蜂蜜ハニィ









ふわふわのファーが襟を縁取るロングコートを、おもむろに着ろと言われたら。

「……は?」

誰だって、こんな反応しか出来ないだろう。







気に入りのコートを、台無しにしてしまった。



いつものように勇んで臨んだ悪魔絡みの仕事。慣れた剣と銃の重み。そして悪魔の血飛沫と 断末魔。
何もかも、いつものままだった。ところが。
意気揚々と帰宅した彼に、兄が言った。

「……お前、そのコートはどうした?」

「え?」

自分自身を見下ろして、思わず叫びそうになった。お気に入りの真っ赤なコートが、裾から 派手に裂けてしまっているのだ。修復は不可能。たとえ修復出来たにしろ、見栄えを考えれば 二度と着られないことは確実だ。

「嘘だろぉ……」

がくりと床にしゃがみこみ、うなだれる彼に兄からの慰めの言葉はなかった。ただその晩は 何やらいつもより優しかった気はするが、コートを駄目にしてしまった衝撃に暮れる彼には、 そんなことはろくに認識出来なかった。





それから一日も経たぬ昼のこと。

朝からどこかへ出掛けていたらしいバージルが、丁度起きたところだったダンテの部屋を訪れ。 そうして冒頭に戻るわけである。

「は? な、なんで?」

起き抜けであろうがなかろうが、突然これを着ろと言われれば困惑して当然だ。しかし バージルにとっては自分のしていることが“当然”であり、ダンテの反応はお呼びではない わけだ。

「昨日、コートを駄目にしただろう。だから、替わりだ」

煩わしそうに説明するバージルを、ダンテはベッドに座ったまま茫然と見上げた。

確かに、お気に入りのコートは最早捨てるしかなくなった。しかしバージルに新しいものを 買って貰おうとは思ってもいなかったし、ねだっても買ってはくれない筈だった。バージルは 無駄が嫌いで、ダンテの金遣いの荒さを嫌悪していたのだから。

どういう風の吹き回しか。いや、むしろ何かの罠か。

ぐるぐると思考が巡った結果、ダンテは何を思ったか、

「ごちそうさまです」

と口走った。



「安心しろ。ただのフェイクファーだ」

一体何の安心なのか、疑問には思ったが問うことはしなかった。そして何故か素肌の上に コートを着せられ、間の抜けた悲鳴をあげてしまう。

「っひゃう……っ」

コートは襟周りこそふわふわのファーが飾っているが、内側はサテン地のつるつるした 裏地なのだ。それを知らぬまま直接着せられて、驚かない人間はいまい。
しかし、バージルは眉を顰めた。

「何だその声は」

気に食わん、と言う我儘な王様を、ダンテは思いきり睨み付けた。

「冷たいんだよ! 何でこんなのにしたんだ!?」

嫌がらせか、やはり。喚くダンテに、王様は不思議そうに首を傾げる。

「暖かそうなものを、と思って買ったのだが?」

何故冷たいと言うのか判らない。

本気か、冗談か。ダンテには判らなかった。どちらにせよ質が悪いことは確かだが。





そして。

「こうなるのか……」

ぐったりと、壁に寄り掛かるように呟いたダンテの腕を、我儘な王様がぐいと引いた。

「汚れる」

コートが、という意味に取って、ダンテは溜息を吐きながらバージルに引かれるまま壁を 離れた。

「はいはい、汚さねぇよ」

面倒臭ぇな。呟きがバージルに聞こえたかどうかは判らない。バージルはじろりとダンテを 睨むようにし、髪だ、と脈絡なしに言った。

「はぁ?」

「髪が汚れる。もうするな」

なんだ、コートのことじゃなかったのか。

ダンテは虚を衝かれたようにほうけてしまう。コートのことではなかったことが、嬉しいのか どうかは判らない。しかしバージルが見、気にしているのは自分なのだと思うと、不思議な程に 心が浮ついてしまう。

