陰極インキョク









胸が熱い。何かに感動しているだとか、そういう内面的なことではなくて。

心臓の真上に刻まれた、禍々しくすらある美しい刻印が。それ自体に熱を発するような力など ないだろうに、なぜだかひどく熱くて。そして。
きしきしと軋むように、痛い。









無意識に左胸を押さえ、トニーは右手の銃を握り直した。トニーの両手には一梃ずつ拳銃がある。 一方の銃身は黒。もう一方は白。自ら改造したそれらは、トニー自身の他に扱える人間はいない。 狩人の中では名の知れたグルーですら、彼の銃をしてじゃじゃ馬と言うほどだ。

きしきし、左胸が痛む。そこには幼い頃からともにある刻印が、今も当然ながら存在している。

胸を押さえながらも、トニーは前方へと視線を据えたままだ。鋭い視線の先には、太い大木を 思わせる胴を持つ、巨大かつ長大な蛇に似た化け物。トニーがグルーとともに狙っていた、本命が まさに目の前にいるというわけだ。
蛇の尾が、ぶんと空を薙いでトニーへ襲いかかる。先端こそ細くなっているが、それでもトニーの 胴より太いだろう。まともに当たれば骨くらい簡単に折られてしまいそうなそれを、トニーは 後ろへ跳ぶことで避けた。
空振りをした蛇は、しかし悔しがるでもなく。前面で銃を構えているグルーを、じっと見据えて いるようにトニーには見えた。

蛇には目という器官がない。一見しては認識できぬだけであるかもしれぬが、常に土中で生活して いると前提すれば、視力は確かに必要ないと言える。獲物は音で捉えるのだろう。細かな動きなど 見えなくとも、土中から突然襲いかかり丸呑みにしてしまえば簡単だ。

トニーは爪先の位置をわずかにずらした。じゃり、とかすかに足許の砂が鳴く。ただそれだけの ことで、蛇の尾がぴくりと反応した。何とも良い耳をしているようだ。
下手に物音を立てられない分、戦いにくさは当然ながら増す。トニーはグルーを見やった。 グルーは注意が逸れぬ程度にトニーへ視線を投げて寄越す。戦いの最中にあるグルーの、普段は 見ることのできぬ鋭利な瞳はトニーの気に入りだ。そんな場合ではないのだけれども、一瞬だけ 見惚れてしまう。

音を立てられぬとなれば、声を掛け合うこともはばかられる。が、言葉なぞ掛けずとも、グルーと 意志を交わすことはできる。互いに信頼し合っているからこそ、可能なのだ。

トニーは鋭く地面を蹴った。同時に蛇の尾が彼を追う。武器の類を身に帯びていない蛇は、 その全身が凶器である。トニーは両手の銃を乱射した。が、蛇の肉体を貫くことはできない。 触れれば柔らかそうな蛇の表皮は、まるで鉄でも巻いているかのように弾丸を受け付けず、 すべて弾いてしまうのだ。
すでに目にしていた光景とはいえ、トニーは舌打ちせずにはおれなかった。もう一刻ほども、 この調子が続いている。気の長いほうではないトニーのこと、苛立ちを覚えぬわけにはいかない。 しかし苛立ちは、人間ばかりが感じるものではないに違いなく。
構えた銃が火を噴く瞬間を、トニーは好きだと思う。狩人にとって武具の類は己の魂と同義だ。 真に信頼を置けるものは己と己の分身である武具しかない。トニーにとっては、それらと同等の 位置にグルーという名の男がどかりと腰を据えているが。

ぐるる。喉を鳴らしたか、蛇が初めて自ら音を発して尻尾を振り回した。闇雲に、ではない。 その狙いは実に正確だ。

「ッつ……!」

トニーは短く呻いた。右手首に痛み。蛇の尾に打たれたのだ。思わず開いた掌から、己の魂の 片割れが滑り落ちていく。残った片割れを握る手で右手首を押さえると、痛みはあるが幸い骨には 異常がないらしいと判り、内心で息を吐く。だがそれも一瞬のこと。

「なまったか、坊や?」

耳慣れた声とともに銃声。顔を上げると、グルーがいつの間にかトニーの目の前に立っている。 まるで盾になるように。この男はいつもそうだ、と。トニーは男の広い背中を見つめて独り ごちた。自分は、男にとってはまだまだ尻の青い坊やなのだ。
落胆すると同時に、まったく矛盾した感情が込み上げそうになるのを、トニーは奥歯を噛み締める ことで押し殺した。今はそれどころではない。

