好話イイハナシ









赦されることのない罪をこの背に負って、どこまで生き長らえられるのだろうか。





仕事に明け暮れる娘を、アーカムは今日もまた見送った。食い扶持が増えたことで、 娘――――名は当然あるのだが、アーカムが呼ぶことを毛嫌いしている――――がおそらく 以前よりも仕事の量を増やしていることをアーカムは知っている。
あんたにまともに働けるとは思えないしね。
言い放った娘の声こそ冷たいものだったが、その言葉の裏には彼女の優しさがある。

テメンニグルの一件の後、アーカムは彼女の計らいよって再びこの人間世界の地を踏むことに なった。本当ならば死んでいた――――娘によって殺されている筈だった自分が、今こうして 生きている不自然を、彼女はきっと見て見ぬふりをしているのだろう。

優しい子だ。こんな父親を持っていなければ、もっと仕合わせに生きられただろうに。
彼女の母を殺してしまったことを、決して悔いるまいと思っていたのだけれど。

アーカムは食器棚に皿をしまい、閉めた戸の硝子に映る自身から目を背けた。娘に生かされて いる自分が、果たしてこのまま生に甘んじていて良いのか。顔半分を覆った醜い痣が、アーカムに 問う。

返す答は、ない。





気晴らし、と言えば聞こえは良いが、アーカムはぼんやりとしたままアパートを出た。空は青い。 薄雲のまばらに散ったそれを美しいと思う心は、ひとであることをやめたあの日に捨てて しまった。
こうしてまた、明るい場所へ戻って来ようとは思ってもみないことだった。しかし娘に礼を 言ったものか否か、アーカムは迷い続けている。

ふと、路地の先に黒い猫がいることに気付き、アーカムは一瞬眉を顰めた。今はもう魔力など ほとんど残っていないが、直感的にその猫が尋常のものではないと知れたからだ。かと言って、 害はないようである。
ひとつ鳴いた猫の声に、こちらを威嚇する色は全くない。むしろ、ひどく人に馴れている ようだ。

「きみのようなものも、この世にはいるのだね」

人とは相容れぬものと思い込んでいた節があることを認め、アーカムはちょっと笑った。猫は 尻尾をふわりふわりと揺らしながら、じっとアーカムを見つめている。

(こちらに来い)

そう言っている気がして、アーカムはひとつ肩を竦めた。

「どこに連れて行ってくれるんだい?」

黒い猫は真っ青な瞳をくっと細め、笑ったように見えた。





剃髪の、火傷の痕のような痣を持つオッドアイの男と真っ黒な猫の組み合わせは、人の目に 随分奇妙に映っただろう。奇妙というよりも、異様、かもしれない。
アーカムは自分の半歩前を毅然と歩く猫を見下ろしながら、しかしどこまで行くのかと疑問は 持たなかった。どうせならば、この猫が地獄へ導いてくれれば良いのだが。そう思い、すぐに首を 左右にする。
これは甘えだ。自ら死を選ぶことの出来ないものの、愚かしいばかりの甘えだ。

死のうと思えば、今この瞬間にも可能なのだ。

歩きながら、猫がふいとこちらを見やった。アーカムの姿を青い瞳に納めると、また前を 見据える。ちゃんとついて来ているな。そんな声が聞こえた気がした。

距離にしてはそれ程アパートから離れていない、治安の良くないのだろう路地の奥。アーカムは 猫が足を止めた建物を見上げ、あぁ、と溜息のような声をあげた。
昼間である為に光の入っていないネオンの看板の文字は、自分の目で見たことこそないものの、 娘に聞いた通りのものだ。

「きみはここに住んでいるのかい?」

猫が、肯定するように鳴いた。先刻も思ったが、どうも不思議な鳴き声だ。
開けろ、とでも言うように猫がかりかりと玄関ドアを掻く。

「自分で開けられるだろうに」

その程度の力はあると判断したのだが、あくまで人の前では尋常の猫を装うつもりらしい。 アーカムは小さく笑い、ドアノブに手をかけた。と、

「っわ……!?」

若い声だ。アーカムがドアを引くのと、中から押し開けるのとが全くの同時だったらしい。 バランスを崩してよろめいた男――――アーカムにすればまだ少年だが――――を、アーカムが 抱き留める形になった。
うぷ、と彼がアーカムの胸元に顔を押しつけて呻く。アーカムは男としては細身なほうだが、 彼一人支えてやるぶんには何の支障もない。

