調律チョウリツ









コートを新調した。今使っているコートはまだ着れるし一番の気に入りなのだが、いかんせん、 寒い。ダンテは極端な暑がりだが、だからと言って冬に強いわけでは断じてない。寒いものは寒い のだ。
オールシーズン着回せる長袖のシャツを一枚、その上からコートを羽織る。その恰好で寒さを 防げる程度の、厚手のコートを新調した。

兄には、黙って。

値段や諸々のことを考えれば、兄に話したところで反対されるのは目に見えている。ダンテとて 判っている為、金がない状態で買うことはさすがにしなかった。貯蓄する、という面倒な ことを、ダンテは初めてした。
一度の仕事で入った金を総て注ぎ込んでしまったら、兄に即座に露見してしまうからだ。

何ものも恐れぬダンテだが、兄・バージルの怒りだけは幼い頃から恐怖の対象だ。三つ子の魂、 という諺をダンテが知ってあるかどうかはさておき。

特注したコートが、今日にも出来上がる。

ダンテはそわそわしながらソファーの前にぺたんと座った。バージルはその左側、きちんと ソファーに腰掛けている。
バージルの淹れてくれたエスプレッソをちびちびと飲む。味など、ほとんど感じない。それ程、 コートの出来上がりが待ち遠しい。

とりあえず昼飯を喰ったら店に行ってみよう。それでまだだと言われたら、街をぶらぶら歩き ながら待てば良い。

うん、そうしよう。

うきうきと計画を立て、ダンテはカップを抱き込むように両手で抱えた。
いつもより苦い気のするエスプレッソを一口啜る。その時、

ジリリリ……ン

事務所の電話の鳴き声が。

「ちっ……誰だよ」

浮ついた気持ちが一気に下がる。苛立ちを隠しもせずに立上がろうとしたダンテを、バージルが 止めた。

「俺が出よう」

ダンテは中途半端に浮かせた腰を戻し、ん、と思わず子供のような仕種で頷いた。バージルが そんなダンテの頭を撫で、リビングを出て行く。電話は鳴き止まない。ダンテはバージルの掌の 感触を確かめるように、自分の頭をくしゃくしゃと掻いた。

バージルはいつまでも、ダンテを子供扱いする。確かにダンテが弟に当たるのだが、あくまで 彼らは双子だ。生まれた時間が僅かに違うだけで、歳も容姿も全く同じなのだから、バージルが ダンテを幾つも歳の離れた弟のように甘やかすのは、本当ならばおかしな話である。
しかしバージルは自身の言動に疑問など持っていないし、ダンテもまた、バージルに 甘やかされるのが嫌いではない。時折強く反発することもあるが、基本的に、ダンテは甘えた なのだ。そうだという自覚も、一応ある。

甘えれば、甘やかしてくれる。
それが、心地好くてやめられない。やめなくても良いと、兄は言葉にせずともいつも言って くれているのだと、知っているから。

時にはどこまでも甘やかし、時には烈火の如く怒る。そのギャップがまた、良いのかも しれない。
ダンテがバージルを恐れながら、しかし嫌悪することがないのはその為だろう。
尤も、バージルのことは嫌う嫌わない以前の問題なのだけれども。

エスプレッソをごくんと飲み干すと、不意にリビングのドアが開いた。勿論バージルだ。
何、とダンテが問うより早く、バージルが顎で「こちらに来い」と言う。

「? 何だよ」

訝りながら立上がり、カップをテーブルに置いてバージルの方へ近付いた。バージルはくるりと 踵を返し、事務所へ向かう。ついて来い、とその背中が静かに言っている。

「何だ……?」

何か厄介な依頼の電話だったのだろうか。ダンテは首を傾げながら、バージルの背を追った。

事務所には黒檀の机がひと揃い、その上のごちゃごちゃとものが散乱している中に電話機がある。 受話器は上がったままだ。バージルは保留機能などないそれを取り上げ、ダンテに差し出した。

「依頼だ。報酬は千。前金に百、だそうだ」

「千と百、ねぇ。内容は聞いたか?」

一通り聞いたのだということを前提に、訊く。バージルが依頼の内容をどう思ったかを問うた のだ。
バージルは首を左右にする。詰まらない、ということではないらしい。

「報酬以外は要領を得んことを喚くばかりだ」

蔑むように言い捨てるバージルに、ダンテは肩を竦めて受話器を耳にあてた。

「Hello?」







依頼主は街外れの住宅地に住む男だった。小高い丘に広がるこの一帯は、この街では一番の 高級住宅街だ。ダンテが事務所を構えるスラム街から最も遠い場所に位置し、治安が良いという のが売り文句になっている。元々の治安が最悪なのだから、多少治安が良い程度、何程のことも ないとダンテには思えるのだが。

依頼の内容は、実はかなり単純だった。ただの身辺警護。それだけのことを理解するのに、 バージルと合わせて一時間もねばらねばならなかったが。
命を狙われている、きっとあいつの仕業だ。そればかりを繰り返す依頼主を宥めるのも一苦労で、 ダンテは料金を取ってやりたい気分だった。命の値段にしては安過ぎるのではないかと、報酬を 二千、前金を千にしてやったのだから、ある意味充分だろう。

