幼藍
「Trick or Treat?」
ハロウィンの夜には、街の到るところでそんな言葉が聞こえて来る。
様々なお化けに扮装した子供たちが、家々を回って玄関口で叫ぶのだ。
お菓子をくれないと、いたずらするぞ。
いたずらされては堪らないと、大人たちは彼らにお菓子を渡す。子供たち扮するお化けは嬉々と
してお菓子を抱え、次の家の戸を叩く。
ハロウィンの日に、お化けに扮した子供にお菓子を与えるのは、言わば通例の行事なのだ。
両手に大量のお菓子を抱え、嬉しそうににこにこしているダンテを、バージルは横目で見やる。
毎年、弟はこうだ。菓子を貰えたこともさることながら、ダンテには、他の子供たちと一緒に
きゃあきゃあ言いながら街を巡るのが楽しくて仕方がないのだろう。
遊び盛りな歳では、確かにある。まだ生まれて十年だ。しかし、根っから遊び好きのダンテとは
違い、バージルは根本から冷めている。
自我の目覚めからして早かったバージルに対して、ダンテは随分子供らしい子供だ。兄と
弟の差、と言っても、彼らは双子である。こうもはっきりとした差が現れるというのはどうした
ことか。
総てにおいて、バージルはダンテの先を行く。
「ね、バージル」
楽しかったね、と満面の笑みでこちらを覗き込んで来るダンテに、バージルはようやく
子供らしい笑顔を見せるのだった。
良かったわね。でも一度に食べると虫歯になるわよ。
にっこりと微笑む母のおもては、ダンテにそっくりだとバージルは思う。バージルとダンテは
一卵性双生児ではあるが、それぞれ父と母に似ているのだ。容姿そのものというより、雰囲気が。
尤も、父の記憶は微かなものでしかない。
優しい母の忠告に、ダンテが大きく頷いた。
「うん!」
素直な、弟。バージルは蟠りのようなものを感じながら、自分もまた頷いた。母が言葉の裏で、
ダンテが食べ過ぎそうになったら止めてね、とバージルにだけ言っているからだ。
笑顔を絶やすことなく部屋に戻った双子は、それぞれ性格の現れた行動を取った。いそいそと
今日の収穫物を物色するダンテ。バージルはいつもなら机に向かい本を開くのだが、手に提げた
袋をダンテに渡した。きょとんとするダンテに、言う。
「おれは食べないから」
おまえにやる。そう言ってやれば、ダンテはぱっと破顔する。
「いいのっ?」
菓子好きのダンテには、堪らなくない嬉しいプレゼントだろう。跳ねそうな程喜ぶダンテの頭を、
バージルは撫でた。
「初めからそのつもりだったしな」
去年も、バージルは自分が貰った菓子をダンテにやった。しかしダンテがそのことを念頭に
置いていなかったのは、去年の今日、ダンテは風邪で寝込んでいて、菓子を貰いに行けなかった
からだ。
その時は、バージルがまさか貰った菓子総てをくれたのだとは思わなかったのだろう。
「ありがと、バージル!」
どうしてその場でくれなかったの、とは、ダンテは訊かない。そんな疑問すら沸かない
のが、ダンテの純真さだ。
バージルが、あえて二人きりになってから渡したことの意味を、ダンテは知らない。知らなくて
良い、とバージルは思う。
(まだ、)
知られてはならないのだ。
「どれが一番おいしいかな?」
無邪気に問うてくるダンテの髪に指を絡ませ、バージルは不慣れな感情を自分の中に
押し込めた。
夜半。バージルは喉の渇きを覚えて目を覚ました。腕の中で猫のように躰を丸めて眠るダンテを
起こさぬよう、そうっとベッドを抜け出す。ダンテが寒くないよう、毛布をかけ直してから廊下に
出た。
夜が明けぬ廊下は暗い。バージルはしかし、明かりも点けずにキッチンへ向かった。自分の躰の
造りが普通とは違うことを、バージルは知っている。見た目は同じだが、感覚や機能的なものが
はっきり違うのだ。
たとえばこんな暗闇でも、バージルの目ははっきりとものの位置などを捉えている。これは
自宅故の記憶によるものではない。
手探りすることなくバージルはキッチンに辿り着き、水を飲んだ。水道水は衛生上良くない
からと、冷蔵庫には年中ミネラルウォーターがある。
喉は潤った。バージルはふうと溜息を吐き、やはり暗闇の中を部屋に戻った。ダンテが
起きていなければ良いが。もし起きていれば不安になっているだろう弟のことを思い、バージルは
足早に階段を登った。
子供部屋のドアは、階段から一番遠い廊下の奥手にある。最も手前は空き部屋、その隣りに母が
眠っている。
足音をたてぬように廊下を突っ切り、ドアの取手に手をかけた。が、開けようとしたバージルの
手は、ノブを掴んだまま動かなかった。
誰もが寝静まった、ハロウィンの夜更け。自分と、弟と、そして母。三人より他にはない筈の、
四人目の気配が部屋にある。それも、ダンテと何か話しているらしいのだ。
ダンテは基本的に警戒心が薄い。そんなことではいつ誰に攫われるか、バージルは気が気では
ないのだが、そのことは今は置く。
相手を警戒することのないダンテの、嬉しそうな声がバージルの表情を険しくした。
誰だ。そこにいるのは。
