朝顔アサガオ









彼にはとある癖があった。愉しいときには笑い、気に入らぬことには遠慮なく怒りをあらわに する、感情豊かな(ある種正直な)彼であるが、こと哀しみについてはひた隠しにするのである。 意識してやっていることではない。全くの無意識だからこそ、直しようのない癖なのだ。
悲しいときは我慢する。涙は流さない。嘆きは口にしない。それは誰の為でもなく、全くの 無自覚による自己防衛であった。





久々にグルーと言葉を交わしたあと、トニーは自身がやけに上機嫌であることに気付いていた。
ひとりでも苦なく仕事をこなすことの出来るトニーは、基本的に誰かと共闘することは面倒で しかなかった。しかしグルーは、そんなトニーに一切ストレスを感じさせたことがない。むしろ トニーの死角をさり気ない仕種で補い、支援するグルーに心地好さすら感じていた。
トニーはグルーが落ち穂拾いと呼ばれ、蔑まれていることが我慢ならぬ程嫌っている。グルーが いたからこそ楽に片がついた仕事は少なくないし、ともすれば突っ走りがちなトニーの、グルーは 良い歯止めの役目も担っているのだ。
グルーの判断に誤りがあったことはない、とトニーは思っているし、それは事実だ。

トニーにとっては意外なことに、グルーに背中を預けるのは不思議と安堵出来るのだ。二挺の銃を 自在に操り、幅広の大剣を優雅に舞わせ死角らしい死角を持たぬトニーだが、グルーと組むように なってからは背後を全く気にする必要がなくなったことに、思いの外気楽さを感じている。そして ひとりで戦うよりも――――愉しいのだ。

「余所見をするな」

集中しろ、と横合いから厳しい(と言うよりも冷たい)声が掛かり、トニーは我知らず眉根を 寄せた。

「こんな詰まらねぇ仕事、目ぇ瞑ってたって楽勝だろ」

手の中で銃を弄びながら、トニーは不貞腐れたように言った。エンツォが持ち込んだ依頼はある 荷物の運び屋を護衛すること――――その荷物はトニーの乗る車の前方を走るトラックに積まれて いるが、内容物はここまで明かされていない。
真っ当な護衛ではなく荒事専門の護衛が必要になる程だ、どうせろくでもないものだという予想は 裏切られないだろうとトニーは思っている。しかし“相棒”はどうか――――

「油断大敵という言葉がある。足を引っ張るようなら貴様でも容赦はせぬぞ」

冷厳な声音に、しかしトニーは怯む素振りもない。

「ハッ、そりゃ怖ぇ。どうせならあんた一人で片付けてくれたって良いんだぜ、ギルバ?」

トニーはギルバの、包帯に覆われて表情の見えぬ横顔を軽く睨んだ。彼らが乗り込んだ車は ほとんど振動もなく、するすると滑るように道を走っている。その所為か、トニーは異常な程の 退屈を持て余さねばならなくなっていた。
ギルバはちらとトニーを見やる素振りで窓の外に視線をやった。

「何もなく終わるようなら、安くもない金を投じて我々の手を借りることはすまい」

つまり、退屈と言っていられるのは今のうち――――そうなら良いが、とトニーが銃を ホルスターにしまおうとしたとき。

「客だ」

あくまで冷えた声音で、ギルバが細身の剣を握り直した。と言っても、ギルバが握っているのは 柄ではなく鞘なのだが。
トニーはギルバの視線を辿って外を見やった。黒塗りの車が一台、彼らの乗る車を追い越そうと している。いや、並走するつもりらしい。真横に並んで速度を合わせている。真横に並んだ車の窓が 開く。覗いたのはいかにも堅気ではない顔つきの男と、殺意もあらわな銃口。

「やっとか」

やけにのんびりとしたトニーのぼやきと、銃口が火を噴くのとはほぼ同時だった。弾が 強化ガラスに穿たれ蜘蛛の巣のようにひびがいく。その段になってようやく敵襲を察した運転手が 慌てて速度を上げた。先行の車(トラックの前に二台いる)も気付いたらしく、揃ってアクセルを 踏み込んだようだ。

トニーは銃を抜き、銃の尻でひび割れた窓を殴り付けた。簡単にばらばらに砕け散った窓から 銃だけを突き出し、無造作に引き金を引く。狙いは人ではなく、車のタイヤだ。
タイヤがパンクしてしまえば、当然だが車は動けなくなる。ひとは出来得る限り傷付けたくない トニーにとって、ごく当たり前の行動をしたまでだ。

「相変わらず、温いな」

蔑むような声は無視するに限る。ギルバはトニーとはおよそ正反対の考え方をする男で、人間の 命に関してもそうだった。この男は必要とあらば、無抵抗の人間ですら眉一つ動かさずに殺す。 ひとが持っているべき情の一切を切り捨てたかのように、何ものに対しても全く容赦がない。
荒事師として、これ程完璧な男は他にいまい。だからこそ、ギルバは短期間でトニーと肩を 並べるまでになったのだ。

