君影草、ろく
馴染みの仲介屋をして「うさん臭い」と言わしめる依頼を、ダンテは好んで引き受けている。
そういった依頼にはだいたいの確率で悪魔が絡んでおり、便利屋という建て前を持ち悪魔狩りを
本業としているダンテにとっては、請けずにおる理由などないわけだ。だから、報酬がいかにも
安くとも気にせず請ける。エンツォはそれについて最も首をかしげているようだが。
彼――先日唐突に現われたもう一人のダンテ――も、その点は自分と同じであるらしい。つまり、
悪魔を狩ることを生業とし、それに関わる報酬の高低は問題にはならない、と。
腕もよほど立つ。それは彼の銃の扱いようを目にしたダンテの、率直な感想であった。背中に
差した大仰な剣は、まだ一度も抜かれていないのでそちらのほうは判らないが。
耳許に聞くに耐えぬ断末魔の叫び。どうやら背後からそろりと近付かれていたものらしい。
ばらばらの破片となってアスファルトに散ったそれには一瞥も呉れず、ダンテは肩越しに背後を
見やった。黒の混じった赤いコートを着た、すらりとした長身の男がこちらを見つめている。
彼だ。
ダンテの背後に忍び寄っていた悪魔を、銃の一発で仕留めたのだろうが、その銃はすでに大腿の
ホルスターにしまわれている。筋肉こそまんべんなくついているが、全体的に痩身という印象の
ある彼の腿にも、無駄な肉らしきものは一切ない。そのほっそりとした左右の腿に、ガンベルトが
巻かれているのだ。
コートと同じ赤の革パンツの上から、黒に近い茶のベルト。それがどうにも
卑猥に見えてしまうのだから、ダンテは自分の目(脳?)を疑わずにおれない。
「悪ぃ悪ぃ。助かったぜ」
軽い調子で礼を口に乗せるが、彼は何も応じることなくふいと視線を外してしまう。興味がない
のだろうか。彼のそうした仕種は、この数日あまりの間ですら何度目にしたか判らない。いったい
彼の興味はどこを向いているのか、ダンテが知りたいと思うのも無理はなかった。
知ったところでどうなるものでもないと、自分でよくよく判っていても。
「つれねぇな」
本音だとは窺わせぬおどけた口調で言い、ダンテは肩を竦めた。彼は変わらず、こちらには
見向きもしない。意図的に無視しているのではなく、そういう性格なのだろうとダンテは思って
いる。
何かに興味を持つことそのものが、彼には理解できぬ類の感覚なのかもしれない。厄介、と言えば
確かに厄介な性格だ。
(俺も、)
歳を食えばこうなるのだろうかと、自分との違いを認識するたびそう思う。そして同時に、絶対に
こうはならない――なれないとも、思う。
「残りは」
彼が、銃を素早く抜いて後方に向け発砲しながらダンテに問うた。肩越しに放たれた弾丸は一発
きり。ダンテからは、そちらの方向は見えない。二つの通路が丁度アルファベットのTのかたちに
垂直にぶつかる地点に彼はおり、ダンテは縦棒の中ほどにいることになるため横棒の先は完全な
死角なのだ。
間を置かず奇声が上がり、それが断末魔の叫びであることにダンテは一秒遅れで察した。思わず
口笛を吹く。
「やるねぇ」
そのくらいは当然、なのだろう。彼は背後を一顧だにせず、右手で引き抜いた銃はすでに腿に
戻っている。すべては興味の埒外。あまりに徹底したその姿に、ダンテは鳥肌が立つような感覚に
襲われる。
「……ここらにいたのは雑魚ばっかりだ。どこかに親玉がいるはずだけどな」
ため息混じりにダンテは言った。依頼の内容は、近く取り壊しを計画している廃ビルの調査。
依頼主の名はそれなりに有名な建設会社の取締役であったが、そちらは誰でも構わない。
エンツォがその依頼をうさん臭いと言ったのは、依頼主がこの廃ビルに関する不審を訴えていた
からだ。曰く、呪われている、と。
一ヶ月ほど前からビルの取り壊し計画は進められた。その際工事に関わった人間の半分が死に、
残りは怪我を負うか精神的に病んで社会復帰の難しい者もいるという。前者の死因は皆、獣などに
よる外傷が原因となった失血死だ。
悪魔。そう言ったきり口を閉ざしたのは、ビルに入った際に自分以外の人間が惨殺されるのを
見ていた男だ。靴紐を結び直すために立ち止まり、他の人間より数歩遅れた。その数歩が、
