死神シニガミ、壱












彼には赤が似合う。血のような禍々しい赤が。





とある大型量販店、その一角に一人の青年が佇んでいる。ひどく整った顔立ちの青年だ。 他の買い物客らは男女を問わず青年をちらちらと盗み見ては、男は忌々しげな舌打ちを、 女は熱っぽいため息を、それぞれの反応を示している。
青年は、それらすべてをきれいに無視し、ただ一点を凝視するばかり。店員すら近寄せぬ雰囲気を まとい、その凝視した品を手に取った。レジカウンターへ移動し、購入する。

ただそれだけの、何の変哲もない行動。しかし青年の奇跡的な美しさが、一種絵画を眺めている ような感覚を周囲に与えたのだった。





煩わしいと思った。
たぶん、それが、始まり。






行為の後、ひどい疲労に見舞われたダンテは気を失ったように眠り、朝まで目を覚ますことが ない。お相手である兄は絶倫だ。疲れるということを知らず、ダンテを気遣うということ すらしない。
思うさま兄に貫かれ、さいなまれたダンテはたまったものではなく、疲れ果てて深く眠るのは 当然のことだろう。ただし、ダンテは常から寝汚い。太陽をして朝日と呼ばわる時間帯には、 まず起きることがなく、時計の短針が頂上を通過してから目を覚ますこともあるほどだ。
兄はそれを、心底不可解と思っているらしい。なぜそうも睡眠が必要なのか、と。
兄には判るまいとダンテは思う。むしろ兄が異常なのだ。ダンテよりも遅くに就寝し、そして ダンテよりもはるかに早く起床してしまう兄をこそ、ダンテは理解できない。真似できないし、 したくもないと思う。

兄とダンテとは、間違いなく血を分けたきょうだいだ。しかも双子で、同じ髪型をすれば見分けの つかぬほどよく似ている。が、中身はまるで似ても似つかない。双子とはいえ別の人間なのだから 当然だが、それにしても正反対でありすぎる。
似ていてたまるか、とダンテは思っている。それは兄も同じだろう。お互い様だ。ダンテには兄の 真似をすることもできないし、しようとも思わない。

別々の人間なのだ。思考も、嗜好も違う。

だからこそ、ダンテは兄を慕うのだ。自分に欠けたものを持つ者に憧憬を抱くのは、人間として 当たり前の行動であろう。
兄は、どうかは知らない。自分に憧れる兄など想像もできないし、有り得ないとも思う。兄は 人間味に欠けるし完璧主義者のきらいはあるが、瑕がない。黙っていれば完璧、などと言われる ダンテとは、はなから出来が違うのだ。
ダンテが人間寄りだとすれば、兄は悪魔寄りなのかもしれない。ときに理解に苦しむ兄の思考を 鑑みて、ダンテはため息をついた。






あれには躾が必要だ。バージルは常々そう感じている。子どものころから躾を施していたつもり だったが、あれには足りなかったらしい。

奔放に育ってしまった弟をどう矯正したものか――目下、バージルの悩みはそれである。
弟が聞けば蒼褪めるか反抗を口にするか。何にせよ良い反応は見せないに違いない。まったく、 昔はあんなにも柔順であったというのに、いったいどこで間違ってしまったものやら。
修正は、まだ効くはずだ。バージルはそう思って疑わない。要は、自分の手の施しようにかかって いるのだ。躾ける余裕は、まだ残っている。
途中、躾を放棄したのがまずかったのだとは、よく判っていた。しかし後悔はしていない。 あれは必要なことだった。一度徹底的に突き放したことで、現在弟にとって、自分はなくては ならない存在として深く刻み込まれている。偶然の副産物ではあったが、嬉しい誤算と言えた。

彼にとってはどうかなど、バージルは考えない。彼は自分の一部――いわゆる付属物だ。付属物に 意志など必要ないとすら、バージルは考えている。それがどんなにか乱暴な考えであるかなど、 バージルにとってはどうでも良いことだ。

ことり。小さな音。

弟がようやく起床したらしい。バージルの起床から約五時間強。相変わらず、寝汚い。なぜ そんなにも寝る必要があるのか、まったく理解できない。
物音がしてからしばし、待つわけでもなく数分がすぎるころに、弟はリビングへ顔を覗かせる。 窺うように、ひょこりと。その仕種は飼い主の姿を探す犬のようで、バージルは内心で微笑を 浮かべるのだ。これで犬のように主人に柔順かつ忠実であれば、何も言うことはないのだ けれども。

「先に顔を洗って来い」

いつもの言葉をいつものように弟へ投げる。ん、と返答があり、顔を引っ込めて洗面所へ向かう 弟の足音は、重くはないがゆったりしている。毎日、こうだ。判っているのだからわざわざ先に リビングへ顔を出さなくても良いだろうに、彼は毎朝このやり取りを望む。

判らないな。

バージルは独りごち、首を左右に軽く振ってキッチンへ立った。冷蔵庫には、すでに作っておいた サンドイッチがある。それにダースで買ったトマトジュースを一缶与えてやれば、彼は満足すると バージルは知っていた。

まったく、手のかかる弟だ。






冷たい水で顔を洗い、ダンテは再びリビングへ向かった。兄が遅い朝食の準備をして待ってくれて いるはずだ。サンドイッチとトマトジュース。ほぼ毎日このメニューだが、ダンテに飽きという ものは訪れない。凝り性の兄は、試行錯誤も含めてサンドイッチの具をちょくちょく変える からだ。
料理のうまい兄を持つ自分は幸せだと思う。自分では何も作れやしないときているから、よけいに 噛み締めるのだ。
兄の作るものは、試作品もすべて美味なのだから素晴らしい。が、たまには外食や ジャンクフードを食べたいと思うダンテなのだ。兄の手料理に飽きたわけではなく、たまには よその味も良いと思うのだけれども、兄にはまるで理解できないらしい。とくに、 ジャンクフードに対する酷評ぶりはまことにひどいもので。

