一重ヒトエ









「何、それ」

兄が手に持った何かを、ダンテは不審げに見上げた。それはどうも、裁縫に使うものに 見えるのだが、縫い物など一切しないダンテには、そうだという見当すら 付かなかった。
バージルは珍しく床に座り込み、ダンテを手招いた。

「ここに座れ」

示されたのは、バージルの膝。

「何で、」

幼いおもてを訝しげにしかめると、バージルはいつもと変わらぬ平坦な口調で言った。

「爪を切ってやる」





先日、不承不承請けざるを得なかった依頼――――悪魔絡みのその仕事の最中、ダンテは 腕に悪魔の毒を受けた。悪魔は難なく屠ったが、問題はその後に起こった。腕に受けた毒が 全身に回り、なんとダンテの躰を十四、五の子供に縮めてしまったのだ。
ダンテにとって、それは悪夢と言っても過言ではない。もう一週間になるが、毒はいっこうに 抜ける気配がないと来ているのだから、余計にだ。

しかしダンテを精神的に追い詰めたのは、実は縮んだということばかりではない。こうなった 諸悪の根源である双子の剣と、実の兄だ。



バージルは子供の姿になったダンテに着物――――ダンテは知らなかったが、これは日本という 国の民族衣装らしい――――を着せた。表情は代わり映えがないが、嬉々としていることが ダンテには判りすぎる程よく判った。
双剣アグニとルドラは、小さなぬいぐるみのような小鬼の姿でダンテの周りにちょろちょろと 纏わりつき、隙あらば絡む。それも「愛らしい」だの何だの喚き散らしながら。アグニとルドラは ダンテの気に入りであり、周りをちょろちょろされること自体は良い。が、兄と言い小鬼どもと 言い、自分が縮んだことを楽しんでいるらしいことが、無性に腹立たしいのだ。

もっと心配してくれても良いではないか、と思い、ダンテはすっかり拗ねてしまっている。

まぁ、バージルがいつも以上に甘やかしてくれることは、少しばかり嬉しくはあるのだが。
ダンテは元来が甘えたがりな性格なのである。



さて、バージルがどこかから出して来た奇妙な器物。それは一体どういう経緯で持ち出された ものだったか。発端は、ダンテの何気ない一言である。



昼、寝着のまま飯を食べた後、またしてもダンテはバージルによって着物――――今回は 浴衣だが――――を着付けられた。ダンテは最早、兄の奇妙な趣味を諦めてかかっていた為、 何を言われるまでもなく両腕を広げてバージルの成すがままに任せていた。
手慣れているだろうに、何故かゆっくりと着付けていくバージルの一挙手一投足を目に収め、 ダンテは溜息を吐いたものだ。
バージルが着付けを楽しんでいることが、ありありと判ったから。

何が楽しいんだか。

縮んだ当事者であるダンテには、理解出来ぬ質のものであることは間違いない。

きっちりと帯が結ばれ、完成である。

「きついか?」

結んでから訊かれても、と思ったが口にはせず。

「んー……大丈夫……」

答えながら、ダンテは少し丈の余った袖を指で摘んだ。ふと、指先が目に入って「あ、」と 声を上げてしまった。

「どうした」

何か不備があったかと、バージルが後ろからダンテの肩に手を置いた。

「ん、そういえば、爪伸びっ放しだったなぁ、って……」

それも、足の。

「こないだ寝る時に気付いて、明日切ろうと思ってたの忘れてた」

この間というのは、もう三日程前のことだ。靴下も履いていない自分の足を見下ろし、 ダンテは肩を竦めた。放ったらかしにされた爪は、少し伸びた手の指のそれより長く なっている。

「切らなきゃなぁ」

面倒臭いが、仕方ない。

ダンテがそう言って爪切りを取りに行こうとすると、何故かバージルに止められた。

「待て、」

「は? 何だよ?」

肩越しにバージルを仰ぎ見たダンテは、ひくりと頬を引きつらせた。バージルは、どこか 不吉な笑みを浮かべてリビングを出て行ってしまう。
ダンテはそれを止めることも出来ず、ただ立ち尽くすことしか出来なかった。



そして五分後――――



ダンテはバージルに背中を預ける恰好で膝に座り、後ろから抱き締められるように足の爪を 切られることに相成った。
ソファーに座るのは駄目なのか、兄には一応訊いてみた。が、答えは一見してお判り だろう。

