愛歌
最近、彼らは不満を募らせている。何故ならこの数日間、彼らはまるで主との接触を果たせて
いないからだ。
初めこそ力対力の勝負に負け、主を“使う者”として認めたに過ぎなかったが、それもごく
初期の話であり、今や彼らにとって主は最愛のものとなっている。そう、愛しているのだ。
魔具たる彼らが、人――――半人半魔ではあるが――――である主を愛するなど、何と滑稽な
ことと笑われるかもしれない。しかし意志を持つ魔具である彼らは、本当に主を慕い、愛しく
思っているのだ。
そうでなくては、主の為に姿を変えるなどということは出来ない。
よち、と短い足を蠢かし、彼らは寝床から這い出した。段ボール箱にクッションと毛布を
詰めて作った寝床は、うっすらと主の匂いがして、彼らのないも同然の眠りを安らかにする。
しかし匂いだけでは足りぬのは、想いが募ればその分増すばかりの不満である。
主に触れたい。主と戯れたい。そして出来るならば主を……。
そこまで考えるのは、彼らのうち碧い躰をした小鬼だ。
本来は朱と碧の双子剣である彼らは、自由を効かせて主に触れ合う為、小さなぬいぐるみらしき
姿を取っている。人型にもなれぬことはないのだが、常に人の姿を保っているだけの魔力を彼らは
持ってはいない。故に、子供の膝程の背丈しかない小鬼の体躯を取った。尤もこれは功を奏し、
思いの他主の気に入りになったのだから、彼らとしてはしめたものだ。
以来、本来の姿に戻ることはほとんどなくなった。勿論最上の喜悦は、主に剣として振るって
貰うことであり、獲物の血を存分に啜ることにあるのだが。
彼らの糧は、専ら血だ。魔界の汚らわしい炎と爛れた風から生まれた彼らは、しかしその糧を
人間にばかり求めはしない。同族と言うべき悪魔の血をも、彼らは啜る。喜んで浴びる。悪食、と
主が呆れるのも頷ける。
ここしばらくはどちらの血も浴びていない彼らだが、それにも増して、主と触れ合って
いないことが不満ときているのだから、魔具としての本能を少し疑うべきかもしれない。が、
彼らはあくまで真剣だ。水を差しては可哀想というものである。
よちよち、よちよち、
歩き方を覚えたての赤ん坊のように、しかし彼らは真っ直ぐに廊下を行進する。朱と碧。
一列縦隊になって歩く姿は、可愛らしい。が、彼らの頭の中は、間違っても可愛いと言える
ものではなかった。
「兄者よ、主は既に目覚めておろうな」
「然り。主の部屋には主の気配がない」
「兄上殿の部屋にもない。となれば……、いずこぞ」
「うむ、それが判らぬ。一先ず階下に降りようではないか」
もふ、もふ、もふ、
彼らの言う「階段を降りる」とは、どう見ても「落ちる」であるのだが、そこは置いておく。
べべたっ、
ほぼ同時に最後の段を落ち切った彼らは、きょろきょろと大きな(あくまで全身の比率から
言えば)頭を振り、廊下を見渡す。リビングの電灯は消えているらしいと判り、はて、と二体
同時に首を傾ける。
「主はいずこぞ?」
「もしや湯浴みか」
二体は顔を見合わせ、こくりと頷き合った。風呂に入っているならば、願ったり叶ったりだ。
何が叶うのか、あえて突っ込むのはやめておいて頂きたい。
彼らはよちよちっと彼らなりのダッシュで風呂場に急いだ。ドアは開きっ放し。しかし浴室に
続くドアはぴたりと閉じられており、シャワーを使っているらしいこもった音が耳に届く。
やはり、と外面は一切変化のしないおもてに笑みを浮かべ、彼らはそっと浴室のドアに寄った。
少し音の外れた鼻歌が聞こえ、彼らの笑みを深くする。中にいるのは、確かに主だ。第一まだ陽は
陰っておらず、そんな時間から風呂に入るのは主しかいない。
ちなみに、音程のずれた鼻歌は、主のものにしては少し音が高い。それは当然のことで、主の
躰は現在、十代半ばのものに縮んでしまっているのだ。主はほとほと困り果て、嘆いているが、
彼らにとっては諸手を上げて讃えたい程だった。はっきり言って、可愛いのだ。
十代半ばと言えば、もう可愛いという形容詞が似合わなくなっておかしくない歳ではあるが、
主には逆に似合いすぎる程だった。
その、可愛い主が、今このドアの向こうで上機嫌にシャワーを浴びている。どこもかしこも
小さく細くなった、可愛らしい主が。
鼻孔もないのに赤いものが垂れそうになる。早く主の裸体を思う存分、舐めるようにこの眼に
納めたい。
同時、ではなく、先に辛抱ならなくなった碧い小鬼が、突如として飛び上がった。朱い小鬼の
