浄願ジョウガン









目を覚ますと、見慣れた天井が視界に広がった。何となく違和感に似たものを感じながら、 ダンテは何度か瞬きする。

ここは自分の部屋だ。

それを証拠付けるように、視線を転じた先には散らかり放題の乱雑な室内が映る。いつもと 変わらぬ、一度も片付けたことのない部屋。
ダンテは仰向けになったまま伸びをした。
何日も眠り続けていたかのように、躰がだるい。肩は強張ってしまっているし、手足は 動かすだけでも億劫に感じる。
余程疲れが溜まっていたのだろうか。長く眠り過ぎるとかえって疲れる、と言っていた 兄の言葉を、ふと思い出し、確かにそうかもな、と力なく笑った。

それにしても、いったいいつから眠っていたのだろう? 昨日のことだろうに、ダンテは 全く思い出すことが出来なかった。
何かに懸命になっていたような、陽炎のように実がなく、ぼんやりとした記憶はあるが、 それ以上は何も判らない。

その“何か”とは、何なのか。

駄目だ。ダンテは考えることを放棄し、はぁ、と深い溜息を吐き出した。と、その時。

「起きて早々に溜息か」

平坦な、抑揚のない低い声。ダンテは弾かれたように目を見開き、声の主を見た。それは 間違える筈もない、双子の兄。

「バージル」

何故か久しぶりに喉がその音を発したような錯覚に陥り、ダンテは内心で狼狽えた。 バージルはそんなことには気付かなかったらしく、手にしたトレイを箪笥の上に置き、 ベッドの脇に腰掛けてダンテの額に手を当てる。

「大丈夫か?」

その一言で、自分は体調不良か何かで倒れるなり何なりしたのだと察した。

「躰がだりぃ」

けど大丈夫だ。そう告げると、バージルは安堵したように小さく嘆息する。

「そうか」

良かった、とは口にはしない。ダンテもそんな言葉は望んでおらず、ただ、額に置かれた バージルの掌の温もりが心地好い。

「バージル、」

名を呼ぶというのは、こんなにも嬉しくなるものだっただろうか。初めて気が付いた。

「何だ」

短調なバージルの声。けれど、名を呼んで、それに応じる声がある。ただそれだけの 詰まらないことが、酷く嬉しいと思ってしまうのは何故だろう。

呼んだにも拘らず、何も言おうとしないダンテに焦れたのか、バージルが訝るように片眉を 上げた。見慣れたその表情に、無意味な程喜びが込み上げる。

「バージル、俺さ、」

「ふむ?」

「何か、夢見てたような気がするんだよ」

でも、と繋げるダンテの手を、バージルの空いた手が包み込むように取った。きっと、 泣きそうな情けない顔でもしているのだろう。確かに、何故かは判らないが、涙が込み上げる ような感じが目頭にある。
ダンテはしかし、隠すこともないと思った。

「でもな、どんな夢だったのか、全然覚えてねぇんだよ」

取り留めのない、何の意味もない言葉。けれどバージルは、そんなダンテの言葉を総て 聞いてくれる。煩い、とはよく言われるし、言われない時でも大した反応などしてはくれない けれど、傍らにいて、話し掛けるというそれだけで充分なのだ。
それで、ダンテは満足出来る。仕合わせになれる。

たとえ、バージルがどう思っていようとも。

「起きて、寝てる間にどんな夢見てたか忘れちまうとさ、何か気になるよな」

へへ、と無理に笑い、ダンテはバージルの手を借りて躰を起こした。まだ少し頭は覚醒しきって いないようだったが、あまり寝てばかりでは躰が鈍ってしまう。バージルにはそれが伝わった のか、ダンテを止めることはせず、無言でダンテの背に手を添えた。

