陰極インキョク









双生児とは、不吉を呼ぶものである。災いをもたらすものである。一族のみならず総てに滅びを 招くものである。
故に、時を同じくして一つの腹から生まれ出でた子の片割れは、名を与える前に 捨てるが道理――――








その町は、北に高い岩山を背負い、他の三方を深い森に囲まれた僻地にひっそりと存在した。
かつてこの地に移り棲んだ人々は、森を少しだけ切り採って集落を拵え、森の樹々が落とす実りを 頼りに細々とその人数を殖やしていったという。

町の住人は、この町で生まれ、余所を知らずに町で死ぬものが九割九分を占める。富み栄えた ものの存在しない貧しい町の片隅で、彼もまたそんな閉ざされた(年老いたものは、仕合わせな、 という言いようをする)人生を送るべく生を受けた。名は、トニーという。
歳はまだ十にひと月ばかり届かない。手習いの為に隣人に字を教わっている。そこには彼と同様に 他の子どもらも字を教わりに来ているのだが、彼にはどうにも子どもらの輪に馴染めずにいた。 きゃっきゃと笑いふざけあう子どもたちの中に、彼一人が混じらないということはよくあること だった。
遊ぶふりは、する。でなければ、大人に見咎められて母が知るところになるからだ。それは いけなかった。

彼は毎日笑顔を絶さない。それが母の為に、幼い子が必死に考えた手段であることを、優しい母に 悟られてはいけないのだ。
子どもが実の母に気を遣うなど、普通ならば考えもつかないことだ。が、不幸にも彼ら母子は この町でいう普通の家庭ではなかった。父親というものがいないのだ。

母は町で唯一の旅籠で下働きをして、幼いトニーを養っている。町で彼ら母子を知らぬものは おらず、同情の目を向けるものは少なくないが、それ以上に多いのは蔑みの目だった。人々は “普通”ではないものを残酷なまでに厭うのだ。
それでも母が職にありつくことが出来たのは、人々の偽善が手助けしたからという理由もある だろうが、尤もたる理由は母が誰よりも美しい容貌であったからだ。美しくありながら、彼女は それをひけらかすこともしなかった。強い女でなければ、トニーをたったひとりで育ててゆく など出来るものではないだろう。

その、トニーは。

現在、暗い暗い森のどこかも判らない場所で蹲っている。無論、ひとりだ。顔見知りの、 形ばかりの友だちはいくらもいるが、彼と親しく付き合う子どもは一人もいない。トニーは いつも、母と寄り添うようにして暮らしていた。
何故トニーが森の中にいるのか。それはトニーと、トニーを森にやった子ども(いわゆる餓鬼 大将というものだ)だけが知ることだった。

森に入り、しばらくも行かぬうちに道が判らなくなった。振り返ったが、元来た道すらももはや 道とは言えず、鬱蒼とした樹々の下生えが覆い隠してしまっていた。これまでにも何度か森に 入ったことがあったが、こんなふうに迷ったことは一度もなかった。
トニーは焦って、がむしゃらに来た道を引き返した。
ぜぃぜぃと獣のような荒っぽい喘鳴が聞こえる。それが自分の喉が発している音であることに 気付いて、トニーは自分がすっかり迷ってしまったことを認識しないわけにはいかなくなった。 認識してしまえば、トニーの細い躰を襲うのは身震いするような恐ろしさだ。だから迷ったの だと思いたくなくて、ひたすらに走っていたのだけれども、もう脚が棒のようになっていた。
膝ががくがくと笑っている。もう一歩も歩けそうになくて、トニーは途方に暮れてすぐそばの 樹の根元にしゃがみ込んだ。

どうしよう。

呟く声はあまりにも小さく、か細い。なまじ大きな声を出して、得体の知れない何ものかの 返答があってもこわい。けれどもきっちり口を噤んでしまうのは、それはそれで心細くて いけない。

どうしよう。

途方に暮れて(寂しくて)、トニーは何度も口の中で呟いた。もちろん、ここに座り込んでいる 限りどうにもならないことは幼いトニーとて判っているのだ。けれど、脚が動かない。どうにか せねばならないと判っていても、どうにも仕様がないことがあるのだと、トニーは唇を噛み締めて 実感した。
せめて、自分がもう少しおとなであったなら。こんなところでべそをかかずに済んだ だろうに。
しかしトニーは来月にようやく十歳になるのだ。どう背伸びをしたって、食う歳が増えるわけも ない。

