桜花サクラ












想う。

過ぎ行く日々を。特定の誰かを。己を取り巻く環境を。この残酷なまでに美しき 世界を。

想う。

ちっぽけで哀れな、けれども精一杯生きようともがく、醜い己を。







飯の種だと言ってにやりと笑って見せたのは、いつの間にか馴染みになっていた 仲介屋――本人は“情報屋”を自称している――だ。清潔とは言えぬ髪を、 しばらくの間見ないうちにきれいに剃髪してしまったらしく、いっそ清々しい。 誰ぞに真っ向から「不潔だ」とでも言われたのだろうか。もしそうだとするなら、 言い放ったのは女だろう。くだらないことを考えて、やめた。他者のことなど どうでもいい。

「内容は?」

報酬よりも中身。そんな優先順位を持つ人間は、どこを探しても彼くらいのものだ。 他はみな、報酬の高低によって仕事を選ぶ。それは奴らが荒事師で、自分は 便利屋だからだと豪語する彼を、理解できる人間はここにはいない。だから、 というわけではないが、彼は誰とも群れることをしない。基本的に、ひとりだ。

潔く剃髪した頭を掻きながら、仲介屋――エンツォ・フェリーニョはわざとらしい ため息をついた。

「久々だってのに、相変わらずだな」

エンツォがこの、荒事師らの集う酒場に顔を見せるのは週に一度か二度ほどの 頻度だが、彼はここひと月ほど、エンツォと顔を合わせていなかった。酒場には、 来た。しかしいずれの日もエンツォの来店とは重ならず、避けているわけでもないと いうのに、まったく遭遇しなかったのである。まるで誰かの意図に操られている かのように。
彼はひょいと肩をすくめた。変わるものと変わらぬもの。この世は常に何かしらの 変化が起こっているけれども、彼自身にその変化が到来することはないと思っている。 少なくとも、この思考と思想は揺るぎない。

「まぁ、いい。それで……何の話だった?」

「飯の種、って、あんたが言ったんだろ。痴呆か?」

「言ってろ、坊や」

お前もすぐこうなる。エンツォはじとりと彼を睨みながらも、口許には笑みが ある。
歳を重ねることでにじみ出るものというものが、ある。エンツォはけっして美男では ないが、魅力がないとも言いきれないのはそういうことなのだろう。無為に歳を 食うだけでは、こうはなるまい。

「運が良かったな、ダンテ。お前好みの胡散臭ぇ依頼だ」

「な……それを早く言えよな」

もったいぶるのも年の功か。にやにや笑うエンツォを睨むが、勝てる気がしないのは なぜだろう。それもいいか、と思えてしまうのはどうしてなのか。彼はくすみのない 銀髪を、荒っぽくがりがりと掻いた。

居心地の好い場所、というのは厄介なものだと、心底思う。





「くぁ……、ねむ……」

目元をこすながら、事務所を通過して自然と足がリビングへ向かう。シャワーを 浴びたい。ベッドに飛び込みたい。けれどもその前に、

「帰ってたのか、バージル」

リビングの明かりがついていたので、そこに兄がいることはわかっていたが。
バージルはシャワーを使った後であるのか、いつもはきっちり後ろに撫で付けてある 前髪が、緩く額を覆っている。そうすると、まさしくダンテと瓜二つになるのだが、 彼らはそれを認識していない。まるで似たところがないと、互いに思っているから だろう。
ソファーに腰掛け、本を読み耽っていたらしいバージルが、顔を上げてこちらを 見やる。

「あぁ。お前は酒場か」

酔ってはいないが、夜中に出かける理由は限られる。かく言うバージルは、日没と ともに仕事のため出ていた。場所はそう遠くなかったが、帰宅は夜明け頃だろう あたりをつけて家を出たのはバージル本人だ。しかし、現在、午前一時である。

「まぁな。暇だし……お陰で仕事にありつけた」

合言葉ありだ。にんまり笑うダンテに対し、バージルの表情は硬いままだが、 ダンテは気にはしない。バージルの鉄面皮は今に始まったことではないし、 一見怒りをたたえているように見えるこの表情も、見慣れてしまえばこれが 通常なのだということもわかる。要は、慣れだ。

「それより、早かったな。そんな安い仕事だったのか?」

ダンテが興味を惹かれる仕事ではなかったことは、間違いない。そういった仕事は、 バージルが単独であたることが多かった。そのため、ダンテは今夜バージルが あたっていた仕事の内容を、まるで覚えていないのだ。選り好みをしない バージルは、ダンテよりもはるかに仕事量の多い。そのすべてを把握するなど、 ダンテにはどう転んでも不可能なことだ。

