愛償アイショウ









ぼくを愛してくれるなら……







手触りの良い絹のシャツに青いリボンタイを締め、てきぱきと身支度を整えた バージルの元に、現れたのは一人の召使。

「旦那様、お時間です」

慇懃に伝える召使に、言われずとも判っている、と言いたい気持ちになったが、やめた。

「あぁ」

味も素っ気もない返事に、しかし慣れているのか、召使はまた深々と頭を下げる。

観音開きの扉をくぐり、バージルはかしずく召使を従えて屋敷を出た。バージルの部屋から 玄関ホールまでは、一般の家庭では考えられぬ程距離がある。が、そんなことはバージルに とって詰まらぬことだった。
そう、生きることそのものに何の面白みも見出だせぬ彼には、この世の総てが詰まらぬ 寓話でしかない。
玄関に横付けされた車に乗り込むと、何十人と雇い入れた召使達が恭しくバージルを 送り出した。彼らにとって、生とは何なのだろうか、とふと思ったが、すぐに興味が 失せた。
こちらが給金さえ払っていれば、彼らは満足なのだから。

流れる景色を眺めやる。バージルの冷めた硝子玉のような瞳には、 何も映ってはいなかった。









貴族らの社交の場は、贅を尽くしたパーティーが定番である。特に貴族の女性は、 毎回違うドレスに身を包み、違う宝石を身にちりばめ、少しでも他の女性より目立とうと 躍起になる。
男はそんな女性らに惑わされるものもい、パーティーの最中に姿を消す男女は珍しくない。 要は、暗黙の了解なのだ。

バージルはグラスを片手に、人に満ちたホールの隅に据えられた椅子に腰掛けていた。
こんなパーティーは好きではなく、むしろ厭わしく思うバージルだ。人に溢れるホールに 自ら入って行こうとは、する筈もない。

ここには、当たり前だがバージルの意思で来たのではない。招待され、断ることが出来ずに やむなく足を運んだのだ。
今夜の主催者は、侯爵の位を持つ男である。身分という格差がはっきりと人を区分している この世では、伯爵位のバージルには招待を蹴ることなど不可能だった。――――尤も、 正確に言えば、むべもなく断ろうとしたバージルを、執事が必死になって止めたというのが 真実なのだが。

何を見やるでもなく視線を泳がせ、溜息を漏らしたバージルに、つと控え目な声が 掛けられた。

「今晩は、伯爵様」

淡い藤色のドレスの婦人が、にこやかな笑みをこちらに向けている。誰だったか。 記憶を辿るが、名前はおろか顔さえ引き出すことが出来なかった。
記憶力は悪くないのだが。そんなことを考えていると、まだ少女の雰囲気を残した婦人が、 ころころと笑った。

「わたくしを覚えておられなくても当然ですわ。パーティーに出席するのは、今夜が 初めてですもの」

それでか。バージルは納得し、けれどこの婦人に対する興味は沸かなかった。が、 婦人は違うらしい。

「わたくしはイサベラ・ランズフォードと申します。お見知り置き下さると光栄ですわ、 伯爵様」

イサベラと名乗った婦人は、初めからバージルが誰であるかを知っていた。つまり、 パーティーに出るのは初めてだが、以前からバージルを知っていたことになる。
面倒な、と思ったが、口には出さなかった。ランズフォードと言えば、皇族に繋がる家系の 名である。

バージルは内心で溜息を吐き、椅子から立上がり形式だけの礼を施した。つまり、 騎士の如く跪き、イサベラの手の甲に軽い口付けをしたのである。

「ランズフォード家のご息女とは知らず、非礼を致しました。お赦しを」

謝罪も、機械的なものでしかない。
イサベラはそれに気付いているのかいないのか、バージルの長身を見上げて瞳をきらきらと 輝かせている。憧れていたものに、ようやく出会えたような幼い双眸だ。

