愛事アイノコト









眠る弟を残し、バージルはまだ夜明け前という薄暗い中、電灯も点けずに起き出した。
暗がりでも落ちることのない視力により、着替えをするのも苦にはならない。むしろ明かりを 点けることで、弟を起こしてしまうことをこそバージルは厭っている。弟をして毎日眠り すぎだとは思うが、かといって眠りを妨げることはしないバージルである。

実に気持ち良さそうに眠る弟の、寝顔を眺めることはバージルの気に入りだ。寝台を抜け出す前の 十分あまりを、弟の寝顔を堪能することに充てているほどに。そうして弟の髪をくるくると指に 巻き付け、手遊びをするのが好きなのだ。弟はすりりと猫のようにこちらへすり寄って来て、 寝台から出る機会を失うこともあるが。
今朝は、弟の寝顔を堪能することは程々にして、バージルは名残惜しいものを感じながらも寝室を あとにした。すうすうという寝息が背中に張り付いているようだったが、扉を閉めるとそれも すぐに消えた。廊下は、当然だがしんと静まり返っている。夜明け前の冷たい空気に身を震わせる こともなく、バージルはするすると階段を下りた。





もぞりと、ダンテは寝返りを打った。あたたかい。幸せそうな小さな吐息をもらして、うっすらと 瞼を上げるとそこはまだ真っ暗で。夜更けか夜明け間近か、ダンテには判らないけれども、自分が 目覚める時刻にはまだまだ至らないということだけ認識した。

さぁ、ここからもう一眠りだ。

もぞもぞ、自分の身の落ち着く場所を確保し、引き込まれるように眠りへ落ちていく。が、その 直前に。
ダンテはほとんど無意識に、もそもそともう少しだけ躰を移動させた。そうして見つけた あたたかいものに、すりりと頬をすり寄せる。躰ごとぴたりとくっつくと、そのあたたかなものは ダンテを包み込むようにしてくれて。ほぅ、と条件反射のように吐息がもれた。

あたたかい。きもちいい。

ずっと、自分の目覚めるときまでこのままであれば良いのに。そうしたら、目覚めたときも 仕合わせなままでいられるに違いない。あぁ、それはとても幸福なこと。でも。
巡る思考はすぐに閉じ、それと同時にダンテは眠むりに落ちてしまっていた。





弟は、基本的に寝汚い。

放っておけば昼近くまで目覚めないし、起きれば起きたで油断をするとすぐにうたた寝を始める。 よくもそんなに眠れるものだとバージルは思うが、眠りたければ好きにしろと放っているのは バージル自身に違いない。別段、止める必要はないと思っていることも確かなのだ。誰に迷惑が かかるわけでもなし。そもそも、常に落ち着きのない弟が静かになるのは、眠っているとき ぐらいのものなのだから。
弟が散々眠るだけあってか、バージルは睡眠というものをさして重要視しておらず、一日に 四時間も眠れば充分という性質をしている。夜眠りに就くのは弟よりも遅く、朝目覚めるのは 弟よりも格段に早い。なぜそんなに朝早く起きれるのかと、弟には何度か問われもしたものだが、 バージルからすれば弟のほうこそ不思議でならない。つまりはお互い様だ。双子でありながら、 何もかもが正反対の性質を持ち合わせている自分たちには、いかにも似合いではないか。

あくびを噛み殺すような仕種もそぶりもなく、バージルは朝食もそこそこにキッチンへ立った。 必要なものを手際よく調理台に並べ、さて、と腕まくりをする。

キッチンは正しくバージルの城だ。弟は料理というものを一切しないし、それどころか家事全般に 関してまるで能力を有していないのだ。食事も洗濯も掃除も、すべてバージルが担っている。
たまには手伝えとは、バージルとて口にする。が、便利屋としては有能である弟は、家事に関して はまったくの無能なのだから、簡単な手伝いすらまともにできないときている。結論を言うならば、 黙ってバージルがやってしまうのが最も良い選択なのである。
何がどこにどれほどあるか。すべて把握しているキッチンは、やはりバージルの城と言える。

そのキッチンで、バージルはせっせと何をか作り始めた。

材料は、数日前に買い物へ行った際、ついでに購入したものだ。自分のために作るものでは、 断じてない。これから作り上げようとしているものは、ほぼ九割方弟の胃に収まる予定であり、 確定事項と言っても過言ではない。
弟の喜ぶ顔が目に浮かぶ。バージルは無意識に、他者には見せることのない柔らかな笑みを 浮かべていた。





もそもそ、何度目かの寝返りを打ったダンテはのろのろとした動作で毛布からひょこりと顔を 出した。同時に、鼻をひくひくさせる。

「んむ……?」

意味のない呟きは無意識のそれ。ダンテは一度毛布を頭からかぶり直し、しかしすぐまた毛布から 顔を出した。気になる。何がかといえば、先ほどからひくつかせている鼻が答えだ。

「むぅ……」

寝ぼけ眼を擦り擦り、ダンテは上半身を起こした。背中がひやりとする。ダンテはぶるりと 身震いして、毛布を躰に巻き付ける恰好でベッドから下りた。素足に、板敷がひどく冷たい。

「うぅっ」

寒さが足の裏から全身に伝わっていき、顔を歪めて呻き数度足踏みをする。ベッドから出る前に 靴下なり靴なりを履けば良かった。
ダンテは無造作に散らばった靴を拾い集め、急いで足を通した。紐で縛るタイプの靴は、 見栄えはするが急いでいるときはひとぐもどかしい。しかも起き抜けでは指も上手く動いて くれず、ダンテはもたもたとしか靴紐を結ぶことができなかった。

