浮雲タユタウクモ











 ダンテは怯えていた。
 悪魔を相手取ってもそんなことはなかったというのに、今、ダンテは確かに怯えている。

 未知に対する恐怖に。





 昨日、双子の兄によって嫌々着物という日本の衣装を着させられたダンテは、今日も今日とて 着物を身に纏っていた。しかも、何枚あるのか、昨日とは違う柄だ。

 赤地に金糸で刺繍が施された、派手めのそれ。帯は金に似た山吹色。帯締は黒。着物のみならず 色合いからして派手だが、それはダンテによく似合った。

 昨日着ていたものとは少し種類が異なるらしく、着物の下には生地の薄いものをもう一枚身に 着けている。兄曰く、「ジュバン」というものらしい。
 帯の締め方も違い、昨日のような飾りはなく、ちょっとしたことでは崩れないようだ。 とはいえ、寝転ぶだとか、走ったりはするなと兄に忠告されはしたが。

 クーラーの効いた部屋で、ダンテはソファーに腰掛けぼんやりと冷たい水を飲んだ。
 昨日から判っていたことだが、着物は暑い。こんなものを日常で着ている日本人に尊敬を 抱きつつ、ダンテは襟を少し寛げた。首以外の肌をあまり見せないのが良いらしく、兄は極力 着崩すなと言った。しかしこの暑さだ。少しくらいは許されるだろう。
 そう思ってしまったのが、そもそもの間違いだった。

「あっちぃ……」

 くたびれたように呟くと、同時にリビングのドアが音もなく開いた。兄だ。
 兄――――バージルはソファーに鎮座するダンテをちらと見、訝るように眉を寄せた。

「暑いか?」

 そりゃ、まぁ。
 応えたダンテに、バージルは「違う」と言って自分の胸元を指して見せる。

「襟のことだ」

「あ? あぁ、ちょっとな」

「ほう?」

 あれ、とダンテは思った。何か拙かっただろうか。しかし暑いものは暑いわけで、と内心で 言い訳をし、じっと何をか考えているバージルを見上げた。
 いつもより高めに見上げねばならぬのは、ダンテの躰が十四、五の子供に縮んでしまっている からだ。

「バージル?」

 不意に、バージルがダンテの側に膝をつき、帯締を解いた。何のつもりか、脱がされるのかと 思ったが、そうではなく。
 もっと、悪質なものだった。

「両手を出せ。揃えてな」

「はぁ……?」

 首を捻りつつ、思わず素直に従ったダンテの両手首に、バージルが黒の帯締を巻き付けた。 勿論、ダンテはぎょっとする。

「なっ! 何すんだ、バージル!?」

 うろたえるダンテに、バージルは平然として宣った。

「俺は、着崩すなと言った筈だが? 言い付けを守れないなら、こうするしかあるまい」

 当然、とばかりに言われ、ダンテは唖然としてバージルを凝視した。手首は既に、帯締で 一つに縛られてしまっている。

「待っていろ、水を入れ直してやる」

 耳元に囁き、バージルはキッチンの冷蔵庫へと足を向けた。がぱ、と冷蔵庫の扉を開ける音で、 ダンテははっと我に返った。

 逃げよう。
 どこへ? という自問をする余裕もなく、ダンテはバージルがこちらに背を向けていることを 確認して、立ち上がった。手は一つに纏められてしまったが、足は自由だ。こんなところに いては、バージルの餌食になりかねない。

 ……逃げた方が、一層の後悔をすることになろうとは、この時ダンテは思いもしなかった。

 そろ、と立ち上がった後は、無音のダッシュだ。派手を好むダンテには有り得ない静かで 迅速な動きを、幸か不幸か、バージルは気付かなかったらしい。
 ダンテは廊下に出ると、やはり足音をたてずに自室に駆け込んだ。瞬間、がち、と 施錠する。

「ふー……」

 変に吹き出た汗を手の甲で拭う。と、

「主よ、それは何の遊びだ?」

「それは楽しいのか、主よ?」

 よちよちとダンテの足許にたかり、わきわきと着物の裾を引っ張る生き物が二体。小鬼か 何かのぬいぐるみにみえるそれら――――アグニとルドラという――――に、ダンテは溜息を 吐いて見せた。

「楽しいわけねぇだろが」

「主よ、我らはまた、新しい遊びでも始めたものと思ったぞ」

「斬新な発想だと、我らは感心していたのだぞ、主よ」

 かさついた、見た目を裏切る可愛げのない声で、二体の小鬼はしきりに話す。常に交互に 言葉を紡ぐのは、彼らの癖なのだろうか。

「感心するな」

 突っ込むべきは、実はそこではないのだが、小鬼達をやけに気に入っているダンテは、彼らに 関して妙に盲目的なところがある。

「主よ、我らとも遊ぼうぞ」

「兄上殿ばかりでなく、主よ」

 バージルとはほぼ敵対していると言って良い程、アグニとルドラは何かにつけてバージルを 怒らせ、その都度痛い目に合わされている。バージルも放って置けばいいものを、いつもいつも、 二体にはきつく当たる。
 ダンテは自分が原因だとは気付いておらず、それ故にバージルの機嫌を損ねることが多々 あった。