気に入らねぇ。

トニーはスリップしながら後方へ消えて行く車を視界の端に見やり、銃身で窓枠を小突いた。

「俺は俺のやり方でやる。いつも言ってるだろ」

そう、いつも、だ。少し前からギルバとの共闘をトニーに望む依頼主が増え、今ではそれが 当たり前のようになっている。ギルバが正反対の性質を持っていることは、トニーには初めの 顔合わせのときに判っていたことだった。ギルバもそうだっただろう。戦い方、思考、趣向、 どれ一つ似たところのない二人が組んで、益などあるとは思えなかった。あるとすれば兇悪的な 破壊力――――それだけだ。

気に入らねぇ。

舌打ちしたトニーをギルバはどう感じたのか。ふんと軽く鼻を鳴らしたギルバを恨めしく見やる。 と、やはり黒塗りの車が一台、いや二台、三台と迫った来る。

「よっぽど大事なもんらしいな」

前方のトラックはいったい何を積んでいるのか。進行を妨害するものは排除しろ、との依頼主の 言葉を脳裏に反芻し、トニーは窓から周りを見回した。囲まれている。彼らの乗り込んだ車では なく、主となるトラックが。

「あんた、車ん中だと何も出来ねぇよな」

弾を一発、先刻のようにタイヤを狙って放ったトニーは、反対側の窓から外を見つめるギルバを 揶揄った。

「そうでもない」

淡々とした声が返り、ギルバの右手首が閃いた。ドアに蒼刃が走り、鞘に納まったかと思うと ギルバはおもむろにドアを蹴った。呆気ない程簡単にドアが外れ、勢いをつけて並走する車に叩き 付けられる。よろめいた車が体勢を立て直すよりも早く、ギルバの剣がひらりと舞うように車外へ 伸びる。
まるで本当に刀身が伸びたかのような錯覚に陥りそうだ。刀というものはそこまで切れ味が 冴えているものなのか――――車体を斬り裂かれた車はふらふらと後方に下がったのち、 ガードレールにぶつかり大破した。
トニーはその光景から努力して視線を引き剥がした。ギルバと目が合い、更に視線を外す。嫌な 空気に眉を顰めていられたのはほんの一瞬に過ぎなかった。
近くで悲鳴が上った。運転手のものらしく、同時に急ブレーキがかかる。何ごとか――――どうやら トラックがタイヤをパンクさせられたらしく、平衡を失っている。先行する車も気付いたようだ。 一様に速度を落とし、トラックを囲もうとする車を近付かせまいとトラックの間近に車体を 寄せている。

「降りるしかねぇ、か」

車を排除すれば良いだけの対処法はもはや使えない。仕方がないとは言え、面倒なことだ。

「近付く者を排除すれば良いのだろう」

何でもないことのようにギルバが言う。実際、ギルバにとってひとを殺すことはただの作業で しかないのだ。そんな男とトニーとが、判り合えるわけがないではないか。

トニーは無言で車から飛び出した。まずはトラックに近付こうとする人間を退ける。――殺さず に。ギルバよりも速く。
駆け出したトニーは、背中にギルバの哀れむような視線が注がれるのを、忌々しく思いながらも 無視を決め込んだ。



妙だ、とすぐに気が付いた。ギルバも同じように感じたらしく、辺りを緩やかに眺めている。 襲撃者らは総て彼らによって叩き臥せられており、奇妙な程の静けさに包まれていた。

「静か過ぎる」

鼻で嗤うようにギルバが言った。トニーも同意見だ。襲撃者は皆退けた。それによる沈黙は 当然のものだが、トニーとギルバより他に地を踏み締めているものがいないというのは明らかに おかしい。大事な何かが積まれている筈のトラックに駆け寄るものがないとは、どういうわけか。

ギルバがさして興味もなさそうにトラックに近付き、何気ない仕種で剣の柄に触れる。一閃。 幾重にも備えられた頑丈な鍵が一瞬にしてばらばらにされ、アスファルトに乾いた音色を 響かせた。

「……ふん、成程な」

感情を込めず呟いたギルバがトニーを見やる。見てみろ、ということらしい。トニーはギルバの 隣に並び、トラックの荷台を覗き込んで眉根を寄せた。次いで盛大なため息が漏れる。

「そういうことかよ」

空の荷台に背を向け、トニーはやはり請けるのではなかったとグルーを恨んだ。
囮だったのだ。トニーとギルバに空のトラックを守らせることで、敵にこちらがあたかも本物の 荷であるかのように思わせ、囮に敵が引きつけられている間に本当の荷を安全に運び出す。単純かつ 古典的な陽動だ。それを、トニーは全く気付かずに乗せられた。

敵を欺くなら、まず味方から。ギルバが悔しがる様子もなく、平然としていることがいっそう 腹立たしかった。





「不貞腐れるな。騙されたにしろ、報酬は報酬だ」

グルーが太い声で言い、トニーの頭を子どもにするようにぽんと叩いた。年齢で言えば、 トニーはもちろん子どもではない。しかし唇を尖らせ、苛々とテーブルを小突くさまはやけに 幼いのだと、トニー自身は自覚していない。ただ、グルーにかかれば自分がやけに子どもじみて いると思わされることが多かった。

