愛唱
あの日から、十年が経った。
バージルはあの後、結局ランズフォード家の娘と結婚した。自棄になって、というわけでは、
別段ない。
アーカムは結婚など他愛のないことと、バージルを諭し、バージルは溜息一つで愛情の欠片も
感じぬ女との結婚も受け入れた。自棄ではない。女が一人、屋敷に増えるだけのことだ。
勿論、子は成さなかった。
女は子を欲しがり、バージルとの繋がりを深めたがったが、バージルはそれを拒んだ。
子など、欲しいとは思わなかった。何よりもこの家を存続させるという考えが、バージルには
ないのだ。
こんな家は、潰れてしまうった方が良い。己の死と共に。
半身の死が、バージルの“家”に対する通例の観念を消した。
あの日から、十年が経った。
国は相変わらず戦争を続けている。
子を、夫を兵に取られ、嘆く女の顔をいくつも見た。親を亡くし、路地で膝を抱く子を幾度も
見た。教会に引き取られた子もあったが、それはごく少数でしかない。
哀れと言うべきは、彼らだけでは済まなかった。
国は隣国を支配するだけでは空き足らず、海の向こうの国に戦争を仕掛けた。そして侵略する
度に、様々なものを自国に持ち帰るのだ。金、銀などは勿論、織物や植物――――その中に、
“人”も混じっていることが、バージルには理解出来ぬことだった。
あの日から、十年――――
バージルは紺のコートを羽織り、革の手袋を着けて書斎から出た。
館の中はまだ暖かいが、外は既に冬の様相をしている。襟巻きもあった方が良いかもしれない。
そんなことを思いながら、階段を下り、玄関先に停まった馬車にするりと乗り込む。いって
らっしゃいませ。使用人がかしずき、馬車が走り出す。
少し前までは、その中に妻の姿もあった。しかし今はもうない。
馬車の中には、バージル一人。もうずっと、バージルはひとりでいることの方が多くなって
いる。
一応の妻は娶りはしたが、同衾したことは一度もなかった。いかに妻とは言え、自分以外の
体温に触れたいとは思えなかったのだ。勿論、女を抱いたことはある。が、良いものだと感じた
ことはないし、女を絶ったからと言って欲望が募ることもない。
要は、極端に淡白なのだろう。女だけではなく、総てにおいて。
何かに執着したのは、今までに、いや、これから先も一度きり。
欲望が抑えられなくなるのは、決まってそれのことを思う時だ。
下らない、と思う。
あれはもうこの世のどこにもいないのだ。
たとえ、いつか逢うことを誓い合ったとはいえ。
いつまでも待つ自信は、確かにあるのだけれども。
バージルの右耳で、白い小さな十字架が揺れた。
アルタハ教会は、十年前とほぼ変わらぬ形でそびえている。あたらしい教会が郊外に出来たが、
やはりミサの日に人が集まるのはこちらの教会だ。司祭長は、変わらずアーカムが
務めている。
去年配属されは新しい司祭が、バージルをにこやかに出迎えた。バージルの方は愛想も何も
ありはしない。それが、この司祭にっとて内心では不快なのだということを、バージルは
知っている。
司祭は往々にして横柄な人種だ。そう教育されているのだから、当然のことかもしれない
が。
しばらくして、アーカムが姿を現した。
「やぁ、」
剃髪しているので白髪頭でこそないが、この司祭長も随分老いた。
アーカムは自分が老いたことを自覚しているのだろう。若い司祭を教会の本山に要求したのは
アーカム本人だったらしい。まぁ、アーカムとしては、新しく来た司祭は少しばかり期待外れ
だったようだが。
バージルは良い意味で司祭には似合わぬアーカムに、小さく笑った。
「健勝そうで何よりだ」
アーカムは相も変わらず本心の見えない笑みを湛え、「皮肉かい?」と言う。
「私にそんなことを言う暇があるとでも?」
「いや、全く。君も健勝なようで何よりだ」
この十年で、アーカムとは以前よりも緩やかな会話が出来るようになった。これはバージル
自身が歳を取ったことが大きいのだろう。十年前は、確かに若かったと今ならば思う。
いつもの礼拝堂の奥の小部屋に導かれ、水を出される。これだけは十年たっても変わらない。
礼拝堂裏の回廊の暗さも、相変わらずだ。
自らも水を含みながら、アーカムはふとバージルの耳に目をやった。
「それは、やはりそこにあるのだね」
小さなクロスに、バージルは流し目をくれるように視線をやった。当然だが、視界には
入らない。
「前にも言ったが、これは妥協だ」