どうしよう。

何度目の呟きだろう。トニーは既に、自分がぼそぼそと呟きをもらしていることに気付かない くらい、途方に暮れていた。その語尾を隠すように、物音(草を踏む音だろうか)がすぐそばで したのである。
あんまり驚いて、トニーは息をするのを忘れた。

「……ッ……!」

まさに一瞬だった。いつ近付いて来ていたのか、トニーの目の前に二本の脚が生えていて、 驚いたまま顔を上げると、胴があり腕があり――――すんなりと整った顔立ちがこちらを 見下ろしている。トニーは言葉も出なかった。自分を捜しに来てくれたのかとか、そんなことは 口をついて出ない。何故ならそれは、見たことのない少年だからだ。
それでも、ひとりではなくなったことでほっとしたのは確かなことで。

「……だれ……?」

いちおう問うてはみたが、その声音には警戒心よりも安堵が色濃く含まれている。見上げる先の 少年にもそれがありありと察せられたのだろう。珍しい銀色の髪をした少年が、人形のように 微動だにしなかったおもてに笑みを浮かべ、トニーの間近に腰を下ろした。
急に互いの顔が近くなって、トニーは我知らずどきりとしてしまう。

何故かどきどきと高鳴る胸の音が、この秀麗な少年の耳に届いてしまったのかもしれない。 これだけ大きな音なのだから、聞こえてしまってもおかしくはないとトニーは思った。
少年はトニーの胸にそっと、けれどもしっかりと触れた。笑みを湛えたかたちの良い唇が、 開く。

「見つけた」

見たことのない子(トニーよりも少し年上だろうか)だけれど、やはり自分を捜しに来てくれた のかもしれない。町の子どもで互いに知らぬ顔などないとトニーは思っていたが、そうでは なかったようだ。しかし、銀髪の子どもなどいただろうか……自分の他に。
トニーが瞳をぱちりと瞬かせていると、銀髪の少年がまた、口を開いた。手はトニーの胸に 添えられたままだ。

「ここに、」

と、トニーの胸をちょっと押すようにする。中央より少し左だ。

「おまえの命がある。ずいぶん速く脈打っているな」

くすりと笑うのへ、トニーはちょっと赤くなった。胸は確かに、どきどきと早く打ったまま 治まっていない。これを少年は“いのち”と言ったけれど、どういうことなのか、トニーには 判らなかった。ただ、いのちというものが大事なものであることはトニーも知っている けれども。
少年はトニーには判らないことを語り続けた。

「おまえの命を、もらう。殺しはしない。死んでしまっては意味がないからな」

独り言のように囁く少年の言葉を、トニーはぼんやりと聞くばかりだ。

「ここに印を刻んでおく。おまえがおれのものだという証だ。はだを焼いても、消えることの ない印を」

少年が言い終わった途端、びりっとした痛みがトニーを襲った。

「ひっ!?」

真っ赤に熱したものを押し当てられたような痛みだ。咄嗟に目をぎゅっと瞑ったトニーの瞼に、 何かが触れた。

「恐がることはない。もう痛みはないはずだ」

恐る恐る、目を開ける。少年の言う通り、まったく痛みを感じない。物凄く痛かったというのに、 不思議でならない。もしかして、今瞼に触れた何かがトニーから痛みを消してくれたのだろうか。 きっとそうだ。何が触れたのかは判らないが、あれはこの、少年がしたことに違いない。
トニーは魔法でも目にしたかのように、ぱっちりとした瞳を輝かせた。

「ねぇ、何したの? さっきのいたいのは何?」

ただでさえ間近にいるというのにずいっと詰め寄ったトニーに、少年はにこりと笑う。

「言っただろう。証、だ。自分の目で確かめると良い」

促されるまま、トニーは少年の手のあった場所を見下ろした。そこは当然ながら服に隠れていて、 生成りの生地しか見えない。少年が手際よく、トニーの服の前釦を外して襟を寛げていく。
それは、間もなく姿を現わした。

幾何学模様がいくつも折り重なっているようだ。それは荊を巻き付けた花のようでもあるし、 何かの生き物のようにも見える。不思議な模様。まだ幼いトニーの抱いた感想はただそれだけ だった。ただ黒一色しかないのだけれども、きれいだと思う。

