破片
ふわふわの毛布にくるまり、すやすやと眠る小さな子供を見下ろして、バージルは一つ溜息を
吐いた。
また、あの夢を見ているらしい。
“小さな”ダンテの寝顔は安らかで、確かにバージルの心を癒してくれる。自分の隣に
ダンテが寝ているということは、ダンテが自分を訪ねて来た後、ここ――――城か屋敷かは
判らないが――――に泊めたのだろう。もしくは、そのままここに住まわせることにしたの
かもしれない。
どちらにしろ、夢だ。しばらくすれば醒めてしまう。その間に何が起こっていようと、
さして問題ではない。
このダンテは、随分と寂しがりのようだ。もともとダンテは甘ったれで、言ってしまえば
可愛い弟なのだが、夢の中では更に拍車がかかっているらしい。
ベッドから抜け出そうとすると、小さな手にきゅっとシャツの裾を掴まれ、起きたものの
動けなくなってしまったのだ。
バージルは自分にすり寄って眠るダンテの、柔らかな髪をくしゃりと撫でた。自分のもの
よりも白に近い銀髪が、思いの外手に心地好い。きちんと手入れをすれば、もっと絹糸の
ような手触りになるだろう。
現実のダンテの髪は、扱いが酷い為に手入れが追いつかないでいる。そのことを考えれば、
こちらはまだまだ時間がある。
目覚めたら、まず風呂に入らせよう。
バージルはそう決め、しかしすぐに思い直した。
目覚めるまで待つ必要は、ないのではないか、と。
思い立つが早いか、バージルは掴まれたシャツごとダンテを抱き上げ、面倒な天蓋付きの
ベッドから下りた。どこに風呂場があるのか、無論知るわけがない。バージルは迷わず、
造りの良いテーブルの上に置かれた、銀か何かの鈴を鳴らした。すぐさま、使用人か誰かが
ドアをノックする。
「御用でしょうか」
ドアを開けようとしないのは、ここのしきたりかそれとも自分がそう命じたのか。どちらでも
構いはしないが。
「湯を使いたい。すぐにだ」
起き抜けに風呂とは、理不尽な命令である。しかしドアの向こうに控えた使用人――――声
からして女中のようだが――――は、不快な色すら見せずどこまでも従順だ。
「畏まりました。こちらにお運びしましょうか」
ここに? 確実に絨毯が濡れるが、それは問題ではないのだろうか。
―――― まぁ、良い。
「あぁ、頼む」
「はい」
軽やかな声が去り、バージルは椅子に腰掛けダンテを抱え直した。咄嗟に風呂ではなく湯と
表現したものの、どんな状態で届けられるのかまで考えていなかった。
顔を濯ぐだけの量しか来ないかもしれないが、その時はまた指示すれば良いか。
現実よりも遥かに楽観的に考え、バージルは息を吐いた。
ダンテはまだ、目覚めない。どのタイミングで起きても大して支障はないが、服を脱がして
いる時に起きられるのは少々面倒かもしれない。これが現実のダンテと変わらないなら、
それも問題にはならないのだが。
ぼんやりと思案に耽るうちに、間もなく女中が戻り、使用人が三人がかりで簡易な浴槽を
運び込んだ。桶の湯を注げば即席の風呂の完成である。
ごゆっくり、と慇懃に礼を施して部屋を出て行く使用人らには一瞥もくれず、バージルは
浴槽に張られた湯に手を浸してみた。熱くはない。適温と言ったところだろう。
「ふむ……」
一先ず、脱がさねば。
小さなダンテに合う服がすぐには見つからなかったのか、絹の開襟シャツを着けている
だけだ。それもかなり大きいらしく、脚は膝から下しか見えていない。
ダンテを一糸纏わぬ素裸にしたものの、これはあれか、自分も脱がねばならないのか。
「…………」
無駄に広い部屋で、風呂。テーブルの上に置かれた質の良さそうな布を見やり、バージルは
一つ溜息を吐いた。
朝風呂は良い。と言っている場合ではなく。
ダンテを後ろから抱き締める形で浴槽に身を沈めたバージルは、掌で湯をすくい、顔に
かからないようダンテの髪を湿らせる。
銀糸から滴った雫が一つ、また一つと落ち、ダンテの肩やうなじを濡らす。幼い肌は透き
通るように白く、女が羨む程に肌理が細かい。
年端も行かぬ子供が随分艶めいて見えてしまい、バージルは強固な理性を奮わせた。
ダンテは確かに、子供の頃から可愛かった。しかし、この夢の中ではダンテは十歳そこらで、
自分は現実と同じ。つまりは十は歳が違うのだ。そんな歳の離れた子供に慾情するなど、