「何だ」

ぽかんとしたダンテを、バージルが訝る。どこまでも自覚のないバージルだ。しかしだからこそ、 くる。

けたたましくメトロがホームに滑り込んで来た。鉄の擦れる嫌な音。それよりも、メトロが 巻き上げる風にダンテはびくんとなった。

「ひっ……」

咄嗟にコートの裾を押さえるが、もう遅い。風がコートの隙間から入り込み、ダンテの躰を これでもかと撫で回す。
ぞくぞくする。悪寒よりも始末の悪いそれに、ダンテは周囲に判らない程度に震えた。実を 言えば、コートの中には何も着ていないのだ。――――いや、インナーシャツを、という意味で あって、素裸という意味ではない。当然だ。

暖かいから充分だ、と無責任なバージルに強いられ、折れてコート一枚のまま出て来てしまった のだ。さすがにコートの前をはだけたままでは拙いと、ボタンは総てとめてあるのだが、しかし。 今のように風が吹き上げるように吹かれてしまうと、途端に寒さで身が凍りそうになる。
ロングコートを下手に着ればどうなるか、身を持って知らしめられた気分である。

「……うぅ……」

小さく呻き、メトロの箱の中に効いた暖房に生き返る思いを味わう。乗り心地は最悪の メトロだが、こんなにも恨み、そして有り難く思ったことはない。
ふぅ、と息を吐いていると、ふと。

「寒いのか?」

少し遅れた問いが投げ掛けられた。ダンテはバージルを横目で睨み、別に、と刺々しく言って 外方を向く。悪いのは総てバージルだ。しかしはっきりと恨みきれないのは、やはりバージルが コートを買ってくれたということがあるからだろう。

嬉しかった。素直に礼など言えないけれど、嬉しかったのだ。

下唇を噛む、ダンテの横顔にバージルが何を思ったか。ダンテに判るわけはない。
突然、

「ひぁっ……!」

ダンテはこの日何度目かの情けない悲鳴をあげた。胸の辺りのぞわりとした感触に驚いて 見れば、あろうことかバージルがダンテのコートに手を突っ込み、膚を撫でている。わざわざ ボタンとボタンの間から、しかも革手袋をしたままで。
恐ろしく冷たい。しかしバージルは平然と宣った。

「何だ、暖かいではないか」

こんなところで、臆面もなく。ダンテはバージルの厚顔を殴ってやろうとしたが、 出来なかった。バージルの指が、悪戯をするようにダンテの胸の突起を摘んだのだ。

「……っ……」

不意のことに声が漏れそうになるが、何とか堪えた。そんなダンテのことなどまるきり 無視して、バージルはやはり平然と言った。

「ここは確かに寒そうだ」

かっと、顔が赤くなる。それでもバージルはどこまでも鈍く。

「顔が赤いが、どうした」

などと真顔で問うて来るのだ。頼むからもうやめてくれ、と乞うダンテの声は、メトロの音に かき消されてしまった。





メトロに乗って向かったのは、何故か隣り街の古美術商だった。バージルは特に日本の古い 器などが好きで、その手の店には足しげく通っている。ダンテには価値の欠片も理解出来ず、 バージルが何か買って来ては首を傾げるのだ。

それにしても、何故今日に限って自分を連れて来たのだろうか。

不審に思いながらも、ダンテは押し黙ってバージルの半歩後ろをついて行った。
狭い店に、ごちゃごちゃと何かが置いてある。そんな印象の店内を、バージルは勝手知ったる、 とばかりに奥へと入って行く。古美術、というだけに店に居並んだものは多種多様、どれもこれも 共通点することは古いということのみだ。

「……バージル、」

ダンテは居心地の悪さに辟易して、バージルを呼ばわった。バージルは振り返りもせず、返事も せずに突然足を止める。

「っわ……」

止まり損ね、バージルの肩に躰ごとぶつかってしまうが、バージルは全く気に留めなかった らしい。ぽん、と肩に乗るような形になった頭を軽く叩かれ、やけに恥ずかしくなる。

「いらっしゃい」

ダンテが一人で顔を赤くしていると、奥まった部屋から店主らしい老人がのそりと現れた。 正直、不気味だ。無意識にバージルのコートを掴んでいることに、ダンテは気付かない。

