静座セイザ









喉の渇きを覚えて夜中に目を覚ました。こういう夜には何かが起こる。バージルは肩を竦めて ベッドから下りた。隣のベッドを見やれば、弟が小さく丸まるようにして眠っている。
バージルは弟のベッドに近寄り、少しめくれた毛布をずり上げてやった。そうしてから、部屋を 出る。戻った時にはこの弟はどうしているか。ドアを肩越しに振り仰ぎ、溜息を吐いた。

こういう夜には、何かが起こる。

それは確信に似た、予感。

双子の弟は、よく夢を見る。バージルはほとんど見ない為に、その感覚はいまいち判りかねるの だが、弟のする夢の話は酷く稚拙なものだ。記憶自体が途切れ途切れなのだろうが、それでも 嬉しそうに話そうとする弟を、バージルは面白くないと感じていた。
ダンテの語る夢には、常に同じ人物が登場するのだ。その容姿などは覚えていないらしいが、 しかし弟が酷く慕っていることが判り、不快なのだ。バージルはその人物を知っているからこそ、 余計に。

少し前、そのことが原因で弟に乱暴をした。怯えた弟はその日からバージルに触れることも しなくなり、こちらが触れれば弾かれたように逃げる始末だ。

失敗した。そう省みる反面、おまえの所為だとも思う。

弟が自分以外の人間を見ているから、自分しか見ないようにお仕置をしてやったまででは ないか。

そうして夜の同衾をしなくなったまま、時間だけが変わらず流れ続けている。

弟はきっと、夢の中で例の男に慰めてでも貰ったのだろう。自分のいないところで嬉しそうには にかんでいる弟を、バージルは何度も見た。
口惜しいと思う。けれどバージルはあえて放置した。弟が夢に縋るなら、好きにすれば良い。





喉を潤して部屋に戻ると、案の定、ドアのあちら側に見知らぬ気配を感じた。いや、全く 知らない気配ではない。よく知ったものに似た、けれど違う気配だ。
そっとドアを開ける。少しの明かりもない部屋の、弟のベッドの上。先刻まで弟が丸まって 眠っていたそこに、それはいた。

悄然と。茫然と。

ベッドに座り込み、こちらを見つめるそれは誰なのか。バージルはしかし、問うことも声を かけることすらせずに真っ直ぐ自らのベッドに戻った。見えていないふりをして、そちらに背を 向けて毛布に潜り込む。と、背後でひそりと空気が変わった。
重い、と言うのだろうか。

静かに、それが涙を流している。バージルは背中でそれを感じ、気付かれないよう口許に笑みを 浮かべた。やはり背後にいる“誰か”は、バージルのよく知るものに違いないらしい。
ただ、歳は随分と違うようだが。

これも夢の延長。あちらの夢か、自分のものかは判らないけれど。

予感はしていた。

こちらの弟が夢に溺れているならば、きっとあちらも同じであろう、と。あちらの片割れも また夢に溺れているとすれば、残されたものは何に縋るか。――――自分しかいない。
密やかに泣き濡れる、年嵩の“弟”。
そして聞こえる声は悲愴なまでに震え、自分を呼ぶ。

「バージル……」

可哀想な、可愛い、ダンテがそこにいるのだ。
バージルは笑みを深くして、ごろりと寝返りをうった。はっきり見えないことが惜しいが、 ダンテは子供のように顔を涙と鼻水でくしゃくしゃにしているのだろう。そんな顔で自分の名を 呼ぶものだから、いっそう苛めてやりたくなるというのに。

「……バージルぅ……」

なんで、と繰り返すダンテを眺め、バージルは昏い喜びに浸る。

もっと泣いて、縋れ。

心の中で酷薄に命じる。これはバージルの弟とは違うかもしれないが、しかしダンテは ダンテだ。あちらの兄に捨てられ、泣き暮れるダンテなのだ。

「……ば……じる……っ」

鼻をすする音すらも愛おしい。しゃくり上げながら自分を呼び続ける声が、悲愴で、そして 可愛らしい。
歳は明らかにあちらが上だけれど、バージルにとってはやはりどこまでも“弟”だ。

「…………」

ダンテの声が途切れた。もはや名を呼ぶことすら出来なくなったのか、ぐずぐずいう鼻の音しか 聞こえない。
バージルは、そこにあるダンテの気配が徐々に変わりつつあることに気が付いた。何か、空気が 重い。気配が変わっているのではない。存在そのものが濃くなっているというべきだろうか。
ぴしり、と何かが軋む音がする。これは何なのか。まだ自身の姿を悪魔のそれに変えることの 出来ないバージルには、ダンテに起きている変化が何なのか、判らない。が、ひとではない何かに 変わろうとしていることは、判る。