「まさか、ジジィのあんたとは違うっての」

軽口には軽口で応じる。トニーのいつもの切り替えしに、男は笑みを浮かべたはずだ。

「ジジィにこの運動量はキツいんだ、若いお前がしっかり働け」

笑みの含まれた声と同時に、後ろへ放られた何かを、トニーは空になっていた右手で反射的に 受け止めた。

「仕上げにかかろうか、坊や」

囁くように言い、グルーが地を蹴る。同時に銃声。トニーはそれを見つつ、自らも銃の引き金を 引いた。重い。これもとんだじゃじゃ馬だと内心で呟き、しかし頬には微笑。

二方向からの弾丸にさらされ、蛇は困惑げにきょろきょろとしている。弾はその装甲により 阻まれているが、音は防ぎようがない。なまじ聴覚が発達していることを逆手に取った、 グルーの思惑にうまうまと掛かったようだ。
グルーはトニーの右手にあった銃を。トニーの右手にはグルーの銃が。それぞれ音の違う銃を 持ち替えることで、蛇の耳を撹乱させる。単純な作戦だが、効果はあったようだ。
ぐるると苛立ちもあらわに蛇が鳴き、太い首をもたげて辺りを見回すように巡らせる。そして。

蛇は思わぬ行動に出る。

「あ?」

「避けろ、トニーッ!」

間の抜けた声に重なるように名を呼ばれたきり、トニーの耳には何の音も聞こえなくなった。








村に駐留すること三日と半日。その間、狩人二人の狙う蛇らしきものは一度も姿を現わすことなく、 仮初の平穏が村を包んでいた。
長いときで五日、蛇は村を襲わぬらしいとは、グルーが村人から聞き出した情報だ。どこに 行っても厭われるばかりの狩人だが、この村の切実な内情からすれば情報提供など何ほどの こともないに違いない。
五日。それは食らった餌を消化するのにかかる時間なのだろうか。だとすれば随分とした 大食らいだ。トニーは辟易したが、手早く狩りを終わらせたいと考える側には易になりうる。 食われた人間には悪いが、これは効率の問題だ。早期に決着すればするほど、狩人にとっては 良いと言える。次の獲物に、より素早く取り掛かることができるのだから。

もっとも、命を落としてしまっては元の子もないが。

化け物が出たとの騒ぎが起こったのは、それからさらに半日ほどが経った頃。狩人二人はすぐに 騒ぎの中心へと急行した。

蛇。確かにそう言えぬこともない、長大なからだをぐねぐねと動かす何か。手足はなく、 顔らしき場所には口であろう頸の辺りまで達する深々とした裂け目があるばかり。ばかりと 口を開けば、人間などは丸呑みだと確信できる。
村の人間が血を吐く思いで建設した石壁を楽々と壊し、侵入を果たさんとする蛇に二人は 立ちはだかった。
村人らは当然、できるだけ離れた屋内へ逃げ込ませた。必死に耕したのだろうなけなしの畑を 潰してしまわぬよう、蛇を自分たちに引きつけ村から離れるという小細工もした。ひとまずは 万全。狩人らの装備はもちろん、意気も上々。あとは待望んだ獲物を無事に狩り、報酬で酒を 飲むだけ――それはおよそ、難しいことではないはずだった。

腕利きの狩人が二人がかりであたるのだ、狩れぬ獲物はそうそう存在しない。その、はずが。









ふ、と。黒一色に染め抜かれた意識に白が一滴。水に投じられた波紋のように、じわりじわりと 広がっていく白色を、じっと見つめることどれほどであったか。唐突に、彼は目覚めた。左胸を 無意識のうちに押さえながら。

「っ、」

呻きともつかぬ吐息を吐いたとは自覚せず、彼は周囲へと首を巡らせた。記憶が途切れる直前、 自分は蛇に呑まれたはずだ。しかし、この状況。自分が死んだわけではないらしい。死後の 世界など有無のほども知らないが、左胸にあてた手は自身の鼓動をはっきりと伝えている。
蛇は、影も形もない。
辺りは荒野から森に景色を変じ、彼は生い茂った草の寝台に横になっていたらしい。何もかもが 不審で、死んではいないが夢かもしれぬと彼が思うのも無理はなかった。

状況把握に思いのほか時間を要していると、ほんの間近で草を踏む音が耳に届いた。身構える よりも早く、

「気が付いたか」

耳障りの良い声音が耳を撫ぜ、彼は思わず肩を跳ねさせた。間近も間近、耳許に吹き込むように 囁かれたのだ。それも背後から。

「っ……!」

腰の後ろ(そこにいつも、銃をしまってある)にやろうとした手は、動くなという声とともに 捕らえられ。振り向こうとすれば後頭部を鷲掴みにして固定され。放せと低く威嚇すれば、 静かにしろと淡々と切り返された。