「早々に終わらせただけだ。時間が惜しいのでな」

一日は短い。ダンテと決定的に性格の違うバージルは、無駄という無駄をことごとく 嫌っている。合理的かつ効率的。すべてを、そのモットーの上で進めようとする。 徹底的に。そしてその枠に納まらぬダンテに、苛立つ。いつも、そうだ。

「ふぅん……」

早く帰ってくれるなら、それに越したことはない。自覚する以上にバージルへの 依存が強いダンテは、無意識に笑みをもらした。

「シャワーは、」

バージルがぼそりと言う。浴びてきたかどうか、という意味だろう。まだ、と 首を振って見せると、バージルは「そうか」と何やら頷いた。早く浴びてこい、と 言われるのだろうと思っていると、バージルがおもむろにダンテを手招きなどして。

「? なに」

首をかしげながら、しかしひょいひょいと近寄ったダンテは、己の行動を悔やまずには おれなくなる。

「っわ!?」

思わず、悲鳴。腕を掴み強引に引くものだから、ソファーに突っ伏す格好になる。 驚きの色濃いダンテの声音に、バージルがうっそりと微笑したような気がした。

「な、にすんだよっ」

羞恥を隠すようにバージルを睨むと、予想通り微笑を浮かべた兄によって、今度は 背中からソファーに押し倒された。肘掛で後頭部を強打する。痛い、とのダンテの 抗議は、無論バージルには届かない。とことん、自分勝手な兄であるがゆえに。
はた、と。自分がひっくり返った蛙のような、不恰好な姿になっていることに 気づいてぎょっとする。すべてバージルの仕業であるとはいえ、頬が赤くなるのは 致し方ない。せめて脚をソファーから下ろそうとするが、バージルの手がそれを 阻止した。それも、ダンテの左膝をちょっと押さえただけである。

何という、馬鹿力か。

「離せよ、バージルっ。何考えてんだ」

こんな格好にされておいて、今さら“何”もないのだけれども。バージルはダンテの 逃走経路をことごとく遮り、さらにはわずかな隙間に詰め物までしてくれるという 入念さを持ち合わせている。

「お前を抱こうというのに、何、とは無粋だな、ダンテ」

恥も何もあったものではない、さらりとした言いように、ダンテのほうが顔を 赤らめてしまう。

「相変わらずうぶなことだ」

「あ、アンタが無恥すぎるんだろうが!」

吠えるが、効果がないということはわかっているのだ。それでも噛み付かずには おれぬダンテは、バージルの蒼眼にはどんなふうに映っているのか。珍しく はっきりとした笑みを浮かべているバージルの意図を、ダンテは推し量ることが できなかった。バージルの長い指が、ダンテのシャツの襟ぐりを掴むや一直線に 引き裂いてしまったからだ。
ダンテは一瞬、何が起こったのかわからなかった。悲痛な叫びをあげて裂かれた シャツを、茫然と見下ろす。

「な……な……っ」

言葉も出ないダンテを嘲笑うように、破壊の象徴であるバージルの指がダンテの 鎖骨をなぞり、胸筋を、腹筋をたどって臍へ到達する。するりするりと指が滑り、 爪がこすれるたびに、ダンテの肩が本人の意思とはかかわりなくはねた。
バージルの手は、ダンテの下腹へ伸びる。引き締まった筋肉を一つ一つ確かめる ようになぞる手つきは、いかにも卑猥で、ダンテの羞恥を否応なしに煽る。

「っあ……」

首筋に、バージルの唇が落ちる。手は変わらず下腹――決定的な刺激をわざと避け、 ゆるゆると、時折爪を立てたりしながら、なぞるばかり。
くつくつと、バージルが笑う。嘲笑のようだが、ダンテは違うと直感した。 愉しんでいる。そうとわかるのは、世界広しといえどもダンテしかいない。

「どうした、ダンテ? 暑いのか?」

紅潮したままの頬をさしてか、徐々に上がりつつある体温を言っているのか、 ダンテにはわからない。が、からかわれていることは間違いなかった。

「っ、るせぇ……ッ」

誰のせいだ、とダンテは兄をめあげた。 快楽主義者であるダンテに、歳端もいかぬころから性的な快楽を刷り込んだのは 他ならぬバージルだ。そのバージルが上からかぶさるようにしてダンテに 触れているのだから、膚があわ立つのは当たり前のことである。
キスも、決定的な接触もなく下腹が疼くのも、もとをただせばバージルの 責任なのだ。それを、バージルはすべてダンテに押しつけようとする。