バージルはこの瞳を、これまで何度見たか判らない。

パーティーに出席するといつも、バージルは幾人もの女性に声を掛けられる。既婚した 夫人から、幼女のような女性まで、年代を選ばず、バージルは女性に人気があるのだ。
それは当然のことで、バージルの容貌はそこいらの男が束になっても、到底敵わない程に 整っている。青味がかった銀の髪と、冷ややかなばかりの碧眼すら、美しさに箔を付ける ばかりなのである。
しかし、バージル本人にすれば、そんな自身の容貌は迷惑でしかない。付き纏って憚らぬ 女性も、バージルの見目に惹かれているのであって、バージル本人がどうというものでは ないのだから。

煩わしい。

まだ話したそうなイサベラを振り切り、バージルはホールに面した中庭に出た。

何もかもが煩わしい。

人の笑い声や話し声に満ちるホールの外は、別世界のような静けさに包まれている。 バージルには、それが心地好かった。本音としては、今すぐ帰りたいのだが。
ぼんやりと中庭の真ん中にある噴水の縁に佇んでいると、ぱしゃん、と水に何かが落ちた ような音が耳に届いた。木の実でも落ちたのだろうか。特に興味もなくそちらに視線をやる。 と、

「…………?」

波立つ水の底に、見慣れぬ物体が沈んでいる。見た目は、大きなフォーク。ただし太い 針金で作ったような、強度はなさそうなもので。
バージルは袖が濡れるのも構わず、水に手を入れその五十センチ程のフォークを 拾い上げた。

何故こんなものが噴水に……?
いや、それよりも、どこから落ちて来たのだろうか。辺りを見回しても、当たり前だが 何もない。――――と思いきや。

「……ぅ……」

小さな、本当に小さな呻きに似た声が頭上から聞こえた。見上げたバージルの目に 飛び込んで来たのは、声と同じく小さな躰。

「子供?」

紅い布に全身を包まれた、いかにも不審な子供が、噴水に被さるように伸びた木の枝に 引っ掛かっている。顔は判らないが、大きさから推察する限りでは、歳はまだ十か そこらだろう。
バージルは子供の重みでしなった枝を、手を伸ばして無造作に掴んで引いた。背の低い木だ。 長身のバージルは造作もなく、ずる、と落ちかかる子供を受け止め、腕に抱えた。軽い。それも 当然か。紅い布から覗く手足は、酷く細い。服らしきものは身に着けていないようだ。

何故こんなところに子供がいるのか。パーティーに招かれたどこかの貴族の子にしては、 身なりが貧相でありすぎる。
バージルは紅い布をめくり、子供の顔を見た。白に近い銀の髪を払い、現れたおもてに バージルは一瞬息を飲んだ。

似ている。誰に、ではなく、自分の幼い頃とまるで瓜二つなのだ。

「……な、」

妻のないバージルには、当然ながら子もいない。歳の離れた弟もなく、この子供との 関係はおそらく無だ。しかし、この似ようは尋常ではない。

バージルはくたりとして意識のない子供を抱えたまま、しばし立ち尽くした。ホールに戻り、 パーティーの参加者にこの子供に見覚えのある者がいないか、訊くことも出来る。が、 何故かそうする気にはなれなかった。

自分と同じ顔を持つ、見知らぬ子供。長い睫毛に縁取られた瞼の下には、どんな色の瞳が 隠れているのか。
バージルは、そのままホールには戻らず、侯爵家の召使に伝言だけ託して帰路に就いた。 目を覚ます気配のない、赤布の子供を腕に抱いて。








広い寝台に寝かせた子供を、バージルは枕元に腰掛けて何をするでもなく眺めた。傍らには 本を置いてあるが、先刻から一頁どころか一行たりとも読み進んでいない。
紅い布しか身を包むものを持たなかった子供には、仕方なくバージルのシャツを着せてある。 長すぎる袖は折り、裾からは子供の細い足の膝から下があらわになっている。そして、 脚と並んで、明らかに人にはないものが。