いつもの倍近く時間をかけて靴を履き、ダンテはようよう部屋を出た。寝着のまま、上からは マントのように毛布をくるりと巻き付けて。





特徴的な形をした型から、ふっくらと焼き上がったものを取り出す作業にかかるバージルは、 ふと手許から顔を上げた。じっと耳を澄まし、ふむとひとりごちる。どうやら弟が起きた らしい。
予想よりも早かったか。時計を見やると、まだ十時半だ。夜明け前には目覚めているバージルから すれば、十時半など早いという部類には入らない。が、いつも昼を回ってからでなければ目を 覚まさない弟にすれば、奇跡的な早さと言えるだろう。

いったい何が彼を眠りから呼び覚ましたのか。

バージルは肩をすくめ、自分の作業へ戻ることにした。弟がリビングへやって来るまで、ぼうっと 待っていても仕様がない。

しばらく、かかった。作業のことではない。弟が、目覚めてから階下へやって来るまでの時間の ことだ。もたもたと何をしていたのやら、ようやく姿を見せた弟は、まだ眠そうに目をしぱしぱ させていた。靴は履いている。しかし躰には毛布をかぶっていて、おそらく毛布の下は寝着の ままなのだろうとバージルはあたりをつけた。妙にもたもたしていたのは、靴紐と格闘でも繰り 広げていたか。
バージルは内心でため息を吐き、洗面台へ向かうでもなくふらふらとした足取りでキッチンへ やって来た弟を、黙って迎えた。

「早いな。怖い夢でも見たか?」

からかうように言ってやれば、弟はむずがるように首を左右にし。

「良いにおい……」

舌足らずに呟いてバージルに抱き付いてきた。良いにおい、とは間違いなくバージルが早朝から 作っていたもののことだろうが、あえてそちらを探すではなく自分に抱き付いてくる弟。しかも 鼻をぴすぴすとひくつかせ、バージルのにおいを嗅いでいる。確かに甘いにおいが移っているかも しれないが、この弟はまったく。
バージルは苦笑し、弟の頭をくしゃくしゃと掻き混ぜた。ほつれることのないすべらかな髪が、 指に心地好い。

「もう仕上げだ。ソファーで少し待っていろ」

キッチンとリビングとは、ほんの数歩の距離で間仕切りもない。ソファーに座っていても キッチンは臨むことができる。が、弟はバージルの肩に額を擦りつけ、いやいやをするように 首を振った。何を駄々をこねているのか。

「ダンテ、」

呼ばわるが、弟はぐずったきり離れようとしない。バージルは肩をすくめ、弟の背中をぽんぽんと 優しく叩いた。弟の気に入りの毛布の手触りは当然ながら良いが、バージルはやはり彼の髪の 感触を好んでいる。

「ソファーが嫌ならここにいろ」

え、と弟が驚き顔を見せる。駄々はこねて見せはしたが、期待はしていなかったに違いない。 確かにいつものバージルならば、半ば強制的に彼をソファへやっていただろう。今日は、 特別だ。

「ただし俺の後ろにいろ。手が塞がっていてはすることも出来ん」

ぽんぽん、背中を叩く。弟は「あ、う」と意味のないことをもらしながら、もぞもぞとバージルの 背後へ移動した。毛布の端をちょっと握った手を、バージルの腹へ回してくる。その動作が小さな 子どもを思わせて、バージルの頬をゆるませた。もっとも、弟からは見えないが。

弟が落ち着くのを待って、バージルは作業を再開させた。とはいえ、弟に言ったとおり、残す 作業などたかが知れているが。

「なぁ……」

背後から、声。ひどく眠そうであるのは、ぴたりとくっつくことで体温が上がり、眠気が 増幅されているからだろう。ただでさえ、弟はバージルにくっついて眠ることが好きである らしいのだ。

「何だ」

「それ、さ、おれが喰っていいの?」

そんな問い掛けに、バージルは少し笑ってしまう。嘲弄ではない。彼が、いかにも不安そう だったから、思わず笑みがこぼれてしまった。彼以外の、いったい誰のためにバージルが こんなものを作るというのか。

「ホイップは多いほうが好きだろう?」

問えば、少し間を置いて「うんっ」という弾んだ声。やはり子どもだな。バージルは内心で 呟いた。いつまで経っても、この弟は幼いままだ。

「もう少しだけ待っていろ。飲み物は……そうだな、ココアでも作ってやろうか?」

その上にマシュマロを浮かべれば、まさしく弟の好みどおりになる。バージルの提案に、彼は すぐに飛び付いてきた。

「うんっ! それが良い!」

「判った判った。ほら、カップを出すから少し動くぞ」

「ん、」

それでも離れようとはせず小猿のようにくっついたままの弟の、頬や額にいくつも口付けを したい。などと。胸焼けがするほど甘ったるいことを考えてしまうのは、早朝からこちら、 甘いにおいを嗅ぎ続けているからに違いない。





チョコレートのシフォンケーキにホイップクリームをたっぷり添えて。ココアにはマシュマロを 三つばかり浮かべ。
甘えたがりの弟は、ふだんの矜持をどこへ忘れて来たのやら、とろりと蕩けるような笑顔を 絶やすことなく。兄の作ったケーキに舌を蕩けさせる。





ごろごろと喉を鳴らす猫を思わせる、可愛い可愛い弟を、兄は今日も目一杯甘やかすのだった。


















戻。



バレンタインデーはすっかりきっぱり過ぎてしまったので、
もうバレンタイン関係ないってことで良いです。
ネタ的には逆チョコですが。出遅れた。