はっきり言って笑えない。
夢から醒めればダンテを思う様抱けるのだ。今ここで暴挙に出る必要はない。
馬鹿な慾を理性で殺し、バージルはダンテの痩身を少しずらし、髪が湯に半ば漬かるように
した。片腕だけで支えねばならないが、浮力のお蔭で重さはほとんど感じない。勿論、ダンテ
自身が軽いということもある。
ちゃぷ、ちゃぷ、
髪の一本一本を労るように梳き、ほぐしていく。湯に漂う髪は本当に絹糸のようだ。
窓から射し込む朝日の光を弾いて、きらきらと輝いている。
バージルは濡れた手で、ダンテの額を生え際に向けて撫で上げた。滑らかな感触に目を細め、
そのまま頭を撫ぜる。その時、
「、ん……」
ダンテの睫毛がふるりと震え、瞼が薄く持ち上がった。目が覚めたのだろう。喉をのけ
反らして、ダンテの蒼い瞳がバージルを逆さに映した。
「……バージル、さかさま……」
半分眠っているのが明らかな、ぽやんとした声と言葉だ。バージルはふっと微笑し、
ダンテの躰を起こしてこちらを向かせてやった。
「ちゃんと見えるだろう?」
「ん……バージルだ……」
嬉しそうに笑い、ダンテがバージルに抱き付いてくる。肌が直接触れたことで気付いたのか、
ダンテは「あれ」と目を瞬かせた。
「……おふろ?」
色々問いたいことはあったのだろうが、ダンテは瞳をくるりとさせ、自身の躰を見下ろした。
当然だがバージルの躰も目に入ったらしく、
「バージルが入れてくれたの?」
上目遣いに問う。その仕種が、ちょっと困る程に可愛い。
「あぁ、……髪を梳いてやりたくてな」
気持ち良いか、と訊けば、うん、と大きく頷いて見せる。
「そうか、私も良い心地だ」
これは紛れもない事実だ。
実際、現実のダンテとも時折風呂に入ることがあるが、さすがに幼い子供とは肌の柔らかさが
違う。湯の中で触れるだけで心地が好い。
小さなダンテはバージルの言葉が嬉しかったのか、ぱっと破顔した。
「本当、バージル?」
「私は嘘など言わぬさ」
お前にはな。それは口の中だけで呟き、バージルはダンテの肩に湯をかけてやる。
「そろそろ上がるぞ。湯が水になる前にな」
肩まで漬かれ、と言えば、ダンテは素直にちゃぷんと躰を沈めた。そうしていても、瞳は
常にバージルに据えられている。この幼さで誘っているのかと、またしても馬鹿なことを考えて
しまう。
「どうした?」
「んー……、バージルがいるなぁ、って」
「なんだ、それは?」
バージルは怪訝そうに眉根を寄せた。はにかむように、ダンテが笑う。
「僕さ、バージルといると嬉しいんだ」
首をことりと傾げ、ダンテは言った。
「バージルのこと、好きだから」
夢と現実とを切り換える何かがあるとすれば、今度の夢は、ダンテの言葉がそれにあたるもの
だったのだろう。
醒める。確信を持って、バージルはそう思った。
そして、愛らしいダンテを中心にした総てが、白に溶ける。
目覚めは、夜明けの薄暗い部屋。
バージルは寝惚けることもなく躰を起こした。と、何かにシャツを引かれ、軽くかくんと
なる。
何がいたのだったか、と肩越しに見やり、あぁ、と一人ごちる。
ダンテだ。
「まるで子供だな、お前は」
溜息混じりに肩を竦め、きゅっと無意識にバージルのシャツを掴むダンテの見下ろす。
夢の中でも同じようなことがあった。
呟きながら、一度は起こした躰を横たえた。それが寝ていながら判ったのか、ダンテの手が
シャツから離れ、代わりにバージルにすり寄って来る。
背中を丸め、猫のようにバージルの胸に頭を埋めるダンテは、歳不相応に可愛らしい。
バージルは微笑を浮かべ、ダンテの腰を抱き寄せて瞼を閉じた。眠るつもりはない。ただ
ダンテの匂いを吸い込み、うとうととしていたい。
そんな気分だった。
心地好いものを腕に抱き、心地の好い匂いを傍らに置く。
穏やかに、穏やかに。
ただ時が過ぎて行く。
そんな、朝。
1日置いた更新がこれかよ…みたいな気に、凄いなりました。私が。
何ていうか、面倒だ、と思うともう駄目。
とりあえずこんなものですが、読んで下さってありがとうございます。
兄が子ダンテを風呂に入れようと思い立ったのは、ちょっとした出来心です。私の。
小さい子をお風呂に入れるのはお父さんの仕事、という先入観があります。
え、兄と子ダンテって親子?…それも面白いかな…?(エ)