「済まない。大丈夫かね?」

脇を支えてやると、彼は顔を上げて驚きの表情を浮かべた。

「あんたは……なんでこんなとこに?」

「そこの、猫がね」

ついて来いと言ったから、とは言わず。
彼――――ダンテは足許をひょいと見やり、あ、と声をあげた。

「お前、いつの間に外に出てたんだ?」

「この子はきみの猫なのだね」

「俺のっていうか……」

言いさしたダンテが、はっとしたように言葉を切った。アーカムに抱き付くような体勢のまま だったことに、今気が付いたらしい。

「悪ぃ、」

「いや、気にする程のことではないよ」

アーカムが微笑んで見せると、ダンテは何故かぽかんとして言った。

「あんたって、そんな笑い方出来たんだな……」

妙に実感のこもった呟きに、アーカムは左右色の違う目を瞬かせた。





「お嬢ちゃんはたまに顔覗かせるんだけどさ、まさかあんたが来るとはなぁ」

驚いた、と隠さず言うダンテの膝には、アーカムをここまで導いた黒い猫。名前はユタと 言うらしい。どこかの古語だったか、聞いたことのある響きだが、思い出せなかった。

アーカムは「これしかないんだ」と言って出されたコーヒーを一口飲み、口許を緩めた。

「……彼女は、私のことは何も?」

思わず出かかった娘の名を飲み込んだ。一瞬の違和感に、しかしダンテは気付かなかった ようだ。

「あんたのことねぇ……何かいっつもばたばた来ては、ばたばた帰ってくからなぁ」

あの子らしい、とアーカムは内心で笑い、ダンテの膝で居眠りを始めたユタに視線を 落とした。

「その猫は、いつからここに?」

「ん? さぁ……年が明ける前だったのは確かだけど。なんで?」

「いや、面白い猫だと思ってね」

ダンテは笑い、ユタの丸い背中を撫でた。

「変だろ、こいつの鳴き方」

それは確かに。アーカムは、ダンテがユタをただの猫と思っているらしいと気付き、頷くだけに 収めておいた。ユタはダンテに正体を明かす気がないのかもしれず、アーカムもあえて黙って おくことにした。
気付く時には嫌でも気付く。それで良いではないか。

「あんたさ、」

「うん?」

「こんなことあんたに聞くのは間違いなのかもしれねぇんだけど……その、こっちに戻って来た こと、後悔してるか?」

咄嗟に、アーカムは返す言葉を失った。後悔。そう、後悔しているのかもしれない。 娘に生かされていると責任を転嫁して、だらだらと生き続ける自らの愚かさを。
黙ってしまったアーカムに、ダンテは答を察して俯いた。

「……バージルも、やっぱ後悔してんのかな……」

見た目の印象とはかけ離れたダンテの暗い声音に、アーカムははっとした。ダンテが 聞きたかったのは、こちらに引き戻されたものの感情だったのだ。
ダンテの双子の兄であるバージルは、魔界に堕ちようとしていたものをダンテによって連れ 戻されている。状況や立場として、アーカムとほぼ同じなのだ。

「私は……彼女に、娘に殺されるべきだったと思っている」

ダンテが弾かれたように顔を上げた。

「しかし娘は私を殺すことはせず、以前のように同じ家に寝起きしている。それは、私にとって あまりにも穏やかで、そして奇妙なことだ」

「奇妙って……?」

「違和感、と言うのかもしれない。私は塔の上で死ぬ筈だった。しかし今こうしてきみと話を している。それは奇妙で、不自然なことと思わないか?」

「お嬢ちゃんがあんたを殺さなかったことは、間違いだったって言うのか?」

「……判らないんだよ、私には。だから今も不安でならない」

しかし、とアーカムは自分以上に不安げなダンテの、碧い瞳を見つめた。

「きみの兄君は、私とは違う」

バージルが後悔をするとすれば、今この時にダンテにこんな顔をさせてしまっていることに 対してだろう。バージルがダンテを異常なまでに愛していることを、アーカムは塔に辿り着く 以前に気付いていた。
しかし愛するものをその手にかけようとするバージルを、アーカムは止めなかった。それは バージルが選んだ道であったし、何より己に止める資格などありはしないのだ。最愛の妻を この手で殺めた己には。

