死神、弐
何の真似かとダンテは問うた。何を考えているのかとも、訊いた。答えは明確なものだったが、
ダンテには到底理解し得るものではなかった。納得のできる答えをダンテは求めたが、無理だと
いうことは初めから判っていた。
首に巻き付く革が、皮膚に擦れてひりひりと痛む。垂れた鎖の先はその革に繋がっていて――
悪趣味な飾りをより際立たせている。
兄は不自然なまでに平静と変わらない。それが、なぜかしらこわいと思った。
兄の悪趣味は今に始まったことではない。今までも、ダンテの首に犬じみた飾りを着けようとした
ことはあったし、脅され嫌々ながら着けたこともあった。が、それと今回とは何かが決定的に
違っているように思える。面白かっているふうが、兄から感じられぬからだろうか。
鎖は反対の端はベッドの足に繋がっている。トイレに行きたくなったときは外してくれるんだろ。
ダンテは言った。しかし兄はそれを否定した。ここに簡易トイレを作ってやる。ダンテは蒼白に
なった。冗談で言っていると、信じたかった。
「何が不満だ?」
兄は憮然として言い、ダンテの首に繋がる鎖をちりちりと指先で弄んだ。ダンテは絶句し、
不満だらけだ、と兄を罵った。不満がないわけがない。なぜ判らないのか。誰が、首輪と鎖で
繋がれ、監禁されることを喜ぶというのか。
「おかしいぜ、バージル」
気は確かかと、ダンテは本気で兄の頭を疑った。兄は、それが気に食わなかったらしい。眉根に
深い皺を刻む。まずいと思ったが、遅かった。
左頬に衝撃と痛み。殴られたのだと、次の衝撃を受けた後に気がついた。
熱を持った頬を掌が包む。たった今ダンテの頬を打った掌が。
「お前は黙って俺の言うとおりにしていれば良い」
暴君はそう囁き、ダンテの唇に自身のそれを重ねてきた。触れるだけのキスは優しくて、ダンテは
混乱する。本当に、何を考えているのか。判らないのはいつものこととはいえ、今このときほど
理解に苦しんだことはないだろう。
「バージル?」
呼ばわれば、兄の眉間には縦線が浮かぶ。そしてまた、頬をぶたれた。何が気に入らなかった
のか、ダンテには皆目判らない。喋るな、とでも言いたいのだろうか。いや、おそらく自分の
苛立ちを理解せぬダンテに、いっそう苛立ったのだ。兄にはそういう、理不尽を道理として
当たり前のように通そうとする傾向がある。
根っからの専制君主。臣や民の声は暴君には届かない。
どうしたものか。ずっとこのまま、というわけにはいくまい。
時が問題を解決してくれはしないか――ダンテのほのかな期待を打ち砕いたのは、もちろん
兄以外にはいない。
抗うだろうとは、想定していた。弟は人一倍矜持が高い。調教のやり直しだと言っても
理解しようとせず、こちらの頭を疑ってかかった。冗談とでも思ったらしい。――思いたかった、
とでも言おうか。
苛々する。
その姦しい口を閉じろ。
気付けば掌で、彼の頬をぶっていた。二度。そしてもう一度。彼は驚いた顔でこちらを見た。
まさか手を上げるとは思っていなかったのだろうか。
頬をかすかに赤く腫らせた弟は、今自分の下になっている。空色の瞳を丸くして、こちらを
見上げてくるその表情には、困惑が色濃い。
弟は、ときにひどく初心なことがある。今などがそうだ。これから何をされるのか、判って
いないふうな表情。やることなど一つだというのに、この弟は何をとぼけているのだろう。
判りやすくしてやるために、バージルは弟の首筋に顔を埋めた。女のそれとはまた違うが、
じゅうぶんに滑らかな膚に舌を這わせる。びく、と揺れる肩を押さえ、やわい箇所へ犬歯を
あてる。
「ッ……!」
ぎくっと震える躰。引きつる顔――が見えないのは、惜しいといつも思う。
二つ、ぷつりと空いた穴。バージルはそこを、ぢゅ、と音をたてて吸った。口内には甘い味わい。
甘味をさほど必要としないバージルが、唯一いくらでも口にできるのがこれだ。
悪趣味だと、弟はいつも罵るけれども、だから何だとバージルは切り返すのが常だ。
首筋に食らいつきながら、バージルの手はじっとしていられぬかのように彼の膚をなぞっている。