奇跡的に男の命を救った。ビルに入った者で、生きているのはその男ただ一人である。
こうして出来上がったうさん臭い依頼は、エンツォの手を経てダンテのもとに届いたという
わけだ。
二人はビルの一階から、順に調査を続けている。別々に行動したほうが効率は良いが、ダンテも
彼もそのことについてはちらとも口にしない。彼のほうはどうか知らないが、ダンテは彼の腕前を
見たいという下心があってのことだ。
ダンテの勘働きが当たり、ビルのどこにいてもいちいち悪魔に出くわした。一つ一つ丹念に
排除していっているが、ビル全体に満ちた瘴気は腫れる気配がない。雑魚の群は無秩序にダンテらを
襲っているようだが、そうではなく二人を足止めしようという意図が見える。雑魚どもを束ねて
いるものがどこかにいると、ダンテが考えたのはそのためだ。それをどうにかせねば、ビルを
取り壊す云々など不可能に違いない。
八階建てのビルの、現在位置は五階だ。やはり親玉は最上階にいるのか。安直にすぎる気が
しないではないが、とにかく全階層を虱潰しに回るよりないことも確かだ。かなり、面倒だが。
「ま、しゃあねぇか……」
肩を竦めたその先で、あちらを向いていた彼が何を思ってか不意にダンテへ流し目を呉れた。
その鋭さと得も言われぬ艶っぽさに、ダンテはやはり自分の脳を疑ってみずにはおれなかった。
「仕事は俺が適当に取って来るけど、それで良いだろ?」
酒場にてエンツォを介して依頼を請ける少し前、ダンテは彼へそう宣言した。彼が棲家へ戻る
手段が判るまで、ただ飯を食わせるつもりはないという前提があっての宣言だ。
彼はぼんやりとしたふうにこくりと頷くだけで言葉を発しようとはしなかったが、ダンテはそれも
よしとした。この男から無理に言葉を引き出そうとしても無駄であると、何となく察し始めていた
からだ。
「依頼はたいていエンツォって仲介屋が持って来るんだが、面倒ごと押しつけて来やがることが
多いからな」
辟易して言ったダンテは、彼がふと、エンツォ、と呟いたことに気が付いた。五覚のことごとく
優れたダンテであるからこそ聞こえたのだ。それほど、彼の声音は吐息のように小さい。しかし
弱さを感じぬのだから変わった男だ。
「知ってんのか?」
自分よりも年かさの“自分”は、こちらは見ぬまま「あぁ」と首肯し、
「何かとお節介な男だ」
そう呟く。感情を乗せぬ横顔を、ダンテはじっと見つめたが、結局変化が表われることは
なかった。
すべては興味の埒外。まさしくそのとおりなのだろう。
「……じゃあ、一緒に行くか?」
ちらと、彼の視線が動いた。どこへ、と目で問うてくる彼へ、ダンテは「酒場」と短く答える。
行くか行かぬか。こちらも目で問うてやれば、彼は瞬きをするように瞼を閉じ。
「……行く」
初めて、自分の意志を伝えたのだった。
エンツォに合いたかったのだろうか。こちらのエンツォは当然、彼のことを知らないというのに。
過去に関わりのあった人間に、合ってみたいと思ったならその気持ちは判らないでもない。
しかし、彼がそんな衝動に駆られるとは、ダンテには思えなかったのだ。
彼の行動はダンテの心に小さな小さな波紋を呼んだが、ダンテはそれには気付かぬふりをした。
背に負う剣は、ダンテと彼とでそれぞれ形状が異なる。どちらも両刃で、長大であることは
変わりないが、大きな違いは柄の部分であろう。ダンテのそれはごくあっさりとした造りで
あるのに対し、彼のものは髑髏を模したひどく禍々しいそれだ。
かつて、ダンテは彼の持つ剣とまったく同じものを身に帯びていた。もう何年も前のことで、
今は専らこちらを使っている。父の形見。それは彼が持つ反逆者という名の剣も同じであるが。
彼の剣は、力強くありながら荒っぽさを感じさせないから不思議だ。斬るよりも断つという類の
剣筋であるダンテとは、そんなところすら違っていた。
二人が対峙しているのは、ゼリーのようなからだを持つ気味の悪い悪魔だ。ダンテの読みどおり、
それが他の悪魔どもを操っていたらしい。隙あらば配下を召喚しようとするそれに、ダンテは
かなり辟易している。見た目だけでなく全身がゼラチン状になっているそれは、剣による打撃を