まだ十にしかならないバージルだが、意識を集中させる方法は感覚的に知っている。じっと耳を
澄ます。ダンテの声が弾んでいるのは、その誰かに菓子を貰ったかららしいと、
間もなく判った。
「ほんとに良いの?」
問う声は、すっかり菓子に魅了されているのだと誰の耳にも明らかだ。そして、ダンテが菓子を
くれた“誰か”を酷く慕っていることも。
菓子を与えただけで、ダンテがそうも懐く筈はない。警戒心は薄くとも、ダンテは人見知りを
しやすい性格だ。
誰が、いる。そこに。
しかしバージルには、それが常人ではないことを無意識に悟っていた。ただの侵入者なら、既に
ドアを開けている。しかしそれをしない――――出来ないのは、このドアを隔てた向こう側が、
こちらとは違う空間に繋がっているようでならないから。
そして、開けてはならないと本能が告げている。
「…………」
低い声が何ごとか言った。それに対して、ダンテがはしゃいだ声を上げる。
「うんっ、ちょっとずつ食べるね」
ほわほわと仕合わせそうな空気がこちら側にも伝わってくる。それはバージルがダンテに、
自分の分の菓子をやった時と同じか、それ以上のもので。
向こう側の空気は伝わっても、こちらの空気は向こうには伝わらないらしい。ふつふつと怒りを
募らせるバージルの双眸には、幼さに見合わぬ殺気すら宿っていた。
どうしてだ。
疑問は、ダンテに向けたもの。殺気も、もしかすればダンテへのものかもしれない。そして怒りの
影に隠れた何かの感情は、ダンテが尾を振って懐く“誰か”へ。
みし、とノブが軋む。力の加減をまだ上手く出来ないバージルが、ノブを掴む手に有らん限りの
力を込めたのだ。
声はダンテのものしか聞こえない。しかしそれが、一層もどかしさに似た焦燥をバージルに
植え付けた。
(だめだ、ダンテ。そんなやつと)
その誰かがダンテに愛情を注いでいることなど、ダンテの声を聞けば判る。ダンテが慕うものは
決まって、ダンテをこよなく可愛がる人間だからだ。
バージルにとっては決まって、好ましくない相手である。
ドアの向こうにいる誰かが、ダンテの名を口にした。ダンテの弾んだ声が応じる。
「なに、バージル?」
そこにいるのは、自分――――?
バージルは衝動的に、ドアを開けていた。
「ダンテっ!」
閉ざされていた空間が歪むのを、バージルは肌で感じた。一瞬、ベッドの上に広げた菓子に
埋まるように、愛する弟が髪こそ自分と似た男の膝に抱かれている姿が見えた。
バージルが部屋に駆け込むと同時に、そこは出て来る前と同じ暗闇に返っており。ベッドには、
小さな山が一つ。ダンテ一人だ。
バージルは衝動的に明かりを点け、眠るダンテを揺り起こした。
「ん……ばぁ……じる……?」
眠そうな、眩しそうなとろんとした瞳が堪らなく愛しくて、バージルはダンテの額に手をあて、
ふっくらとした頬に口付けた。ダンテが“バージル”と呼んだあの男にも、されたのだろうか。
そう思うと、消えかけた怒りがまたぞろ首を擡げる。
「ダンテ、」
声変わりのしていないバージルに、あの男のような低い声は出せない。しかし限界まで
低められた声に、まだ寝ぼけ眼のダンテがびくりとした。
「バージル……?」
その声には微かな怯えがあり、バージルを苛立たせた。
あいつには、甘えていたじゃないか。
「おれが怖いか、ダンテ?」
睨めつける、その瞳に赤味が混じっていようとは、バージルは気付かない。ひとでは有り得ぬ
赤に近い紫の瞳に映るダンテは、明らかに恐怖をあらわにしている。
「ぁ……」
零れかけた言葉を奪うように、バージルはダンテの唇を塞いだ。ぽってりとしたダンテの唇は、
柔らかい。衝動に駆られるまま、バージルは舌で柔らかな肉を舐めた。ダンテの躰がびくっと
跳ねる。
「んっ……ば、じ……ぅん……」
ダンテの溜息に似た声に、バージルは少なからず昂奮を覚えた。既に性というものを自覚して
いるバージルだ。頬を染めるダンテを間近にして、はっきりとした慾を抱いた。
おまえが悪いんだ。
「おまえが、あんな……」
言いさした言葉は最後まで紡ぐことなく、バージルはダンテの首筋に噛み付く。言葉通り、
噛んだ。弾力のある、しかし柔らかな膚に犬歯が食い込む。
「っい、たぃ……よ……」
バージル、と懇願する声を無視して、バージルの手はするすると毛布を剥ぐ。ダンテの寝着の
下衣に躊躇いなく滑り込ませ、下着を掻い潜った先にあるものに触れた。途端、ダンテの躰が
驚きに硬直する。
「ひっ……」
怖い、と怯えた瞳がバージルを凝視する。しかしバージルは、苛立ちはしなかった。代わりに、
喜びに似たものが心の底に広がっていく。
止まらない。頭の中で、誰かが言った。
「バージルっ……」
恐れ、震えるダンテの声は心地好くバージルの耳に響く。
昏いものを抱えたまま、バージルはダンテの躰を押さえ込んだ。
蒼褪めたような白い膚に刻む、紅い痕。
「うまそうだ。なぁ、ダンテ……」
くすりと、笑う。
その表情は、無邪気。
Trick or Treat ……?
ハロウィンと見せかけて、それにかこつけた夢ネタ。かつ仔双子。