沙羅サラ









それは風に泳ぐ雲のように、一所には止どまらぬもの。



「ダンテ?」

「バージル?」



違う時、違う場所で、同じ容姿の二人が互いを呼ぶ。
応じる声は、二つ。



「なに、バージル?」

「どうした、ダンテ?」



決して交わることのない、二つの時間。果たして彼らは時を超え、同じ場所でそれぞれの 半身に出合う。








親がないダンテは、いつも一人、湖畔に座ってぼんやりと夜を待った。食べ物は、森に入り、 拾った僅かな木の実を時折口に入れるばかり。
常に一定した空腹が、少年の冷たく閉ざされた心を慰めている。

物心付いた時には、孤児として教会で暮らしていた。父の顔も、母の顔も知らない。いや、 本当は知っているのだが、思い出すことは出来なかった。父母ともう一人、忘れてはならない 筈の誰かのことも。

僧侶との生活は、彼にとって快いものではなかった。だから彼は、一年前に教会から逃げ 出した。
経緯はほとんど覚えていない。無我夢中だったのだろう。気が付けば、この湖畔に いた。

記憶は曖昧で、細かなところはぼんやりとも思い出せはしなかった。例えば、自分は何故 教会に馴染めなかったのか、等。
しかしそれを深く考えることはしない。考えようとしても、思考が纏まらないからだ。

夜になれば、少年は湖畔から少し離れ、森の中で眠った。大きな樹の下で丸くなり、木の葉に くるまって眠る。



ぼんやりと、ただときだけが過ぎて行く。



そんなある日、彼は何を思ったのか、街に下りた。教会を抜け出して以来、初めての街だ。

目的があったわけではない。だが、彼はとぼとぼとした歩みを止めることはなかった。

街は人に溢れ、賑わっていた。別段、祭事があるわけでもなく、特別な市が開かれている わけでもないが、人々は仕合わせそうに笑い合っている。

小さな彼は、独りぼっちだった。

不意に泣きたくなって、細い路地の影に隠れるように座り込んだ。膝を抱え、声を殺して 泣いた。あらわになった膝を、冷たい涙が濡らす。
教会から逃げ、湖畔に独り佇んでいても流れなかった涙。それが、今はどういう訳か 止まらない。

寂しい。――――そんなことは、当たり前のことだというのに。



どれ程そうしていただろうか。

陽が西に傾き始めた黄昏時、夕闇に紛れた彼は、人の気配にふと顔を上げた。
ぐっと首を反らして見上げねばならぬ程、長身の男がそこにいた。知らない男だ。
薄闇にさえ映える銀の髪。瞳の色は判らないが、何故か直感で碧いのだと思った。それは いつも水面に映して見る、自分の髪と瞳の色。

「……だれ……?」

泣き腫らしてかすれた声で、少年は言った。
男のいかにも無造作で、鷹揚のない声音が頭上から落ちてくる。

「泣いているのか?」

少年はかぶりを振った。もう、泣いてはいない。

「親とはぐれたのか」

続けざまに問われ、少年はまた首を左右にした。はぐれただけだったなら、どんなに良いか。

男はしかし、それを見ても同情というものを感じなかったらしい。そうか、と短く言った 言葉には、やはり何の感情も込められてはいなかった。
黙ってしまった男に、彼は何かを問い掛けようと口を開いた。しかしそれは叶わなかった。

「このような所においででしたか」

男の従者らしき者が、男を見付けてこちらに駆け寄って来る。男はうんざりしたように眉を しかめ、少年の側に膝をついた。仕立ての良い、高そうな衣装と靴。肩に羽織った外套を、 おもむろに脱ぎ少年の痩せた肩にふわりと掛けた。

