砂城
そこはこの上なく居心地がよく、かつ甘美さを兼ね備えた完成された空間だった。
その空間を作り上げたのは自分自身。そして壊したのも、己。
創造主はすべてを形造ることができ、同時にすべてを壊す権利も保持している。
自ら創造したものを、他者に壊されることほど不愉快なことはない。
だから、壊した。
誰かに壊されることを恐れたと言ってしまえば、あまりにも臆病な理由としか捉えられぬ
けれども、自分は確かに臆したのだろうと思う。
あの空間を、いや、彼を。
他者に奪われることより他に、恐怖と思うことはない。
そもそも恐怖とは何か。
恐れ、畏れることだ。
では、おそれとは何か。
人はそれぞれ、何かしらの事象に対しおそれを抱いているものだ。
おそれを知らぬ者が存在するとすれば、それはよほど鈍感な人間か、世捨て人ぐらいのもので
あろう。
人は何かを常におそれている。自己暗示により一時的におそれを隠すことは可能だが、
本能として備わったものを真に消し去ることは不可能だ。
己とて、おそれはある。
神も悪魔も恐れはせぬが、唯一おそれる事象が前述のとおりだ。
彼を失うこと。彼のいる、かの甘美な空間が壊されること。
ただそれだけが、自身をひどい恐怖に陥れる。
人間として当たり前の感覚を、棄てようと試みた者は多い。そしてそのほとんどが、神より死を
賜った。
人は人以上足り得ぬのだと、神は人を罰する。自ら創造した被造物を、自ら壊すことでその罪を
裁く。
神など。
囁く自分は、無論神などではない。悪魔でもなく、人間でもない。
何者にも属さぬ自分は、一体何者であるのか。
おそれを有しているのは人間の部分だ。しかし。この身に流れる血は、人間のそれではない。
半分は人間かもしれぬ。だが自分は結論的に人間にはなれぬと思っている。
彼のようには、なれない。
彼は人間だ。血脈で言えば彼は自分のたった一人の同族だが、根底は違う。自分と彼とは全く
似ても似つかぬ別のいきものだ。
だから、だろう。
彼は自分のものだという強い意識が、物心つく以前より当たり前のものとして己の内にあった。
同族でありながら別のいきものであるからこそ、一つになりたいという欲求(慾望)は日増しに
強くなっていった。
おそらく、誰の目から見ても自分は可愛げのない子どもであったろう。その代わりに、彼は
誰からも愛された。母も、彼には特別目をかけていた。
彼が、自分より他の人間に愛情を注がれることには、我慢がならなかった。彼を一番に愛して
いるのは自分で、それ以外の愛情など要らないと
考えた。
だから、縛り付けた。
見えぬ鎖で彼をがんじがらめに縛り、独占した。彼も抗うことをせず、気付いていたのか
いなかったのか、鎖の巻き付くままになっていた。
たとえ抗ったとしても、自分はそれを許さなかっただろう。暴力に訴えてでも、彼を我がものに
していたに違いない。なぜならば、彼は彼の意志にかかわらず自分のものであり、抗うことなど
そもそも許されていないのだから。
そうして、世界は次第に閉じていく。
わずかなりとも開いていた扉が、静かに、音も気配もなく閉じられたのは、母が醒めぬ眠りに
就いて間もなくだった。
母の愛に、自分はおそれを抱いたのかもしれぬ。
ぴたりと閉じた扉は、以降、開くということを忘れた。
鍵はない。
扉は扉の意志により“あちらの世界”を拒絶した。自分と彼とを“こちら”へ残して。
それから――閉じられた世界で二人は互いのみを見て生きてきた。あの年月、自分たちには確かに
互いしか存在をせず、ただ密やかに生きた。
それは実に甘美で、実に心地の好い月日だった。
そんな甘やかな世界の崩壊は唐突で、しかしどちらもが初めから予感していたのに違いない。
暗闇に満ちた世界に、ただ一滴。ひそりと滴り落ちた光の粒が。
「バージル、何ぼうっとしてんだ?」
