凍夜――壱
「あんたが、ダンテか」
不躾、と良識のある連中は批難するのだろう言葉に、
銀髪の男は別段気分を害した様子もなく、ちらとこちらへ視線を呉れた。
あおい、目だ。
暗い電灯の下でもはっきりとわかる、淡い碧眼。
白皙のおもては女性的でこそないものの、美しいという形容詞が似合うに違いない。
もっとも、青年にとっては男の美しさなど興味はなく、
ただ、想像していた男とずいぶん違っていたので少しばかり驚いた、それだけだった。
「俺に、用か」
低い声音が問う。
青年は顎を引き、そうでなければ声などかけない、と言い放った。
男はやはり気にした様子はなく、眉ひとつ動かすこともせず、そうか、と喉の奥でつぶやく。
物事に動じない、というよりは、何ものにも関心がない、とでも表現すべきか。
温度を感じない双眸は何を映しているのか。
少なくとも青年は、自分のことなど眼中にないのだろうと思った。
侮られているのとは、違う。相手にされていない、とも少し違う。
「ちょっと、顔を貸してほしい」
胸中に広がるもやもやとしたものの正体を突き止めるよりも、青年は自身の任務を優先させることにした。
実際、彼とこうして会うためだけに、すでに十数日を要している。
猶予はあったとはいえ、予定よりも時間がかかってしまったことは否めない。
青年には、組織に属する一機関としての役割がある。
それを全うするために、青年はここにいて、彼との接触を図ったのだ。
たとえ時間はかかっても、この任務は遂行させねばならない。
組織への忠義など青年は持ち合わせていないが、かの組織にはきょうだいと呼べる人間がふたり、いる。
彼らのために、青年は組織の命令を諾々と聞いているようなものだ。
銀髪の男は呑みかけの酒をそのままに、店主に金を支払って腰を上げた。
店主が男へ、またお越しください、などと愛想よく声をかけるが、
やはり、男の目には何ものへの興味も示されてはいない。
店主はしかし、笑っている。それがなぜなのか、青年にはわからなかった。
青年は彼に先行して店を出た。彼は物音をたてず、ひっそりと背後からついてくる。
ばたん、と店の扉が閉まり、青年はちらと後ろを振り返った。
本当に彼がそこにいるのか、確かめずにはおれなかった。
果たして、彼は青年の数歩後ろに立っていた。
けれど、まるで息さえしていないかのように、その存在感は希薄なものだ。
(生きてるのに、死んでるみたいだ)
生気がない、とはこういう人間のことを言うのだろうか。
生きながら死ぬ。それはどんな感覚なのだろう。
青年とて、毎日快活に生きているとは言い難いが、それでも彼に比べれば、よほど生気に満ちている。
「……あんた、」
気づけば、言葉を発していた。彼が目を上げる。白に近い銀髪が夜風に揺れている。
「ダンテ、なんだよな」
思わず、問うていた。
こんな、死人のような男だとは想像もしていなかったから。
「知っていて、声をかけたんじゃなかったのか?」
平坦な声音が言う。
同じ言語を話しているのに、彼の紡ぐ言葉はまるで別のものに聞こえる。
「顔は知らなかった。でも、銀髪碧眼の男はあんたしかいない」
「……お前もそうみたいだが?」
青年の髪は、青みがかった銀髪だ。そして瞳は、海の蒼。
彼と同じで、しかしまったく違う色味だと青年は思う。そう、思いたかった。
「俺はこの街の人間じゃない。あんたがダンテなら、問題ないな」
「何の用かと、さっき訊いてあったな」
「……あんたの持ってるものをひとつ、譲ってほしい」
それをほしがっているのは、もちろん組織だ。青年にはそれが何なのかさえ、知らされていない。
青年を侮り、ばかにしているは組織のほうだ。
小間使いのように使い走りにして、まずいことがあれば切り捨てようという、
組織の魂胆など、始めから見え透いている。
「俺の? べつに、何も持っちゃいないが」
そっけない、とは違う。冷淡、とも違う。
彼にはどうして、こんなにもひとらしさというものが抜け落ちているのだろう。
「剣だと、聞いた。銘は、」
それは組織が崇めているものの名だ。
組織に属してはいても、信仰を持たない青年にはその名を畏れる気持ちがわからないが。
その名を耳にして、初めて彼の表情が動いた。
「……それを、どこで知った」
