枕語
小さな塊が、ひとつ。
何やらいきものであるらしいそれは、もぞりもぞりと蠢いていて。それはそれは、
不自然な光景。
彼は真夜中に目を覚ました。辺りは当然ながら闇。一切の光がない黒の世界に、ひとり。
覚醒しきらぬ頭で、ぼんやりと中空を見つめる。
なぜ、目が覚めたのだろう。
いつもの彼ならば、陽が天頂に昇り詰めたころようやく起床に至るため、こんな、闇の深い
真夜中に目を覚ますことはまず少ない。喉が渇いているのかといえば、そうでもない。ただ、
瞼が勝手に開いた。そんな奇妙な感覚だけがある。
ため息をひとつこぼして、寝返りを打った。使い慣れたベッドが、いやに広く感じる。
彼は、ひとり。床に就いたときも、彼はひとりきりだった。
彼には兄が一人、ある。双子の兄だ。容姿は瓜二つであるらしいが、彼は兄と自分が
似ているとは思っていない。何より性格がまるで違うし、自分は兄のような冷酷な顔は
していないと確信している。
話が逸れた。
その兄は、廊下を挟んだ向かいの部屋で眠っているはずだ。それぞれに自室があり、それぞれの
ベッドがある。当然といえば当然のことだが、彼らにとってそれは当然とは言い難かった。
彼ら双子は夜、どちらかが不在でない限り一つのベッドでともに眠る。そうしよう、だとか、
そうしたい、という取り決めは彼らの間にはない。暗黙の了解、としか表現のしようのない
ものが、彼らには多く存在する。
毎日毎夜、寝床をともにする彼らが、なぜ今宵もそうせずにいるのか。
彼は再び寝返りを打ち、ため息をこぼした。
先日、彼はひどく兄に当たった。苛立っていたのだ。とても。何もかもが腹立たしくて、
兄にすべての怒りをぶつけた。みっともなく当たり散らした記憶が、脳の片隅にこびりついて
いる。
その日を境に兄が彼に対し冷たい態度を取るようになった、という事実はない。兄はいつも
どおり平静であるし、相変わらず彼を甘やかしてくれる。すべては平常。しかし彼の心だけが
常とは違っていた。
後悔ではない。言うなれば後ろめたさ。
あれほど不様に暴れたというのに、兄は彼を罵ることはしなかったし、責めることも
しなかった。ただ、一日中外出して、陽がとっぷりと暮れてから帰宅するという日が増えた
ことを除けば、何も。
家を空けることが増えた兄は、帰宅すると晩飯もそこそこに自室にこもってしまう。理由は
知らない。双子と言えども、兄のことで彼の知らない、わからないことは多い。
そんな、不自然な日は決まって、彼は兄と同衾しない。いつもならば勝手にベッドに潜り
込むのだけれど、そうしてはいけない気がしてしまうのだ。
訊いてはならない。近づいてはならない。触れてはならない。
そんな気が、して。
得体の知れぬ不安を抱えたまま、彼はまんじりともせずここしばらく過ごしている。
ぎゅう、と不思議な音が腰の辺りで響いた。彼はふと我に返り、腰に手をやった。指先と言わず
掌に触れたのは、何か柔らかい塊。彼はあぁと思い至った。
「悪い、忘れてた」
かすれ気味のつぶやきに、非道い、と何ものかが抗議をする。もぞもぞ、毛布が蠢いた。
それは匍匐前進をするようにシーツを這い、やがて彼の顔の真横にぴょこりと姿を現した。
といっても、暗いので目視はできないが。
それ、が何であるかは、彼には当然ながらわかっている。
「悪い、悪い。ちょっと、ぼうっとしてた」
毛布から顔を出したそれは、ふうふうと息を整えながら、
「兄上殿のことであろう、主よ」
何のためらいもなく、核心を突く。遠慮など、知っているとは思わないけれど、たまには
空気を読めと言いたくなる。
べつに。自覚なくむくれる彼に、それはやはり遠慮なしに言う。
「落ち着かぬか、主よ」
「……ふつうだろ、べつに」
強がりだと、自分でもよくわかっている。けれども、彼は男だ。見てくれは小さくとも、
すでに自立した一個の人間である。
人の心というものに疎いそれは、頭ごと転ぶようにして首をかしげたらしい。ぽすん、と
軽い音がして、シーツがたわんだ。
「……何やってんだ」
「ひととは面倒ないきものであるな、主よ」
「おまえらにはわからねぇだろうよ」
何度目か、数えるのもいやになるほどため息が出る。
暗闇で姿は見えぬが、彼のそばにいる何かは、彼の膝にも届かぬほど小さな二等身の
いきものだ。見目は頭でっかちのぬいぐるみ。それが短い手足を使ってよちよち歩くさまを、
彼は思いのほか気に入っていたりする。
彼はかわいらしいと思っている、そのいきもの。本性は鋸状の刃をもつ、ごつごつとした剣で
ある。
ある日何を思ってどうやったのか、こんな小さないきものに身を転じていた。その姿を彼が
