純金
ぐずぐずと洟をすする音が、やけに大きく響いた。
ダンテはベッドにぺたんと尻をつけ、何をすることもなくただ座っている。バージルはいない。
朝の早いバージルは、ダンテが目覚める頃にはすっかり起きて、リビングで新聞を読んでいるか、
本を開いているかだ。ほぼ毎朝、ダンテはひとりで目覚める。寂しいと、少しだけ拗ねてしまう
のは致し方のないことだ。
部屋には、大きなベッドが一つあるばかりだ。ダンテが寝起きをしていた子ども部屋には、
自分のと、兄のと、ベッドは二つ並んでいた。たいていダンテは兄のベッドで寝ていたので、
シーツがくしゃくしゃになるのは片方だけだったけれど。
兄は今、ダンテの傍らにはいない。どこへ行ってしまったのか、判らなかった。いや、兄はきっと
家にいるのだろう。どこか知らぬ場所へ来てしまったのは、おそらくダンテのほうだ。しかし
そうと判ったところで、ダンテにはどうすることも出来ないのも確かなことである。どう道を
辿れば家へ――――兄のもとへ――――帰ることが出来るのか、まるで判らないのだから話に
ならなかった。
ここから飛び出すことは出来るだろう。が、当て所もなく家を捜して彷徨い歩くには、ダンテは
まだ幼すぎた。それに、もし逃げたりすればバージルの怒りは免れない。それは嫌だった。
バージルはよくダンテを甘やかしてくれる。ひとりになりたくないと駄々をこねると、買い物へも
一緒に連れて行ってくれたし、苺をたくさん買ってくれた。喉が渇けば甘いココアを淹れてくれる
し、バージルの作るごはんはどれも美味しくて、いつもよりたくさん食べてしまっては動けなく
なることもしばしばだ。
バージルは優しい。だから、その反動なのかもしれない。怒ったバージルは、こわい。あまりに
こわくて、ダンテはいつも泣き出してしまう。
ずっと洟をすすった。思い出すだけで涙が滲んでくる。
昨日、ダンテはまたしてもバージルを怒らせてしまい、買い物帰りの路地で件のこわいことを
強いられたのだ。あの衝撃と痛みはやはりダンテに恐怖しかもたらすことはなく、思い出しては
ぶるっと震えが来る。こわい。思考はそれだけに塗り潰される。
しかし悪いことばかりではないことは確かなのだ。
こわいことの後には、バージルはダンテにたくさんキスをしてくれる。涙と洟でぐしゃぐしゃに
なったダンテの顔を、きれいに拭ってくれる。
それ以上に嬉しかったことが、ある。路地から家へ戻ると、バージルはさっそく苺を食べさせて
くれたのだ。真っ赤に熟れた苺の甘さを、ダンテはきっと忘れない。
恐怖の後の安堵は大きく、ダンテはバージルにしがみついて離れず、風呂も一緒に入った。
赤ん坊のようで恥ずかしかったけれども、バージルに躰を洗ってもらうのはひどく気持ちが
良くて、ついついうたた寝をしてしまった程だ。
半ばのぼせたようになったダンテを、バージルはバスタオルで包み込み、きれいに水滴を拭って
くれた。躰の奥(どこがとはよく判らない)にはまだ圧迫感が残っていたけれど、バージルの
くれるキスはダンテをとろとろに蕩けさせて、思考など端から溶けてしまった。
その日の夕飯も、とても美味しくかった。バージルが一口一口食べさせてくれたのが、やはり
赤ん坊になったようでいけなかったけれど、けっして嫌とは思わなかった。むしろ嬉しかったと
言って良いだろう。バージルに砂糖で漬けるように甘やかしてもらうのが、とても好きだと
ダンテは思う。嬉しくて、気持ちが好くて、もっと、と何度もねだってしまう。
ダンテはもぞもぞと手足を動かしてベッドから降り、着替えぬまま部屋を出た。丈の短い
綿パンツの上にバージルの開襟シャツを羽織っているので、パンツがすっぽりと隠れて何も
穿いていないように見えるのだが、ダンテはまるで気にしていない。
膚があらわになることに対する羞恥はダンテにはなく(そもそも男なのだから当然である)、
バージルのシャツの長さから言えばズボンは穿かなくとも良いのではないかと思っている程だ。
が、バージルが穿かせてくれたものを、いらないと言うことはダンテに出来るわけもなかった。
バージルのことを思うと、早く顔が見たくて堪らなくなる。不安なのだ。バージルのそばに
いないと、どうにも寂しくてならない。
長い裾がはたはたと揺れる。ダンテはぺたぺたと裸足で階段を下り、リビングのドアを
開けた。
「バージルっ」
飛び込むように部屋に入り、バージルを呼ばわる。予想に違わずソファーに腰掛け新聞を読んで
いるバージルが、顔を上げてこちらを見やった。
「どうした、」
と、新聞を脇にやりながら問うバージルのそばへ、ダンテはてってと駆け寄った。ゆったりと
座るバージルの膝に飛び乗るように勢いよく抱きついた。困惑するでもなく、抱き返してくれる
腕の心地好さに、ダンテはほぅっとため息を吐いてバージルの胸に頬をすり寄る。それは
