長靴ブーツ












衝動というものは、いつどこで、どんな形でやってくるか、当人ですらまったく予想のつかないものである。



「ブーツがほしい」

出し抜けに戯言を発した弟を、本を読んでいたバージルは冷めた目でちらりと見やった。念のため、 読みかけのページに栞を置いておく。
ダンテが目を輝かせてバージルのほうへ顔を向けた。バージルはソファに、ダンテはそのソファを背もたれにする 格好で床に座っているため、目を合わせようとするとダンテは腰と首を捻らねばならないのだが、気にしているふうはない。

「な、バージル、いいだろ?」

あってもなくても金使いの粗いダンテを身かね、家計を一手に握っているバージルである。そのバージルに伺いを 立てることは、確かに間違いではない。ないが、しかし。なぜ唐突に長靴ブーツがほしいなどと 言い出したのか、バージルには理解ができなかった。
季節は晩夏。朝夕はずいぶんと涼しくなり、冷たい風が秋が近いことを教えてくれる。暑さに弱いダンテにとってそれは 喜ばしいことであろうし、長靴を履いても暑くて嫌になることはなくなるだろう。しかし、だ。

「今持っているもので充分だろう」

現在、ダンテが所有している長靴は二足。一足は去年買ったばかり、もう一足は多少革が傷んでこそいるが、 まだまだ現役として履くことができる程度にきれいなものだ。
そう言ってやれば、ダンテは唇を尖らせて「そうだけど、」とごね始めた。

「ほしいもんはほしいんだよ」

などと、理由にならない理由を当然のような顔をして宣うその口に、文字通り噛み付いてやったらどんな反応を 見せるだろうか。むくりと首をもたげた不穏な企みに気づいたかどうかわからないが、 ダンテはソファから躰を離した。尻の位置を変え、バージルのほうへ躰ごと向き直るためだったらしい。

「な、買ってもいいだろ? なぁって」

子どものように駄々をこねる弟をじっと見つめたのち、バージルはやおら口を開いた。

「……躾が足りなかったようだな」

穏やかでない言葉(とはバージルは思わないが)に、ダンテがぎくりと肩を震わせた。過去、バージルは弟の こうした反応を幾度も目にしてきた。顔色はみるみるうちに青褪め、双眸には明らかな怯えが宿り、 おそらく無意識であろうが、わずかに震えてすらいる。バージルは、こちらも無意識に口端を持ち上げた。
何ごとに対しても感情が昂るということがないバージルの、いっそ淡白といっていい慾を掻き立てる唯一の存在が この弟なのである。こうして怯えた表情を見せられたとき、バージルは確かに彼を征服したいと感じ、 それは同時に性慾へ繋がる。彼を組み敷き、存分にその肉を犯したいと思う。

これは衝動だ。脳で考えるより先に、反射的に躰が動く――あるいは本能といってもいいだろう。
そしてバージルは己の本能にとても従順であった。






浅い息は絶え絶えに。白い肢体をほのかに紅く染め。ぎしぎしと悲鳴をあげるソファのスプリングに合わせるように、 喘鳴にも似た苦しげな喘ぎをこぼす喉。眉をしかめ、双眸を生理的な涙で濡らし。口の端からだらしなく唾液を垂らす。
淫靡なさまだと、そうさせている張本人であるバージルは他人事のように思った。

朱に色づいた頸に顔を埋め、その柔らかいとは言えぬ膚に犬歯を突き立ててやれば、彼の躰がびくりと跳ねる。 こちらの与えるすべてにいちいち反応を示す躰は、男にとって何よりも愉しく、情欲を誘うものに違いない。 己が仕込んだ躰であれば、なおのこと。しかしバージルの鉄の表情には今、笑みらしきものは浮かんではない。 人形のような白皙のおもてに、かろうじて見出すことのできるものは、怒りに似た――あるいは侮蔑であろうか。
ソファに仰向けに組み敷いた彼の、脚を肩にかつぐ格好で後孔を貫きながら、 バージルは凍てついた目で彼を見下ろしている。

自身をして快楽主義者と豪語する弟は、当然のことながら交合による快楽にとても弱い。しなやかな脚を開き男を 咥えこみ愉悦に打ち震えるその姿は、どんな商売女にも劣らぬほどに淫猥だ。
彼をそんな躰に仕込んだのは他ならぬバージルであった。しかしバージルは、彼のこうしたさまを殺意を覚えるほどに 厭っている。憎悪、嫌悪、侮蔑、そして憤怒。どす黒い感情が躰中から泉のように湧き出でて、バージルはより激しく、 より酷く彼を犯す。
彼はただただ、快楽に濡れる。