好み、喜んだものだから、以来、剣の姿のほうが見かけることが少ない。
そういえば、と彼はふと思い出した。
「アグはどうした」
アグニ。今彼のそばにいる小鬼の片割れ。ちなみにこちらはルドラという名を持っている。
二体一対の剣であるアグニとルドラは、小鬼の姿をしていても一対で行動することがほとんど
だ。それが、今はルドラ一体しか彼のもとにいない。
ルドラ――碧い小鬼は「さて」とうそぶく。
「今宵は我が主を独占しているのだ。他の名は口にせぬが良いぞ、主よ」
どこでこんな言い回しを覚えてくるのか。いつも不思議でならないが、おもしろいので気に
しないことにしている。
「なんだ、そりゃ。独占しても何も得しねぇだろ」
ちちち、と碧い小鬼が舌を鳴らす。うまいものだ。
「わかっておらぬな、主よ。我にとり、主の傍らは最上の至福。それを独占できるというの
だから、これ以上の幸福があろうか」
熱弁してくれる、それそのものは構わない。訊いたのはこちらだ。しかし、しかし。
「悪い、やっぱわからねぇわ……」
ぼさ、と乾いた音。小鬼がシーツの上に倒れこみでもしたのだろうか。とすると今まで、
ちんまりとした足を突っ張って、仁王立ちでもしていたのかもしれない。
暗闇に慣れた目は、けれども鮮明な画像を脳に送ってはくれない。
「……寝直すか」
碧い小鬼の話はわからないし、朱い小鬼はどこにいるやら、それに、兄のところには行けない
し――詰まらないから、もう寝よう。
彼は小鬼を毛布の中に引っ張りこみ、ぎゅうぎゅうと頬をおしつけた。小鬼はむぎゅむぎゅと
奇妙な音をたて、苦しそうだが、まんざら嫌でもない風情で彼の好きにさせている。
何か物足りないものを感じながら、その正体が何であるかわかっていながら、瞼を閉じることで
目を逸らした。
しばらく、寝付けなかった。時間にしてどれほどかはわからないが、おそらく三十分程度、
眠りたいのに眠れないという状態でぐずぐずしていた。ぎゅうと腕の中に抱きこんだ
小鬼のぬいぐるみは、すやすや寝息をたててすっかり夢の中である。
綿しか入っていないような小鬼だが、眠るし夢もみるようだから不思議なことだ。能天気な
言動に違わず、不眠というものをまるで知らないようで、実に羨ましい。そういえば、
あまり考えたことはなかったが、排泄などはどうしているのだろう。
意味のないことをぐるぐると考えるうち、うとうと、意識が溶け始めた。
それはとても唐突に起こった。
どすん、という音とともに、間近に衝撃を感じて彼は文字どおり飛び起きた。わぁ、とでも
叫んでいたかもしれない。
何ごとかと周囲を改めるより先に、彼とは打って変わって静かな声が横合いからあった。
「起こしたか」
誰の声かはすぐにわかった。兄だ。もっとも、兄とふたり暮しであるのだから、他の人間が
彼のベッドに飛び込んでくるなどあり得ないことだが。
「そりゃ、起きるって……」
言いながら、寝惚けた頭で、めずらしい、と彼は思った。
「なんか、あった?」
意図せず舌足らずになった彼の頭を、兄は犬にでもするかのように撫で、寝転ぶよう促した。
悪かった、と聞き取れるかどうかという声音でつぶやく。これもまた、珍しいことだ。
彼が首をひねりながら躰を横にした。おずおず、兄に身を寄せる。香水の類をつけない兄の
においが、彼はきらいではない。
毛布の上から、兄が彼の腰に腕を回した。心地よい重みだ。兄のほうから触れてくれることで、
安堵が彼を包みこむ。目を瞑ればすぐにでも眠れそうな気がした。
眠ればいい、と深みのある声音が囁く。それは子守唄のように鼓膜を撫で、彼をあやす。
兄には訊きたいことがあるし、今しがたの問いかけにも答えをもらっていなかった。しかし
抗いがたい眠気に搦め取られ、あたかも底無し沼にはまるように沈んでいく。
ずるい、と口の中で毒づいた。
「いつものことだ。違うか?」
そう。いつも。兄はいつもずるい。
自分よりも一歩も二歩も前にいて、追いつきそうでなかなか追いつけない。いつも。
それでいて、兄には余裕がある。悔しくて、彼はいっそ悲しくなる。
どんなに背伸びをしても、一所懸命に駈けても、兄には届かない。
「おまえをひとりにはしない。俺はここにいる」
その言葉を頭から信用できたなら、どんなにか仕合わせなことであったろう。
うん、と小さな嘘をついて、彼は眠りに落ちた。兄の、常に低めの体温が快かった。
間もなく、弟の小さな躰を抱き枕のようにして、兄もまた眠りに就いた。それを、闇の狭間から
じぃっと見つめる眼が四つに増えていることには、誰も気付かない。
短い。裏ものにしようかと思ってたんですが、長くなるので却下。
エロな展開はまた別の機会にします。たぶん…