所々で、彼が肩を震わせたり密やかな吐息をもらしたりして、なかなか愉しいものだ。しかし、と
バージルは思い出した。これは弟に快楽を与えるための行為ではない。己の立場をよくよく植え
付けるための行為だ。
バージルはおもむろに彼の中心を握り込んだ。びくっと彼が震える。きつく握ってやれば、小さく
呻いて痛みに歪んだ表情でこちらを睨んできた。何をするのかと、目が語っている。
バージルはこともなげに言ってやった。
「躾けだ」
「え、」
当惑を隠しもしない彼の、腿のあたりに爪を這わせた。チノパンツの薄い生地が、ちりちりと
おとをさせて破けていく。裂け目から覗く彼の脚は、血の通わぬ蝋人形を思わせるほどに白い。
この白を赤く染めてやりたいという衝動を、バージルはひどく抑えがたく感じた。
ダンテは身動きが取れなかった。手足を縛られているというわけではない。全身の筋肉が麻痺した
ように、動くことを拒んでいる。
視線の先では双子の兄が、ダンテのチノパンツに幾筋も裂け目を作っている。何がしたいのか
――やけに愉しげな兄に、ダンテは戦慄すら覚えた。
躾。その言葉は、小さからぬ恐怖とともに耳から脳へ伝わった。兄の躾は、性的な意味を要する
ことが多く、しかも生半可なものではない。普段からのセックスですら、ダンテはよく失神して
しまうというのに、さらに苛烈を極めるのだからたまらない。
「ぁ……ぁ……」
言葉をうまく紡げぬダンテをよそに、兄は黙々とチノパンツを裂く作業に没頭している。今なら
逃げ出せるか。いや、駄目だ。兄の意識は常にダンテに向いている。下手を打てば、ひどい折檻を
受けるだけだ。
兄を慕う反面、こわいと思うのは兄の極端な性質を知っているからだろう。幼いころは、こわいと
いう感情すらも兄を慕うそれとごっちゃになっていた。盲目的に良い子にしていれば、兄は自分を
こよなく可愛がってくれた。ただひたすらに柔順であれば良かった。
当時のダンテの世界はひどく狭いもので、兄の言うなりになっていればすべてがうまく回って
いた。しかし今は――
「い……嫌だ、バージル」
ダンテには、確固たる自我がある。
兄の双眸が一段と冷えるのを、ダンテははっきりと見て取った。こわい。しかし盲目的に柔順で
あるには、ダンテは自分というものを持ちすぎている。あの幼いころには、もはやどうあっても
戻ることはできない。
ぱしん、と。衝撃。また頬を打たれたらしい。鋭く舌打ちをするのが聞こえた。思うとおりに
ならなければ逆上し、己の民を虐げるわがままな暴君。
どうするのかと見上げていると、兄がダンテの上から退いた。半裸のダンテをしばし見下ろして
から、デスクへと躰ごと向きを変える。かたこと音がするのは、引き出しを探っているから
らしい。
一時の解放。しかしこれでは済むまいと、ダンテの本能が告げている。淡い期待は抱かぬほうが
自身のためだ。ダンテは経験上、そのことをよく知っている。逃げることも、我が身を追いやる
結果に繋がるだけだ。
しかしそのとき逃げていれば良かったと、ダンテはこの後、深く後悔することになる。
バージルが机の引き出しから取り出したものは、とある依頼主に半ば押しつけられた、世辞にも
趣味が良いとは言えぬ玩具だ。むろん子どもに与えるような代物ではない。バージルはそれを、
辟易しながらも机の引き出しに押し込んでいたのだ。
そのうち、覚えていれば弟に使ってやろう、と。
思い出したのはあくまで偶然だった。弟を、ただ自分のもので犯すだけでは詰まらないと思った
のだ。ならば他にどんな手段があるかと考えて――無機質な玩具の存在に行き当たった。
弟はバージルの手許にあるものを見るや、引きつった表情を浮かべた。幸か不幸か、説明は要らぬ
らしい。嫌だと喚く弟を言葉と腕で押さえつけ、今し方爪で作った裂け目を破き、窄まった後孔へ
玩具を無理矢理ねじ込んだ。乾いた襞が裂け、濃い茶系のチノパンツが黒っぽく染まる。
むろん、彼の唇からは悲鳴――
「ぐぅうっ!」
あからさまな叫びを上げぬのは、その矜持ゆえか。バージルは眉間に皺が寄るのを自覚した。
詰まらない。が、弟の矜持も長くはもつまい。そう確信できる理由を、バージルは弟の躰に
仕込んでいた。