総て残す、というわけにはいかず、仕方なく一部分だけ残してピアスにした。これに関しては
娶った女と少しもめたが、バージルは一度足りとも外したことはない。その割に、白いピアスは
汚れることを知らなかった。
それはまるで、あの子供そのもののようだ。尤も、あながち的外れなことではない。
「それで、今日もやはりあちらの墓碑に?」
溜息など吐きつつ、アーカムがグラスをテーブルに置いた。バージルは水を一口含み、
ゆっくり嚥下してから椅子を立つ。
「判っていて、わざわざ訊くな。そちらこそ、皮肉か?」
アーカムが肩を竦める。
「たまには彼女のところにも行ってやれば良いものを……」
「ふん、余計な世話だ。貴様が押し付けた女だろう」
「押し付けた、とは酷いな。まぁ、君は総じて酷い男だがねぇ?」
「どうとでも言え」
ふ、と笑い、バージルは小部屋を出て回廊を真っ直ぐ渡り、教会の裏手に出た。歩き馴れた道。
北の外れの木立ちを抜ければ、そこには墓碑というには小さい、しかし綺麗に磨かれた碑が
一つ。
バージルは立ったままそれを見下ろし、最早誰にも見せることなくなった笑みを浮かべる。
「…………」
かける言葉はなく、声にはせず何度もここに眠るものの名を呼ばわった。ある意味で、空と
知っている墓に訪れるなど不毛かもしれない。しかしそうでもしなければ、精神を病んでしまい
そうだった。
「早く、しろ。いつまで待たせるつもりだ……?」
待つ自信は、ある。けれどそれ以上に、心が強く求めて哭き叫ぶ。だから堪えられずに、
ここを何度でも訪れてしまうのだ。
少しの気休めにすらならないと、判ってはいるのだけれど。
バージルは目を瞑り、首を左右にした。慾望と言っても過言ではない想いを振り切るように、
踵を返す。
「また、来る」
もう何度、同じ言葉を口にしたか判らない。
一年前、妻であったイサベラが他界した。およそ仕合わせな死ではなかっただろう。
女は苦しみながら死んでいった。
ランズフォード卿は愛する娘の死にかなりの衝撃を受けたらしく、間もなくその地位を
長男に譲り渡している。
娘の死に目に合えなかった父親は、葬儀の晩にバージルを散々罵倒し、殴った。
バージルはそれらを甘んじて受け止め、顔色一つ変えずに言ったものだ。
――――総て承知で嫁がせたのは、閣下ではありませんでしたか?
バージルが娘に興味などないことは、あの盲目な男ですら判っていたことなのだ。
しかし、可愛い娘の願いを叶えることを優先し、その仕合わせをないがしろにした。
本当に娘のことを想うなら、初めから別の相手を探してやるべきだったのだ。
侯爵閣下は言葉に詰まり、退席したまま戻っては来なかった。余程、バージルの言葉が
耳に痛かったのだろう。
形だけは手厚く葬った妻の墓には、その命日に一度訪れたきりだ。
愛があって籍を入れたのでは、決してなかった。情の一つも沸かぬうちに、女は死んだ。
それだけのことだ。
アーカムに挨拶をすることなく、バージルはアルタハ教会を後にした。あの司祭長とは、
どうせ月に何度も顔を合わせるのだ。いちいち挨拶する必要など、ない。
馬車はゆるゆると通りを行く。乗り馴れはしても、好きにはなれない。いつまでたっても
そうだ。
少しだけ、馬車も良いものかもしれないと思ったのは、もう十年も前のこと。
あれから一度も、そんなふうに思ったことはない。
バージルは見慣れた街並みをぼんやりと眺めながら、ふと嫌なものを視界に収めてしまい、
眉をしかめた。ここ数年、この街でもおおっぴらにするようになった、奴隷商だ。
売り物になる奴隷は大きく二種。女、そして子供。成人した男は剣奴にされ、軍に組み込まれる
為、街中での商には滅多に出て来ない。
何が楽しいのか、集まった人垣が通りの半分を埋めている。馭者が馬をゆるく歩かせている
らしく、スピードは明らかに落ちた。
バージルは舌打ちして、忌々しいばかりの奴隷商を見やるしかなかった。
首と手首、そして足にも枷を嵌められた子供が大半だ。皆瞳は虚ろで、生気というものが
ない。見知らぬ国に無理矢理連れて来られ、いかに幼いといえど自身がそう扱われているか程度の
ことは判る。その状況で、瞳を輝かせているものなどいようものか。
一人、二人と奴隷が買われていく。商人は勿論、買い手もそれらをものとしか扱わない。
じゃらり、と鎖のこすれる不快な音が聞こえた気がして、一層不愉快になる。