「また来たのかね。若いのに古いものが好きとは、珍しい」

店主は白い髭をもごもごとさせ、しかし不思議とよく通る声音をしている。ダンテは不躾な までに老人を凝視した。ふと、老人と目があってしまう。

「おや、そちらは……」

「弟です。―――― 例の話をさせて頂きたいのですが、」

老人はダンテを見つめる目をついと細め、にこりと笑った。

「立ったままというのも何です。こちらにどうぞ」

穏やかに導かれたのは、先刻の奥まった部屋だった。店の床からは一段高くなる作りをしており、 靴は脱いで上がるのだとバージルに教えられる。
部屋にはタタミという全く暖かさのない敷き物――――違うと即座にバージルに 叱られた――――が敷き詰めてある。暖房が効いているらしく、ダンテはほっと息を吐いた。 それを見て、老人がふくよかに笑う。

「いつもは火鉢一つなんですがね」

バージルは今日ここに来ることを前もって伝えていたのだろう。ヒバチというものをダンテは 知らないが、あまり暖かいものではないらしい。さり気ない気遣いに、バージルが礼を言って いる。ダンテはと言えば、部屋を物珍しそうに眺め回していた。

「よせ」

バージルが眉間に皺を寄せてダンテをたしなめた。

「ん……」

曖昧に頷き、とりあえず首を巡らせるのやめたものの、ちらちらと視線を泳がせることは やめなかった。バージルの溜息が聞こえるが、気にはしない。
バージルも、諦めたのだろう。

「それで、譲って戴けるのだろうか」

「やはりあれでなければ駄目なのですか?」

「えぇ。他のものも素晴らしいが、やはりあれには劣ります」

「成程。そうですか」

「どうしても、譲っては戴けませんか」

バージルの声がやけに気落ちしている。そんなに欲しいものがあったのかと、ダンテはさして 関心もなく二人のやり取りに耳を傾ける。

「以前にも言った通り、あれは他にはない品物です。みだりに売り物には出来ないと、理解は して下すっているのですね?」

「それは、勿論。無理を言っていることは、充分判っています」

「……それでは、お聞きしましょう。お前さんならば、あれにどれ程の価値を付けますかな?」

「値など付けようがないが、あえて付けるなら、五十万」

びくっとダンテは弾かれるようにバージルを見た。五十万? それはドルで? どんな品物 なのだ、その五十万ドル積んでも惜しくないものというのは。

傍らでダンテが絶句していることなど、二人は気付かないらしい。老人が、ふわりと笑んだ。 おもむろに取り出した白い絹の包みを広げ始める。
バージルが息を飲むのが判った。老人の手の中に現れたものは、

「何だ、そ……」

場違いな声をあげそうになったダンテの口をバージルが驚くべき速さで塞いだ。

「どうぞ。お前さんが貰ってくれるなら、これも嬉しいでしょう」

「それでは、幾らで」

言いさしたバージルを制するように、老人が首を左右にした。しかし、と身を乗り出す バージルに、老人は言う。

「お前さんが言ったのですよ。値は付けられない、と。まさにその通りです。これは金を 積まれても譲れるものではありません」

どうぞ、と。老人はバージルの手に白い布に包まれたそれを手渡した。

「お前さんに持っていて欲しい。この老人の頼みと思ってはくれませんか」

ようやく頷いたバージルに、老人は嬉しそうに破顔した。そうすると何やら随分若く見える。 ダンテは暇に飽かしてそんなことを考えていた。






家に帰り着いたのは、もう陽も落ちて暗くなってからだった。冬の日没は早い。
バージルが珍しく外で食べて帰ろうかと提案して来たので、ダンテは嬉しがって即座に 飛び付いた。たまには外食も悪くない。そうバージルが思っていることを、ダンテは知って いた。

それでまさか、日本食専門店――――しかも高級そうな――――に連れて行かれるとは、 さすがに予想していなかったが。

つらかったことを一つあげるなら、コートを脱げなかったことだ。下が全くの裸では、コートを 脱げば完全に頭がおかしいと思われてしまう。だからと言って着たままでいれば、次に外に出た 時の体感温度は凄まじく低いのだ。
隣でがたがたと震えるダンテを、バージルが不審げに見ていたことは言うまでもない。