依頼主の命を狙っているらしい人物は、ダンテの知らぬ名だった。しかし依頼主の命を狙うから には、両者の間には何かしらの因縁めいたものがあるのだろう。しかしダンテにはそんなものは どうでも良いし、どうせ詰まらないいざこざだ。興味を引いたのは、依頼主と因縁関係にある 人物が、悪魔学に傾倒しているという話だった。

学術的に、悪魔学は一個の確立した学問である。ただし悪魔という存在そのものが科学的には 立証されていない為、しばしばオカルトと混同される傾向がある。今回の依頼では、この オカルト色の強さが際立っているのだ。
依頼主は己の命を狙うというその人物を、悪魔憑きだと言い、しもべの悪魔どもが己を殺しに 来ると言う。

ダンテはバージルと連れ立って依頼主を訪ねた。もし本当に悪魔が関係しているならば、と バージルが自ら同行を申し出たのだ。ダンテとしては一人で立ち回れる自信があるのだが、 バージルとともに仕事をするのは久しぶりのことで、つい心が踊ってしまったとは決して口に しない。

「なぁ、」

閑静な住宅街に入るなり、ダンテは顔をしかめた。隣りのバージルを見やると、いつもと 変わらぬ鉄面皮。

「何だ」

鉄の声音は、辺りを警戒しているからだ。ダンテは何気なさを装い、屋敷といい土地といい、 ひたすら大きいばかりの家々を眺め回した。

「金ってのは、あるところにはあるんだな」

しみじみと呟いた。本音だ。しかし本当に見ていたのは、屋敷ではなくそれらを覆う黒い煙の ようなもの。普通の人間の目には映らぬそれが、住宅街を隠すように覆っているのだ。
それは出来損ないの、悪魔の影だ。的確に表現するならば、悪霊、とでも言うのだろう。この 程度のものならば、人間に害を及ぼすことはまずないと言って良い。しかし放って置いて良いかと 言えばそうではなく、後々危険を呼ぶことになる。

「依頼主の家はどれだ?」

バージルが別段捜すでもなく言った。代わりにダンテが首を巡らせ、あれだ、と指差したのは 黒い屋根の一際大きな館だ。

「ふん、判りやすいな」

バージルが蔑むように言う。それもその筈で、依頼主の館は屋根どころか壁までもが黒い。 それは勿論、黒に染め抜いているからではなく、悪霊と呼ばれるものが館に取り憑かんばかりに ひしめいているからだ。

「何かあれ、何て言うんだっけ」

バージルは一切無反応。そもそもダンテの独り言なのだから、やたら反応があっても逆に 怖い。

「あ、“満員御礼”」

「…………」

ひとり頷くダンテの傍ら、バージルはやはり、無反応だった。





悪霊に取り憑かれた――――もとい、囲まれた館の内部は、存外に綺麗なものだった。 あれだけの悪霊が寄っているのだから、中も相当だろうと目星を付けて玄関をくぐったのだが。

「あんた、何ともねぇのか?」

ダンテが思わず訊いてしまった程、依頼主は悪霊の影響を全く受けていないのである。

「それで、具体的にはどうして欲しいんだ?」

前金を受け取り、コートの内ポケットにしまいこむバージルを横目で見つつ、ダンテは一先ず 尋ねた。依頼主はあっさりと曰く。

「あいつを殺してくれ」

あの悪魔を!

ダンテとバージルは顔を見合わせ、肩を竦めた。

「電話でも言ったけどな、俺らは人殺しはしねぇ」

聞いていなかったわけではないだろうに、依頼主は喚く。

「金なら幾らでも払ってやる! あいつがいちゃ、俺は夜もろくに眠れやしないんだ!」

「金の問題じゃねぇんだよ」

ダンテらのやり取りを片耳に聞きながら、窓辺に寄ったバージルがふと呟く。

「貴様、我々が来る以前に悪魔祓いをしたな」

「あ? あぁ……あれのお蔭で、家から一歩も出られなくなったがな」

依頼主には表にいる悪霊どもが見えるらしい。それはそうだろう。この家を囲んでいる影は、 他のどこよりも黒く、そして澱んでいる。しかし近辺の住民が誰も苦情を発していないのは、 恐らくこの依頼主の素性が関係しているのだろう。

「そうだろう。ここの空気は場違いな程清浄だ」

「それで、何でそいつはここを清めただけで終わっちまったんだ?」

ダンテはどちらにともなく問う。依頼主が「そこだ」と物凄い勢いで反応し、ダンテをびくりと させる。

「あの野郎、自分の手にゃ負えねぇとか抜かして放り出しやがったんだ」

忌々しそうに爪を噛む依頼主には見向きもせず、バージルが言う。

「……随分、回りくどいことをする」

は? と不審な声を上げる依頼主をよそに、ダンテはおもむろにホルスターから銃を引き抜く。 耳をつんざくような銃声が、閑静な住宅街に響いた。驚きのあまり竦んでしまった依頼主の肩を、 ダンテはぽんと叩く。