さながら猫が喉を鳴らして懐いているようで、バージルが目を細めて微笑したのだけれども、
目を瞑ったダンテは気付くことが出来なかった。
バージルが髪をゆるゆると撫でてくれる。ひどく心地好くて、ダンテはバージルの掌に頭を押し
つけるようにした。もっと撫でて、と。やはり猫のようにごろごろと喉を鳴らしてねだると、
バージルがくすりと笑った。
「悪い夢でも見たのか?」
ううん、とダンテはすぐに首を左右にした。
「バージルがいなかったから」
ダンテは上目遣いに、恨めしげにバージルを見上げて言う。
「さみしかったの」
「……そうか」
バージルは呟き、ダンテの頬を撫でた。大きな手だと思う。父の手も大きかったけれど、
同じくらいあるのではないだろうか。厚みのある掌が、ダンテはとても好きだと思う。もちろん
好きなのは手だけではないのだけれども。
「ダンテ、」
「なに?」
バージルがダンテの髪を梳きつつ、微笑した。
「明日からは、俺が起きるときに起こしてやろうか?」
バージルの朝は早い。ダンテはぐっすりと眠っていて、バージルが何時に起きているのかも判ら
ないのだけれど、早いということだけは知っている。少しだけ逡巡したが、すぐにこくっと
頷いた。
「うん、」
眠いのは我慢する。バージルのいない朝は寂しくてならないから、そちらを我慢することに
比べれば何ということはない。きゅっと唇を噛んだダンテの、白くなった下唇をバージルが
親指の腹でなぞった。
「無理をすることはない。眠ければ、ここで眠っていろ」
ここというのは、ソファーのことだ。ダンテはちょっと首を傾げた。眠気を我慢しつつ
バージルにくっついているのと、バージルのそばで眠っているのと、どちらが良いのだろうかと
考えているのだ。しかし眠ってしまえば、バージルが傍らにいなくなっても判らないかも
しれず……
ダンテの思考が手に取るように判るのか、バージルが笑って言った。
「お前が眠っている間に、どこかへ行くようなことはない。それでも不安なら、目が覚めるまで
こうして抱いていてやるが、どうだ」
ダンテは目をぱちりと瞬かせ、ぱぁっと破顔した。
「ほんとに、バージルっ?」
「俺が信じられぬか?」
くっと目を細めたバージルに、ダンテは慌てて首を振った。首が取れるのではないかという
くらいに振ったものだから、頭がふらふらしてしまう。
「大丈夫か?」
バージルの声は笑っていて、怒ったのではないということが判り、ほっとする。
「だいじょうぶ。ありがとう、バージル」
にっこりすると、バージルが額にキスをしてくれた。ダンテは伸び上がるようにして、バージルの
頬に唇を押しつけた。ちょっと目を瞠ったバージルに、悪戯を成功させたような笑みを
見せる。
「おかえし」
と。言うなりバージルに唇を塞がれて――――ぬるりと口内に入り込んできたバージルの舌に、
ダンテは自分のそれを懸命に絡めた。バージルに教わったばかりのキス。何度もすれば巧くなると
バージルは言ったから、ダンテは一生懸命舌を動かした。
「んっ、んぅっ……」
息苦しいときは鼻で息をしろと、バージルに教えられている。が、舌を動かすことに必死に
なっているダンテは、すでに息が苦しくなっていることにも気付いていない。巧くなって、
バージルにほめてもらいたい。ダンテの頭の中はそれだけに占められていた。
懸命に背伸びをするダンテに、バージルが唇を合わせたまま口端を持ち上げた。ぎゅっと目を
瞑りキスに集中しているダンテの、小ぢんまりとした尻をぞろりと撫でる。
「ひゃぅっ……」
びくりとして妙な悲鳴をもらしたダンテを揶揄うように、バージルは尻や剥き出しの腿を撫ぜて
いく。バージルの手が動くたび、ダンテはいちいちびくびくと躰を震わせた。その細かい反応が
男を愉しませるのだとは、当然知っていよう筈もない。
バージルはその間も、角度を変えてはキスをいっそう深いものへとするのだから、経験のない
ダンテなどは一溜まりもない。翻弄されるだけ翻弄されて、しかし快楽はしっかりと植え付け
られる。
元々、キスは好きなダンテである。舌の根元をくすぐられ、きつく吸われて、思考などすぐに
蕩けてしまった。
バージルにほめてもらいたい。そんな思いすら、もはや溶けて跡形もなくなっている。
腰砕けになって、ずるずるとくずおれてしまう。後ろへ倒れかかるダンテを、バージルは
腕一本で悠々と支えてくれた。力が抜けてかくんと首を反らしたダンテを追うように、バージルが
身を乗り出してさらにキスを仕掛けてくる。
「は……ぁ……ジルぅ……」
もう無理だと、ダンテは瞳を潤ませて訴えた。キスは好きだ。バージルのしてくれるキスは
気持ちが好くて(好すぎて?)、とろとろになってしまう。もっとして欲しいと思うのは確か