人垣は馬車など見向きもせず、奴隷商に熱心な視線を注いでいる。バージルは馭者に、
蹴散らしてでも馬を走らせろと命じてやろうか、考えた。しかしそれが実行に移されることは
なく。
バージルの目は、ある一点から動かせなくなっていた。
右耳のピアスが、軋んだ気がした。
「……停めろ、」
声が掠れる。無論馭者には聞こえず、馬車は止まらない。バージルは馬車のドアを開けた。
「停めろ!」
馭者がびくりとして、咄嗟に手綱を引いた。馬が足を止めるより早く、バージルは馬車から
離れている。
人垣を掻き分けるバージルは、当然のことだがその場の全員に注目された。銀髪の貴族の名を
知らぬ者は、この街にはいない。伯爵様が何故、とそこかしこでざわめきが起こる。
バージルは周囲になど一瞥もくれず、真っ直ぐに商人を見据えた。
「それを貰う。幾らだ」
肥った商人はどもりながら、最も高い買値を付けたものに売るのだと言った。その値は
出ているのかと問えば、ほぼ決まった後だと言う。
「ならば、その倍値を出す。構わんな?」
「そ、そりゃ私は良いですがね……」
ちらと商人が視線をやった先にいたのは、うだつの上がらぬ風体の男だった。男はよほど
その奴隷が気に入ったのか、バージルの言い値を聞いてもすぐには引き下がろうとせず。
「後から来ておいてふざけるな」
という意味のことを喚き散らした。
バージルは涼やかに総て聞き流し、商人の側で悄然と立ち尽くす少年奴隷に手を
差し延べた。
「私かこの男か、選べ」
奴隷に主を選ばせるなど、前代未聞だ。少年はしかし、それに驚く気力もないのか、半ば
伏せていた瞳を上げる。思いがけず美しい、蒼の双眸がバージルを映した。
歳は十かもう少し幼いか。くすんだ肌は、しかし透き通るような白磁のそれ。可愛い、と
表現出来る秀でた容貌。そして、きらきらと光を弾く、珍しい銀糸の髪。
少年は足枷に繋がった鎖を引きずり、脇目も振らずバージルの側に寄って来る。舞台を見立てた
台の際で、足を止めた。手鎖を持ち上げ、バージルの手をそっと取る。
触れた瞬間に、バージルは少年を軽々抱き上げた。足枷の先にぶら下がった鎖と鉄の塊が
邪魔だ。舌打ちして、それを吊り上げる。脚にかかる重みが不意に消えたことに驚いてか、
少年が大きな目をちょっと丸くした。
選ばれなかったどころか見向きもされなかった男が何ごとか喚いていたが、やはりバージルは
完全に無視だ。小物が喚いている、程度のものでしかない。
「金だ、受け取れ」
商人は何が何やら判らぬといった顔で、しかしバージルが放った金はしっかと掴む。
踵を返したバージルに道を開けるように、人垣が割れた。皆が唖然として見送る中、
バージルは平然として、やはり呆気に取られている馭者を促し馬車に乗り込んだ。よく
教育された馭者は馭者台に飛び乗り、すぐさま馬に鞭を打つ。
走り出した馬車はさほど速くはないが、しかしバージルはそれも気にはならなかった。
「館に着き次第、すぐに外してやる。少し辛抱していろ」
枷の上から手首をさすり、赤くすり切れた肌に目を細める。少年はじっと、バージルを
見つめている。かさついた唇がふと開き、ぽつ、と言葉を紡いだ。
「……ばぁじる、」
あぁ、――――
バージルはきつく少年を抱き締めた。
「もう二度と離れるな」
こく、とバージルの胸元に顔を埋め、少年が頷く。小さく震えているのは、泣いているから
だとすぐに判った。
「私のものだ。――――ダンテ」
誓いは誓約。互いの名によって互いを縛る。
果ての地で、双子の邪神は悪魔に堕ちた。
しかし彼らは神を怨むことはなく、人を憎むこともなく。
ただ二人、ともに在って在るのみ。
ひとが恐れたその口は、ただ互いの名を呼ぶ為に。
神が恐れたその爪は、ただ互いに触れる為に。
双子の邪神はただひっそりと、果ての地にて悪魔に堕ちた。
それは恨みを募らせた一方を、もう一方が宥める為に、共に堕ちたのだ。
悪魔は二人、片時も、決して離れることはない。
…最後の辺りは携帯ではなくPCに直で書き込みました。はっきり拙い。
どうも幸せなのかどうなのか感が…まぁ、私の中ではハッピーエンドです、コレ。
それはナイ、というツッコミはナシの方向でお願い致します。
しかもこれ、子悪魔編のオチ書く前からちびちび始めちゃってました。
思い立った奴隷ネタ。思考回路は常時警報が鳴りっぱなしです。
こんなものを最後まで読んで下さった方、ありがとうございました。