蓄積
ベッドにごろりと横たわる。軋むスプリングの音が少しばかり耳障りだが、気にはならない。
とにかく寝転びたかった。
ひたすらに疲れているのだ。
いつもならば昼まで眠っているところを、午前六時に起こされたのがこの疲れの始まり
だった。
「起きろ」
「……ぁ……?」
低い声に目覚めを促され、ダンテは重い瞼を無理矢理持ち上げた。ぼやけた視界に映るものは、
眉間に皺を刻んだ白皙の美貌。見慣れたそれは、ダンテの双子の兄だ。
「……? ……何、」
今がまだ、ダンテがいつも起床する時間ではないことは確実である。何故なら、どんなに
眠っていようとも、バージルがダンテを起こしに来ることなどまずないからだ。
ダンテは眉をしかめた。その真上から、バージルがダンテ以上のしかめっ面で睨み付けて
来る。
「さっさと起きろ。行くぞ」
一瞬、ダンテの眉間から皺が消える。
「は?」
「仕事だ」
それだけ言うと、バージルはさっと踵を返し、ぽかんとしているダンテを放って部屋を出て
行ってしまう。わけが判らないまま、ダンテはとりあえず躰を起こした。
仕事? 今から? 何の?
昨晩の段階では、仕事は今日の夜に一件入っていただけの筈だ。それが、何故。いつ依頼の
電話が入ったのだろう。時計を見れば、まだ午前六時だ。こんな朝早くに誰が仕事を持ち込んだ
のか。顔を合わせたらとりあえず殴ってやろう。
ダンテは肩を落としてベッドから下り、床のあちこちに落ちたシャツを一枚拾い上げた。
蒼と紅のコートは、良くも悪くもよく目立つ。しかも蒼いコートの方は細身の剣――――刀と
呼ばれる片刃の剣と知っているものは少ない――――を、紅いコートの方は抜き身の大剣を背に
負っているのだから、物騒極まりない。もっとも、ことあらば銃弾が飛び交うこの国で、何が
物騒で何がそうではないのか、基準となる線は見つけ難いが。
蒼いコートをひるがえしながら歩くバージルに、ダンテは愛銃のエボニーを片手でくるくると
回しながら声をかけた。
「……なぁ、」
返る声は至って素っ気ない。
「何だ」
「あのさ、どこ行くんだ?」
ダンテからすれば当然の問いは、しかしバージルからすれば逆に不審なものだったらしい。
「昨晩――――いや、日付は変わっていたが、話しただろう」
聞いていなかったのか。
言われ、ダンテは「へ?」と素で間抜けな声をあげた。もちろん馬鹿のような顔で。
バージルがダンテを横目で見、やれやれと言いたげに肩を竦めた。
「覚えていない、か」
「え、や、だって、……いつ聞いたっけ?」
だって、の後に何を言おうとしていたのか。バージルにじろりと睨まれるが、ダンテはさっと
目を逸らすことで逃げた。バージルがあからさまな溜息を吐くのが判る。
「昨晩、電話があったことは覚えているか?」
「ぇ……えーっと……」
「もういい。――――内容はある人物の護衛。期間は今日、午前七時から午後七時まで、報酬は
一万。場所は……あれだ」
バージルの視線を辿ってそちらを見やると、街の三ツ星ホテルの下にシルバーのベンツがある。
その車がそうなのか、それともホテルを指してのことなのか、ダンテが問えば、バージルは行けば
判るとやはり素っ気ない。
何だよ、ちょっと覚えてなかっただけで。
ダンテは拗ねて、唇を尖らせた。
そうだ。この疲れは昨日の夜からずるずると引きずっているのだ。
昨晩、珍しくダンテは自分からバージルを誘った。時間は確か、まだ十時かそこらだったと
思われる。時計を見たわけではないのだが、まだこんな時間かと思った記憶がある。
煌々とした明かりに満ちるリビングで、ダンテは自らバージルに跨がった。いつもなら自室で
読書に耽っているバージルが、昨晩は珍しくリビングのソファーに座って本を読んでいたのだ。
夕食の後、ダンテがうだうだとリビングに居座っていたからかもしれない。
風呂上がりに髪を拭いて貰っていた記憶もなくはないが、どうしてその気になったかは覚えて
いなかった。昨晩の記憶は全体的に薄い。
何故か、など。ダンテは少し考えてしまって内心後悔した。
自分から誘って始めたセックスが、あまりにも激しすぎたのだ。何をして、何をされたのか。
よく覚えてはいないが、強烈だったことだけはやけに鮮明に記憶に残っている。
その激しいセックスの後、いつベッドに移動したのか、ダンテはまるで覚えていない。ベッドに
いることに気付いたのは、バージルに起こされた午前六時。先刻のことだ。もしかすれば、
バージルの眉間の皺は全く睡眠を摂っていない所為だったのかもしれない。
バージルとセックスをすると、たいてい夜通しになる。昨晩はダンテから誘ったにしろ、結局
リードするのはバージルだ。絶倫のバージルが、夜明け前にダンテを解放することなど、まず有り
得ない。
依頼の電話は、セックスの最中にかかって来たものらしい。バージルの反応からして、ダンテは
一応意識はあったのだろう。しかし覚えていなくて当然だと思う。バージルとのセックスは、