「きれい……」

素直に思ったことを口にしたトニーの、胸に浮かび上がった模様を少年が撫ぜる。途端、 トニーはぞくっとした。寒さの厳しい季節に感じるような感覚にも似ている。少年が印に触れる たびに、トニーはいちいち躰を震わせた。少年は愉しそうに笑んでいる。

「忘れるな」

不意に、少年が言った。

「おまえはおれのものだ。……が、今は逃がしてやる。森の外、おまえの住む町まで送って やろう」

慈しむように、少年がトニーの髪を梳いた。母にしてもらうか、それ以上に気持ちが好くて、 トニーは目を瞠った。母以外の誰かに髪に触れられることが、あまり好きではないトニーなのだ。 もっと撫でてほしいと思ったけれど、少年の手は意地悪でもするように離れていってしまう。

「おまえが十八になる年、おれはおまえを迎えに行く。必ずだ」

言って、少年はトニーの唇に自身の唇を触れ合わせた。

「忘れるな。――――」

名を、呼ばれた。トニーは大きな瞳をいっぱいに見開き、少年を凝視した。どうして。と、 紡がれる筈の言葉は喉の先にこぼれることはなく。
少年の姿が掻き消えた。目の前が真っ白になったからだと思った瞬間、トニーは意識を 失った。






ふっと気が付いたとき、トニーは見慣れた自分のベッドに寝かされていた。きちんと、安い綿の 毛布を着せかけてある。焦点の定まらない瞳に天井を映しながら、あれは夢だったのだろうかと、 ぼんやりと思う。
森のどこかで出合った少年。頭は霞が掛かったようだけれども、しっかり覚えている。忘れるなと 言われたことも、ちゃんと。しかし、現実味のなさがトニーに夢ではないかと思わせるのだ。

森の奥にひとはいない。トニーの住む町から別の集落に行こうとすれば、北の山を越えるか、 山沿いを東西どちからに進むかしか道はない。森の真ん中を行く道などないし、ひとが住んで いるという話は聞いたことがない。そもそも子どもがひとりで森を抜けるなど、無理な話だ。
ならば、あれはやはり夢だったのかもしれない。森で迷ったのも、森に入らざるを得なかった あれも、みんな。
そうだったのかと思うと、トニーは奇妙な程に落胆した。何故かなど判らない。ただ、少年の名も 聞けなかったことがひどくかなしいと思う。あちらはトニーの、母以外誰も知らない筈の名を 知っていたというのに。

トニーは目を伏せ、ベッドから躰を起こした。そのとき、母が現われた。トニーが目覚めている ことに、あっと声を上げる。

「からだは平気? どこも痛くない?」

気遣わしく問うてくる母に、トニーは首を左右にした。

「何ともないよ、母さん。だいじょうぶ」

「そう……良かった」

ほぅっとため息をもらす母に、トニーは自分がどこにいたのかとは問わなかった。母にとっての 大事は、トニーが無事でいること以外にないのだと、トニーは知っている。だから何も訊かない。 好奇心をあらわにしすぎれば、母の笑みが曇ってしまうと判っているから。

母はトニーの額に手をあてた。熱を計っているのだろう。

「熱っぽくはない?」

「うん……だいじょうぶ」

「でも少し、額が汗ばんでるわね……放っておくと風邪を引いてしまうから、着替え ましょうか」

トニーら母子は裕福ではけっしてない。服の着替えは何着もないし、靴だってひと揃いきりだ。 しかし母が勧めることに、トニーがどうこう口出しをすることはない。子どもにはおとなとは 別な知恵はあるのだ。
森の中であの少年がしてくれたように、母がトニーの服の前釦を外していく。襟が広がり、 肩があらわになろうかとしたとき、

「っ……!」

母が声にならぬ悲鳴を上げた。トニーは母の驚愕に彩られた表情など見たことがなく、くりりと した双眸を真ん丸にした。
母の見開かれた瞳は、トニーの胸を凝視しているものらしい。何があるのか判らず、ひょいと 顎を引いてトニーはひゅっと息を飲んだ。が、その表情は母のような驚愕はなく、むしろ躰の 内から込み上げるような喜びがあった。

「ゆめじゃなかったんだ……」

ため息のように呟くトニーの左胸には、かの少年の残した刻印がくっきりと刻まれていた。



















次?
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寝る前に急激にわいたネタを速攻で字にしてみたのですが…
どうでしょうか、これ。続かせても平気でしょうか。
というか、見切り発車甚だしいんですけどね…

[08/04/02]