苦悩
小さな声は彼らの敬愛する主のもの。そしてもう一方の低い声は、敬愛する主の兄のそれ。
ぺそり、ぺそり、と閉ざされたドアを叩いて、どれ程の時が経っただろう。彼らには基本的に
時間というものの感覚がないに等しく、しかし長すぎる程の時間をドアを叩くことに費やしている
ことだけは判る。しかしどれだけの時間を費やしていようと、彼らはドアを叩くことをやめる
つもりはなかった。そう、このドアが開けられるまでは。
彼らは名を、それぞれアグニとルドラと言う。朱い色をしたものがアグニ、碧い色をしたものが
ルドラだ。ドアを叩く腕はどちらも短く、比例して体躯も極めて小さい。子供の膝程もない
その姿は、まるでぬいぐるみのような造作である。真ん丸い頭には角らしき三角の尖りが二つ
ずつ生えており、彼らがおそらくは小鬼であろうと推測出来る。が、彼らは決して小鬼などでは
ない。
炎と風をそれぞれの身に宿した魔界の双剣。それこそが、彼らの本来の姿だ。
その、魔具である彼らが何故このような姿をし、人界のとある家の中でドアを叩きまくって
いるのか。それはドアの向こう側にいる、小さな主によって説明される。
ぺそぺそ、ぺそぺそ、
ドアを叩く音は微かなものだが、中にいるものに聞こえていない筈はない。特に小さな主は、
彼らの出すこの音に敏感だ。聞けば、すぐにドアを開けてくれる。が、今は彼らがどんなにか
激しく訴えても、ドアは少しも開く気配がない。それは、もう一人が主にドアを開けさせない
からだと、彼らは知っている。
小さな主の兄。彼らとはどうあっても相容れぬ人物であり、彼らの最大の障壁である。
その主の兄が、彼らを部屋の中へ入れようとしないことは、実は珍しくない。それも当然の
ことで、彼らがいれば小さな主は彼らばかりを構うからで、主の兄はそれが心底面白くないのだ。
だからいつも彼らを排除しようとし、その兄を主が必死になって止める。その繰り返しだ。
いつもなら、兄は最終的に折れる形で主がドアを開けるのを許す。忌々しげに睨まれつつ、
彼らは主に拾い上げられるままに細い肩にしがみつくのだけれど、今日は、まるで勝手が違って
いた。もっとも、これは今日に限ったことでもないのだが。
中から聞こえてくる声に、アグニとルドラはない歯を噛み締めてドアを乱打した。ぴぃぴぃと
喚き散らし、けれど声はやまず、ドアは開かない。
「主、」
「主、」
嗄れた声は単調で、起伏に欠ける為に緊迫したふうは全く伝わらない。しかし彼らは事実、
必死だった。何故ならば、
「主よ、そのような甘やかな声を上げてはならぬぞ」
「そのような甘やかな声を兄上殿に聞かせてはならぬぞ、主よ」
ドアの向こうからは、情事の真っ最中と判る声と物音が。敬愛する主が兄に食らわれていて、
黙っていられる彼らではない。しかし彼らが喚くのは、主の解放を訴えるばかりでは
なかったりするのが問題だ。
「主よ、我らならば兄上殿よりも甘く啼かせてみせようぞ」
「我らの性技で骨砕きにしてみせようぞ、主よ」
「む、骨を砕いてはゆかぬのではないか?」
「む、では骨をどうすればよいのだ?」
「はて、溶かす、であったか?」
「はて、溶かしてもゆかぬのではないか?」
「肉を裂いて骨を断つと言うが、」
「おぉ、それではなかろうか、兄者よ」
「うむ、……して、何のことであったか?」
「はて、……忘れてしまった」
ぽやん、と顔を見合わせる。その仕種こそ可愛らしくもあるのだけれど。
アグニとルドラがツッコミのない漫才を繰り広げる一方、ドアの向こうでは彼らなど一切無視で
情事が止むことなく続けられている。いや、厳密には彼らの慕う主はドアのこちらが気になって
仕様がなく、その為いつもに増して躰が敏感になっていたりする。そしてその主を、兄は
判っていながら押さえ付けて堪能しているのだ。
曰く、
「俺のものを銜えて腰を振るさまを奴等に見せたいなら、いつでもドアを開けてやるが?」
くく、と笑う声は低く、アグニとルドラの耳――――穴など空いていないが、あるのだ、
一応――――には届かないが。しかし兇悪な兄に責め立てられる主の泣き顔は容易に想像出来る。
……妄想、とも言えなくはないけれど、追究はせぬに限る。
アグニとルドラは本来の目的を瞬時に思い出し、またドアに張り付き短い腕でぺそぺそと
やり始めた。
「主よ、そのように啼いては兄上殿の思う壺ぞ」
「兄上殿を付け上がらせてはならぬぞ、主よ」
「啼くならば、我らの下で啼くが良いぞ」
「然り、我らの下で啼く主は絶品であろうな……」
妄想に耽ろうとするルドラを、アグニがぺそりと叩いた。綿の詰まったような躰は、叩く側も
叩かれる側もさしたる衝撃も痛みもない。ただし、
「主が絶品であるのは当然であるぞ!」
アグニにツッコミの素質は一切ない。もちろんルドラにも。
「そうであった。我としたことが!」
その反省は必要なのか、どうか。もふりと垂れた頭を上げたルドラの顔には、絵の具を
垂らしたような赤い筋が二つ。いわゆる鼻血であるが、残念ながら彼らの顔には目以外の穴は
ない。目すらも穴と言えるものではなく、どうやってどこから血を流しているのかは全くの
謎だ。
実を言えば、全身が赤い所為で気にならなかったが、アグニもまたルドラと同じように鼻血を
垂らしているのだ。つまり、ルドラはアグニに叩かれた為に血を流しているのではなく、ドアの
向こうの声に昂奮して、の現象なのだと判る。
ぬいぐるみに鼻血を流させる程、彼らの主の声は牡を慾情させる。こんななりで、本来の姿も
ただの意志を持つ剣にすぎない彼らだが、一応中身は牡らしい。
ぺそぺそとドアを叩きつつ、実は、しっかり主の声をじっくり味わっていたりするのだから、
可愛げの欠片もありはしない。まぁ、その主を啼かせているのが自分たちではないということは、
彼らにとって大いに不満であろうが。
ぺそぺそ、ぺそぺそ、
ふにふにとした腕でドアを叩き続けて、どれ程の時が経っただろう。結局彼らはドアを破る
ことは叶わず、ついに、
「あぁぁあああっ……!」
一際高い嬌声が上がり、主は兄によって絶頂に導かれてしまった……。
ドアに張られた結界が解かれ、彼らが部屋に入れた時には、主は細い肢体をぐったりとベッドに
投げ出して眠っていた。あまりに激しい責めに堪えきれず、最後には意識を失ったのだろう。
怒りに燃えるアグニとルドラは、しれっとしてベッドに腰掛けた兄に挑みかかり……結果は、
また別の話にて。
「主は我らのものぞ!」
「兄上殿には負けぬ!」
真っ青な空の下、吹き荒ぶ風に全身を打たれ、それでも彼らは挫けない。
総ては愛する主の為に、アグニとルドラは今日も行く。
好きだなぁ、アグルド…自分でこんなんにしといて何ですが。
なんかふっと思い立って速攻で書いたブツでした。いかがなものか…不安。
個人的には大満足。ただもっと、ダンテの声を科白として書くべきだったかも。
…まぁ、良いか。←面倒になった。