バージル、

声なき声が聞こえた気がして、バージルは音をたてずに躰を起こした。

「……ダンテ、」

びくり、とそれが弾かれたようにこちらを見る。

「……ばぁじる? ……」

舌が回らないのか、はっきりとしない声だ。バージルは毛布をベッドから落とし、ダンテを 呼ばわった。

「ここに来い、ダンテ」

そうすることが当たり前であるかのように、ダンテがベッドからまろび落ちるようにして バージルの側へと駆け寄り、床に膝をつく。間近に見るダンテは、ひとではない何かになろうと する途中であるらしく、酷く醜い。しかしバージルの目には、それすら愛しいものに映った。

ダンテが“バージル”と呼んだものは、確かに自分だ。ならば自分がダンテの存在に気付かぬ ふりをしたから、ダンテは平静を失ってこうなったのだろう。――――もし憤怒で変化したならば、 殺気がなくてはおかしいのだから。
自分の為に平静を失くし、泣き果て、異形に身をやつす。そんないきものを、愛しいと思い こそすれ、嫌悪などしよう筈もない。

ぱきり、と音がした。ダンテが鳥のそれのように爪の伸びた手を挙げ、ベッドに触れたのだ。

「ばぁ、じる」

すぐにはひとの姿には戻れないものらしい。それも良い、とバージルは内心で笑み、こちらを 見上げるダンテの頬に触れてみた。虫のそれを思わせる、硬い感触が伝わってくる。自分も近い うちにこの姿になるのだろうと、漠然と思った。
ふと、ダンテの息が荒くなっていることに気付く。自分に触れられることが嬉しく、そして 昂奮しているのだと、確信をもって感じた。ダンテがこうなる原因は、あちらの自分にあるの だろうか。

「ばぁじる……もっと……さわ、て……」

ねだる声は、異形のものとは思えぬ程に子供っぽい。自我がそっくり侵されているのかも しれない。――――何に? バージルは子供に似つかわしくない笑みを浮かべ、ダンテの唇を 親指の腹で潰すように撫でた。

「ん、……ふ……」

熱っぽい吐息が指にかかる。バージルは目を細めた。

「ダンテ、そこに座れ」

先程床に落としてあった毛布を指して言えば、ダンテは小さく頷いて素直に従う。

「バージル、」

ぺたりと毛布の上に座ったダンテが、こちらを見上げて言う。

「何がしたい?」

何でも良いよ。何でもするから、と。

舌が滑らかに回りようになったようだ。バージルは笑い、そうだな、と考えるふりをした。
ダンテの声は、次第に必死めいてくる。

「なぁ、何でもするよ、本当に。アンタが言うなら、何でも良い」

なぁ、バージル。呼ばわる声は耳に心地好く、縋る姿はバージルのまだ幼い牡を刺激する。

「なんでも良いから……なぁ……? なんでもするからさ……」

アンタまで、俺を捨てるなんていわないで。

「……そこに這え。そこまで言うなら、おれがおまえを飼ってやる」

あちらの自分がダンテを捨て、こちらの弟を取るならば。自分はこのダンテを手に入れる までだ。

ダンテはバージルのあまりにあんまりな言葉に、けれど気色を浮かべて毛布の上に転がった。 その視線はバージルから外されることはなく、ただバージルだけを映している。

あちらで捨てられたダンテには、もはや自分しかいないのだ。

何という巡り合わせだろう。自分の弟は取られてしまったが、これの目を見ればそれもどうでも 良いことのように思えてしまう。

「バージル、なぁ、」

誘う声は、自分だけのもの。

「おいで、ダンテ」

躰を屈めれば、ダンテが喜々と伸び上がって唇を合わせてきた。触れた唇を、バージルは笑い ながら犬歯を立てて少しだけ噛み切ってやる。滲んだ血が、口内に甘く染み渡った。








可愛いダンテ。




もうあちらには、帰さない。



















戻。



…子、兄?これは子供ですか、何ですか。
そう疑問に思われた方は挙手プリーズ。例によって私が真っ先に挙手します。
夢ものが、どうも夢では済まない話になってきました。
間を空けすぎると何が何やら…設定おかしくなってたらスミマセン;