい。
遺体は見つからなかった。あの地下室そのものが発見されなかったのかもしれない。
バージルはつと、紙面から視線を外した。右斜め前方に、ダンテの後頭部がある。ソファを
背もたれにして床に直接座り込んだ、いつもの格好だ。
「なぁ、バージル」
バージルの視線には気づいていないはずのダンテが、不意にバージルの名を呼ばわった。
「なんだ」
「なんか腹減った」
「一時間ほど前に朝飯を食ったばかりだろう」
朝に弱いダンテの起床時刻は、いつも昼近い。それが今日は珍しく十時くらいに起きてきたのだ。
バージルは訝りながらも、弟に朝食を作ってやった。それが、およそ一時間前のことである。
「だって減ったもんはしょうがねぇだろ」
子どものように唇を尖らせこちらを振り仰いだ彼に、バージルは肩を竦めてみせた。
「仕様のないやつだ」
自覚はしているが、バージルは基本的にダンテに甘い。
そんなバージルを見上げ、ダンテがにわかに喜色を浮かべた。バージルが何か作ってくれるに違いないと
確信している顔だ。
「世話の焼ける弟だ、まったく」
「サンキュー、バージル!」
彼の満面の笑みが嫌いではないから厄介なのだと、バージルは内心でため息をつく。
腑に落ちぬものが腹の底で渦を成しているけれど、ダンテがこうして笑っているのならば、この世は
すべてこともなし、とバージルには思えるのだ。
何を作ろうか考えながら台所に立つバージルに、ダンテが期待の眼差しでもって見つめてくる。
とても双子とは思えぬ表情に、バージルは内心で苦笑した。
謳うことのできなくなったオルゴールの、ぴたりと閉じた蓋がかたりと開いて、奏でる音色は悲哀か、
慈愛か。それを知るものは、もうこの世にはない。
尻すぼみかつ腑に落ちない感じ満載ですんまへん。
後追いで、追記的なものを書ければいいとは思ってます。