ダンテにとって麻薬よりもたちの悪いものだ。意識が飛ぶなどという生易しいものでは、
ない。
そんなダンテとは反対に、バージルはいつも余裕がある。悔しいと思うし、少し悲しくも
ある。
バージルはそこまで、自分にはまってはくれないのだ。
「ダンテ、」
ぴしりと頬を打たれ、ダンテははっとした。
「あ……」
自らの思考に浸りすぎていたらしい。怒ったような、いつもと変わらぬようなバージルの顔が
目の前にある。
「悪い、」
軽い調子で謝り、ダンテは首を巡らせた。先刻見たベンツの中は、いかにも高級で心地が好い。
依頼主はよほどの金持ちらしいが、鼻持ちならない成金ではないことを願いたいところだ。
昼を挟んだ丸半日の護衛を、あえて便利屋に依頼する程だ。どんな人間なのか、興味がなくも
ない。
なぁなぁとバージルに話しかける。バージルは始終腕を組み、憮然とした表情をしていた。
依頼主はそれなりに名前の知れた――――しかしダンテは全く知らぬ――――財界人だった。
護衛と言うよりは銀髪碧眼の双子の便利屋を見てみたかった、ということに本音があるらしく、
双子は半日を通してほとんど剣を抜くことはなかった。
彼ら双子は確かに見栄えがする。二人を揃えて連れているば、それこそ依頼主の存在が霞む程だ。
しかし、あくまで彼らは便利屋である。堅気の人間からすれば忌避して当然の、血と硝煙の臭いを
纏う裏社会の生き物だ。そんな人間を護衛として、しかも真昼に連れたのでは、世間の批判は
免れないだろう。
その財界人は悪戯をした子供のように笑って言った。周りが反対すると判っていたから、昨晩の
今日で頼んだんだ、と。つまり自分自身が依頼の電話をかけたということだ。なかなか我儘な、
しかし良く言えば面白い人間であるらしい。
護衛の仕事はダンテが最も嫌いな依頼だが、この人物の相手ならばどうにかなるかもしれない。
ダンテにそう思わせる程、その依頼主は開けっ広げな性格の持ち主だった。
それだけを思えば、疲れる筈などないのである。が、結果としてダンテは最悪なまでに疲労を
溜め込むことになった。その理由は、やはりバージルだ。
ベッドに横たわりぐったりと眠ろうとしているダンテを、バージルが頬を叩いて無理矢理
起こした。家に帰り着くなり部屋に駆け込み、言葉通りベッドに倒れ込んだダンテは、じとりと
バージルを睨んだ。
「…………なんだよ」
疲れているのだと、この姿を見れば一目瞭然だろう。それなのに、どうしてこの兄はそっとして
おいてくれないのか。ダンテの視線の意味など理解しようともせず、バージルは言う。
「着替えろ」
そのままの恰好で寝るな、と。
「あぁ……? それぐらい良いじゃねぇか……」
意識は既に朦朧としている。にも拘らず、バージルはダンテを眠らせてくれない。
「駄目だ。着替えろ」
ベッドが汚れるのがそんなに嫌なのか。執拗なバージルにダンテは怒るよりも呆れてしまう。
「ぅー……もう、動けねぇんだよ……」
元はと言えば、バージルが悪いのだ。ダンテと違って依頼主と気が全く合わなかったらしい
バージルは、始終暗雲を背負ったまま腕組みしていた。依頼主はそれでもバージルを恐れぬ肝の
据わった人物だったが、周囲はそうはいかなかった。しかもバージルはことあるごとにダンテを
依頼主から遠ざけようとし、ダンテが嫌がれば依頼を放り出してしまう。それも、ダンテを連れて。
あまつさえ、人目があろうがなかろうが構わずキスを仕掛けて来るのだ。
(やめろって……!)
(黙れ。ここで犯されたいか)
それにはダンテも閉口するしかなかった。バージルの口調と表情には明らかな怒りがあり、
しかしダンテには、何故バージルがそこまで憤慨しているのかが判らないのだ。
結局、ダンテはひたすら精神を磨り減らすことになり、長すぎる半日をどうにかこうにか
耐え抜いたのだった。まだその後に仕事が控えているとは、判っていても意識したくなかった。
楽天的な依頼主から解放された彼らは、夕食もそこそこに次の仕事を片付けた。そちらは
悪魔絡みと踏んだものだったのだが、しかしとんだ見当違いの外れで、ただ体力を無駄に消耗した
だけに終わった。
疲労は限界。機嫌は最悪。自棄になってバージルの唇に噛み付いたのが、最大の失敗。
着替えろと言うなら、とダンテは四肢を投げ出してバージルを見上げ、可愛らしく――――なる
筈もないが――――お願いした。
「着替えさせてくれよ?」
「……ならば、好きにするぞ」
意識がはっきりしていたなら、バージルが何を企んでにやりとしたかすぐにも気付いた筈だ。
しかしその時、ダンテは既に半分眠ってしまっており。
溜まりに溜まった疲れが取れたのは、それから丸三日後のことだった。
たまには仕事…と思って挫折した結果がコレです。
あのダンテが疲れるとしたら、きっとバージルが原因に違いない、みたいな?
しかも疲れる根本の原因はダンテが作ってたり。
あにぃは疲れることを知らなかったら良い。そんな双子が大好きだー!!(何)