「主よ、どうかしたのか?」

「ぼうっとしておるぞ、主よ」

 ぴぃぴぃと鳴くアグニとルドラに、ダンテは少し膝を曲げて手を差し延べた。

「アグ、ルド、おいで」

 両手首を戒める帯締を解くことも出来ず、価値を気にして破くことも出来ず、そのままで アグニとルドラに向けて手を差し延べた。二体は何故ダンテが帯締を取ろうとしないのか、 疑問にも思わぬらしい。ぺそりとダンテの手にしがみついた。

「主よ、一昨日言ったこと、覚えているか?」

「我の膝を貸すと言ったであろう、主よ?」

「否、我の膝ぞ」

「否、我ぞ」

「あぁ、はいはい。判ったよ、判った。でもなぁ、お前ら、どこが膝なんだ?」

 アグニとルドラは、ほぼダンテの膝程の背丈しかなく、かつ二頭身と来ている。加えて手足は 短い為、膝と言われても、という話なのだ。もしあったとしても、どうしようもないが。

「気持ちだけ貰っとくぜ」

 アグニとルドラを肩に登らせ、苦笑した、その時。ダンテはかつてない寒気を感じ、全身を 震わせた。

「……ッ……!?」

 寒気のもとは、とてつもない殺気。いや、純粋な殺気ではなく、様々なものが混じった 恐ろしい気配がダンテを竦ませたのだ。
 悪魔すら恐れぬ彼を、そんなふうにしてしまうものは、ただ一人。

「…………ダンテ……?」

 地の底を這う、ホラー映画ならばまさに絶叫するだろう、低い声。

「……バぁじ、ル……」

 恐怖のあまり、舌が回らない。鍵を掛けてあるとはいえ――――いや、だからこそ、一層の 恐怖を覚えた。
 バージルは言葉では言い表せぬ程、怒っている。
 しかしドアを通して届く声は、酷く静かなものだ。

「……ダンテ、いるのだろう? ……」

 声もなく、ダンテの躰はかたかたと震えた。
 バージルは更に続ける。

「ここを開けなさい。良い子だから。な、ダンテ……?」

 もう駄目だ。これ以上こもっていたら、きっと兄はドアを斬り刻んで踏み込んで来る。 何をされるか、想像も出来ない。

「アグ、ルド……ベッドの下にいろ」

 しゃがみ、アグニとルドラを肩から下ろした。
 主、主、と二体が鳥の雛のように繰り返し鳴く。

「じっとしてろよ」

 とばっちりを受けては、これらが可哀相でならない。ダンテはアグニとルドラの頭を撫でて やった。そして、一人でドアに向き合う。

「……今、開ける」

 ぽつ、と呟きを落とし、かちりと鍵を開けた。





 後悔先に立たず。

 そんな諺をほんのり思い出しつつ、ダンテはベッドに寝そべっている。ただ寝ているのでは、 断じてない。

 手首は相も変わらず帯締で縛られ、脚は着物ごと膝の少し上を戒められ、更には口に猿轡を かまされた状態である。
 寝転んでいるのではなく、こんなふうにした犯人に転がされていると、そういうわけだ。

 ダンテは猿轡をがじがじと噛みながら、しかし全く晴れぬ鬱憤を溜め込むばかりだった。 睨み付ける視線の先には、犯人であるバージルの長身。

「ぅうっ……、う……」

 何故こんな恰好にされねばならないのか。バージルの怒りはこんなことで晴れるのか。 ダンテはしかし、問おうにも言葉を紡ぐことが出来ない。発せられるものは、総て呻きだ。
 バージルの常に冷めた目が、つと細められた。

「……違うな」

 何が。それすら、ダンテには言うことを許されない。
 突然、バージルに抱き上げられ、ダンテは思わず目を瞠った。

「んんっ!?」

 狼狽するダンテをよそに、バージルは淡々と言った。

「場所を変える」

 何が何やら、ダンテには全く判らない。が、バージルは当たり前のように部屋を出、言葉通り 場所を変える為に移動を始めた。

 こんなことになるとは……。

 ダンテはバージルに運ばれながら、深々と溜息を吐いた。

 先刻、逃げた自分に対し、バージルは本気で怒っていた。ダンテは何をされるのかびくびくし ながらも、バージルの怒りが増長する前に自らドアを開けたのだ。それが、何故こんなことに なったのか。
 ダンテには判らない。ただ、判ることは。

(こいつ絶対変だ……)

 ということだけ。

 猿轡を囓り、脚を縛る扱き帯とやらを睨んだ。
 やわく、しかし脚が動かせぬ程度に結ばれたそれ。着物の上から縛られている為、裾が まくれることはない。しかし、だ。

「痛くはなかろう。少しの間、俺を楽しませろ」

 などと言い、怒りはどこへ消えたのか、バージルはどこか楽しげにダンテをこのような姿に 仕立て上げたのだ。しかも、ダンテが気にしていた、値段の高さを仄めかして。
 自力脱出の道を絶たれたダンテは、最早大人しくしているしかないという、納得のいく筈の ない状況に貶められた次第だ。