ところで。



「なぁ、それ、どうするつもりだよ?」

ようやくコートを脱ぎ、部屋着に着替えたダンテは、いつものように床に座り込んでバージルを 見上げた。バージルはソファーに腰掛け、古美術商で譲られた件のものを広げている。
バージルが手に入れたものは、櫛だ。

半月形の櫛、というものをダンテは見たことがないが、それが日本のものであることは判る。 バージルは基本的に、飾る趣味はない。求めるものは実用性である為、日本の器が食卓に並ぶ ことは最早慣れた。

そのバージルが、櫛を何の為に欲しがったのか。

ダンテは少し、睨むようにバージルの膝の上の櫛を見やる。と、バージルが不意に櫛を取り上げ、 ダンテの髪をすっと梳いた。何の引っ掛かりもなく、櫛は毛先まで綺麗に落ちる。
満足そうに口端を上げるバージルに、ダンテは目を瞬かせた。

「何するんだよ」

ぺたりと自分の髪を押さえ、ダンテは上目遣いにバージルを見た。バージルはダンテの手を どけさせ、また、梳く。珍しく、いたく仕合わせそうだ。

「バージル、もしかして」

それ、これがしたくて……?

おそるおそる訊くダンテに、バージルはこともなげに頷いた。

「それ以外に何がある?」

と。櫛は女が使うもの、という先入観のあったダンテは、バージルが櫛を女にやるつもりなの では、と疑ってしまったのだ。しかしバージルにそのつもりは毛頭ないのだと、計らずもその 口から聞けたのはダンテにとって幸いだった。

バージルはダンテの心を知ってか知らずか、髪を梳きながらその感触を味わうように指で髪を 撫でる。

「お前のコートを買った際に、衝動がな」

バージルらしからぬ言葉だ。

「衝動って、どんな」

「あのファーだ。なかなか手触りが良かっただろう?」

「あ、あぁ、うん」

ダンテはいつ頃からか、手触りの良いものを好むようになった。バージルの買ってくれた コートのファーは、フェイクではあるが滑らかな手触りが心地好いのだ。

「お前が好きそうだと思って買ったのだが、どうも気になってな」

「気になるって、何が」

「確かにあれも良いが、お前の髪には劣る、と」

衒いもなく言うバージルに、ダンテの方が頬を赤くしてしまう。

「え……それで……?」

「あぁ。お前の髪をもっと艶やかにしてやりたい。そんな衝動が、ふと沸いた」

相変わらず、バージルは全くの素。

「以前店を訪れた際、一目で気に入ったのは、お前の髪に似合うと思ったからだ。売り物では ないと聞いたものの、諦め切れなかった」

それが今朝、衝動という形で爆発したのだそうだ。

「……やはり、似合うな」

見立ては間違いではなかった。

陶然と囁かれ、ダンテは耳まで赤くなった。見られたくなくてさっと俯いたダンテに、 バージルはぬけぬけと言う。

「顔を上げろ。上手く梳いてやれん」

意地悪を言っているのか否か、ダンテにはもう判らない。

「もう、いいって。充分やったろ」

拒絶するが、バージルは許してはくれない。

「まだだ。さぁ、顔を上げろ」

「やだ……って、もう……」

いやいやをするように首を振るが、バージルに顎を掴まれて固定されてしまう。この 強引さ――――いや、身勝手さはなんなのだろうか。

「バージルってほんと……」

「何だ」

「……何でもねぇ」

「そうか」

意味のない会話は早々に終わり、バージルはまた櫛をダンテの髪に差す。ダンテは内心で溜息を 吐き、しかし兄を受け入れてしまっている自身に気付いてはいない。

独裁者。

呟きは、口の中で溶けて消えた。



















戻。



頂いたネタでございました。使いこなせてる感が全くありません。
あう…もっと萌える感じに書きたかったのに…
ちなみに櫛、そんな値段するのか全然知りません。しないと思う。
価値がある、ということだけ主張。