「……淫売が」

ぽつりとこぼしたその言葉に、彼が碧い双眸を瞠ってバージルを見上げた。ちがう、と声なく紡がれた言葉を無視して、 バージルは彼の肉襞をえぐるように突き上げた。

「ひッ! あ、あ、や、やめ……ッ」

拒絶になどはなから聞く耳はもたず、バージルは己の本能の向くまま腰を使った。彼を啼かせるのは至高の愉悦だ。 何より、とバージルは腹の中で思う。何が違うのか、と。やめろと言いながらも彼は快楽に酔い痴れ、 男を咥えて離さない。彼の花芯は天を衝き、痛々しいほどに張り詰めている。初めにほんの少し弄ってやっただけで、 バージルは彼の中心にはほとんど触れていない。それでも花芯は後ろへの刺激のみで確かに屹立しているのだ。
弾けるまであと少し。もう少しの快楽で精を散らせてみせるとばかりに、とろりとした先走りを先端から滴らせている。

はぁ、と彼が吐息をもらした。熱っぽいそれにバージルは目を眇めた。

彼は快楽主義者だ。たとえば今、彼を揺さぶり責め立てているのが自分ではないべつの男であったとしても、 彼はこうして乱れて見せるだろう。あえかな声をあげ、震え、悦ぶに違いない。それが、バージルには耐え難く不快なのだ。 たとえ、彼がこうなる原因を作ったのが自分であるとわかっていても。理解と納得はまるで別ものだとバージルは思っている。 まったくもって自己中心的なものの考え方かもしれないが、それを糾す人間は彼らの周囲には存在しない。
ぴたりと蓋の閉じられた狭い匣の中。バージルの世界に己と弟以外の存在はひとつもない。 だが、弟の世界はバージルのそれとは違っている。

(忌々しいことに、)

思考を弄んでいるうちに、限界をきたしたらしい彼が短い嬌声とともに花芯から白濁を飛び散らせた。 自分の吐き出したもので自らの腹を汚した彼は、ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返しながら、 瞼を固く閉じて吐精の余韻をやり過ごそうとしている。

「誰が休んでいいと言った?」

ほとんど無意識に、バージルはそう言い放っていた。彼がはっとしたように目を開け、気のせいではなく顔を 蒼褪めさせてこちらを見上げる。

「バージル、」

怯えた彼の声音を、バージルは好んでいる。彼を支配しているのは自分なのだと、 バージルの中の何かが満たされるようだ。もっとも、それですべて満足がいくほどバージルの慾は小さいものではない。 むしろ慾は際限なく膨張を続けてすらいる。
衝動――これはそう、彼に対してのみ鎌首をもたげる、厄介なことこの上ない、衝動である。

バージルは彼の体内からいったん身を引き、赤子を扱うように彼をうつ伏せにソファへ押し付けた。 肘置きに顔を埋める格好となった彼の腰を持ち上げ、ひくひくと痙攣している蕾を自らの杭で一息に貫く。
悲鳴に似たくぐもった声が聞こえて、バージルは唇の端を持ち上げた。濡れそぼった襞が男を包み、 与えられる快楽のひと欠片も逃すまいと絡みついてくる。いやらしく、浅ましい躰だ。 その躰をこうして犯している己もまた――バージルは自嘲の笑みを浮かべた。

(くだらん)

詰まらない思考を振り払うように、頭を左右に振る。この世のすべてに関心のないバージルは、 唯一無二といっても過言ではない存在をたっぷりと蹂躙すべく、彼の腰を掴んだ。 細いが華奢ではない彼のしなやかな肢体は、なめらかな白磁を思わせる。 蒼白くすらある膚をほのかな紅に染めている、その要因を自分が生み出しているのだと思うと、 えも言われぬ震えが躰の奥底から湧き上がるようであった。
それは歓喜であるのか、それとも憤怒であるのか、あるいは嫌悪であるのか。理由はバージル自身にもわからない。 ただ衝動のまま、本能に突き動かされるまま、彼を貪る。それが己にとって必要な行為であり手段であることを、 バージルは確かに知っている。
ソファの革を噛んでいるのか、先ほどから彼の声が聞こえない。せわしなく上下する肩と背が、 彼が快楽に呑まれていることを伝えてくれる。声が聞けぬことは不満ではあるが、きつく革を掴む手の白さや、 汗の滲んだうなじを見下ろすのも悪くはない。

バージルは意地の悪い笑みを浮かべた。忘れてはならないことが、ひとつ。 これは彼を躾けるための行為であるということ。快楽に流されることは本意ではなく、 彼をこのまま絶頂に導いてやることもまた、目的から逸脱している。