「ふん……その余裕がいつまでもつか、見ものだな」

笑う。バージルの面立ちは、悪魔と呼ぶにふさわしいものであった。



荒い息遣いと、スプリングの軋む音。そして不規則にもれる快楽にけぶった喘ぎ。 それらの奏でる不協和音を、ダンテは耳障りだと思うけれど、バージルは違う らしい。
どれほどの時間、交わっているだろう。もはや息継ぎすらままならぬほどに疲弊した ダンテをなおも揺さぶり、もっと鳴けとばかりに無情に責め立てるその表情には、 ダンテにしかわからぬであろう笑みがある。何とも酷薄な微笑だ。事実、バージルは ひどく残酷な性質の持ち主であるけれども。
バージル、と。息も絶え絶えに名を呼ばわれば、兄は硬質な声音で「なんだ」と 応じる。表情、口調、声音。どれを取っても柔らかさは一切ない。しかしそれで 怯むほど、兄との付き合いは短くはなかった。

「も、……い、から、ぁッ……はや、っあ……!」

ずっ、と体内で音が響いた。バージルがダンテの言葉尻を取るように、楔を最奥へと 押し込んだのだ。とたんに背筋を駆け登った痺れに似た快感を、ダンテは目をきつく つむることで堪えた。バージルはよく、こういった不意討ちを仕掛けてくる。
そして、底意地の悪い囁きをダンテの耳に吹き込むのだ。

「早く、何だ? はっきり言わねば、わかるものもわからん」

ダンテは喉の奥でバージルを罵った。言葉にならなかったのは、無論バージルが ダンテをゆるゆると揺さぶっているからだ。緩慢な動きは快楽にこそなれ、絶頂に 上り詰めるには物足りない。先刻から、ずっとこうなのだ。焦れて音を上げるのは ダンテに他ならず、バージルは間違いなく確信犯である。

「っふ……、ぃ、じ悪ィぞ……バ、ジルっ……!」

時折裏返る声音でなじったところで、迫力も何もあったものではない。ダンテは 自覚していないが、頬は紅潮し、空色の双眸は涙で潤ませながら気ばかり強く 睨むさまは、女にはない淫靡さが滲んでいるのだ。
バージルの笑みが、不意に消えた。その意味と理由を考えていられるほど、 ダンテには余裕も時間もなく。

「淫乱が……」

聞きたくもない言葉を吹き込まれ、ダンテはきつくバージルを睨んだ。違う。 否定しようとした言葉は、強く腰を打ち付けられたために舌先で霧散してしまった。 今し方までとはまるで違う、獣のような交わりにダンテは息を忘れた。
ただ、ダンテは長すぎる快楽から解放されたかっただけなのだ。自身は何度精を 散らせたかわからず、搾っても何も出ないに違いない。快楽もすぎれば苦痛に 繋がる。これ以上は限界だ。けれども、バージルはそうは思っていないらしい。

ダンテを罵り、嘲って、その肉を食らわんがごとく犯す。おまえの本性を見せろ、と。 嫌悪しながら、ダンテのすべてを暴こうとする。もう何も、見せるものなどない というのに。そう口にしたところで、バージルは止まらぬのだろうけれども。

「あっ、はぁっ、ぁ……あぁ……ッ」

バージルの楔が肉を食む音が、スプリングの軋みに合わせて大きく響き、狭くは ないはずのリビングに充満する。

「ダンテ、」

名前。バージルの声だ。しかし嘲弄の色はない。なぜか、などダンテにわかるわけも なく、ただ、何かしらの許しを得たような気がして、ダンテは両腕を伸ばして兄に しがみつくようにした。

ダンテ。またも吹き込まれる己の名は。

「バージルっ……」

「ダンテ」

こんなにも、甘美な響きを持っていただろうか。





知らぬ間に、ダンテはベッドに横たわり薄手の毛布にくるまれていた。薄目を 開けると、そこにはバージルの布ごしにも逞しいとわかる胸板がある。見える ということは、夜が明け室内がぼんやりと明るくなり始めているということだ。
何時か、まではわからぬが、まだバージルがベッドにいるというのが不思議な気が した。

が、悪い気分ではない。

(たまには……なぁ)

いつも、とは言わぬから、たまにはこうして、朝の惰眠をともにしたいと思う。 セックスに疲れ果てた明くる朝などは、とくに。
甘いキスで起こされたい、とまでは考えもしないが。

ダンテはこちらに躰を向けて眠るバージルの、脇に潜り込むように躰を寄せて目を 閉じた。あたたかい。夏はすぐそこまで迫っているけれども、バージルの低めの 体温はひどく心地好くて、知らず笑みがこぼれる。

(おやすみ)

呟き、再び夢の淵へ誘われる。それはとてもとても心地好い、至福の瞬間。





この、酷薄だけれども甘い兄と。

悪魔どもとの饗宴と。

剣と、銃と。

ただそれだけで、彼の双眸に映る世界から色が褪せることはない。



















戻。


結局、寝させたいらしい。
裏表現の少なさに我ながら反省…
ガッツリ書こうとすると、確実に続きものになりますけども。

[10/06/12]