「あんたは、」

何者だ、とは、当然の疑問だ。本人へぶつけることもまた当然であろう。しかし当人にとって、 それは当然とは言えぬ疑問であるらしい。少し間を置いた男(声音から察するにそうに違いない) の雰囲気が、何か不機嫌なそれに変わったように感じたのだ。

「お前は知っているはずだ」

「え、」

どこかで聞いたことのあるせりふだと、思った。しかしすぐには思い出すことができない。 左胸がなぜかきしきしと痛む。落ち着けと自分に言い聞かせるほどに、胸は強く痛みを訴えて。

「――来い。立てるだろう」

脇の下に差し込まれた手が、小柄ではない彼の躰を軽々と持ち上げ立ち上がらせた。何とも手前 勝手な男だが、彼とてひ弱な人間ではない。まだ立てぬだとか、脚が痛むだとかいうような軟弱な ことを言いはしない。むしろ立ち上がる手助けをされたことへ、少しばかりむっとしてしまう。

「……ひとりで立てる」

ぼそりと呟く彼を、男はちらとも見やることはせず。それが、ひどく彼を傷付けた。――なぜか、 などと。そんなものは彼が最も聞きたいことだ。

(落ち着かねぇ)

何が理由とは言えないが、胸がざわざわとしてやけに落ち着かない。不安、恐怖、怯懦。どれも 当て嵌まらぬし、どれかが当て嵌まったとしても彼はけして認めないだろう。自由奔放を絵に 描いたような性格をした彼であるが、自ら貫く信念にとってそれらの感情は持っていてはならぬ ものに違いなかった。
男は彼には顔を見せぬまま、こちらへ来いと言って彼の二の腕をぐいと引いた。痛みこそないが、 彼は眉間に眉を寄せて男の腕を振り払った。踏み出そうとしていた男の足が、ぴたりと止まる。 瞬間、彼はなぜかどきりとした。
まずい、と、思った。

「、自分で歩ける」

そんな、従順な言葉を紡ぐつもりなど毛頭なかった。男がどこへ行くつもりかなど知らぬが、 彼にはそちらへ行かねばならぬ理由などないし、男に従う理由こそ見出だせぬ。だから、 そう言ってやろうとした。それなのに、なぜ。

「ならば、黙ってついて来い」

言葉こそ冷淡な響きであったが、男のまとう空気がどこかしら柔らかさを含んだ気がして、彼は 目を瞬かせた。しかし追求する間も、見極める時間も彼には与えられず。さっさと歩き出した 男の背を、ほとんど無意識に追いかけた。



踵を返すことはいつでもできた。男は背を向けている。足音で気付かれることは間違いないが、 黙って後に従う理由も意味もなかったはずだ。しかし、彼は。
ついて行かねばならぬ気がした。そうすることがもっとも自然で、当たり前のことのような気が、 した。





夢の中で、彼はいつも誰かに手を引かれ深い森を歩いている。
手は冷たく、しかし大きい。
彼の姿は幼いころに戻っていて、手を引く誰かの背がひどく広いように見える。父とはこんな ふうだったのだろうか。抱っこされるとどんな感じだろうか。つらつらと考えるうち、この手の 持ち主が誰であるのかが気になって。

「……だれ?」

問う。夢を見る都度、同じ問い掛けをして。その度に、やはり同じ答えを聞くのだ。

「おまえは知っているはずだ」

と。

知らないとは、唇は紡がない。そこでいつも、目が覚めるからだ。だから、その夢の先を彼は 知らない。目覚めれば、夢の内容はよく覚えていないのだから、夢の続きはどうなっているのか などと考えもせぬこと。――考えぬよう、自身を律していた。

だが。

醒めぬ夢を見てしまったなら。





先を行く男が、森の深みで足を止めた。じっと男の背を見つめていた彼も、倣って立ち止まる。
男の真正面には、周囲のそれと変わったところの見受けられぬ、一本の樹。

「ここは、」

呟きは彼のものだった。意味のある言葉ではなく、本当に無意識に紡いでいた。
彼の言葉は聞こえなかったのか、男は答えず、ゆっくり、こちらを振り向く。どくりと、心臓が 鳴った。左胸が、そこに刻まれた黒い刻印が、軋む。

「約束だ。迎えに来たよ、ダンテ」

思いのほかに優しい声音を、微笑を湛えて紡いだのは。銀色の髪と青い瞳を持つ、彼に瓜二つの 青年だった。



















前?
次?
戻。



すっかりご無沙汰でありました。刻まれトニー。本名が出ました。
ついでにお迎えも来ました。展開に多少の無理が見えますが…スルーで!(死)

[09/02/12]