唐突に律動をやめたバージルを、彼は訝ったらしい。腰をひねり、首をねじるようにこちらを見やる表情は、 疑問よりも困惑の色濃いそれだった。

「躾だと言っただろう。いきたければ、まずは俺を満足させてからにしろ」

自分で動け、と。吐き捨てるように言い放つ。彼は一瞬息を呑み、そんな、と掠れた声をもらして眉根を寄せた。 反抗的なその素振りに、バージルはつと目を細めた。

「早くしろ。休んでいいと言った覚えはない」

「なっ……、この、横暴……!」

彼のささやかな悪態に、だからなんだとバージルは悪びれない。傲岸、不遜。それがどうしたというのだ。

「言いたいことはそれだけか? ならば早くしろ。……二度も言わせるな」

低い声音で脅すように言ったバージルを、彼は悔しげにひとつ睨んで唇を噛んだ。それを見て、 バージルは幾ばくか満足する。彼を貶めるのは快い。歪んだ感情だと自覚はあるが、彼が彼である限り、 この歪みが正されることはない。
彼がぎこちない仕種で腰を揺らす。ソファの肘置きに顔を押し付けているのは、表情を見せたくないためか、 はたまた声を聞かれぬようにか。どちらにせよ、これはこれで佳い眺めだと思っているバージルにとっては 意味のない行動である。それをわざわざ言ってやることはしないが。
彼はおそらく苦しげな表情をしているだろう。対してバージルはといえば、見るものをぞっとさせるような 冷酷な笑みをはいている。



支配するものと蹂躙されるもの。対象的であるがゆえに互いに互いを支え合っているということを、 どちらも自覚してはいない。
似て非なる文字通りの同胞はらからであるためか、 彼らは互いの意思を理解しようという努力に欠き、結果的にそれぞれの想いはすれ違いを起こしたまま、 けっして交わることがない。

とてもよく似た、けれどもまったく似ていない双子の半人半魔は、己に欠けたものを補うように互いを貪る。





「買ってやってもいいぞ」

出し抜けに切り出された言葉に、ぐったりとソファに突っ伏していたダンテが顔を上げた。

「えっ?」

何の話かわからなかったらしいダンテは、すぐそばに立ち、水の満たされたグラスを持ったバージルを凝視する。

「ブーツのことだ。……もう忘れたのか?」

呆れたようにバージルが眉をひそめる。ダンテはぱちぱちと目をまたたかせた。

「い、いいのかよ?」

「……いらんと言うなら、」

「いいいいいるよ! 要ります! 買ってほしいです!」

バージルの冷ややかな声にかぶせるかたちで、ダンテがどもりながら主張した。そのあまりの慌てっぷりに、 バージルの目がじとりと細められたが、ダンテは気づかない。気づかぬ、知らぬほうが良いことはこの世には存在する。

「仕様のないやつだ」

くっと笑ったバージルに、ダンテの頬も自然とゆるむ。付き合いの長さがものをいうのか、どうか。 ダンテはバージルが自分を甘やかしてくれるときと、そうでないときを見分けることができる。今は前者だ。 それはとても、とても良い兆候である。

「でも、……なんで急に?」

衝動的とはいえ、ブーツがほしいと言い出したダンテにバージルは何をしたか。つい今し方のことだ。 忘れてなどいるはずもない。
バージルはダンテをちらと見やり、グラスを口へ運んだ。透明の液体がバージルの唇に吸い込まれ、喉が上下する。 じっとそれを見つめていたダンテに、バージルが無言でグラスを差し出した。ダンテはそれを、不自然な体勢で受け取った。
うつ伏せのまま水をごくごくと飲むダンテを、バージルが見下ろしている。苦しくはないのだろうか、などとは 思ってもいないだろうが、ダンテにはバージルが何を考えているかなどわからないし、わかろうとも思わない。

バージルはダンテの問いかけに答えるつもりはないのか、つと、ソファを回り込むように移動した。そちらには、 ダンテの脚がだらりと伸びている。部屋を出ていくつもりなのだろうか。ぼんやりと考えたダンテの思考を否定したのは、 当然ながらバージル本人であった。

「……理由などない」

ぼそりとつぶやいたバージルは、無造作にダンテの左首をつかんだ。びくっとダンテの肩が跳ねる。なに、と躰をひねって 振り仰いだダンテに、薄く笑う兄の表情は見えなかった。





陽に焼けることのない、蝋のような白い足首にひとつ口づけて。肉のついていないそこに、尖った犬歯を突き立てる。

それもまた、理由のない、ただの衝動。



















戻。


すごく久しぶりにエロ書こうとして…完敗…無念です。

[12/10/08]