頭をひとつ蹴り、素晴らしい跳躍を以てドアのノブに飛び付いた。そして碧い小鬼がノブを捻り、
朱い小鬼がドアを押す。見事な連携を打ち合わせもなく果たして見せ、彼らはまんまと浴室への
侵入を成功させた。
当然、主――――ダンテは驚く。
「……っえ、あ?」
突然の侵入者を見下ろし当惑するダンテは、しかし自らの躰を隠そうともしない。彼ら小鬼に
対する危機感が、ほんの少しも備わっていないからだ。
湯に濡れ、ほんのり紅く色付いたダンテの白い膚は、小鬼らの目に壮絶なまでに艶めかしく
映る。豊満な女の肉体とは違い、どこもかしこも細いばかりだが、しかし。ダンテの纏う匂い
立つような色気に、彼らは思わず卒倒しかけた。
「主よ、兇悪なまでの色香であるぞ!」
「我らを誘っておるのだな、主よ!」
「主よ、我らは既に万端整っているぞ!」
「何が、とは聞いてくれるな、主よ!」
いざ、と二体同時に跳躍し、細いけれど柔らかな大腿にしがみつく……寸前で、ダンテの手が
素早く彼らの首根っこを引っ掴んだ。
「何がしてぇのか知らねぇけどな、ちょっと待ってろよ」
ぺぺいっ、と放り投げられたのは、湯のたっぷり張られた浴槽。ぼちゃっ。反動で少し沈み、
すぐにぷかりと浮き上がる。彼らの中身が何で出来ているのか、とりあえず水よりも軽いらしい
ことは判明した。いや、もしかすれば浮き袋でも入っているのかもしれない。
浮くのは良いが、この状態では自力で湯から上がることは不可能だ。彼らは仰向けに浮かんだ
まま、恨めしげにダンテを見上げる。
「主よ、早くこちらに来るが良いぞ」
「浴槽にて存分に交わろうぞ、主よ」
愛嬌があるのは見た目ばかり。二体は嗄れた声でまるで可愛げの欠片もない言葉を吐く。
ダンテがシャワーを頭から浴びながら、またかとばかりに溜息を漏らした。
「はいはい。判ったから待てって」
ダンテはほぼ完全に、彼らの言動をただの悪戯としてしか見ていない。一時は彼らを避けた
こともあるが、今はもう元のままに戻っている。ダンテにとっては、彼らはあくまで悪戯好きの
小さいものでしかないのだ。
「主よ、あまり我らを焦らすでないぞ」
「困るのは我らではないのだぞ、主よ」
完全なセクハラ発言を、しかしダンテは平然と受け流す。
「もう終わるから、黙ってろよ」
ほら、とダンテはシャワーのコックを捻って止め、濡れた髪を掻き上げた。前髪を後ろに
撫で付けると、当たり前のことだがダンテが兄に見える。しかしそれで萎える彼らではない。
幼さの残る子供が髪を掻き上げる。それをダンテがするからこそ、一層愛らしさが増すので
ある。
最早二体のテンションは最高潮。
ダンテが浴槽に入ろうと脚を上げ……かけた時、
「ダンテ、入るぞ」
言葉よりも先に、ドアが無遠慮に開け放たれた。
ダンテは勿論、驚いてそちらを振り返る。上げかけていた足はまた床を掴んだ。
「っな、何だよ、バージル!?」
彼ら二体には裸体を見られたとて狼狽えることもなかったダンテだが、今度ばかりはそうは
いかなかった。突然の乱入者はダンテの兄、バージルだ。
二体は湯に浮かび、不愉快をあらわに眉根を寄せた。
「主よ、兄上殿など放っておくが良いぞ」
「然り。我らとの戯れが先であるぞ、主よ」
喚いたが、最後。
「貴様ら、そこで何をしている……?」
魔界の獄吏の声だと、彼らは思ったがしかし恐れることはない。バージルを恐れていては、
愛しい主との触れ合おうなど出来はしない。それに、だ。
「待てよ、バージル。こいつらは俺があそこに放り込んだんだ。そんなに怒ることないだろ?」
害はないのだから、と。ダンテは何があろうと、彼らを一番に庇ってくれるのだ。そうする
ことで、バージルの機嫌が急降下すると、いい加減気付いているだろうに。
バージルは湯に浮かぶ彼らを見、そしてダンテを睨めつける。
「ほう……? あれには気を許すなと言った、俺の言葉を理解していないらしいな、ダンテ?」
バージルの言葉に、ダンテの顔がぎくりと強張る。彼らにはダンテの背しか見えないが、
最早ダンテと戯れることは出来ないと悟り、哀しくなった。
「主よ、我らは寂しいぞ……」
「我らは哀しいぞ、主よ……」
悲哀に暮れる声は、ダンテの連れ去られた浴室に淋しく響く。最後に湯から上げてくれた
ダンテの、冷たくなり始めた指先を思い、朱と碧の小鬼はほろりと涙を零した。
久しぶりのアグルド出ました。そういえばしばらく書いてないな、と。
思って出したら何だこの話。
今回は兄の勝ち?何ていうか、何で風呂…?