惨夢
また、だ。
また、この、夢。
夜中に暑さで目が覚めた。おかしな話だ。もう十二月だというのに、何故汗だくになって起き
なければならないのか。
ダンテは疲れきった溜息を吐き、ベッドを下りた。空になったベッドをちらと見やり、肩を
竦めて部屋を出た。
廊下を挟んだ向かいが、兄の部屋だ。まだバージルが起き出すまで三時間程ある。冬の夜明けは
遅いが、バージルはそれよりも早い時間に起きるのだ。
バージルの部屋は、物音一つない。ぐっすり眠っているのだろう。昨晩は互いに単独の仕事が
あり、帰宅する時間がばらばらだった。その為、それぞれ別々に就寝したのだ。いつもなら
バージルのベッドに潜り込むダンテだが、昨晩はそんな気力も残っていなかった。
珍しいことだが、酷く疲れていたのだ。
キッチンで水――――バージルが買い置きしたミネラルウォーターだ――――をペットボトル
から直接飲み、はふ、と息を吐く。
暑さが落ち着いてしまえば、次に襲って来るのは当然だか寒さである。
ぶる、と震えた。
喉も潤ったことであるし、早く戻って寝直そう。
(そうだ、)
バージルのところにしよう。その方が暖かいし、何より気持ちが良い。これは子供の頃に味を
占めて以来、ダンテの気に入りなのだ。
バージルの側は心地好い。今は同衾すればセックスに移行するのが常套化しているが、
快楽主義的なところのあるダンテにとって、兄との行為はむしろ好きだ。何度しても飽きない。
そしてセックスの後は、優しく抱き締められて眠る。ダンテが好きなのを知っていて、バージルは
頬や額にいくつもキスをくれる。それが、気持ちが良い。
こればかりは、他の誰でも駄目なのだ。バージルでなければ、この仕合わせと言っても過言では
ない気持ちにはさせてくれない。
バージル以外の男とも何度かセックスをしたことはあるが、そんな理由もあって長続きした
ためしがない。
バージルでなければならないのだ。この、躰は。
バージルがいてくれれば、満足出来る。仕合わせを感じられる。
ただ一つ、心配ごとを除いては。
疲れがまだ残っているのか、少し重さを感じる脚を引きずるように階段を登り、バージルの
部屋のドアにぺたりと手を置く。咄嗟にドアを開けることを躊躇った。
嫌な感じが、する。
(……これ、前にも……)
あった。そう、以前にも同じようなことがあった。ではこれも、あれと同じで夢なのだろうか。
それにしては、いやに意識のはっきりとしすぎた夢だ。
そっと、ドアに耳を寄せた。声が、二つ、する。一つはバージルの、低い声。眠れないのか、と
誰かに問うている。その声音はいかにもその誰かを案じており、ダンテは唇を噛んだ。
もう一つの声は、少し高い。
怖いよう。
今にも泣き出しそうな、いや、既に泣いているのかもしれない、か細い声。
あぁ、と思った。
まただ。やはり、あの時見た――――見てしまった、あの悪夢の続きだ。
大丈夫だ。
怖い夢を見たのだろう声の主を、バージルがあやす。きっと抱き締めているに違いない。背中を
優しく叩き、髪を撫でているのだ。
ダンテはドアに置いた手をぎゅっと握った。噛み締めた唇が破れ、血が伝う。口の中に鉄錆の
味が広がるが、そんなことを気にしている余裕はダンテにはない。
(嫌だ。いやだ、いやだ……!)