なのだけれど、もう一度同じようにキスをされれば、頭からどろどろに溶けてしまうのでは
ないかと思うのだ。
バージルには逆らわない。ひたすら従順であること。
そう自身に課したのはダンテであるというのに、蕩けた思考はすっかりそのことを失念して
しまっている。
再び唇が重ねられようとして、ダンテは駄々っ子のように嫌々をした。ほとんど無意識にした
ことだったが、バージルにはダンテの思いなど拘わりがない。
頬が熱いと思った。目を瞬かせてバージルを見上げ、ダンテはぎくっとした。バージルの冷めた
双眸と視線が絡む。みるみるうちに顔が蒼白になり、全身から音をたてて血が引いていくのが
判った。頬が熱いのは、バージルにぶたれたからだ。
「俺に逆らうつもりか、ダンテ」
違うと、そんなわけがないと、叫ぶ。しかしその声は音にならず、喉はひりつき思うように言葉を
紡ぐことが出来ない。
背中に回されたバージルの腕が、痛いくらいにダンテを抱き締める。ダンテはひっと悲鳴を
もらした。
「っ……め……なさ……、ごめんなさい……っ」
ゆるして、と。涙をこぼしながら懇願する。バージルの怒りを心底恐れていながら、自ら
バージルを怒らせるようなことをしてしまうなんて、どうかしている。また、こわいことを
されるのに違いない。ダンテはがたがたと震え、バージルへ繰り返し謝罪した。いくら言葉を
重ねたところで、バージルが赦してくれるわけはないと判っていても、そうせぬわけには
いかないのだ。
バージルの腕がいっそう強まった。細い背骨など軽く折れてしまいそうな程、きつく抱き竦め
られる。
「ひッ……ばぁじるぅ……!」
必死に、バージルを呼ばわった。こわい。こわい。お願いだからゆるして。ねぇ。
言い募るダンテの、ぎゅうっと閉じた瞼に何かが触れた。びくりとして目を開けたダンテの、
息が触れる程間近にバージルの整った顔立ちがあり。
「もう二度と、俺に逆らうような真似はするな。誓えるだろう、ダンテ?」
問うていながら、ダンテに有無を言わせぬ口調である。ダンテはこくこくと何度も頷いた。
バージルの横柄と言える口振りなど、気にしている余裕はダンテにはない。
逆らわない。絶対に。バージルの言う通りにする。
そう訴えると、バージルの冷え冷えとしていた双眸が不意に和らぐ。
「それで良い」
笑みすら見せたバージルを、ダンテは呆けたように見つめた。涙はぴたりと止まっている。
ぽかんとしてしまったダンテの額に、バージルがちゅっと音をさせてキスを落とした。
「妙な顔をして、どうした」
バージルがくすっと笑う。口調にも表情にも、もはや怒りは感じられない。赦してくれたの
だろうか。今の“ちかい”というもので?
「バージル……?」
頬に、鼻先に、唇に、細かくキスを降らせてくるバージルを見上げると、にこりと笑みが返って
きた。やはり、怒っていない。赦してくれたのだ。ほっとするダンテの背に回っていたバージルの
手が、開襟シャツの裾からするりと入り込み脇腹を撫ぜる。手はするすると膚を辿り、かと思えば
綿パンツの中へと潜り込み、下着ごとずるっと引き下ろされた。
「腰を上げろ」
バージルが言うのへ、ダンテはすぐに従った。バージルの肩にしがみつき、尻をひょこりと
浮かせると、パンツと下着を腿の中程まで下ろされる。シャツの裾が長いので、すべらかな
尻と幼茎は隠れたままだ。
何をするのだろうかと、ダンテはぼんやり首を傾げた。風呂に入るわけでもないだろうに、
何故ズボンを脱がされたのかがダンテには判らない。性にはひどく疎いダンテである。バージルが
仕置とは別の意味でダンテを抱こうとしているのだと、理解出来ないのだ。
ダンテはいまだに、バージルが強いるこわいことが性交渉であるという認識がないのだから、
仕様のない話ではあるが。
ダンテを膝立ちの恰好にさせたまま、バージルはダンテの幼茎を掌に包み込んだ。思わず腰が
引けそうになるのを、ダンテは唇を噛んで我慢する。
「そう噛み締めるな。血が出るだろう」
「ぅ……うん……」
頷き、ふうと息を吐く。バージルが親指の腹をくにくにと幼茎の先端に擦りつけるので、
ダンテは「あっ」と鼻に掛かった声を上げた。ふるりと背中を寒気に似たものが駈け登り、
震えの治まるときにはもう、バージルの掌に少量の白濁を放ってしまっていた。
「早いな」
バージルが手に纏わりついた白濁を舌で舐め取りながら揶揄をするけれど、ダンテは射精の
余韻でぽやんとしていて、何も聞こえてはいなかった。そうしている間に、バージルはダンテを
ソファーに組み敷き、中途半端だった下衣を脚から取り去る。体勢が変わったことはダンテも
いちおう認識出来たものの、
「抱くぞ」
短く告げられた言葉の意味は判らなくて。
真上から覗き込んでくるバージルの蒼い双眸につられるように、こくんと頷くだけだった。