「駄目だ」

の一言。取り付く島もありはしない。

渋々膝に乗ったダンテを、バージルはより密着するように引き寄せた。先程綺麗に結んだ帯は、 あっさり外され帯締だけを巻き直された。お蔭で胴回りは楽で良いのだが、生憎この体勢では、 楽なものも楽と感じられない。
それに、だ。

「……バージルっ、」

ぱちん、と小気味良い音をたてて爪が切れた。それだけなら、問題は何もない。ダンテが 縋るように兄の名を呼ばわる必要も、どこにもない。が、これは誰であってもダンテと似た 反応をするに違いない。
また、ぱちりと爪が飛んだ。同時にびくっとダンテが躰を竦ませる。それがバージルに 直接伝わるのは、恰好からいって当然のことで。

「怖いのか?」

平坦な声音で揶揄され、ダンテはしかし違うとは言えなかった。

「こ、こんな爪切りでやられたら、誰だって怖いだろ!」

逆ギレという手段に出たダンテの耳に、バージルの息がかかる。

「少しの辛抱だ」

違う意味で背中を粟立たせてしまい、ダンテは内心で己を叱咤した。

「何でこんな爪切りでするんだよ? 普通ので充分じゃねぇか」

バージルが自室から持ち出して来た爪切りは、まさに爪切り鋏と呼ぶに相応しいものだ。
形は裁縫用の糸切り鋏。刃が交差し、ものを断ち切るという単純な鋏だ。これもまた日本で 古くから使われていた型の鋏で、バージルが骨董品屋で偶然見掛けた際、何気なく買い求めた ものだった。そんなことは、勿論ダンテは知らない。日本という国自体をほとんど知らぬの だから、この鋏のことも知っていよう筈がない。

ただ、じくりとした恐怖だけを感じるのだ。

バージルはそれを判っていて、ダンテが逃げられないようこんな恰好で爪切りなどし始めたに 違いない。
びくびくしているダンテに、淡々と言う。

「普通のもので切ったのでは、面白くなかろう」

「そういう問題か!?」

「他に何がある?」

訊き返されてしまい、ダンテは咄嗟に口ごもった。バージルは、あくまで真面目に言っている のだ。

止まっていたバージルの手が、ダンテの足を裏からすくい上げるように包み込み、指を摘む。 慣れない感触と、鋏に対する恐れが同時にダンテを襲う。
パチン。削がれた爪が、飛んだ。

「な、なぁ、バージル……やっぱこれはちょっと……」

完全に怯えきって、ダンテはバージルの手首に触れた。
ただでさえ、人に爪を切られるというのは怖いものだ。それがいかに信頼の置ける相手で あっても、肉を切られるのではないかという恐怖心がどうしても付き纏う。

豪胆で通るダンテだが、それとこれとは別問題だ。

ぱちりと爪が断たれる度に躰を竦ませ、とうとうダンテは見ていられずに目をぎゅっと瞑った。 しかし聴覚と触覚は逆に過敏になるらしい。バージルの指が触れてくる慣れない感触にいちいち 反応し、さらに爪の削がれる音にびくびくと震えるさまは、今まさに狩られようとして怯える 兎のようだ。
もしくは、とダンテの知らぬところで、バージルが密かに口角を上げた、その時。

「主はまるで生娘のようだな、兄者」

「然り。主の何と愛らしいことか」

すっかりお馴染みになってしまった、双子の剣が化けた小鬼どもが、テーブルの影から こっそり顔を出して、愛する主の姿を盗み見てうっとりと言った。

ダンテはかっと顔を赤くして目を開けた。

「お、お前ら、いつからそこに……!?」

バージルに追い立てられない限り、ダンテの側を離れようとしない小鬼達。しかし今日は どこにいたのか、一度も姿を見ていなかった。

「主よ、我らは今日、物陰からこっそりと主を観察していたのだ」

「そうすることで、思いがけぬ愛らしい主を見られるのだ、主よ」

「しかし余りの愛らしさに思わず声を出してしまった」

「主が余りに愛らしく、つい声が出てしまったのだ」

似た声で別のことを言うわけではなく、ほぼ同じことを繰り返したアグニとルドラ。 しかしダンテは、始めからずっと見られていたということに激しく動揺した。

「な、な……」

こんな恥ずかしい姿を、よりにもよって……。

余りの羞恥に固まってしまったダンテの背後から、それまで黙って小鬼達の会話を聞いていた バージルが、おもむろに鋏を置き、別の何かを取り上げた。
それはペンチのような見た目の、ニッパー型の爪切りだ。