「あれ、初めてじゃねぇな?」

指差した先には、外にいるものよりもはっきりとした形を持つ、しかし小さな悪魔だ。ダンテに 頭部を撃ち抜かれ、しかしまだ死なずにびくびくと痙攣しているそれを見、依頼主が何度も 頷く。

「あんたの命を狙ってるって奴があんたの何なのか、俺らには関係ねぇ。だがこれだけは確実に 言えるぜ」

「な、何だ」

「あんたを家ん中に閉じ込めておいて、内側から崩すつもりなんだろうよ」

悪魔祓いをした者は、おそらく依頼主を狙う人物の息のかかった人間だ。小さな悪魔を結界の 隙間から侵入させ、精神を弱らせる。恐らくその間にも結界の綻びは広がり、悪魔が館に溢れる のだろう。
そして限界を来した依頼主が館を飛び出したところを、外に待ち構える悪霊どもに 食らわせる。

「陳腐な手だが、確実ではある」

バージルが淡々と言い、依頼主の恐怖を無自覚に助長させる。ダンテはくっくと笑い、 どうする、と場違いな笑みを浮かべて依頼主を見た。

「ど、どうするも何も……」

どもる依頼主。放って置けば死ぬだけだと言われ、正常でいられる人間がいるだろうか。

「見たところ、あんたを狙ってる奴にはデカい悪魔を使う力はない。でもあんた、よっぽど悪い ことしたんだろうなぁ」

「な、何だ、いきなり」

「外にいる連中は総て、貴様への憎悪に満ちている。共鳴し、融合するのに時間は かかるまい」

バージルは変わらず、窓の外から視線を外さない。視界に映る黒いものの中に、一つだけ はっきりと輪郭をなしたものがいるのだ。

「あれを潰せばことは収まる。が……」

「ちょっと威嚇する程度で充分だろ」

ダンテは事も無げに言った。バージルが頷くでもなく、鼻を鳴らす。彼らは互いに多くを語らず とも意思が通じるものだから、依頼主は完全に置いてきぼりを食らっている。
また、ダンテの黒銃が火を吹いた。

「さぁて、さっさと片付けますか」

銃を手の中でくるくると回しながら、ダンテは散歩にでも行くような足取りで部屋を出た。 バージルが無言でそれに続く。いつの間にか、バージルの手には細身の変わった形をした剣が ある。それが刀と呼ばれるものだとは、依頼主は知らない。



バージルが見ていたそれは、まだ死んでいない、いわゆる生霊というものだった。
ダンテは家を囲む影を払い、それに一発の弾丸を放った。ほぼ同時に、バージルの閻魔刀が 蒼白い幾重もの烈刃を繰り出し、射かける。

殺すのではない。強力な悪魔を喚ぶ力もないただの人間を、少し脅かして追い散らすだけだ。

読んだ通り、それは半魔二人の前には逃げるより他なく、群れていた悪霊たちも引きずられる ように散り散りに消えた。

残ったのは、中途半端に放り出された結界の残骸のみ。





「次同じ奴から依頼が来たら、絶対蹴る」

消化不良を起こしたように胃の辺りを撫でながら、ダンテはぶつぶつとくさした。請けなきゃ 良かった、と呟いた時、バージルが低く笑った。

「しかし金は欲しかった。違うか?」

「っ! な、何で、」

金ならいつもかつかつだろう、とでも言えば良かったのだが、ダンテは咄嗟にどもってしまう。 バージルに隠れてコートを新調しているのがばれたのだと、ぎくりとしてしまったのだ。

「朝から様子がおかしいと思えば、やはりか」

「あ、朝?」

「コーヒー、俺が飲むものよりも濃くしたのだが、気付かなかったか?」

「え、」

「俺に隠しごとなど、出来ると思うな」

何を買った?迫るバージルの端整な顔立ちは、美しいだけに怒りを孕むと兇悪なまでに 恐ろしい。

マズい。

ダンテの本能が脳内で警告音を掻き鳴らすが、もう遅い。バージルからはどうあっても 逃げられない。

「あう……」

「言え、ダンテ」

促す声は優しく、それ故に恐ろしい。
ダンテは堪え切れず、兄という名の悪魔に総てを投げ出した。

「……こ……コート……」

その声は情けなく震え、瞳には涙すら溜まり。
ダンテはぷるぷると、叱られた子犬のように震えるしかなかった。








その後、真新しいコートを羽織り、意気揚揚と酒場に出入りするダンテを、幾人もの同業者が 見たという。



















戻。



何て意味の分からん…って、いつものことですね。とりあえず土下座します。
コートを新調、というの自体は頂いたネタなんですが、これは別物です。
頂いたネタは違うパターンで活用させて頂く気満々ですので、あしからず。
この頃寒いですし、暑がりかつ寒がりのダンテが耐えかねた、ということで…