恫喝。相変わらず抑揚に乏しい声音ではあるが、青年は彼の声を、目を、威圧をそう解釈した。
「俺は、知らない。俺は上の命令に従ってあんたに接触した、ただの使い走りにすぎない」
彼は確かに、その名を持つ剣を所持しているのだろう。
しかし、なぜその名にこうも反応を示すのか、それがわからなかった。
沈黙がふたりの間に落ちて、その間も、彼の気配は強いままだった。
(手練れの便利屋か)
暴力の中に生きる男が、なぜ今の今までこの気配を殺していられたのか。
青年は少し、この男に対して興味がわくのを感じた。
「……ついて来い」
静かな声が促すのを、青年は危うく聞き逃すところだった。
「えっ? ち、ちょっ、待てよっ……」
すでに外套を翻して路地の奥へ消えようとしている彼を、青年は慌てて追う。
足の長さはさほど変わらないはずだが、青年の思う以上に男の足は速い。
青年は時折小走りになりながら、彼の紅い外套に追いすがった。
歩くこと、およそ十分。男はようよう足を止めた。
そこは古いネオンが明滅する、赤いレンガ造りの建物だった。
玄関、と呼ぶには頼りない、安いバーの戸に似たそれを、
彼は開錠する動作もなくひょいと開けて中へ入っていく。
(ここは、あいつの家、か)
家なのか、店なのか。
青年は混乱しながらも彼の後に続いて、蝶番がぎしりと軋む戸をくぐった。
何かしらの店、いや、事務所ではあるらしい。
黒檀の机と椅子、そして骨董品めいた電話機がひとつあるばかりの部屋は、
少なくとも居住空間と呼べるものではない。
彼は便利屋だ。依頼を請けるための連絡手段は必要だろう。
電話機は、きっとそのためのもの。机はその台、とでも言えばいいのか。
彼は椅子ではなく、机に直接腰かけた。しかし青年に椅子を勧めるわけでもない。
「さっきの話だが、」
唐突に口を開いた彼の眉間には、はっきりと皺が刻まれている。
不機嫌そうな表情だが、先刻のような威圧感は消えていた。
「おまえの望みのものは、今ここにはない」
「……は?」
「俺はあれの所有者じゃないってことだ」
あくまで、彼の声音は平坦だ。
事実を淡々と聞かせれて、理解はしても、納得できるはずもない。
「そんなわけないだろ。俺は確かに、ここにあると聞かされて……」
「その情報は間違ってはないんだがな」
「どういう意味だよ」
彼は肩を竦め、ため息を吐いた。
「あれの持ち主は、しばらく前に姿を消した。それだけだ」
「しばらく前、って」
「もう何年になるか。数えてもない」
「はぁ? も、戻ってくるんだろうな、そいつ」
どもりながら問い質すが、彼は「さあな」と言うだけで、らちが明かない。
(なんだよ、それ。どうしろっていうんだ)
混乱して、青年は内心で頭をかかえた。
姿を消した、と彼はあっさり言ってのけたが、それは失踪と同じではないのか。
だというのに、彼はその人物を捜そうとはしていない。
まるで、気儘な野良猫がふらりとどこかへ消えてしまった、その程度にしか捉えていないかのように。
任務はどうなる。
青年の立場などどうとでもなるが、組織にはきょうだいがいる。
彼らの期待に応えるために、青年はこの任務を必ず遂行しなくてはならないというのに。
(どうすればいい? どうやってそいつを捜すんだ?)
失踪したのは、すでに何年も前のことであるという。
今さら警察を頼っても、まともな捜索などしてもらえるとは思えない。
ただでさえ、行方不明者というのは数が膨大なのだ。
数年も帰って来ないとなれば、もはや死んだと判断されるだろう。
「どうすんだよ……」
立ち尽くして茫然とつぶやく青年を、彼はじっと見つめていたようだ。
「そのうち、」
ぽつり、彼が言葉を落とした。
「気が向けば戻ってくるだろう」
それまで待っていればいい、なんて。
気休めにもならない暢気な言葉に青年は怒りを覚え、しかしそれを彼へぶつけることもできず。
「そういえば、おまえ、名は?」
路地での威圧感などどこへ忘れてきたのか、のんびりと問う彼が、何とも憎い。
「……、……ネロ、」
それでも、問われれば答えてしまうこの性格は、きっと死んでも治らない。
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[12/08/16]