ベッドから降り、ダンテは両腕を広げて伸びをした。同時に欠伸が出て、 目尻に涙が浮かぶ。

「くぁ……あー……」

手の甲で生理的な涙を拭い、ダンテに合わせて立ち上がっていたバージルを見やる。

「俺が寝てる間に、何か依頼あったか?」

「エンツォが持ち込んだものが、二つ。内一つは受けた」

つまり、もう一方はバージルですら拒絶する程、詰まらない依頼だったということだ。

「悪ぃな。で、それはまだ片してねぇのか?」

バージルは一つ肩を竦めて見せ。

「合言葉付き、とやらを俺が片付けてしまったら、拗ねるだろうが」

「拗ねねぇよ。怒るだけだ。って、んなこたどうでも良いよ」

合言葉付きの依頼は久しぶりだ。鈍った躰を慣らすには、完璧なタイミングではないか。
ダンテは弾む心を抑えることもせず、うきうきと寝着を脱いだ。

「はしゃぐのは良いが、先に飯を食べてからにしろ」

呆れたようなバージルに、ダンテは「勿論!」と大きく頷く。

「腹減って仕方ねぇ。なぁ、バージル、何か作ってくれよ」

「あぁ、……だが、飯の前に顔を洗え」

「はいはい、判ってるよ、お兄ちゃん」

サンキュ、と片目を瞑ってやると、バージルはダンテの頭を掻くように撫でた。小さな 子供にするような仕種に、ダンテはしかし腹を立てることはない。

バージルに頭を撫でられるのは、好きだ。幼い頃のことを思い出して、何だかくすぐったくも あるけれど。

バージルの手がダンテの頬に落ち、ダンテはその指に甘えるように頭を傾けた。

「なぁ、バージル、お前も一緒に行かねぇか?」

「仕事にか?」

頷くと、バージルはやれやれと言いたげに鼻を鳴らした。

「良いだろう」

仕方なし、という雰囲気を全面に押し出した返答に、しかしダンテは破顔した。

「決まりなっ!」

良い歳をした男が満面の笑みで喜びを表現しても、可愛げなどある筈もない。
ダンテはそんなことなどお構いなしで、感情が抑えられないかのようにバージルに抱き 付いた。肩口に鼻面をすり寄せると、嗅ぎ慣れたバージルの匂いが鼻を掠める。

「バージル、」

呼ぶこと自体に、意味などない。けれどその名を口にすることが、何より大事な ことなのだ。

「……ダンテ、」

こうして、応じる声があるのだから。

「バージル……」

離れたくない。そう強く思う。だから、バージルを仕事に誘ったのだ。
いつもは一人でこなす仕事。が、今日は独りではいたくないから。

勿論、そんなことはバージルには言わないけれど。

「ダンテ、」

「……ん……、もうちょっと……」

名を呼んで、触れて。
そう出来ることに、これ以上ない仕合わせを感じながら。

「……済まなかった」

耳に届いたバージルの言葉が、いったい何を意味しているのかなど、ダンテには判らなかった けれど。どうでも良いことだとダンテは思う。

共にいて、いつでも触れ合える。

今となっては当たり前のことが、ダンテにとっては何よりの幸福なのだから。

背と腰に回されたバージルの腕に、一瞬ぐっと力が込められた。そしてぽんとダンテの背を 叩き、飯にしよう、と告げられる。

「ん、」

まだ足りないとは感じたが、ダンテはバージルに従い躰を離した。

部屋を出る時、ふと振り返ったが、首を捻っただけですぐにバージルの後を追う。
何かを忘れたような気がしたのだけれど、何だったか。

それは、思い出せそうもない。







消えることのない願望は、常に彼を脅かす。
手を打つのがもう少し遅ければ、彼は既にこの世になかっただろう。







捨てられぬ願望。
しかしそれ以上に、失くせぬものが確かにある。





願いを殺したその時に、もしかしたらなら、約束された楽園を自ら棄てたのかもしれない。

それでも。

そうすることでしか得られぬものが、ここに在る。





追放された楽園の外は、きっと暖かな光に満ちているから……。



















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『回帰』のオチその2でした。
どちらもダンテ主観ですが、このオチ2はバージル用の結末という設定です。
いつもメルフォ下さってる方に頂いたネタを、精一杯活用させて頂きました。
ダンテが縮んだのは、オチ1のダンテと似た願望を兄が持っていて、そのせいで、
ということだったわけです。
でもダンテが存在ごとバージルと同化する前に気付いて…
ダンテはバージルがそんなことを願ってたとは、全く知りません。
なのにダンテ主観ってどうなの…;

ここまでお付き合い下さった方、お疲れ様でした。
そしてありがとうございました!申し訳ございませんでしたぁああああ!!!