バージルの目には、それは何かの尾に見える。触れてみたが、やはり尾としか表現出来ず、 加えて言うなら細く長い。形は、あえて言葉にすれば悪魔のそれ、と言うのだろうか。 尤も、見たことなどないのだが。
そして、頭――――バージルよりも白の濃い銀の髪の間から覗いているものは、小さな角。 悪魔と言うよりも鬼を思わせるそれは、確かに頭皮を破って生えているのだ。

自分と同じ顔というだけでも不審だというのに、この角と尾の示すものは一体何なのか。 判ることは、これがひとではないということのみ。それ以外は、この子供が起きぬことには 判らないのである。

途方に暮れたように肩を竦め、溜息を吐くバージルは、不意に鳴ったノックの音に顔を 上げた。

「旦那様、」

控え目な声は、執事のものだ。バージルは子供を一度見下ろし、眠っていることを 確かめてから寝台を降りた。

「何だ」

入室の許可の代わりに問うと、執事がやはりそっと扉を開け、慇懃に頭を下げた。

「お夜食をお持ち致しました。……まだ、お目覚めではありませんか」

年輩の、灰色の髪をした執事は少しだけ寝台に視線をやって、さり気なく訊いた。先刻、子供 を連れて屋敷に戻った時、バージルはこの執事にのみ子供の存在を知らせておいたのだ。
いずれは召使全員に引き合わせることになるだろうが、今はまだその必要はないと判断した。

「あぁ、眠ったままだ」

「左様で……こちらのポットには暖かいミルクが入ってございますので、お目覚めになられた 際は、どうぞ」

「済まんな。手を煩わせた」

「いえ、滅相もございません」

にこ、と穏やかに微笑し、バージルの為の夜食とミルクの入ったポットをテーブルに並べた。 夜食をと頼んだのはバージルだが、ミルクは執事が気を利かせたものである。
バージルが幼い頃からこの家に仕えているこの執事は、おそらく子供の扱いにも慣れているの だろう。

「では、失礼致します」

静かに部屋を後にした執事を見送ったバージルは、夜食として作られたサンドイッチを 一切れ、摘み上げて口に入れた。バージルが意外に面倒なことが嫌いだと知っている執事に よるものか、サンドイッチは丁度一口で食べられるサイズに切り分けられている。
もう一つ、と手を伸ばした時、

「……ぅ、ん……」

か細い声がバージルの手を止めさせた。
子供が目を覚ましたのだろうか。

寝台の側に寄ると、子供がまさに目を開いた瞬間だった。ふるりと震えて持ち上がった 瞼の隙間から、バージルのそれよりも色素の薄い碧眼が覗いている。
バージルは寝台に腰掛け、子供を見下ろした。

「……起きたか?」

揺れる子供の、ぼんやりとした瞳がバージルを捉え。

「……だれ……?」

もっともなことを口にする。その声は、掠れてはいたが寝惚けているようではなかった。

「私はバージル。この屋敷の主人だ。それで、お前は何者だ?」

子供はしかし、バージルの問いには答えず。

「ばぁ、じる。じゃあ、あなたがぼくのご主人様?」

「何を言っている? お前は一体……」

困惑を隠せぬバージルを、子供は無垢な瞳でじっと見つめる。

「ばぁじる。ぼくのご主人様」

それはまるで刷り込みのようだと、バージルは思った。純真を絵に描いたようなその子供は、 やはり判らぬ言葉を紡ぐ。

「ばぁじる、ぼくを、愛してくれる?」

半ば茫然とするバージルに、子供は更に言った。

「ぼくを愛してくれるなら、あなたを守ってあげる」

幼い声。小さな手。細い脚。純粋な瞳。しかし、言葉は。

「ばぁじる?」

無垢な子供を見下ろし、バージルは無意識の内に言っていた。

「……愛して、やる」

何故そんなことを口走ったのか、バージル自身にも判らない。



















次?
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完全に突発です。しかもパラレルにする必要性が全く見えません。
伯爵より子爵が良かったかなぁ…(そこ?)
ダンテの名前すら出てないのに、これでバジダンと主張するのはかなりイタいですよね…