リビングのテーブルには、思ったとおりサンドイッチの盛られた皿と、その脇にはグラスに 移されたトマトジュースがダンテを待ち兼ねていた。思わず頬を綻ばせ、兄の腰掛けるソファーへ 駆け寄る。
兄の膝には分厚い本。半ばまで読み進んでいるらしいのが見て取れたが、どんな内容かなどとは ダンテは訊かない。どうせまた、わけの判らぬ専門書だろう。読み物が得意ではないダンテには、 兄が何を読んでいようとかかわりがない。

ソファーを背凭れに、床に敷かれたダンテ専用の小振りのカーペットへ腰を下ろす。ダンテは ソファーにはめったに座ることがない。ほとんど、床だ。左斜め後ろに兄がおり、自分のすぐ 左には兄の長い脚がある、そんな位置を好んでいる。
ちょいと兄に凭れるのも、気に入りの一つかもしれない。

「いっただっきまーす」

リズムを付けて言い、ダンテはサンドイッチにかぶりついた。好物にありつけるのだから、 上機嫌にならぬわけがないというものだ。
兄と違い、感情の上下があらわなダンテは、喜びを隠しもせずに口を動かした。斜め後ろで兄が ちらりとこちらを見た気がしたが、ダンテは振り向くことはしなかった。今はこの、 サンドイッチがダンテの相手なのだ。一瞬でも気を逸らしてしまうのは非礼にあたる――と 思ってのことでは、別段ないのだけれども。

レタスの食感とハムの脂身が爽やかな味わいをダンテに与える。

「うま」

ほとんど無意識に呟き、ダンテはトマトジュースへ手を伸ばした。べつに缶のままで良いのに。 思いながら、グラスの縁に唇をつけ手首をひねる。真っ赤な液体が唇を濡らし、舌を潤し―― 嚥下する。喉を通っていく赤い液体。文句なしに旨い。が、

「……ぃ……?」

視界が揺れた。額を押さえた次の瞬間には、ダンテはテーブルに顔面から突っ伏していた。

頭が重い。






サンドイッチの皿を避けたのは無意識かどうか。テーブルに突っ伏した弟を、バージルは冷徹な 眼差しで見やった。トマトジュースのグラスは倒れ、テーブルの端から床へこぼれている。 おそらく弟の服も赤く染まっているだろう。もしかすれば敷き物も。が、バージルは気にも 留めない。汚れたものは棄ててやれば良いだけだ。

意識を失った弟を、バージルはさてどうしたものかと見やるばかり。こうしてやろうだのと、あれ これ考えていたわけではなかった。ただ、トマトジュースの中に薬を混ぜた。それだけだ。
先を考えずに行動を起こすことは、バージルにとってはかなり珍しいことである。
しかし薬は以前から購入しておいたものだ。あのときは何を思ってこれを買ったのか思い出せない けれども、このときのためだとは考えにくい。結果的には、薬が手許にあったからこそこんな 行動に出たとも言える状況になってしまったが。

大量に服用すれば死を招く薬。しかし自分たちは薬の影響を受けにくく、かつ生半可なことでは 死に至らぬことを知っているバージルは、通常の数倍に値する量をトマトジュースに混ぜ 込んだ。
色は変わらない。味も、トマトジュースの濃厚な味に紛れて判らない。缶からグラスに移すこと は、バージルが用意する分には毎回していることなので不審には思われまい。そもそも弟は バージルを疑うということを知らない。
条件は、これ以上なく揃っていた。

(手間のかかる愚弟)

一度、しっかり躾けてやらねばと思っていたところだ。ちょうど、良かった。
自身が薄く笑っていることに、バージルは気付いていない。

寒気のしそうなほどに酷薄な笑みを湛えたバージルは、ぐったりと弛緩した弟を抱き上げ リビングを出た。何をするにも、リビングは勝手が悪い。料理と食事――それから読書。 リビングですることといえばその程度だ。
まったく同じ体躯の弟を腕に抱える、バージルの歩調は軽い。そもそも膂力が常人とは違って いるのだ。階段をのぼっていく足取りすら、ぶれることがない。とんでもない馬鹿力であることは 間違いないが、半分は人間ではなく悪魔の血が混じっているのだから、当然といえばそうだ。

自室へ弟を運び込み、きれいに整った寝台へ横にならせる。シャツには赤い染み。抱き上げた ときから認識していた。
バージルは彼からシャツを剥ぎ、床へ放った。面倒だ。ごみ箱へは後で棄てれば良い。そんな ことを思うのも、バージルにしては珍しいことである。

白い弟の膚に、バージルが昨夜いくつか刻んだ花弁はすでにない。自己治癒力すら高い彼らは、 小さな傷など数時間もあればきれいに消えてしまう。
便利な躰だが、こういうときは不満を覚える。所有の証――消えてしまっては意味がない。

(だから何度も刻む。――虚しい行為だ)

そう、だから消えぬ証を刻んでやろう。

「これから、じっくり……。嬉しいだろう、ダンテ?」

ふふ。久方ぶりに声に出して笑い、バージルは弟の白い首筋に長い指を搦めた。





まずは、首輪が要る――。



















次。
戻。


続きます。

[09/07/16]