受け付けないのだ。斬ることはできる。しかしすぐに斬り口が塞がってしまうということを、
もう何度も繰り返しているのだ。
「チッ……埒があかねぇ」
銃すら効かないときているから、実質手も足も出ない状況だ。他の悪魔を呼ばぬよう、ちくちくと
嫌がらせをしているにすぎない。
意味のない攻撃を再び仕掛けるか否か。ダンテが脳の片隅で思案を弄んでいる傍らで、彼が何やら
胸元に手をあてている。心臓のある辺りだろうか。痛いのかと思ったが、彼の表情に苦痛を
思わせるものはない。
「? どうした?」
悪魔の体当たりをひらりと躱しながら問う。見事に空振りをさせられた悪魔が怒りの声を軋らせる
が、ダンテの意識は彼のほうにあって、まるで耳には入らなかった。
彼の胸元が一瞬、光ったように見えてダンテは目を凝らした。
何ごとかと問おうとするが、つと顔を上げた彼と視線が絡み、舌先まで出かかった言葉がきれいに
霧散する。
「…………」
互いに、無言。視線が絡んだのは数秒にもな満たなかった。
軋った声を上げつつ、悪魔がゼラチン状の体から何本も触手のような蔓を伸ばし彼らを襲った。
ダンテはひょいと上へ跳び、彼はひらりと後ろへ跳ぶことでそれを避ける。またしても空を
切ったことに焦れてか、悪魔は咆哮を上げた。
いったいどこに口があるのか、さっきから観察しているのだがダンテには見つけられていない。
目は、丸みのあるプリンのような形の、頭にあたるのであろうてっぺん付近にそれらしきものが
見える。ぎょろりとした、血走った目玉が三つ。果たしてどこを見ているのか、それぞれが
まったく違う方向を向いている。
ダンテは悪魔の伸ばした触手を蹴って再び跳躍し、その目玉目掛けて剣を振りかざした。
当然ながら、悪魔は目玉を庇う。変幻自在であるらしいゼラチン質で、むき出しの目玉三つともを
鎧う。剣は柔いゼラチンを僅かに斬り裂いただけで終わったが、ダンテの頬に悔しげな色は
窺えない。
「もうちょい、」
呟きと、銃声とはほぼ同時。ダンテは右手に剣を、左手に銃を持ち、銃口を今斬り裂いた箇所へ
埋め込むかたちで発砲したのだ。立て続けに、五発。通常では有り得ぬ速度の連射を、ダンテは
銃に強いる。ダンテの反射神経からすれば尋常となってしまうそれに、耐え得る銃はダンテが
自作したこの双銃しかない。
魔力を込めた弾丸は悪魔の目玉に突き刺さり、肉を抉って反対側へと突き抜けた。耳障りな悲鳴が
響き、悪魔が闇雲に暴れ出す。
跳躍し、悪魔から離れダンテは剣と銃とで牽制しつつそれを見た。彼の静かな、しかし決定的な
一太刀である。
「へぇ……」
無意識に声が出ていた。
豪快でありながら優美さを失わぬ彼の剣が、ぬめる悪魔の巨体を真二つにしてのける。通常ならば
すぐに修復を果たしてしまう筈であるが、何をしたのか、悪魔は両断されたままぴくりともしない。
凝視して、気付いた。断面もそうだが、悪魔の全身が薄い氷に包まれている。
「何したんだ?」
ダンテは呟いたが、彼は答えない。もはやこのパターンにも慣れてきた。彼は彼の銃を手に、
やはりそっとトリガーを引く。剣はすでに彼の背にあり、銃を握っていない右手はまたしても
胸元に。
凍り付いた悪魔は弾丸によって脆くも粉砕され、その欠片は青い炎を揺らめかせてすべて塵と
なった。溶ければまた元どおりになるのではと、構えていたダンテだが拍子抜けしてしまう。
いったい、彼は何をしたのだろう。強さ以上の秘密が彼にはあるように思えて、ダンテは好奇心も
あらわに興味を惹かれずにはおれなかった。
「はっ……やるじゃねぇか」
さすが俺。笑みを浮かべ肩を叩いたダンテに反し、彼はまるで他人事のようにしれっとしていて。
その表情を崩すことができたなら、どんなにか。そこまで考えて、ダンテは無理矢理己の思考を
押し込めた。やはりどうかしているとしか思えない。
自分と常に一定の距離を保とうとする彼のほっそりとした躰を、引き寄せ抱き締めてみたいなどと
一瞬でも考えたのは、気の迷いに違いなかった。
いろいろ自分の都合のいいようにしてあります。
ので、いろいろ思うところはございましょうが、そっと見逃してやってください。
[08/10/13]