珍しい、と。顔をのぞき込み首をかしげるのは、双子の弟であるダンテだ。彼以外の者には容易に
接近を許さぬバージルのこと、ともすれば息の触れそうなほど近付いている人物が誰であるかなど、
問う意味もないことだ。
今の今までお前のことを考えていたのだ、とはバージルは言わず、小さく鼻を鳴らしてダンテの
後頭部を鷲掴みにした。わっ、とダンテの唇からこぼれた驚き声を飲み込むように、唇を
重ねる。
びく、と。引き寄せた躰が震えた。
「、ん」
密やかな吐息は、いつもバージルの耳を楽しませる。
口端に笑みを浮かべ、しかしいつものように口づけを深くすることはせず、唇を離した。
バージルが、自身の予想していたことと正反対の行動に出たからか、ダンテは半口を開けたまま
きょとんとしている。幼さの残るその表情に、バージルは笑みをもらした。
彼の顎をちょいちょいとくすぐる。
「不満そうだな」
言えば、はっと我に返った彼の顔がみるみる赤く染まり。次いで、屹とバージルを睨む。
恥ずかしいのだろう。それを誤魔化すためには怒っているふうを装う。彼のいつもの手だ。
かわいいものだと、毎度バージルが思っているとは、彼は知らない。たまに耳許に囁いてやるの
だけれども、鈍いダンテはそれを本気とは思わないらしい。
その鈍さが彼の長所でもあり、短所でもある。総体的に見て、ダンテの長所など数えるほども
ないとバージルは思っているが。
「不満ってなんだよ」
唇を尖らせたダンテが、バージルとの距離は離さないまま言った。
この弟は、自身が快楽主義者であることは自覚していても、性的な快楽に極端に弱いということに
関しては時折忘れることがある。その都度、バージルが思い出させてやるのだという、それすらも
忘れがちなのだから始末が悪い。
「いつもの躾が必要か、ダンテ?」
笑みを含んで囁けば、ダンテの躰がぎくっと揺れる。およそ条件反射なのであろううぶな反応が、
毎度のことバージルを愉しませるのだ。
「い、いらねぇ……っ」
躾が、ということだろう。声音が震えていることに、自分で気付いているのかどうなのか。
バージルにはどちらでも良いことだ。
「遠慮するな」
「してねぇっ!」
「煩い。喚くな。無理矢理黙らせてやろうか?」
「ぅ……ッ」
尻の肉を鷲掴みにしてやれば、ダンテは小さく呻いて躰を強張らせた。いちいち、反応がうぶで
良い。
バージルはダンテにすら時折にしか見せぬ、柔らかな微笑を浮かべ、
「我儘なお前のために、今日は普通に抱いてやる」
それで良いか、と。たっぷりの譲歩とともに言ってやれば。
「っ! んだよ、それッ」
何が不服か、耳許で喚くものだから。
「喚くな、と言ったはずだが、もう忘れたか……?」
物分かりも物覚えも悪い弟には、やはりきつく躾を施すよりないらしい。
引きつった悲鳴を上げるダンテの訴えになど耳も貸さず、バージルは容赦なく彼をソファに組み
敷いた。
自ら作り上げた蜜のような空間は、自らの手で修復不能にまで壊し尽くした。
ならば今浸っている、この空間は。
世界が壊されることを最後まで拒んだ彼が、欠片を集めて繋ぎ合わせて維持している。
無論のこと、ひどく不安定なこの空間は、ともすれば壊れる危険性を常に孕んでおり。
だから彼は、いつも必死なのだ。自分をこの世界に引き止めるために。
たった一言で崩れてしまうほどに脆い、この二人きりで閉ざされた世界を守るために。
(俺は、何もしない)
ただその言葉を口にせぬだけ。
簡単で、単純な、その言の葉。
気を失うようにして眠った彼の髪を梳きながら、バージルは唇だけをわずかに動かした。
それは禁忌の言葉。
それは黙示録の鍵。
彼の守る世界を壊す権利は、彼自身にある。
ちょっと頭がぐるぐるしてた時にカキカキしてたので、
なんだかよく分からないモノになりました。
リハビリは必要のようです。