「貴様ら、これで削いでやろうか?」

ぬいぐるみの形をしたアグニとルドラにも、一応爪らしきものは生えている。ただし人の それとは形状が異なり、三本爪がちまっと手の先にくっついているにすぎない。それを切ると なると、どうなるか。しかもバージルは、爪を削ぐ、とは言っていないのである。
想像してしまったダンテは、さぁっと蒼白になった。

「ま、待てバージルっ、」

ニッパー型の爪切りを手に、アグニとルドラを睨み付けるバージルを、ダンテは首を のけ反らせて縋るように見上げた。

「俺、我慢するから、だから、な?」

二匹の小鬼に見られていたことは、確かにかなり恥ずかしい。だが、二匹がこの爪を切るには 物騒すぎる鋏の餌食になるところを見るよりは、良い。きっと、バージルも自分の爪を 切っている間に機嫌を直してくれるだろう。
気の遣い方を完全に間違っているダンテだが、効果はあった。

「……ふん、命拾いしたな」

次はない、と無言の威圧を掛け、バージルは鋏を持ち替える。ダンテはほっと胸を撫で 下ろしたが、安心ばかりはしていられない。

「バージル、今更だけど、さ……」

肩を縮こまらせ、ダンテはおどおどと言った。

「い、痛くするなよ……?」

背後でバージルがちょっと固まり、テーブルの陰ではアグニとルドラがばたばたっと ドミノ倒しのように床に崩れた。それが自分の所為だとは、ダンテには全く自覚がない。

「バージル?」

きょとんとするダンテの肩口に、バージルがことりと額をあてた。

「お前は……その自覚のなさはどうにもならんのか?」

「は? 自覚? ……って、何の?」

「……いや、」

諦めたような溜息が首筋にかかり、思わずぴくりと肩を撥ねさせてしまう。
バージルがダンテの髪に軽く口付けた。

「安心しろ。望み通り、優しくしてやる」

何だか卑猥な響きだ。

自分の発言は全く棚上げして、ダンテはバージルの胸に体重を預けた。間近にある、 バージルの匂い。鼻をぴすぴすとさせ、ダンテはふっと目を閉じた。少しは、怯えずに バージルに身を任せられるだろうか。
そんな、言葉にすれば確実に兄の理性を揺るがすだけでは済まないことを考え、ぱちん、と よく響く音に耳を傾けた。

恐怖心は、やはり消えない。



すっきり爪を切られた後、丁寧にやすりで整えられた。元より形と色の良いダンテの爪に、 バージルは何を思ったのか。次の日、

「座れ」

とやはり膝の上に座らされ。バージルが紙袋から取り出したものに、ダンテは大きな目を 一杯に見開いた。

「っ……、嫌だっ! バージル、それはやめ……やぁっ……!」

その声だけを聞くことになったアグニとルドラが、廊下でぺそぺそと床を叩きまくって いた……。



さて、ダンテはバージルに何をされたか。



すこぶる機嫌のよろしいバージルが、ぐったりと肩を落としたダンテを膝に抱き、微笑など 浮かべつつダンテの髪を梳く。

「よく似合うぞ?」

揶揄ではなく囁かれ、ダンテはちょっと泣きそうになった。
そのダンテの足には、専門家ですら唸ってしまうような、見事な、かつ可愛らしい ネイルアートが施されていた。



















戻。



頂いた爪切りネタをお送りしました!なんだか久々に調子良く書けましたよ…。
バージルのやることがどんどんエスカレートして行きます。が、止める気はありません。
ちょっと壊れた兄と、怯えながらも逆らえない弟書くのが楽しくて楽しくて…!
そんな私は完全に変態です。はい。
しかしこの話…読んで気分悪くなる方いたら申し訳ない…
ネタ自体は頂きもので、かなり萌ネタなのですが、書き手がコレですからね…;