 ダンテがうんうん唸っている間に、バージルは目的の場所に辿り付いていたらしい。不意に 襲われた落下する感覚に、ダンテはまたしても驚いた。

「っ!!」

 落とされたのは、リビングのソファー。ぼすん、と、柔らかいクッションに躰が軽く埋まる。 身体的にはあまり衝撃はなくて済んだが、精神的にはかなりの衝撃だった。

「んんぅ、ぅうっ!」

 いきなり何をするのか、さすがにダンテの訴えはバージルに通じたらしい。

「我慢しろ」

 気休めにもならない言葉を貰っただけで終わったが。

 ダンテをソファーに落としたまま、バージルは何をするでもなくただ腕を組み、こちらを 眺めているばかり。ベッドに転がされていた時もそうだった。

「……んぅ……」

 息苦しさは、おそらくバージルの視線が痛い程に注がれているから。瞼を伏るが、しかし バージルの視線から逃れることは出来ない。
 居心地の悪さは半端ではなく、ダンテは息が上がるような感覚に陥った。

「……っん……ぅ……」

 何をされているわけではない。しかし、バージルの視線はかなりきついものがある。
 確かにバージルの視線は突き刺さるような鋭さがあるが、見られているというだけで、 こんなに息苦しさを感じたことがあっただろうか。

 ……抱かれている時は、どうだったか。

 思い出そうとして、やめた。ちょっと顔が熱い気がしたが、暑さの所為だということにして おく。
 実際、暑い。

「……くぅ、ん……」

 まだ解いてくれないのか、とバージルを見上げる。が、やはりと言おうか、

「まだだ」

 あっさり却下され、また抱き上げられる。

 次はどこだ。

 ダンテは諦め半分、くったりと兄の胸に頭を預けた。もう既に、ダンテの体力はかなり減って しまっている。
 それを、バージルが気付いていないわけはない。

 バージルが向かったのは、事務所だった。

 今度は黒壇の机に乗せられるかと思いきや、下ろされたのは床の上。椅子の傍らだった。 それも、座らせるのではなく寝転ばせる辺り、バージルの奇妙な拘りが窺い知れる。

「……ん……」

 ころ、と肩をずらしバージルを見上げる。バージルはゆったりと椅子に腰掛け、脚を組んだ。 下から見上げるバージルの脚は、長い。縮んでいなければダンテの脚も同じ長さなのだが、 ダンテは少しばかり劣等感を感じた。自分の脚を、下から見上げることなど不可能だから余計 だろう。

「ぅ、ん……」

 ダンテはもぞもぞと躰を動かし、兄の足の甲に頬を乗せた。珍しく、事務所にいるというのに バージルは裸足である。後で洗うつもりでもしているのか。
 まぁ、それはダンテにはどちらでも良いことだが。

 ぺとりと頬を付けると、バージルが首を傾けるようにしてこちらを見た。ダンテは一纏めに された手でバージルの踵に触れ、リビングの時と同様、じぃっと目で訴えかけた。

「ん……ぅん……」

 バージルは無言。何か考えてでもいるのか、眉間には見慣れた皺が刻まれている。

 せめて口だけでも解放して欲しい。いい加減、開きっ放しで顎が怠くなっている。暴れることが 出来る程、体力も残されていないのだ。口くらいはどうにかして欲しかった。

「うぅー……」

 何度か唸ると、バージルがようやく背凭れから躰を起こした。上体を屈め、ダンテに向けて 手を伸ばす。

「……その目、」

「?」

「俺以外のものには向けるな」

 低い声音。命じる口調は生まれ持った威圧を人に与える。
 尤も、バージルの言う意味が、ダンテには理解出来なかったけれど。

「……うぅ? ……」

 見上げるダンテに、バージルは一つ溜息を吐いて組んだ脚を元に戻した。左足の甲は位置を 変えぬよう、器用に立ち上がる。
 ダンテはまた移動か、と疲労感たっぷりに目を閉じた。案の定、抱え上げられる浮遊感が ダンテを襲う。
 次はどこか、ぼんやり考えていると、耳元に思いがけず息がかかった。

「そうやって男を誘うのか?」

 意味の判らない言葉に、ダンテは目を開けた。息の触れる近さにあるバージルの顔に言い 知れぬ昏いものを感じて、ダンテは肩を震わせた。そしてバージルの脚が向かう先を悟り、 まさか、と目を瞠った。

「お前は俺のものであれば良い。が、……躾が足りなかったらしいな」

「っひ……」

 がり、と耳朶に歯を立てられ、ダンテは短い悲鳴を上げた。じくりと滲んだ血を、バージルの 舌が舐める。見せ付けるように出された紅い舌から、目が逸らせなかった。

「……甘い」

 気違いじみた科白だ。

 思い、ダンテは口を塞ぐ帯締をぎちりと噛んだ。



















...戻?


萌えるままに書き殴りました。
元ネタは頂いたメルフォです。