至宝タカラ








何かが、跳ねている。

朱と碧、ふたつの丸い物体が、ぺそんぺそんと不思議な音をさせながら階段を登ってくる。 一段分の高さほどしか身の丈がないらしい丸い何かにとって、階段を登りきることは並大抵の 苦難ではないだろう。しかし丸い物体たちは実に軽やかに、順調に一段、また一段と階段を 攻略していく。
一所懸命なその姿はとても健気で可愛らしくあるのだが、一口にそう褒めそやすことのできない、 決定的な理由がある。

「残りはあと僅かであるぞ」

「あと僅かで主に手が届くのであるな」

「然り。主も首を長くして待っていることであろう」

「然り。急がねば」

「然り。また兄上殿に出し抜かれるわけにはゆかぬ!」

「然り! 主は我らがものぞ!」

しわがれた声で喚き散らすさまには、幻滅という言葉がよく似合う。

彼らのいう主とは、ダンテという名の人間である。厳密に言えば半分は人間、もう半分は悪魔の血を 継いでおり、剣で心臓を貫かれても頭を銃で撃ち抜かれても死なないという、もはや反則と言って いい強靭な肉体の持ち主であるが、見た目はごくごく普通の青年だ。
ダンテには双子の兄がおり、その人物を指して彼らは“兄上殿”と呼ばわっている。目下、彼らに とっての最大の障害である。

えいやこらさと可愛さのない掛け声を交互に発しながら、彼らは階段を登っていく。 頭でっかちの二頭身がぴょんぴょん跳ねるたび、ぺそんもふんと音がする。
彼らの見た目を一言で表現するならば、ぬいぐるみ、である。丸く大きな頭に、短い手足の生えた 小さな躰がくっくいている。頭にはこれまた小さな角が一対生えており、顔にあたる部分には 窪みのような目がはまっているが、何を映すでもない虚ろなそれが役に立っているのかは甚だ疑問である。

毛皮を着ているわけではないが、もふもふとした体躯の中には綿でも詰まっているかのようだ。

「これで最後であるぞ!」

「主のもとへ、いざ!」

ついに階段を登りきった二体のぬいぐるみは、鼻息も荒くぺそぺそと駆け出した。足がとても短いため、 彼らが全速力で走ってもさして速くはないのだが、そこは気持ちの問題であるらしい。 一秒でも早く彼らの主のもとへ辿りつかんと、ぬいぐるみはよちよち懸命に駆ける。その姿を彼らの 主が目にしたならば、あまりの可愛さに目を細めて相好を崩していただろう。そしてそのさまは彼らを 大いにいきり立たせたことだろうが、廊下には誰の姿もない。
彼は今、寝室で眠っているはずだ。





今朝の話だ。

彼は珍しく朝の九時に目を覚ました。その枕元にはぬいぐるみがふたつ、彼の頭を取り囲むようにして 寝そべっていた。寝ぼけ眼で躰を起こした彼は、しばらくぼんやりしていたが、やおらぬいぐるみを 鷲掴みにすると、ベッドから降りて部屋を出た。
この時点で、ぬいぐるみらはまだ夢の中にいた。彼らが主と慕う者に胴を絞めあげられているというのに、 その寝顔はどことなく嬉しそうでもあった。

彼はまっすぐリビングへ向かった。そこにはすでに双子の兄がおり、エスプレッソを飲みながら新聞に 目を通している。いつもの光景だ。兄が新聞を広げる時刻はその日によって違うのだが、 彼はそれを知らない。
どうした、と兄が彼には問うた。彼は首をかしげ、わかんねぇけど起きちまった、と後頭部を がりがりと掻いた。ふと目が覚めて、いつもならば二度寝に入るところなのだが、妙に頭が冴えてしまって 眠れなくなることがある。脳が睡眠を必要としていないのか、理由は何であれ、今朝は希少なことが 起こったことは確かであった。

兄は彼に顔を洗ってくるよう言い、自分はソファから立ち上がってキッチンへ足を向けた。 彼に朝食を用意するためだ。

再び彼がリビングに姿を現したとき、兄はこのとき初めて彼が連れている物体に気がついたというから、 これもまた珍しいことであった。妙な一日にならなければいいが、と兄が思ったかどうかはわからないが、 始めこそ彼に鷲掴みにされていた物体は、今や彼の肩口にその身を乗り上げ、彼にまとわりついていた。 それで気づかぬものはいるはずがなく、兄は舌打ちとほぼ同時に行動に移した。

断末魔のような悲鳴と、押し殺した怒号が彼の耳を右から左に駆け抜けて行った。

五分後、彼はパンを頬張りながら、兄の淹れた薄めのエスプレッソを堪能した。 ふたつの物体は、蒼白く発光するナイフによって壁に縫い付けられているが、彼にとっては 見慣れた光景であるため、懲りないなとしか思わなかったようだ。
胃が膨れてしまうと、彼のもとに睡魔が襲来したらしく、ソファを背もたれにうつらうつらし始めた。 兄が肩を竦め、眠いならベットへ行くよう促した。彼は靄のかかっているだろう頭をこくんと上下させ、 のろのろと立ち上がろうとした。その腕を兄が掴み、腰を上げた。つられるように、彼の腰も浮き上がる。 その後は一瞬のことだった。兄はとてつもない膂力でもって彼を横向きに抱き上げ、 つかつかとリビングを出て一直線に寝室へ向かった。
ふたつの物体がぎゃあぎゃあと何ごとか喚き散らしたが、彼はすでに夢の国の門をくぐってしまっており、 いつものように応えてくれることはなかった。