「彼にはきみがいる。魔界に堕ちることが望みだったとしても、きみの許に戻ったことは彼に とって幸いと言うべきだろう」

「そう、なのかな……」

まだ肩を落としたままのダンテに、アーカムは笑って見せた。

「きみのような可愛らしい弟がいて、彼に不満などあるものか」

へ、とぽかんとするダンテの膝を、アーカムは腕を伸ばしてぽんと叩いた。

「きみがいつもの通りのきみでいれば、彼もまたそう在るだろう。
――――大丈夫だ」

「そ……かな」

ダンテのおもてに、笑みが戻り始める。本当に可愛らしい少年だ。

「大丈夫だよ」

頷いてやれば、ダンテははにかむように笑みを浮かべ、ちょっと上目遣いにアーカムを 見やった。

「じゃあ、あんたも大丈夫だな」

「え?」

「だってさ、お嬢ちゃんを見てれば判るよ。いっつも忙しそうにはしてるけど、何か楽しそう なんだよな」

「メアリが……」

無意識に娘の名を口にしてしまったが、ダンテは気に留めたふうもない。

「テメンニグルん中で遭った時とはさ、全然違う。うちに顔出すだけ出しても、厄介者がいる からって言ってすぐ帰っちまうんだ。本気で厄介扱いしてたら、帰る必要なんかないのにな」

優しいメアリ。ぶっきらぼうなあの子がそういう娘だと、自分は知っている筈だったのに。

「そう、か……」

アーカムは組んだ手許に視線を落とし、微笑した。

「ならば私も、長居はしていられないな」

「ははっ、そうだぜ、早く帰ってやらねぇと。って、あいつ、今日も仕事だろ?」

「そうだが、ご馳走でも作ってやろうか、とね」

料理は不思議と不得手ではない。そう言うと、ダンテがきらりと目を輝かせた。

「マジ? じゃあそのうち俺にも喰わせてくれよ」

「もちろん歓迎するよ。――――さて、お邪魔をしたね」

アーカムが立ち上がると、「構やしねぇさ」と言ってダンテも腰を上げた。膝で眠っている猫を、 忘れず腕に抱き上げて。

「そこまで送るぜ」

「済まないね」

外は思いのほか寒く、ダンテの腕の中で黒い猫が一つ身震いをした。





娘が帰宅したのは、夜の八時だった。いつもに比べれば随分早いが、そうと聞いていた アーカムは別段驚くこともない。
テーブルに所狭しと並ぶ皿を見て、なにこれ、と唖然とする娘にアーカムは笑った。

「たまには良いだろう。さぁ、手を洗っておいで」

促すが、彼女は立ち尽くしたまま。

「どうかしたかい?」

首を傾げるアーカムに、彼女は言った。

「あんた、そんな顔出来たのね……」

アーカムは目を瞬かせ、声を上げて笑ってしまった。









いつまで生き長らえるのだろう。
いつまで、縋りついていられるだろう。



期限は明日かもしれず、遠い未来かもしれない。



背に負った罪は重く、
しかし荷を下ろすことは赦されずに。

ただ、限りある命を生きるしかなく。

荷を放り出すことは、してはならない。







愛するものとともに在る仕合わせを、失ってから気付くことはあまりにも不幸だ。



















戻。



何故にアーカム?しかも短くしようとしてたのに、完全にぶっちぎりました。
そしてこれも何故か、アーカムがいると兄の出番がなくなります。
うーん…?まぁ良いかなぁ。
突発すぎるもので失礼いたしました。しかも月曜1番にコレって…;