バージルは何もしない。ただ椅子に腰掛け、一人で身悶えする弟を眺めるだけだ。
視線の先では、弟が自身の異変に気付いて端整なおもてを困惑のそれに歪めている。なに、と
戸惑う声。バージルは我知らず笑みを浮かべた。
「や……なんだ、よ、これ……ッ」
熱い、と。双眸に涙をにじませて弟が切羽詰まったふうに囁く。自身の腰が揺れていることに、
果たして気付いているだろうか。熱い、と繰り返す弟。バージルは口端に笑みをはいた。
「ぃや……だ……ば、ぁじ、る……やめ……」
すがる視線と言葉を、バージルは侮蔑するように撥ね付けた。
「やめる? 何をだ。俺が何かしているとでも?」
バージルは何もしていない。ただ彼に玩具を挿入した際、催淫効果のある薬を少々、彼の粘膜に
含ませただけだ。ある意味での時限装置。バージルは確かに、何もしてはいない。
「おまえが淫乱なだけだろう、ダンテ」
そんな玩具で躰を熱くさせるなど。
バージルの言葉は彼を的確に傷つけたようだ。悲愴に青くなる弟を、バージルは内心でほくそ
笑んだ。
違う、と言いさした弟を、バージルは冷酷な双眸でもって睨めつける。
「淫乱は淫乱らしく、鳴いていろ。他のことを考えるな。喚くな。耳障りだ」
打ちのめされたように、彼が黙り込む。半ば開いた唇は何をか紡ぎたがっているように見えた
が――そこにあるのは沈黙のみだった。
バージルは弟を残し、部屋を出た。弟の視線を背中に感じたが、一瞥すらも呉れてはやらな
かった。
柔順になるならば、玩具ではなく俺自身が犯してやろう。あの頃のように――子犬のように俺に
しがみついていた、あの日に戻るならば。
寝台に寝そべったダンテは、滔々と涙を流していた。兄はその場にはいない。もう何時間に
なるか。一度、二度、兄は部屋に戻ってきた。が、何かが不満だったらしく再びダンテだけ
を残してどこかへ行ってしまった。
何がいけなかったのか、ダンテは薄々気付いている。恭順。兄はダンテが自身に柔順で
あるよう求めている。そして現状を受け入れろ、矜持を棄てろ、と。
できることではない、とダンテは思った。言いもした。それが兄を逆撫でした。
身の内に埋め込まれた玩具は、強い振動を彼に与え続けている。何時間も、この状態で捨て
置かれているのだ。いい加減、気も触れよう。身に覚えのない熱は、今や彼自身のものかどうかも
判らなくなっている。
とにかく、つらい。何度も達したために、躰もシーツも体液でぐしゃぐしゃだ。
「……ぁ……ジ、ル……」
呟く声はひどくかすれ、聞き取れぬほど小さい。やめろとも、嫌だとも紡ぐことができないのは、
もはや疲労が極限に達しているからだ。
どうすればこの苦痛から解放されるか、ダンテは知っているのだけれども。
それでも。
己を棄てることは、難しい。
二度、様子を見に部屋へ戻った。
一度目は、まだこちらを睨む気力が残っていた。バージルはすぐに部屋を後にした。恭順の色が
見えぬのでは、放置する以外にすることはない。
二度目は、彼はこちらを睨みこそしなかったが、恭順にはまだ至らぬとバージルは判断を下した。
しかし随分疲労しているように見えた。もう少し。内心で呟き、やはり放置した。判っている
だろう、と。彼に念押ししておいて。
従えば良いのだ。ただ、この兄に。そもそも彼は自分の一部なのだから、従うのは当たり前――
そんなことを考える自分が異常であるとは、バージルは露ほども思わない。
いや、正気とも思わないが。
母が逝ったあの日から、おそらく正気でなどなくなっていた。もうずっと、狂気の中を彷徨い
続けているのだろう。だからどうだというのか。そもそも正常な世界などバージルは信じても
いない。
扉のあちらはひどく静かだ。バージルは静寂へ続く扉を開けた。これで、三度目。弟は
どうしているか。
寝台には、まるで魂が抜けたかのように虚ろな双眸をこちらに向ける、双子の弟の姿――
世界はひどく狭い。
閉じられた世界の入口、その門の外側には、禍々しい大鎌を持つ死神が、ひとり。
ひとまず、ここまででUPさせていただきました。
もうしわけありませんが、続きは今しばらくお待ちくださいませ。
[09/07/16]