それからしばらく経ち、彼を寝かしつけた兄はリビングへは戻らず、廊下を突っ切って事務所のほうへ 移動し、玄関を兼ねている扉の外へ行ってしまった。おそらく食糧品などの買い物へ手をかけたのだろう。
びぃびぃとやかましく喚き続きていた壁の物体には、これが千載一遇の好機であることのみ認識されたが、 その心の内を知るものは彼ら以外にはいなかった。





じたばた、走る。バランスの悪い躰は効率よく動くということができず、結果的にじたばたと 両手足を振り回すようにしてよちよち動くほかない。
それでもなんとか目的のドアの前まで辿りつき、彼らはいつもそうしているようにドアをぺそぺそ叩いた。 そうすれば、たいていは彼が内側からドアを開けてくれる。戸によりかかるようにして ぺそぺそやっているので、彼がドアを開けるといつもつんのめって倒れてしまうのだが。
またかよ、と呆れる彼が笑うそのさまを、彼らは好きだと思うので。

もっとも、彼らが学習能力というものを持ち合わせていないことは間違いようのない話であって。

今もこうして、懲りずに彼の寝こみを襲おうとしているのだから、見上げた根性と言えなくもない。

ドアのあちらから、彼の応答はない。すっかり眠っているらしいことは、ぬいぐるみらにもすぐ察せられた。 では、どうするか、といえば。
朱いぬいぐるみが仁王立ちするように足を広げ、むんと踏ん張った。その肩に碧いぬいぐるみがぴょいっと飛び乗り、 朱いぬいぐるみを踏み台にして大いに跳んだ。踏み台などほとんど無関係なのではないかと疑って しまうほどの距離を飛び上がり、碧いぬいぐるみはドアの取っ手にどうにかしがみついた。そうして 全身全霊をもって、取っ手をひねる。
相棒の決死の大ジャンプを見届けた朱いぬいぐるみは、ドアにぴったりと張りつき、取っ手がひねられた タイミングで、こちらも全身全霊でもってドアを押す。この見事というべき連携プレーを見たものも 褒めるものもいないので、彼らはいつも自画自賛をするのである。

「我ながら惚れ惚れする跳躍であるな」

「然り。我らの連携は今日も完璧であるな」

「然り。主が見ておらぬのが惜しまれるほどよ」

「然り。見ておれば必ず我らを惚れ直したであろうに」

「然り。まことに惜しい」

彼がもしこの場にて、この様子見ていれば、そもそも彼らは大ジャンプなどする必要もないし、 連携プレーを披露することにはならないのだが、それに気づかないのが彼らであった。
陶酔に浸りながら、朱いぬいぐるみが一足先に、押し開けたドアの隙間から室内へと乱入した。 碧いぬいぐるみがもふんと床に着地し、相棒に続く。あまりに急きすぎて、 つんのめり足がもつれそうになっているのはご愛嬌である。

「主!」

ふたつ同時に声高に呼ばわり、ベッドに駆け寄る。やはりよちよちとしか進むことのできない 彼らであるが、慣れているのか、じれったく感じているふうはない。
ベッドは当然ながら彼らの背丈よりもはるかに高い。 だがしかし、彼らの跳躍力は今しがたのとおりである。
ベッドの間際まで駆けつけると、どちらからともなくばひょんと跳んだ。 シーツにしっかりとしがみつき、あとほんのわずかな距離をフリークライミングの要領で登る。

彼は、何も知らずすやすやと安らかな寝息をたてている。

ふたつのぬいぐるみは、ようよう彼の体温を感じられる距離まで到達した。
果てしないほどの達成感が彼らを包み、満たしていく。

「嗚呼、主。我らが主よ……」

「我らが主よ……、これまで遠い道のりであった」

「然り。だが我らは来たり」

「然り。主のもとへ辿りつきたり」

「さぁ、主よ」

「我らとともに」

「いざ!」

ぽふん、ぺそん。
気の抜けるような音とともに、朱いぬいぐるみは彼の首筋に絡みつくように、 碧いぬいぐるみは彼の髪にくるまるように。 小さく軽い身を横たえ、そっと目を閉じた。
その表情はとても仕合わせそうで、見るものを微笑させるであろう和やかな様子であったが、しかし。 これを目撃するものがいるとすれば、それは彼の兄以外にはおらぬわけであり、 その兄がこの状態を見て和むわけもないわけで、むしろ発見された瞬間に彼らはまた壁に縫いつけられるか、 それともきゅっと絞られ吊るされるか、何にせよよいことが起こることなはい。

それでも彼らは彼らの主を求めてやまない。
一瞬の安らぎでも、彼らにとってそれはとてもとても大切なものなのだから。

彼らの主は、彼らの宝。

一分でも一秒でも、彼のそばにいたいと思う。彼らの宝を愛でたいと思う。

それは何ものにも代えがたい、大切な大切なこと。



















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久しぶりだよアグルド。
お粗末様でした。(本当にな!)