「そりゃそうだけどな、腹が立つもんは立つんだよ」

好きで請けた仕事ではなかった。それがトニーの機嫌の下降を手助けしている。
ギルバと組みたくないわけではない。あの包帯男のやり方は気に食わないが、相棒としての息が 合うことは認めざるを得ない。だからこそ、トニーは嫌なのだ。

「あんたと組んでたほうが良い……」

「嬉しいことを言ってくれるな」

 声に出ているとは思わなかったトニーは、グルーの言葉に「え」と目を瞬かせた。

「嬉しいが……」

グルーが何ごとか呟き、どこか淋しげな笑みを浮かべる。トニーは奇妙な程不安になった。

「グルー、何だよ? 何かあったのか?」

そろそろ壮年に差し掛かろうという男くさい顔を覗き込むようにするトニーに、グルーは目を 細めて見せた。手のかかる息子に対するような目だ。トニーは子ども扱いされることは嫌い だったが、グルーのこの目は嫌いではなかった。それに、グルーはただトニーを息子扱いする わけではない。便利屋としてのトニーを一番認めてくれているのは、他でもないこの男なのだ。

「お前に心配されるようじゃ、俺もそろそろ廃業か」

揶揄うように笑うグルーに、トニーは誤魔化されたのだと直感した。が、グルーを責めることは しない。追求するな、とグルーの目は言っている。そう感じた。

「廃業して堅気になるって? それも良いかもな」

悪戯っぽく笑い、茶化すようにトニーは言った。そんなことは無理だと判っていても、そもそも 廃業するしない自体が冗談でしかないのだから、本気で応じる真似はしない。

「なぁ、トニー」

笑みを湛えてトニーの冗談を受け止めたグルーが、不意にトニーの髪に手を伸ばした。

「うん?」

いつもの子どもにするような雑な(しかし愛情のある)触れ方ではないことに、トニーは疑問を 持ったが口にはしなかった。グルーの武骨な指がトニーの銀糸をひと房、どこか遠慮がちに巻き 付ける。

「そのときはお前も……」

トニーはグルーの目を見つめた。口許に張り付いた笑みは瞳にはない。視線が何かしらの磁力を 持っているかのように、目を逸らすことが出来なかった。しかしグルーが、ある種の緊迫を断ち 切った。

「いや、何でもない。忘れてくれ」

ちょっと俯き加減になったグルーの表情が、ひどく憔悴しているようにトニーには見えた。 慰めるべきなのか――――しかし何と言って? グルーならば、餓鬼がいらぬ気を遣うなと言って 笑うだろうと思えてならない。実際、その通りになるのに違いなかった。
結論から言って、トニーはいつものように半ば戯れにふざけているしかないのだ。

「変な奴。あんなクソ不味いビールなんか飲んでるからか」

大仰に肩を竦めて見せると、グルーは顔を上げて苦笑した。

「放っておけ。お前こそ、あんな餓鬼の喰いもんばっかり喰ってるから、いつまで経っても 餓鬼なんだ」

「サンデーは餓鬼しか喰わないなんて、偏見だぜ!」

思わず本気になって言い返してしまったトニーに、グルーがしてやったりとばかりにくつくつと 笑う。トニーはちょっと顔を赤くしたが、気分は悪くなかった。

これで良い。これで良いんだ。

付かず離れず、ときには親子のように、仕事になれば互いに背を預ける頼れる相棒――――あぁ、 やはり。

「なぁ、グルー、」

「ん?」

トニーに新しい相棒が出来たように、グルーにもいずれ(明日かもしれない)別の相棒が 出来るのだろうか。この広い背に、逞しい腕に守られる誰かが――――

「次はさ、俺と組もうぜ?」

グルーは驚いたように目を瞠り、次いで少し困ったように微笑した。

「あぁ、そうだな」





判った。判ってしまった。グルーはもう、自分とは組まない。あの武骨な男はもう、自分に背中を 預けてはくれない。
何が悪かったのだろう。何か悪いことをしただろうか。
判らない。が、判らぬことがそもそも悪いのだと、彼は知っていた。

大事なものはいつでも彼から離れて行く。彼の手はいつも、本当に欲しいものは何一つ 掴むことが出来なかった。

どうしてだろう。

飽きる程繰り返した自問を、また呟く。なくすものは少ないと言うのに、なくしたものはいつも 大きすぎて、彼を哀しませずにはおかない。





報酬で得た大量の紙幣を思い切り放り出した。紙くずがはらはらと舞っては積もっていく床に べたりと座り込んだ。
明日からはまたいつもの“トニー”に戻る為に、今はまだ、少しだけ柄にもなく哀しみに 暮れていよう。

独りきりの夜には、もう慣れた。



















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いちおう、この話はこれで完結です。
終わってませんか?その時はご一報。
ちなみに私はグルトニ前提のギルトニが好きです。