聞きたくない。そう思うのに、どうしてかその場から動けない。金縛りにでも遭ったかのように、
脚が竦んで動いてくれない。それなのに、手が。ドアを開けようと勝手にドアノブに伸びる
のだ。
(駄目だ、見たくない。いやだ)
自分で自分の手首を掴み、抑える。何とも滑稽な姿だが、ダンテは必死だった。
努力は虚しく、ダンテは絶望に似た思いで音もなく開くドアを見つめていた。
隙間から覗く、ベッドには。やはりバージルと“それ”が抱き合っており。すんすんと鼻を
啜るそれの髪に、バージルが優しいキスをしている。
嫌な、光景だ。
(あぁ、バージル……アンタ、)
判ってしまった。怖い夢を見て怯えるそれを慈しむかのように振る舞っていながら、その実。
(アンタそいつに、慾情してる)
そんな、抱けば壊れてしまいそうな子供に。
どうして、
そんな目をするのか。
ダンテのいっぱいに見開かれた瞳から、涙が溢れた。
小さな、小さな不安だった。
それが大きくなり、今やダンテの心を丸ごと食らい潰そうとしている。
(バージル、やっぱりアンタは、)
止めどなく流れる涙を拭うこともせず、ダンテは立っていられずに廊下にへたりこんだ。
蒼い瞳には、最早何をも映していなかった。
ねぇ、誰か……
暗い。ダンテは目許を寝着の袖で擦った。ひりひりする。セックス以外でこんなにも泣いたのは
久しぶりだ。
はぁ、と溜息を吐き、寝返りを打った。
(…………?)
何か、妙だ。
ベッドが小さいような気がして、ダンテはのそりと起き上がった。そして、気付く。枕許に、
酷く懐かしいものがあることに。
それは昔、幼い自分と兄に母が買ってくれた、動物の形を模したふわふわの枕だ。暗い所為で
はっきりとは判らないが、ふやりとしたこの感触はよく覚えている。酷く気に入って、しばし
その所為で兄を怒らせたことも、今あったことのように思い出せる。
ここは、まだ夢の中なのか。それもこんな、昔の。
当てつけかと、誰にともなく毒づいた。ふわふわの枕を手に取り、変形しそうな程に触り
まくる。
(……どうせ、)
拗ねたように呟き、また涙が溢れそうになった、その時。
かちゃり、と不意にドアが開いた。暗がりの所為で失念していたが、ここはバージルの部屋でも
あるのだ。自分一人とは限らないのだと、はっとする。案の定、ドアを開けて姿を現わしたのは
バージルだった。
“自分の弟”に似た誰かがベッドにいるというのに、誰だ、の一言もない。不審に思わないの
だろうか。じっと、幼い“兄”を睨むように見つめ、ダンテはあることを悟った。
バージルにとって、自分はどうでも良い存在なのだ。もしかすれば自分の姿すら見えていない
のかもしれない。それを裏付けるように、バージルは何ごともないかのように隣のベッドに
腰掛け、そのまま横になってしまう。
やはり、“弟”ではない自分は見えてすらおらず、相手になどされる筈もないのだ。
これはあくまでも夢だ。目を覚ませば総てが消える。判っている。なのに。
どうして、こんなにも哀しいのだろう。
「……バージル……」
どうして。
ひと月程前になるだろうか。バージルが珍しく、夢を見たと言ってぼんやりしていた。
面白がって聞き出した夢の内容に、ダンテは驚いてしまった。子供の頃によく見ていた夢に、
酷く似ていると思ったのだ。
孤児になった子供の自分と、それを引き取る青年の姿をしたバージル。
当時は何故か、夢から醒めると決まってバージルの姿も名も忘れてしまっていたのだが、
話を聞いて、不思議な程鮮明に思い出した。
あの夢は、いったい何だったのか。
考えたところで答えが判る筈もなく、その時はバージルの話を聞くだけで終わった。が、
バージルは度々同じ背景の夢を見、そして先日、ダンテを襲ったあの悪夢だ。
子供の姿の自分に向ける、バージルの優しい笑み。
元々夢を見ることの少ないバージルが、何故何度も同じ夢を見るのか。
どうして、もっと早く気付かなかったのだろう。――――いや、気付いていたのだ。
けれども知らぬふりをした。
気付きたく、なかった。
幼い頃に見た夢の中のバージルは。確かに。子供の自分に。
性的な慾を宿した目をしていた。
……胸が、潰れてしまう。
誰か。
……ねぇ、
「……た……け、て……」
真綿の詰まったふわふわの枕を、不自然に伸びた爪が引き裂いた。
酷く、喉が渇く。
このまま、涸れてしまいそうだ。
夢ものの続きでお邪魔します。
コンセプトが“大人ダンテをどこまでも追い詰めよう”に固定されて来ました。
ダンテいじめを始めると止まらない変態ですけど、何か?
次は子兄をもっと使っていきたいです。何に?……秘密。