「私の名はバージルだ。お前にその気があるならば、私を訪ねて来るが良い」

これはお前にやる。髪を梳く男の手は、無償の優しさがあった。
ではな、と立ち上がり踵を返したバージルの背に、彼は慌てて叫んだ。

「ぼくっ、僕の名前、ダンテ!」

自分でも驚く程大きな声が出てしまったが、肩越しにこちらに視線をくれたバージルは、 笑んでいた。

「ダンテ、――――良い名だ」

誰かに名を名乗ることなど、いつぶりだったろう。誰かに名を呼んで貰うのは、こんなにも 嬉しいことだっただろうか。

バージルが去った後、少年はまた涙を流した。それは先刻のそれとは違い、哀しい涙では なかった。
暖かな外套をぎゅっと握り締め、ダンテはぽつりと呟いた。

「……バージル……」

大切な、宝物のような名前を。








自身の名を呼ぶ声に、ダンテはふっつりと眠りから引き起こされた。

「ダンテ、」

案じるような声は、双子の兄のもの。

「ん……」

ダンテは小さく唸り、手の甲で目をこすった。

「……ばぁ、じ……?」

何があったというのか、バージルは眉を寄せてしかめっ面をしている。ダンテと同じでまだ 十にもならない幼年だが、バージルは時に大人のような表情をすることがある。大抵が、 こうして難しい顔をしている時だ。
寝転んだまま首を傾げるようにすると、バージルはむすっとした表情で言った。

「夢で誰に会ってたんだ?」

「え?」

仕合わせそうだった、と不機嫌さを隠さず言うバージルに、ダンテは目を瞬かせた。

夢――――確かに目が覚める寸前まで、夢を見ていたという記憶はある。けれど、

「……忘れちゃった……」

ぽそり、とダンテは呟いた。酷く悲しそうな、今にも泣きそうな表情で。

バージルが一層不愉快そうに顔をしかめたことに、ダンテは気付かない。

「あの人の名前、忘れちゃった……バージル、どうしよう……」

忘れない、と夢の中で誓った筈だ。しかし、実際にはどうか。その事実はダンテに強い衝撃を もたらした。

ぽろ、とダンテの大きな瞳から涙が零れる。
実際には忘れてなどおらず、はっきり口にしているということには気付こう筈もない。

「ダンテ、それは誰で、お前の何なんだ?」

バージルがダンテの肩を掴み、詰問する。真剣な眼差しに、歳に見合わぬ濃い嫉妬の色が 浮かんでいるが、無垢なダンテには判らない。

「思い出せないけど、すごく……すごく優しいひとだったの……」

独りぼっちだった自分に、あの人はコートをくれた。頭を撫でてくれた。名前を、呼んで くれた。

「あったかかった……」

あの手の温もり、あの優しい声は忘れてはいない。しかし名前と顔がどうしても思い出せない のだ。

もう一度、逢いたい。

そう無意識に呟いたダンテを、バージルがきつく抱き締めた。

「…………っ?」

「おれがここにいる。おまえのそばにいる。……それじゃ駄目なのか?」

どうしてもそいつに逢いたいと言うのか?

暗く沈んだ声音に、ダンテははっとした。

「ごめ……ごめん、バージル、ぼく……」

そうだ、ここにはバージルがいる。どうして夢のことばかり考えてしまったのだろう。

ダンテはバージルの背中に腕を回し、しがみついた。

「駄目なんかじゃないよぅ、バージル……バージルがいなかったら、僕、どうしたらいいか わからない……」

夢の中で出合ったあの人物は、確かに夢での自分にはなくてはならない存在になった。 しかし、ここにその人はいない。いるのはバージルであって、他の誰でもないのだ。

「ダンテ、」

優しい、バージルの声。

夢の中のあの人に似ている気が、何となく、した。



















戻。



…何だかよく分からなくなってきました…。あれ、子ダンテの一人称って…?
前に書いたものをろくに覚えていないので、間違ってたらすいません。←見直せよ。
夢で逢いましょう、子ダンテ(夢)編でございました。夢なのに設定が細かいとか、
兄が別人とか、そんなツッコミは心にしまって大切にしておきましょう☆(待て)
いきなりですが、兄は子供のくせに独占欲の塊です。ついでに老けてます。雰囲気が。
ダンテは子供より子供らしい子供。無邪気というより無垢。無知ではないです。